第51話 蜂蜜パンケーキ!
翌朝、最初の朝の光が窓の隙間から滑り込み、部屋の塵を金色に染め上げる。その光は、遠くで響く街のざわめきと風の歌声に導かれるようにして、アリシアのまぶたを優しく開かせた。
隣を見ると、キスティーがアリシアに抱きついて、幸せそうな寝息を立てている。口元には、昨夜の豪華な食事の夢でも見ているのか、少しよだれが垂れてアリシアのパジャマを湿らせていた。
アリシアは、そんな無防備な寝顔に微笑むと、そっとキスティーを抱きしめた。温かくて柔らかいその小さな体を腕に抱くと、昨日の大騒動のことが、まるで遠い夢のように思えた。彼女の心の中にあった不安の影は、この温もりと安堵に包まれて、少しずつ溶けていくようだった。
「…大丈夫…きっと、全部大丈夫…」
アリシアは、自分に言い聞かせるように、そしてキスティーに語りかけるように、静かに呟いた。国王の言葉、レイエスの覚悟、そして何よりも、キスティーが自分を信頼してくれているという事実が、アリシアの心を温かく満たしていた。
しばらくの間、キスティーを抱きしめていたアリシアは、そっとベッドから抜け出した。彼女は窓辺まで行くと、重厚なカーテンを静かに開けた。
王都の夜明けは、さざ波のように静かだった。朝もやが街並みを薄く覆い、遠くに見えるお城は、まだ夢の中にいるかのようにぼんやりと浮かんでいる。
まだ人通りの少ない石畳の通りには、早起きした行商人たちが荷車を引く、微かな車輪の音が響く。どこかの店の煙突からは、朝食の準備を知らせる煙がたなびき、街全体がゆっくりと目覚めていくのがわかる。
焼きたてのパンの香りが、ひんやりとした朝の空気に溶け込み、アリシアは窓辺で静かにその匂いを吸い込んだ。それは、新しい一日が始まる合図だった。
(…本当に、たくさんの人が生きている場所なのね…)
アリシアは、ただその光景をじっと見つめていた。故郷のコレットとは全く違う、この多くの人々が住まう壮大な街。訓練場をめちゃくちゃにしてしまった罪悪感と、国王に赦された安堵が、アリシアの胸で複雑に絡み合った。それでも、この街の美しさ、そしてそこに暮らす人々の営みが、アリシアの心に、小さな希望の光を灯したのだった。
「…気持ちいい朝だわ…」
アリシアは、胸いっぱいに感動を抱きながら、静かにそう呟いた。
しばらくの間、朝の王都の景色を堪能していたアリシアは、ベッドに戻り、まだ夢の中のキスティーを起こすことにした。
「キスティー、起きて。もう朝よ。」
アリシアが優しく肩を揺らすが、キスティーは「んーん…」と小さくうめくだけで、起きる気配がない。
「もう…。早く起きないと…またバタバタしてしまうわ…」
「んー…待って…まだ食べてる途中なの…そんなにたくさん…私でも食べられないよー…むにゃむにゃ…」
キスティーは、寝言でそう呟き、さらにベッドの奥へと潜り込んでしまった。
「もう…仕方ないわね…」
アリシアは呆れたようにため息をつくと、ベッドの縁に腰掛け、キスティーの小さな手をそっと握った。
「ねえ、キスティー。美味しいパンケーキが用意されているって。蜂蜜がたっぷりかかっているそうよ。」
アリシアが甘い言葉で囁くと、キスティーの瞼がピクリと動いた。蜂蜜という言葉に弱いキスティーは、ゆっくりと目を細めてアリシアを見た。
「ほんとに…?蜂蜜…?パンケーキ!」
まだ半分夢の中のような声で問いかけるキスティーに、アリシアはにっこりと頷いた。
「ええ、本当よ。早くしないと、ギルが全部食べちゃうかもしれないわよ?」
その言葉を聞いた瞬間、キスティーは勢いよく飛び起きた。
「いやだ!ずるいー!」
キスティーは叫んで、寝ぼけ眼を擦り、慌ててベッドから降りようとした。
「ほら、ちゃんと起きたわね。顔を洗って、着替えましょう。」
アリシアは微笑みながら、少し慌てた様子のキスティーの手を取り、洗面台へと促した。
アリシアに引っ張られ、キスティーは洗面台に向かった。しかし、まだ夢から覚めきっていないのか、顔を洗う水は飛び散り、歯ブラシも口の中より頬を磨いている時間の方が長い。
「もう、キスティー。ちゃんと顔洗って!服も濡れちゃったじゃない!」
アリシアが呆れたように声をかけるが、キスティーは「んー…」と生返事をするだけだ。歯磨き粉だらけの顔で、ぶつぶつと文句を言いながら、部屋の真ん中に用意されていた子供服に手を伸ばした。
「うーん…この服難しいよ…?」
やはり王都の子供服は、作りが複雑で、それも王子様が用意している最高級のもので、キスティー一人ではなかなか着ることができない。その上、慌てているせいで、余計に手間取っている。
「もう!リボンもボタンも間違ってるわ!貸して!」
アリシアは、そんなキスティーの様子を見て、やれやれと肩をすくめた。結局いつものようにアリシアにしてもらって着替え終わった。
「アリシア、ありがと!」
「はい、おしまい。もう、あなたは本当に手がかかるんだから。」
アリシアはそう言いながら、キスティーの髪を優しく整えてやった。
二人が朝食室に着くと、ギルはすでにフォークを握りしめていた。テーブルの上には、ハムやチーズ、野菜のたっぷり入ったサンドイッチや、新鮮野菜のサラダ、ホットココア、そして焼きたてのキッシュにパンケーキが並んでいる。ギルは、すでに大きなパンケーキにフォークを突き刺し、口の周りに蜂蜜をつけながら、二人にからかった。
「遅いぞ、お前ら!俺が全部食っちまうところだったぜ!」
その言葉に、キスティーは怒ってギルを睨んだ。
「先に食べるなんて、もう!ずるいー!」
「アリシアが起こすのが遅いんだもん!」
キスティーは口を尖らせて反論する。アリシアは、そんな二人を見て、やれやれと肩をすくめた。
「はいはい。早く席について。蜂蜜がたっぷりかかったパンケーキは、まだ逃げないわよ。」
アリシアがそう言うと、ギルはにやりと笑って言った。
「そうだな!全部お前らに食われる前に食っちまうか!」
ギルは、自分の皿から半分になったパンケーキを指差しながら得意げに言う。
「なっ…!」
キスティーが怒り出す前に、アリシアはキスティーの皿に焼きたてのパンケーキを乗せてやった。
「さあ、いただきます。冷めないうちに食べましょう。」
「「いただきます!」」
アリシアの言葉に、食べ始めていたギルも一緒に声をそろえ、豪華な朝食を楽しくいただいた。




