第89話 ……みたいな?
アリシアが力尽きて倒れ伏すと、跡形もなく家屋が消滅した現場には、黒い渦の余韻と、静寂だけが残った。その沈黙を破ったのは、我に返ったキスティーの声だった。
「アリシア!大丈夫!?起きて!目開けて!」
キスティーは、不安な顔で、全身から湯気を上げているアリシアの小さな肩を必死に揺さぶった。アリシアが命を賭けてまで戦ったものが何かなんて全く分からないが、目の前にアリシアが倒れてあることに涙が出てきた。
ギルもまた、あまりに非現実的な光景にしばらく呆然としていたが、ようやく我に返って駆け寄った。
「おい!起きろよアリシア!どうすんだよ!ひとり寝て逃げるなよ!」
ギルは、自分の起こした扉の粉砕と、アリシアの家屋消滅という、二人で起こした前代未聞の破壊行為の責任を前に、彼女に逃げられることに焦りを感じた。しかし、アリシアは穏やかな寝息を立てるだけで、決して目を開けない。
キスティーは、さらに涙目で、彼女にとって最も効果的であろう魔法の言葉を並べた。
「目開けてよ…朝だよ!起きて!スコーンあるよ!起きて!」
それでもアリシアはスヤスヤと眠り続ける。ギルは、もうこれ以上言葉をかける気力もなく、諦めと呆れが混ざった溜め息をついた。
「アリシア!リリアナ様来たぞ!」
その言葉が、空虚な跡地に響き渡った、その瞬間。
アリシアの全身が、電光石火の速さで震え上がった。スヤスヤと眠っていたはずの彼女は、目を見開き、瞬時に立ち上がり、キスティーの小さな影に、獣のように隠れようとした。
キスティーは困惑しながらも、突然の覚醒に安堵し、引きつった笑みを浮かべた。
「あ、アリシア…おはよう…」
アリシアは、ケロッとした顔で、まるで数分間の激闘と破壊がなかったかのように、純粋な笑顔で振り返った。彼女の魔力は完全に枯渇しているはずだが、その表情には一片の疲労も見られない。
「あら!キスティー?お皿見つかった?まだなの?じゃあ一緒に探してあげるね!」
その発言は、まるで時間を遡ったかのような、事態の始まりに戻ったかのような言葉だった。アリシアの意識は、魔力を使いすぎたことで、直前の記憶を都合よく封印し、リフレッシュされてしまったのだ。
ギルは、その無自覚な回復力と記憶の欠落に、心底呆れながらも、声を荒げた。
「おい!アリシア!少しは思い出せ!ここの状況見ろよ?」
アリシアはポカンとして、初めて周囲の「空虚」に目を向けた。そこには、つい先ほどまで存在していたはずの家屋の残骸すらない。ただ、土埃と木片が舞い上がり、ぽっかりと穴が開いたような空間の歪みだけが残されていた。
なんとなく記憶の断片に、ここまで来た経緯が蘇る。
「ここ…って…お菓子の人探して着いた…家かしら…?」
アリシアは恐る恐るギルに尋ねた。
ギルは、もはや抑えきれない怒鳴り声で叫んだ。
「そうだよ!ここはその家だよ!正確には家があった跡地な!」
アリシアの顔が極限に引きつった。自分の起こした破壊の現実的な規模を、視覚情報として突きつけられたのだ。
「えー…と、これは誰が…?」
ギルとキスティーは、同時に、人差し指でアリシアを差した。
アリシアは、目を泳がせながら、必死に記憶を辿ろうとする。
「え…え!?わ、私?ギルが扉壊したとこまでは覚えてて…」
キスティーは、事の深刻さを理解し、小さな声で事実を付け加えた。
「アリシア?よく分かんないけど、一人で何かと戦ってたよ?で…家…なくなっちゃった…」
アリシアは下を向き、言葉を失った。その銀色の髪は、まだ微かに湯気を立てているようにも見えた。
その頃、道路で唖然としていた騎士団長は、土埃の中でゆっくりと顔を上げた。目の前で起こったのは、よく分からない力による家屋の消滅という、彼にとって最も恐れていた現実だった。彼の脳は、この出来事を「受け入れられない」と拒絶し、現実逃避へと傾倒していた。
しかし、視界に入ってきた「指名手配犯」の姿が、彼の騎士としての職務の回路を、辛うじて再起動させた。
キスティーが作り出したガム風船のエアバッグから解放された人さらいの男は、自分が生きていることが信じられず、直立のまま気絶していた。その姿を捉えた騎士団長は、絶望の淵から、機械的な職務遂行へと意識を切り替えた。
(そうだ、職務だ。私は騎士団長だ。この街を守る義務がある。私は…何が起きても、悪を捕らえる。これを全うしなければならない!)
彼は、鉛のように重い体を引きずり、土埃の中を駆け出し、男へと向かった。
「待て!貴様、極悪指名手配犯め!」
騎士団長は、その震える手で、気絶している男を力任せに取り押さえた。彼の動きは、恐怖と疲労に満ちていながらも、長年の訓練による反射的な職務遂行だった。
キスティーは、その剣幕に驚き、尋ねた。
「騎士団長さん?その人悪い人なの?」
騎士団長は、男の無残な姿と、キスティーの不安な顔を見て、強い言葉で言い放った。
「そうだ!人さらいだ!君も危なかったんだぞ!」
その強い口調に、キスティーは堰を切ったように泣き出した。彼女にとって、親切にしてくれたおじさんが悪い人だったという裏切りと、自分が危険に晒されていたという恐怖が、同時に襲いかかってきたのだ。本当に、ただの子供のように泣きじゃくった。
アリシアは、泣き出したキスティーを抱き寄せ、慰めながら、騎士団長に抗議の眼差しを向けた。
「そんな怒鳴らなくてもいいでしょ?被害者なんでしょ?キスティーは。」
騎士団長は、怒りと驚愕の感情で、その場で立ち尽くした。
(被害者…?確かに彼女は被害者だ。だが、この惨状の…)
彼の心の声は、口から出る前に、アリシアの無垢な瞳に押し込められた。
「まあそうだな…すまん。」
彼は、深いため息とともに謝罪した。彼の理性は、もはや目の前の子供たちに常識的な対応を求めることは不可能だと悟っていた。
ギルは、周囲の「空虚」を改めて見渡し、事態の深刻さに気づいた。
「あのさ…これさすがにやばいよな。」
キスティーもまた、泣き止み、消滅した家屋跡を見て、アリシアに問いかけた。
「ここまでしないとダメだったの?」
アリシアは、上目遣いで、小声で、ギルたちに確認を求めた。
「あ…の、ね…その、覚えてないのよ…。私…魔法使った?これ私のせい?」
ギルは、きっぱりと事実を告げた。
「お前がやった!」
その直後、ギルは、ふと思い出し、更なる恐怖に襲われた。
「あのよ…ここって、王様が作った家がある、なんとか区画だよな…ってことは、また国の物壊したのか?」
キスティーは、両手を広げて、現実逃避するように叫んだ。
「もう知らないよ!私今回何にもしてないし!」
ギルも、自らの罪を認めつつ、無力感を滲ませた。
「俺は扉壊したけど…もうその扉も直す家ないし…」
二人は、絶望的な顔でアリシアを見つめた。
アリシアは、自身の無自覚な破壊、王家の建てた家屋の消滅という、国家的な問題を前に、顔面蒼白になった。
「覚えてないのよ?こんなことする?普通?王様が建てた家よ?壊すなんて…しない…わよ…たぶん…覚えてないけど。………したの?私……、捕まるの?」
ギルも、現実を突きつける。
「ヤベーな…騎士団長さん見てたしな…捕まるな…」
キスティーは、再び涙目になりながら、アリシアをかばった。
「ヤダよー!アリシア捕まえないで!」
アリシアは、蒼白な顔で、すべてを諦めたかのような表情になった。
「終わりだわ…人生短いものね…」
騎士団長は、目の前の子供たちが、「捕まる」という極めて一般的な罪を前に、震えながら絶望している姿を見て、完全に思考が追いつかなくなった。
(な…なんだ?この子たちは…、このような国すら滅ぼせる力を持つのに、「お咎め」を恐れているのか?この力の前に、王国など、塵も同然ではないのか?何が正解なのだ?)
騎士団長の頭の中は、カオスだった。しかし、彼の目の前で、三人の子供たちは、気をつけの姿勢で、恐怖と反省の表情を浮かべ、彼を待っていた。
騎士団長は、必死に平静を装い、咳払いをした。
「おほんっ!あーなんだ、三人とも無事で何より。極悪指名手配犯も確保出来た。お手柄だ。なんだ…ああ…感謝する。」
彼は、職務を全うした。指名手配犯を捕らえ、子供たちの安全を確保した。彼の心は、これ以上の思考を拒否した。一件落着と心に言い聞かせた。
アリシアは、恐る恐る口を開いた。
「あの…騎士団長様…家…なんですけど…。なんか…その…えいってしたら…消えちゃった……みたいな?お咎め…有りますよね……申し訳ありませんでした…」
絶望に歪むアリシアの顔を見て、キスティーも一緒に頭を下げた。
「ごめんなさい!アリシア、私守ってくれたの!…たぶん…よくわかんないけど…。だから王様の建てた家壊したの…許してくれませんか…」
ギルもまた、力強く頭を下げた。
「頼んます!俺も扉粉砕しました…わざとじゃないんだ、です…ごめんです…」
騎士団長は、その「普通」の謝罪に、再び唖然とした。この子供たちは、驚異の力があるにも関わらず、自分たちが怒られることだけを必死に怖がる、普通の子供になっていた。
騎士団長は、もはや限界だった。この世の理が通用しない子供たちに、罰を与えることの意味が分からなかった。
それでも、職務を全うするため、考えることをやめ、機械的に物事を進めることにした。。
「あ…ああ…そうだな…犯人逮捕に協力してもらったしな…」
彼は、思考が追いつかないまま、言葉を続けた。
「でも、当事者だからな。事情聴取は付き合ってくれ。」
騎士団長は、心身の限界を迎えながらも、子供たちと、捉えた人さらいの男を連れて、騎士団詰所へと向かった。
その後、彼らは軽い聴取を終え、お咎めなしで解放された。
彼らの今回の楽しい「お土産探し」は、一国の騎士団長の精神を崩壊させ、一つの家屋を消滅させ、悪党逮捕に協力し、そのうち一人の悪党を改心させる結果となった。あと、「黒の奴ら」から街を守ったと…




