第79話 お母様…
ギルは、アリシアの向かった方へと歩き始めた。大事そうに抱えた鉄鉱石は、彼の小さな体には不釣り合いなほど大きく、そして重いはずだったが、ギルはまるで羽根でも抱えているかのように軽々と歩を進めていた。
しかしギルは、歩きながら違和感を感じていた。
(なんか周りでカサカサ気配があるんだよなー?でも見えねーしな…ま、いいか!)
彼は時折、不思議そうにキョロキョロと辺りを見渡すが、人さらいの男は、彼の注意を引かぬよう、絶妙な距離を保っていた。
(危ねぇ危ねぇ、俺に気付いたのか?あのガキ、でけー図体の割には勘が良さそうだな…慎重に慎重に…)
男は、ギルの勘の良さに冷や汗をかきながらも、虎視眈々と好機を伺っていた。この無防備な少年を捕まえることなど、造作もないことだと、男は高をくくっていた。
しばらく行くと、ギルは、前から何やらブツブツと独り言を言いながら、歩幅を小さく、まるで地雷でも探しているかのように慎重に歩いているアリシアの姿を目にした。彼女の表情は真剣そのもので、時折、地面の小石を睨みつけ、怯えているようにも見える。
「…いないわよね…いないわよね…いないわよね…!!…あ…石ね…もう…脅かさないで…」
アリシアは、恐怖と戦っているかのように、ぶつぶつと独り言を繰り返していた。その挙動不審な様子に、ギルは首を傾げた。
「…なんか、怖いな…大丈夫か…?」
一瞬、不安になったギルだが、持ち前の明るい大声で声をかけた。
「おーい!アリシア!お土産見つかったかー?」
ギルは、そう叫びながら、大事に抱えた鉄鉱石を誇らしげに振り上げた。
ギルの声に、アリシアはハッと顔を上げた。恐怖に歪んでいた表情は、一瞬でいつもの優しい笑顔に戻った。
「あ!ギルー!お土産買ったよー!いいのあったよー!」
そう言いながら、アリシアが微笑んで駆け寄ろうとした、その時。
彼女の視界に、再び、恐怖の対象が飛び込んできた。ギルの足元に、黒くうごめく大軍勢が、まるでギルを襲うかのように群がってきている。それは、先ほどの黒焦げになったヤツの仲間たちに違いなかった。
「え……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!やっぱり現れたのね…一人いれば、必ずそいつは百の軍勢を連れているって…お母様はいつもおっしゃっていたわ!お見通しよ!甘く見ないでちょうだい!覚悟なさい!!」
アリシアの頭の中は、もう、ギルはもちろんのこと、後ろから忍び寄る人さらいの男も、目に入っていなかった。彼女の視線は、ギルの足元の黒の大軍勢に釘付けだ。
「それにしても、こんなに多いだなんて…。今の私の力で太刀打ち出来るの…?いえ、弱気になったらダメよ、私!ためらっている暇なんてないわ!ここで食い止めないと、もうこの街は…。いくわよ…最大火力で、すべて燃やし尽くしてあげるわ!!」
アリシアは、髪は逆立ち、大気が震えるほどの強大な魔力を右手に集中させた。彼女の体が、淡い光を放ち始める。その光は、徐々に熱を帯び、燃え盛る炎の色へと変わっていく。
「この街は私が守る!すべて残らず消し炭になれーー!!!!」
アリシアのかけ声と共に、渦巻く業火が、ギル…ではなく、ギルの足元の黒の大軍勢に向けて放たれた!
数瞬の後、爆音と共に爆炎がギルの目の前に高々と上がった。天をも突き抜けるかのような巨大な火柱が立ち上り、その地獄の業火は、ありとあらゆるものを、残さず焼き尽くす。大気まで焼き尽くし、業火の熱で時空が歪むかと思うほどに。
その業火が収まった後に残されたのは、地面に焼きついた黒い影だけだった。
アリシアは、肩で息をしながら、達成感に満ちた表情で呟いた。
「はぁ…はぁ…はぁ…おわ…った…?…これだけの軍勢を一人で相手は、さすがにヤバかったわ…。先に攻撃できたのは幸運よね…すごい戦いだったわ…。ここまで私の魔力を消費させるなんて…。でも、この魔法でなければきっと、カウンターを受けて私は今頃……。敵ながら見事な統率、天晴よ。お母様…私、勝ったよ!あの大軍勢に勝つことができたよ…!」
彼女は晴れ渡る空を見つめ、瞳から、一筋のきらめく雫がこぼれ落ちた。黒の大軍勢という今までにない強大な敵に打ち勝ったという事実は、彼女にとって、これまでのどんな勝利よりも、大きな意味を持っていた。
一方、ギルは、爆炎が上がった瞬間、大慌てで叫んでいた。
「わ!わ!わ!や…やめろ!!アリシア!さすがに死ぬって!俺!ここ!いる!ココ!イル!わ!わ!うわぁーー!!!」
しかし、ギルがいくら叫ぼうとも、黒の大軍勢に集中しているアリシアには、その声は全く届いていなかった。とは言え、アリシアは、無意識ではあるが、ちゃんとギルには当たらないように魔法を放っている。少し髪の毛が焦げたようだが、ギルに怪我はなかった。
そして、ギルの後ろから襲いかかろうとしていた人さらいの男は、地獄の業火の如き爆炎を見て、その瞬間、すべての思考が停止した。
(俺、死んだ…)
男はそう思い、動きを止めた。その無防備になった男に、ギルが爆炎でよろめいた時に振り上げた、あの奇妙な鉄鉱石が、男の手に持っていたハンマーもろとも体に直撃した。男は悲鳴を上げる間もなく鉄鉱石に押しつぶされ、気絶した。
あたりが静けさを取り戻したが、アリシアはまだ戦いの余韻に浸っていた。
「…でも、まって…おかしいわ…この街に攻め込むには大軍勢だったとは言え、数が少なすぎるわ…。!!…まだよ!…きっとまだ本隊がいるはずよ…どこなの!?敵は今、指揮系統は混乱しているはず…ここは一気に攻めて…」
そんな彼女の言葉は、ギルの必死な叫び声にかき消された。
「アリシアー!!おまえ!何やってんだ!?」
ギルは、顔を真っ青にしたまま、アリシアを怒鳴った。
「あら?ギル?どうしたの?お父様のお土産、いいの見つかった?」
アリシアは、いつものやわらかな微笑みで、ギルに問いかけた。その表情には、自分がとんでもないことをしていたという自覚は、微塵もなかった。
ギルは、呆れたような顔で、言葉を失った。
「おまえなぁ…はぁ……もう…被害出てないからいいけどよ…」
何を言っても無駄なのは、もう十分に知っている。ギルは、ここで言うのは切り上げることにした。
「もういいや、キスティー探しに行くぞ!」
ギルがそう言うと、アリシアはニコニコして元気よく答えた。
「うん!キスティーお土産買ったかな?」
二人は、再び楽しそうにキスティーを探しに歩き出した。ギルは、慌てて地面に転がった鉄鉱石を拾い、アリシアを追いかけた。鉄鉱石の横に、顔を青くして寝ている人がいたが、焦げてないから関係ないだろうと、完全に無視した。
その頃、証言を元に、女の子が行ったという方向へ進んでいた騎士団長は、遠くから、天をも突き抜ける火柱を見てしまった。そして、その火柱の下にいる少年少女の姿を。
「見てしまった…見てはいけないものを…私は見てしまった……」
騎士団長は、膝から崩れ落ちた。彼は一晩休んだはずなのに、連戦に連戦を重ねた疲労困憊の兵士の気分だった。あの悪夢のような出来事は、決して終わることのない、永遠の悪夢だったのだと、彼は理解した。涙を浮かべ、歯を食いしばり、地面をひたすら叩いた。
それから少しして、騎士団員が、気絶している男を発見し、報告を上げた。
「団長!ここに寝てる悪人面の男、指名手配のコックローチ団の男で間違いありません!」
しかし、騎士団長の耳には、もう何も入ってこなかった。彼の心は、遠い次元の彼方へと現実逃避を始めていた。
「もう…どうすれば…」
彼の心は、この子供たちの取り扱いを、放棄できるものならば、完全に放棄したくなっていた。




