第86話 おほんっ!
粉砕された扉から差し込む薄明かりと土埃の中で、アリシアの尋問は熱を帯びていた。彼女は、目の前の男がキスティーに害をなそうとした可能性を断じて許すことができないという激しい怒りを瞳に宿していた。
アリシアは一歩踏み込み、男に詰め寄った。その声は氷のように冷たく、しかし怒りに満ちて震えていた。
「この汚部屋は何…!? ここで何をしようとしたの…あなたは誰!?案内係?聞いたことないわ?誰よ!」
アリシアの鋭すぎる視線と、一分の隙もない詰問に、人さらいの男は、まるでヘビに睨まれたカエルのように硬直した。彼は床に正座をし、顔を隠そうとし、全身から冷や汗を噴き出させている。
「あ、あの、…その、え…ですね…そのお嬢さんが、迷っていたので…その…」
男の声はしどろもどろで、まるで口の中に砂を詰めたかのようだ。彼の言葉は、もはや改心したとはいえ、人さらいという自らの罪から逃れようとする、哀れな叫びにも似ていた。
アリシアは、その男の態度にさらに苛立ちを募らせた。
「聞こえないわよ!はっきりおっしゃって! 大の大人がウジウジしゃべらない!説明しなさいって言ってるの!」
アリシアは、まるで取調室の刑事のように、いや、それ以上にすごい剣幕で男を追い詰めた。彼女の周りの空気は、怒りの魔力でわずかにビリビリと震えているようにも感じられた。
その時、見境のないアリシアを止めたのは、一番近くにいたギルではなく、当事者であるキスティーだった。
「アリシア、落ち着いて…私何にも無かったよ?疲れて休んで、お菓子食べてただけだよ。」
キスティーは、アリシアの手を優しく取り、その無邪気な笑顔で、激昂したアリシアの心をなだめようとした。しかし、アリシアにとって、キスティーの安全は何よりも優先される事項なのだ。
ギルは、この状況でいつものように首を傾げていた。
「アリシア、落ち着け…何も起きてないって。いや…俺が扉壊したか…その話どこ行った?」
ギルは、自分の起こした破壊の責任が、アリシアの激しい追及によって、いつの間にか宙に浮いていることに気づき、逆に混乱していた。
アリシアは、ギルの言葉を冷たい目で一蹴した。
「扉なんてどうでもいいわ…キスティーのことよ。 さあ、なんでここに連れてきたの?白状なさい!」
アリシアの執拗な詰め寄りに、男はついに耐えきれなくなった。彼の表情は泣きそうに歪み、完全に降伏の意を示した。
「わ、わかった…言う…言うから落ち着いてくれ…すまない。」
男の悲痛な叫びに、アリシアは一歩下がり、ようやく男から距離を取った。
室内にはしばしの沈黙が訪れた。男が重い口を開こうとしたその時、粉砕された扉の向こう、土埃と光のコントラストの中に、一際大きな男の影が立ち現れた。
それは、騎士団長だった。
土埃を払いながら、騎士団長はゆっくりと部屋へ足を踏み入れた。彼の目に入ったのは、まさに非日常的な光景だった。
床に正座し、顔を覆っている哀れな男に、凄まじい剣幕で怒鳴り散らしているアリシア。そして、そのアリシアと、鉄鉱石を抱えながら戸惑っているギルとキスティー。
騎士団長の脳裏に、王城訓練場での悪夢が一瞬にして蘇った。アリシアを怒らせて訓練場が半壊した、あの凄惨な光景が。彼は、この状況が「最悪」であることを直感した。
「おほんっ!」
騎士団長は、心労と恐怖からくるものか、大きな咳払いをした。
その音は、子供たちにとって雷鳴にも等しかった。三人全員が、反射的にピシッと気をつけの姿勢になった。
彼らは恐る恐る後ろを振り向き、騎士団長と目が合った瞬間、まるで熱い鉄板に触れたかのように飛び上がり、部屋の片隅にある埃をかぶった古びた棚の影に、一瞬にして隠れた。
キスティーは、棚の影から顔だけ出し、混乱と困惑に満ちた声で囁いた。
「なんで騎士団長さんいるの?ギル達連れてきたの?なんでなんで?」
ギルは、キスティーの頭を叩き、慌てて否定した。
「ばか!俺たちが連れてくるわけねーだろ!なんかしたか?」
アリシアは、顔面蒼白になり、体が震え始めた。彼女の脳裏には、騎士団長=王子様というトラウマの連想がよぎっていた。
「騎士団長様?なんで?でも…騎士団長様いるってことは王子様もいらっしゃっているのかしら…。 まってまって…そしたらリリアナ様も…」
恐怖の想像が、アリシアを襲い、彼女はめまいがするのを感じた。
ギルは、アリシアの過剰な反応を見て、再び扉の破壊と魔法を関連付けた。
「まさかこの扉壊したからか…?いや、ただの扉だしな…。!アリシア!お前だろ、やっぱり!あの魔法…」
ギルが言いかけたところで、アリシアは激しく困惑し、彼の言葉を遮った。
「何よ!?いつも私? 魔法魔法って今日私なんかした? もうギル変よ!」
アリシアは、自分が起こした大魔法発動と、ギルの指摘の間に横たわる、埋めようのない認識のズレに、ただただ困惑するしかなかった。
騎士団長は、棚の影でコソコソと騒ぐ子供たちと、再び言葉を失った人さらいの男を見ながら、深い深いため息をついた。彼の心労は、もはや限界を超えていた。
彼は、再び咳払いをして、子供たちに注意を促した。
「おほんっ!」
三人は飛び出すように棚の影から出て、再び気をつけの姿勢を取った。
騎士団長は、疲労困憊の表情を隠さず、しかし職務上の厳格さを保ちながら尋ねた。
「君たち、ここで何をしている?」
キスティーは、正直に、そして状況を要約して説明した。
「親切な案内係のおじさんに連れられてここに来たの。そしたらなんかアリシアが疑って言い争いに…あ…その前に扉壊して…」
キスティーの声は、真実を述べるにつれて、だんだんと小さくなっていった。ギルは、バツの悪い顔で下を向くしかなかった。
騎士団長は、キスティーの言葉の「親切な案内係」という部分に引っかかった。
「親切な案内係?なんだそれは?王都にそんな者はいない。 お前は誰だ?」
騎士団長に問われた男は、顔を覆ったまま、苦しい言い訳を絞り出した。
「あ、あのボランティアでしております…その…あの…」
騎士団長は、そのしどろもどろな態度と、場にそぐわない「ボランティア」という言葉に怪しむ気持ちを強くした。彼は、鋭い視線で男の顔を覗き込んだ。
その瞬間、騎士団長の頭に電撃が走った。
「お、お前!『この顔にピンときたら騎士団へ』のポスターに載せてるコックローチ団のやつだな!」
騎士団長は、指名手配犯の顔と、目の前の男の特徴的な悪人面が一致したことに気づき、驚きと同時に職務への意識を取り戻した。
男は、顔を上げ、目を大きく見開いた。騎士団長に正体を見破られた事実は、彼の改心を一瞬で吹き飛ばした。彼の頭の中は、逮捕への恐怖で満たされ、逃げるという本能的な選択しか残されていなかった。
男は、立ち上がり椅子を蹴り倒し、一目散に後ろの部屋へと向かって走り出したのだった。




