第77話 まばたき一つが命取り…
キスティーが食器店を探して歩き始めた頃、アリシアは銀細工のアクセサリー店に心を奪われていた。ガラス張りのショーウィンドウには、太陽の光を浴びてキラキラと輝く、繊細な銀細工の数々が並んでいる。髪飾り、イヤリング、ブローチ、そしてペンダント。どれもこれもがため息が出るほど美しく、アリシアの心をときめかせた。
「どれにしようかしら?お母様、どれも好きそうよね…迷うわ。」
アリシアはショーウィンドウに額をくっつけ、目を凝らして品定めをしていた。母親の喜ぶ顔を想像するだけで、胸が温かくなる。この街に来て、こんなにも素敵なアクセサリーに出会えるとは思ってもいなかった。
すると、店の扉が静かに開き、中から上品な女性が出てきた。店員さんだろう。彼女は優しくアリシアに微笑みかけた。
「お母様にプレゼントですか?喜んでくださるでしょうね!もしよろしければ、中でお探しになりませんか?」
アリシアは頷き、いざ店内へ。壁一面に飾られたアクセサリーの数々に、アリシアは目を丸くした。一つ一つが職人の手によって丁寧に作られており、細部にまでこだわりが感じられる。
「こちらはいかがですか?イヤリングと髪飾りのセットですよ。」
店員さんが差し出したのは、小さな花びらをモチーフにした銀細細工のセットだった。花びらには、光を反射する小さな宝石が埋め込まれており、まるで本物の花が咲いているかのようだ。
「この中でも、細工が今の流行りで素敵なんです。」
「流行り」という言葉に、アリシアの心が決まった。流行に敏感な母親に、ぴったりのプレゼントだ。
「素敵…!」
アリシアは目を奪われ、即決した。
「これにします!」
店員さんは、アリシアの決断に微笑んだ。
「お見立てがよろしいですね。きっとお母様も喜んでくださいますよ。」
アリシアは、その言葉に、嬉しそうに微笑んだ。お母様にプレゼントを買うことができて、本当に嬉しい。しかし、せっかくだから、ギルとキスティーにも何か買ってあげたい。
店内をもう一度見渡すと、彼女の目に留まったのは、先ほどのセットと同じデザインの、小さなお花の細工が施されたブローチだった。手のひらに乗るサイズの小さなブローチだが、その繊細な作りは、大きなアクセサリーにも劣らない。
「これ、キスティーとお揃いで買おうかしら…」
アリシアはそう呟くと、そのブローチを二つ買った。キスティーと自分の分だ。そして、ギルには、同じデザインのストラップを一つ買った。きっと喜んでくれるだろう。
店員さんとのおしゃべりを楽しみながら、お土産を丁寧に包んでもらい、アリシアは大切に抱えて店を出た。心の中は、温かい気持ちで満たされていた。
しかし、そんなアリシアの幸せな気持ちとは裏腹に、店の外では、彼女を待ち伏せしていた人さらいの男が、不気味な笑みを浮かべていた。
「やっと出てきたか…」
男は、仲間からの暗号を見て、アリシアをマークしていたのだ。アリシアが一人になった今、行動を起こす絶好の機会だ。
(どうするか…あー…考えるのめんどくせーな。あんなガキ気絶させて抱えていくか…)
男は、頭の良さなど全く感じさせない荒っぽい計画を立て、アリシアに近づいていった。アリシアは、お土産を抱え、にこにこと楽しそうに歩いている。男は、彼女に気づかれないように、そっと後ろから忍び寄り、頭を叩いて気絶させようと試みた。
男がアリシアに手を伸ばしたその時、あろうことかこのような場所で、彼女の目の前に、アリシアの人生最大の、そして最強の天敵が現れてしまったのだ。
そいつは神出鬼没…漆黒に輝くその身体…無駄のない鍛え抜かれ洗練されたボディーライン…飛ぶことも可能な上、走れば圧倒的スピードで相手を嘲笑うが如く翻弄する、驚異的実力を有するこの史上最強の「魔獣」…
その名は、ゴキブリ!
下をカサカサと動くだけでも身の毛もよだつというのに、それが、こちらに向かって、羽をブーンと鳴らしながら飛んできたものだから、アリシアはもう、パニック状態に陥った。
「え…え…?いや…いや…来ないで…来ないで…来ないで…いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
涙目になり、天も地も裂けんばかりの悲鳴が、静かな裏通りに響き渡った。
――カチッ…
その瞬間、アリシアのスイッチが切り替わった。
そして、パニックになりながらもアリシアは瞬時に思考を巡らせ、迷わず魔法を周囲に展開することを決める。
(泣いていてはダメ!私が今コイツを殺らないと…この街は……。絶対に近づけさせてはいけない!!でも…一撃で殺れるの?そんなピンポイントで…?あいつは空を飛んできているのよ!?無理よ!私には…できない…。…初手をはずせば私が殺られる…。お母様はいつも研ぎ澄まされた一撃で勝利されるけれど、私はまだその技術も、経験も遠く及ばない…ならば私にできること…これしかない!)
そう自問自答し、魔法を発動した。
「…私は…あなたには負けられないのよ!!」
瞳には強固な意志の光が宿り、その決意の言葉と同時に彼女の周囲には、アリの子一匹通さないほどの間隔で、最大火力の無数の電撃が雨のように降り注いだ。絶対防御であり、全方位攻撃となる電撃で、辺り一面まばゆい光に包まれ、まるで、雷鳴が轟くかのような轟音と共に、青白い稲妻が地面を叩きつけ、周囲の空気を焦がしていく。
数秒後、電撃の嵐が止むと、辺りには焦げ臭い匂いが立ち込め、裏通りに静けさが戻った。
人さらいの男は、アリシアを掴む寸前だったため、その電撃の嵐をまともに受け、例外なく黒焦げとなって、後ろに倒れていた。黒い煙を口からもくもくと上げながら、ピクピクと痙攣している。彼の顔は、まるで、漫画に出てくる悪役が、ヒーローに一撃を食らった後のようだった。
しかし、アリシアは、そんなことには全く気づいていない。
「はぁ、はぁ…やった…の?こんなとこで最強のあなたに出くわすなんて…さすが神出鬼没ね…。私としたことが…油断したわ…。王都で浮かれすぎていたのね…」
彼女は髪を乱し、息を切らしながら、焼き尽くされた最強の敵の亡骸を見つめ、震える声で呟いた。
「死力を尽くす…とは、まさにこのことね…私をここまで追い詰めるなんて…。さすがは、私と互角に渡り合える敵よね…。近くに来るまで全く気配を感じなかったわ…紙一重ね…。気づくのが刹那遅ければ、きっと私がこうなっていたわ…。まばたき一つが命取り…それがあなたと私の勝敗を分けた要因よ…」
アリシアは、最強の敵の亡骸に、まるで偉大な戦士を称えるかのような、畏敬の念を抱いて語った。
息を落ち着かせると、アリシアは、もう一度自分に言い聞かせた。
「うん、よし!まだ油断できないわ。きっと仲間の軍勢がいるはずよ!」
そして、後ろを振り返ることなく、まるで魔王でも打ち破った英雄かのように、一度遠い目をし、ギルの行った鍛冶屋へと慎重に歩を進め始めた。彼女の心には、強大な敵を倒し、街の平和を守ったという、ささやかな誇りが芽生えていた。
「…ありゃ…手ぇ出しちゃいけねぇ…とんでもねぇ化け狐だ…」
男は、最後の力を振り絞ってそう呟くと、再び意識を失い、静かに地面に倒れ込んだ。




