第76話 だーれ?
キスティーは、賑やかな大通りを抜け、少し静かな裏通りを歩いていた。道の両側には、古びた建物が立ち並び、職人たちの小さな工房が軒を連ねている。時折、ガラスを削る音や、木を叩く音が聞こえてきた。
「どこかなー?お皿♪お皿♪」
キスティーは、楽しそうに歌いながら、きょろきょろと辺りを見回していた。その無邪気な姿は、まるで、森の中で宝物を探す妖精のようだった。
そんなキスティーの後ろを、人さらいの男は、ゆっくりと、しかし確実に追っていた。外套のフードで顔を隠し、人々の視線から身を隠しながら、獲物との距離を詰めていく。
(なんて無防備なんだ…あんな子どもを一人で歩かせるなんて、親はどういう教育をしているんだ!けしからん!)
男は心の中で吐き捨てた。彼の目に映るキスティーは、あまりにも無防備で、あまりにも容易に手に入りそうだった。その無邪気さに対して、むしろ、男は腹立たしさすら覚えていた。しかし、身代金のためだ。男は、どう誘拐するか、頭の中で様々なシミュレーションを繰り返した。
「お皿ないなー、どこかなー。」
迷い始めたキスティーの様子を見て、男の頭に、一つのアイデアが浮かんだ。それは、最も無難で、最も確実な方法だった。
(よし!これだ!この方法なら怪しまれない!)
男は意を決して、最上級の優しい声で、キスティーに話しかけた。その声は、まるで、聖職者のような落ち着いた声だった。
「おやおや、お嬢さん。こんな所で何かお探しかな?」
突然声をかけられたキスティーは、立ち止まり、男を見て首を傾げた。
「おじさんだーれ?」
その質問を待ってましたとばかりに、男は柔らかな笑みを浮かべて答えた。
「私かい?私はこの街の親切な観光案内係さ!この街は大きいからね。私みたいな親切な案内役が必要なんだよ。どんな場所だって知っているよ。」
キスティーの顔がパッと明るくなった。
「えー!ほんとに?私、お店探してるの!おじさん知ってる?」
「ああ、私に知らないことはないさ!なんたって私は親切な案内係だからね!」
男は内心で、しめしめ、とほくそ笑んだ。この子は、あまりにも純粋で、あまりにもチョロい。
「教えて!おばあちゃんが好きそうなお皿売ってる所に行きたいの。」
「食器かい?知っているよ。たくさんある所をね。でもこの辺りではないんだよ。少し離れているから、一緒に行こう。なんたって私は親切な案内係だからね。」
男は、キスティーの警戒心を解くため、あくまで親切な案内役を装った。そして、キスティーは、何の疑いもなく、その誘いに乗った。
「やったー!教えて、教えて!連れてって!おじさんありがと!」
満面の笑顔でそう言って、キスティーは男の手を掴んだ。その小さな手の温かさに、男は一瞬だけ、罪悪感のようなものを感じた。しかし、すぐにそれはかき消され、頭の中は身代金のことでいっぱいになる。
「さあ、親切な私が案内しよう。こちらだよ。」
男は、キスティーをアジトへと続く細い路地へと誘い込んだ。キスティーは、スキップをしながら、楽しそうについていく。彼女の頭の中は、おばあちゃんが新しいお皿を喜んでくれる姿でいっぱいだった。
男は細い路地を歩きながら、キスティーからさらなる情報を引き出そうと試みた。
「ところで、お嬢さん。この街の、どこに住んでいるんだい?」
彼の声は相変わらず優しく、親切な隣人のようだった。しかし、その裏には、獲物の情報を探る冷たい計算が隠されていた。
「うーん……王子様に呼ばれて、今は豪華な宿に泊まってるよ!」
キスティーは首を傾げ、考えるそぶりを見せながら、無邪気に答えた。その言葉に、男の足がピタリと止まった。
彼は目を丸くし、信じられないものを見るかのようにキスティーを見つめた。
(な、何だと?王子に呼ばれただと?)
男の心臓は、高鳴った。もしや、こいつは地方の大貴族様のご令嬢か、あるいは、もっと高貴な身分の者か…彼の頭の中は、一気に興奮と欲望で満たされた。
(すごい獲物だ……!こんな大物を捕まえるとは、俺はなんて運が良いんだ!へへへ……身代金、がっぽりいただけるぞ!)
男は、口元が緩むのを抑えきれず、不気味な笑みを浮かべた。目の前にいる無邪気な少女が、とてつもない財宝に変わっていく。その光景が、彼の脳裏に焼き付いていた。
「ん〜〜♪ お皿、見つかるかな〜♪」
彼女の頭の中は、おばあちゃんが喜ぶであろう素敵な食器を見つけることでいっぱいだった。男の親切な言葉を純粋に信じ込み、その先に広がる楽しい未来を夢見ていた。
歩きながら、キスティーはポケットに手を入れた。そこは、先ほどのブランチの露店で買った、様々な小さなお菓子が入っていた。すべてのポケットがパンパンに膨らむほどに。ゴロゴロと硬いものがぶつかり合う感触が心地よい。キスティーは一つ取り出し食べ、もう一つ取り出し差し出した。
「おじさんにも、あげるね!」
男は、突然の申し出に一瞬戸惑った。キスティーの無邪気さがもたらす、心のざわつき。彼は慌てて平静を装い、かすれた声で応じ、差し出された飴をぎこちなく受け取った。
「あ、ありがとう…」
キスティーの弾むような足取りに合わせて、彼女のポケットから、時々、小さなお菓子が一つ、また一つとこぼれ落ちていった。ポケットに詰め込み過ぎである。キスティーはそれに気づくことなく、楽しそうにおじさんについていった。
男もそのお菓子には気づかず、彼の頭の中は、すでに大金を手に入れた後のことばかりで頭がいっぱいであった。




