第82話 え…え!?
お菓子の足跡をたどりながら、アリシアはキョロキョロと落ち着きなく周囲を見回していた。細い路地は、建物の影が深く、どこか薄暗い。湿った空気と、埃っぽい匂いが混じり合い、彼女の神経を逆撫でする。ギルは、そんなアリシアの様子に気づきながらも、軽く話しかけてみた。
ギルは、アリシアの気をそらすように言った。
「なあ、アリシア、キスティーどこ行ったんだろうな?」
「ええ…そうね…」
アリシアの返事は、心ここにあらずといった様子で、上の空だった。
ギルは続けて言った。
「お菓子の人もうすぐいるかな?」
「ええ…そうね…」
アリシアの目は、路地の隅々までを警戒するように動いたままだった。
「肉と魚どっちが美味いかな?」
「ええ…そうね…」
彼女の返答は、まるで自動人形のようだった。
「ティータイムって、露店の串焼き肉でいいかな?」
「ええ…そうね…」
ギルは、ほとんど諦めかけていた。やはり、アリシアの頭の中は、別の何かでいっぱいなのだろう。
最後に、ギルはいたずら心半分で、少し意地悪な質問をしてみた。
「レイエス王子のこと好きなのか?」
刹那、アリシアの目がギルを捉えた。死を確信するほどの鋭い視線だった。
「いいえ。」
即座に、きっぱりとした否定の言葉が返ってきた。ギルは、その反応に少し驚きながらも、やはりレイエス王子のことになると、彼女の意識は一気に引き戻されるほどのトラウマなのだと改めて実感した。
ほぼ上の空であったアリシアの反応は、何かに集中しているアリシアならこんな事もあると、ギルにとってはある意味いつものことであった。
しかし、その時、物陰から蠢く何かが、二人の眼の前に飛び出してきた。黒く小さな影が、カサカサと素早く動く。ギルは何も感じず、首を傾げるだけだったが、アリシアは瞬時に反応した。彼女の瞳孔が開き、体から微かな魔力のオーラが立ち上るのがギルにも感じ取れる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!……やっぱり来たわね!不意を付いたつもりでしょうけど、すべてお見通しよ!でも、思った通り、まだ、指揮系統は乱れてるようね。数人で行動して私に向かってくるなんて。愚策にも程があるわ!…いえ、待って、おかしいわ…この動き…!あなた達はもしかして偵察部隊なの?こちらの行動を先読みするために?これは逃せないわ!少ないからって油断してはダメよ、私。全力で殺るわ!」
アリシアの口から放たれる言葉は、まるで戦場の指揮官のようだった。その声には、先ほどの上の空な様子は微塵もなく、研ぎ澄まされた戦士の覚悟が宿っている。彼女は瞬時に右手に魔力を込め、最大火力で氷の魔法を、その黒の偵察部隊に照準を定めた。
轟音と共に、空気中の水分が一瞬にして集まり始めた。路地の薄暗い上空に、巨大な円錐型の氷がみるみるうちに現れる。冷気が周囲の空気を震わせ、二人の吐く息も白くなった。ギルは、目の前で繰り広げられる光景に呆然と立ち尽くすしかなかった。
「舐めないでちょうだい!!!」
アリシアのかけ声と共に、巨大な氷の塊は、路地裏の地面にいた黒の偵察部隊めがけて、容赦なく落下した。轟音と共に地面が揺れ、氷が砕ける鈍い音が響き渡る。氷の破片が周囲に飛び散り、路地は一瞬にして粉雪が舞う冬景色へと変貌した。
アリシアは、肩で息を切らしながら、額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
「はぁ…はぁ…。甘く見ないでよね…。いくら不意打ちを仕掛けてこようとも、もう私に初めのような油断はないんだから。殺るか殺られるか…え…え!?」
彼女は、直撃した氷の隙間から、黒の偵察部隊の一人がするりと抜け出していくのを見てしまった。その素早い動きは、まるで悪夢の再現だ。
「くっ…!逃したわ…このままだとこちらの情報が本隊に伝わってしまう…でも、もう彼を追うのは無理ね…。あの速さは追いつけないわ。でもなんでなの…?私、全力よ!?まだ力が足りないの…?ここまで火力を上げてもダメだと言うの?私の全力は、お母様の丸めた新聞紙の一撃に遠く及ばないと言うの!?いえ…冷静になりなさい、私。これは私の判断ミスよ…。固体での攻撃は偶然の隙間もできるものよ…やはり炎…いえ…すべて吹き飛ばす爆発系の……」
アリシアは、一人でブツブツと呟き出した。その表情は、再び苦悩と焦燥に歪んでいる。彼女の頭の中では、次の攻撃手段や、逃がした敵への対処法が、目まぐるしく巡っていた。
ギルは、呆然と立ち尽くしていたが、ようやく口を開いた。
「アリシアお前いきなり何してんだよ!!わけわかんねーぞ!当たったらどうすんだよ。っていうか、この氷どうすんだよ……」
ギルは、目の前に立ちはだかる巨大な氷の柱を見て、深くため息をついた。路地を塞ぐようにそびえ立つそれは、行く手を完全に阻んでいる。
アリシアは、ギルを視界に認識すると、途端にケロッとした顔で、いつもの優しい笑顔に戻った。
「あら、ギル、何そんな顔して。何かあったの?」
まるで、自分が巨大な氷の魔法を放ったことなど、完全に忘れているかのようだった。
ギルは、呆れたように頭をかきながら、諦めと疲労を滲ませた声で言った。
「あーもう!わけわかんねー!もう知らねぇぞ!…氷、邪魔だから壊すぞ!」
ギルはそう言うと、抱えていた鉄鉱石をそっと地面に置き、巨大な氷の柱に向かって、迷いなく右拳を振り抜いた。
ギルの鍛え抜かれた拳は、まるで爆弾のように氷の表面に激突した。
ドォンッ!
轟音と共に、巨大な氷の塊は、あっという間に粉々に粉砕された。砕け散った氷の破片が、路地のあちこちに飛び散り、太陽光を浴びてキラキラと輝く。
アリシアは、その光景を目の当たりにし、目を輝かせた。
「うわー綺麗ね!冬じゃないのにダイヤモンドダストが見られるなんて!」
彼女は心から喜び、砕け散る氷の輝きに見とれていた。
ギルは、そんなアリシアに呆れながらも、もう何も言う気力も残っていなかった。
「あのなー…もういいや、お菓子届けるぞ。」
彼は、散らばった氷の破片を踏みしめながら、再び鉄鉱石を抱え、先に進むよう促した。
アリシアは、またいつものように明るい声で答えた。
「うん!早く届けてキスティー探さないとね!」
そして、まるで何事もなかったかのように、軽やかな足取りでギルの後を追った。
その頃、遠くで子供たちを見失って、探していた騎士団長は、遠くの路地裏上空に突如として現れた巨大な氷の塊に驚愕し、幸か不幸か、そこに子供たちがいるのを確信した。
「あ、あれは…なんだ…。氷なのか?伝説級の魔法ではないのか…?」
日差しが燦々《さんさん》と降り注ぐ真昼の街に、突如として出現した氷の塊。それは、現実離れした光景だった。それが、轟音と共に地面に落下する光景を遠くから目の当たりにし、騎士団長は、この世の終わりが来たのではないかと、本気で想像した。彼の顔色は、すでに土気色になっている。
しばらくして、その強固な氷が粉々に粉砕される光景を見て、騎士団長はさらに絶望した。
「なぜだ…何が起きた…永久凍土にあるような絶対解けないような硬質でバカでかいものが、なぜ一瞬にして粉と化した!?これも子供たちか……」
彼は、目の前の現実を理解しようとすればするほど、自分の常識が音を立てて崩れていくのを感じていた。
もう騎士団長は、世界はきっと終わりが近いと感じ、頬を伝う冷たい雫に、来世の安寧を願った。
(私は…この国を守れるのだろうか…平穏な日は…もう訪れないのではないか…)
彼の心労は、騎士としての誇りも、使命感も、消えてなくなりそうなほどに限界を迎えようとしていた。




