お説教…
「た、助けてー!止まらないよー!」
キスティーの悲鳴が、ますます高くなる。彼女の魔法は、一度発動すると制御が難しい。特に感情に任せて発動した場合は、その傾向が顕著だった。風の魔法は三人まとめて、広場の教会の塔の高さまで上昇していた。
「キスティー!いい加減にしろ!本当に落ちるぞ!」
ギルバートの顔は真っ青で、完全にパニック状態だ。アリシアもまた、恐怖で顔をこわばらせていた。
「わ、わかんないもん!どうやって止めればいいのー!?」
キスティー自身も、どうすることもできず、ただ空中でバタバタともがいている。その時、風の魔法が突如として収束し始めた。上昇の勢いが止まり、逆に三人の体が下へと向かって落ち始める。
「「きゃあああああああ!」」
「うわあああああああ!」
三人の悲鳴が広場に響き渡る。下で見ていた人々は、息をのんでその光景を見上げていた。
「止めろ!何をしている!」
護衛の騎士団長が、焦ったように叫ぶ。だが、彼らが魔法を使うには、詠唱の時間がかかる。間に合わない。
その瞬間、レイエス王子が前に一歩踏み出した。彼の瞳が鋭く光り、唇がわずかに動く。
「《縛鎖》!」
杖を構え、短い言葉が紡がれた。しかし、その言葉と共に、地面から無数の光の鎖が飛び出し、空中で落下する三人を優しく包み込んだ。鎖は緩やかに下降し、三人を広場の地面にそっと着地させた。
光の鎖が解かれ、地面に降り立った三人。キスティーはまだ魔法の動揺が残っているのか、よろよろと足元がおぼつかない。ギルとアリシアは、腰が抜けたようにその場にへたり込んでいた。
「キスティー!お前、本当に馬鹿だろ!」
ギルが震える声で叫ぶ。アリシアも目に涙を浮かべながら、キスティーに抱きついた。
「キスティーったら!本当に心配したのよ!」
その騒ぎをよそに、レイエス王子が護衛の騎士たちを従え、ゆっくりと三人の元へ歩み寄ってきた。彼の表情は、先ほどの驚愕から一転、強い探求心に満ちていた。
「君……今の魔法は、一体どういうことだ?」
レイエス王子の声は、静かでありながらも有無を言わせぬ響きがあった。キスティーは、その言葉にようやく彼の存在を認識したかのように、顔を上げて王子を見つめる。
「え、あ、えっと…」
キスティーは戸惑い、言葉に詰まる。ギルは震える声で答えた。
「その…こいつは、昔からちょっと、変わったやつでして…」
「変わった、だと?」
王子は眉をひそめ、さらにキスティーへと視線を向けた。
「杖も詠唱もなく、あれほどの高位の風魔法を操るとは…聞いたことがない。君は、一体何者なんだ?」
彼の問いかけは、純粋な好奇心から来るものだった。だが、キスティーにはそれが尋問のように聞こえた。コレットで暮らす彼女にとって、自分の魔法が「異常」だと言われること自体が初めての経験だったのだ。
アリシアは不安そうにキスティーの腕を掴み、ギルは体を震わせながらも二人の前に立ちはだかろうとする。
「あの…私達はただの町の者です。何か、ご迷惑を…」
ギルが震えながら答えるが、王子は彼の言葉を遮るように言った。
「迷惑などではない。むしろ…興味深い。」
王子はそう言うと、静かにキスティーに手を差し出した。
「君の名前を教えてくれないか?」
広場に、再び静寂が訪れる。人々は、自分たちの常識を覆す光景を目の当たりにし、ただ呆然と立ち尽くしていた。
レイエス王子がキスティーに手を差し出した瞬間、周囲の空気は張り詰めた。護衛の騎士たちは、まさかの王子の行動に息をのむ。町の住民たちも、固唾をのんでその光景を見守っていた。
キスティーは、差し出された手の意味が分からず、きょとんとした顔で王子を見つめる。ギルは完全に硬直しており、アリシアは不安げな瞳で王子とキスティーを交互に見ていた。
「え…?」
「名は?」
王子は、焦れることなく、しかし強い意志を込めて繰り返した。その眼差しは、まるで珍しい鉱物を見つけた探求者のようだった。
キスティーは、その真剣な眼差しに気圧され、反射的に口を開いた。
「キスティー…です。」
「キスティー…か。興味深い。やはり、君は…」
王子が何かを言いかけたその時、広場の入り口から、一台の馬車と数騎の護衛が慌ただしく駆けてきた。馬車から降りてきたのは、王都の紋章を纏った騎士団の一団だった。彼らは広場の騒ぎに気づき、急いで駆けつけたようだった。
騎士団長らしき人物が、広場の状況を見て顔色を変える。そして、レイエス王子が民間人に接触している姿を見て、さらに驚愕に目を見開いた。
「レイエス殿下!このような場所で何を…!」
彼は叫びながら駆け寄って来た。その言葉に、広場にいた人々はざわめいた。
「殿下…?」「王子様だと…!?」
レイエスが第三王子であるという事実が、初めて公にされた瞬間だった。町の住民たちは、まさか自分たちの目の前に王族がいたとは露知らず、驚きと恐れが入り混じった表情で王子を見つめた。
キスティーとギル、アリシアもまた、その言葉に驚きを隠せない。特にギルは、先ほどの自分たちの無礼な振る舞いを思い出し、真っ青になった。
レイエス王子は、駆け寄ってきた騎士団長を一瞥すると、微かに不満そうな表情を浮かべた。しかし、状況を理解し、差し出した手をゆっくりと引っ込めた。
「構わない。コレットの現状を視察していただけだ。」
そう言いながらも、王子の視線は再びキスティーへと向けられる。キスティーもまた、王子を見返していた。二人の間に、言葉にならない好奇心と、何か予感めいたものが交錯する。
この出会いは、キスティーの静かな日常を変える大きな出来事となった。
騎士団長の「殿下!」という大声に、レイエス王子は内心で舌打ちをした。せっかく興味深いものに出会えたというのに、いつも通りの堅苦しい作法に邪魔をされるとは。不機嫌な面持ちで、彼は宿舎として用意された町の有力者の屋敷へと戻った。
部屋に戻っても、レイエスの頭の中は先ほどの出来事でいっぱいだった。杖も詠唱もなく、あれほどの高位の風魔法を操った少女――キスティー。王宮の魔導士たちが聞けば、腰を抜かすどころでは済まないだろう。
(あの少女は一体何者なのだ? )
彼の好奇心は、もはや抑えきれないほどに膨れ上がっていた。コレットの町で出会ったこの少女。王国の発展どころではない、もしかしたら世界の常識を覆すような発見ではないだろうか。
一方、広場に残されたキスティー、アリシア、ギルバートの三人は、駆けつけた王都の騎士団長から長々と説教を食らっていた。
「よいか!いくら田舎の町とはいえ、王族の方々が視察に訪れているのだぞ!人前であのような騒ぎを起こし、挙句の果てに空を飛ぶなど、言語道断!不敬罪にあたるぞ!」
騎士団長の剣幕はすさまじく、ギルは縮こまって声も出せない。アリシアも顔を青ざめさせてうつむいている。しかし、キスティーだけは、どこか上の空だった。彼女の心には、先ほどの王子の真剣な眼差しが焼き付いていたのだ。
幸いなことに、レイエス王子が特に罰を望まなかったため、三人が厳しく罰せられることはなかった。それでも、彼らはこってりと絞られ、ようやく解放された時には夕暮れ時になっていた。
「はぁ…疲れたぁ…」
アリシアが、心底うんざりしたようにため息をつく。ギルはもう、怒る気力も残っていないようだった。
「だーかーらー!俺は言ったろ!キスティー変なことすんなって!」
それでも、一番最初に口を開いたのはギルだった。疲れ切った声ではあったが、怒りがこもっている。
「だって、まさかあんなことになるなんて思わないじゃん!」
キスティーが不満そうに口を尖らせる。
「思わないじゃん、じゃないわよ!あなたがあんなことするから、私たちまで巻き込まれたのよ!」
アリシアが、めったに見せない怒りを露わにする。彼女の銀色の髪が、怒りでわずかに逆立っているように見えた。
「えー、アリシアまでそんなこと言うのー?ギルがちゃんと支えてくれなかったのが悪いんじゃない?」
「俺のせいかよ!肩車をねだったのは誰だ!飛び上がったのは誰だ!」
いつものように言い合いが始まり、三人の声がコレットの夕暮れの空に響き渡る。周りの町の人々は、また始まったかとばかりに苦笑いを浮かべ、その様子を温かく見守っていた。彼らにとって、この騒がしい幼なじみ三人の言い争いは、もはや日常の一部だった。
王族との予期せぬ出会いを経ても、コレットの静かな日常と、彼ら三人の騒がしさは、変わらずそこに存在していた。