第23話 下処理がすべてだ!
「お腹空いたねー!食べよう、食べよう!」
キスティーが嬉しそうに声を上げた。ギルも「おう!」と頷き、解体されたギガンティックマーリンの切り身に食欲をそそられている。
「でも、甲板で火を起こすのはダメよね…?」
アリシアが、ふと真面目な顔で周りを見回す。自分たちがいつもしていたように、その場で調理することは難しいだろうと気づいたのだ。
その時、船内から一人の男が現れた。年季の入ったコック帽を被り、立派な髭を蓄えた、体格のいい男だ。彼こそ、この船の料理長である。
「…これは、なんと…!」
料理長は、甲板に置かれたギガンティックマーリンの「切り身」を見るなり、目を見開いた。その完璧に解体された姿に、彼の料理人魂が揺さぶられたのだ。鱗の隙間を的確に突いた、熟練の職人技。その切り口には、一切の無駄がない。
料理長は、感嘆のため息を漏らし、その美しい切り身を、まるで芸術品でも見るかのように眺めた。
「見事だ…これほど完璧な下処理は、生涯見たことがない!こんな素晴らしい食材を、このままにしておくわけにはいかん!」
料理長は、燃えるような情熱を瞳に宿し、キスティーたちの方を向いた。
「嬢ちゃんたち!こいつの料理は、この俺に任せろ!最高の料理にしてやる!!」
料理長の言葉に、三人は顔を見合わせて大喜びした。
「わーい!やったーー!!」
「料理長さん、かっこいい!」
「おう!頼むぜ、料理長さん!」
三人の歓声が甲板に響き渡る。料理長は満足げに胸を張り、他の料理人たちを呼び寄せた。
「おい、お前たち!最高の食材だぞ!さっそく厨房に運べ!」
料理人たちは、ギガンティックマーリンの切り身を前に首を傾げた。
「え?」「これ、何の魚ですか?」「…さかな?」
その様子に、料理長は少し考えた。
「うむ…確かに見たことのない魚だが…」
しかし、すぐにその考えを打ち消す。
「いや、どうでもいい!!この素晴らしい下処理がすべてだ!完璧な下処理をされた食材が食べられないはずがない!!!あってはならない!!!この料理人魂がそう言っている!とにかく運べ!」
料理長はそう言うと、最高の食材を手に、鼻息荒く、意気揚々と厨房へと戻っていった。
その一部始終を見ていたレイエス王子、そして騎士団長は、顔を青ざめさせていた。
(本当に…食べるのか…?)
レイエスは、思わずゴクリと喉を鳴らした。ギガンティックマーリンは凶悪な魔獣であり、その肉は食用には適さないとされている。しかし、目の前の三人は、そんなことなど微塵も気にしていない。
「殿下…よろしいのですか…?魔獣を…」
騎士団長が、苦い顔でレイエスに問いかける。
「大丈夫だ、騎士団長。あの料理長が、あれほど熱心なのだ。心配はいらないだろう……」
レイエスはそう答えたが、その顔には、一抹の不安が浮かんでいた。一方、キスティーたちは、最高の料理が食べられることに、はしゃぎ続けている。
「ねーねー、どんな料理になるのかな?」
「絶対に美味いに決まってるぜ!」
「きっとお腹いっぱいになるわね!」
彼らの無邪気な声は、大人たちの葛藤などには届かない。そして、彼らがこの後、とんでもないものを釣り上げることになるなど、レイエスも、騎士団長も、そして彼ら自身も、まだ知る由もなかった。
ギガンティックマーリンを料理長に託して釣りに戻ったが、キスティーたちは全く釣果に恵まれていなかった。釣れるのは小さな魚ばかりで、キスティーはとうとう飽きてしまったようだ。
「もー!お腹すいたー!さっきから全然釣れないし、つまんなーい!」
キスティーは釣り竿を放り出し、甲板に寝転がってブーブーと文句を言っている。
「当たり前だろ!お前がうるさくするから魚が逃げるんだ!」
ギルも釣果がなくイライラしていたのか、いつものように言い返した。
「ギルのせいだよ!ギルがさっきから『大物!大物!』って叫ぶから、魚がびっくりして逃げちゃったんだもん!」
「なんだと!?それはお前も一緒だろ!」
二人の言い争いが始まると、アリシアが間に割って入った。
「はいはい、二人とも。仲良くしなさい。大きな声出したら、お腹が空いて、力が出なくなるわよ。」
アリシアがなだめるが、二人の小競り合いは止まらない。そんな騒がしい甲板の様子を見ていたレイエスは、思わず苦笑いを浮かべていた。
その時、船室のドアが勢いよく開き、威勢のいい声が響き渡った。
「嬢ちゃんたち!お待ちかねの昼食だ!」
現れたのは、さっきの料理長だ。彼は誇らしげに胸を張り、顔には「完璧にできたぞ!」と書いてある。料理長に続いて、船員たちが手際よく甲板にテーブルと椅子を並べ始めた。三人は歓声を上げ、弾かれたように席についた。
「わー!すごい!すごい!」
豪華なテーブルクロスがかけられ、その上には見たこともないほど美しい料理が次々と並べられていく。レイエスと騎士団長も、少し離れた場所に用意されたテーブルに腰を下ろした。
「殿下、あちらは…」
騎士団長が、不安げな表情でキスティーたちの方をちらりと見た。レイエスも視線を向けると、キスティーたちが座るテーブルが、自分たちのテーブルのすぐ隣に並べられていることに気づいた。
「どうやら、一緒に食べてほしいらしいな。」
レイエスは小さく微笑んだ。騎士団長は「はぁ…」と大きなため息をつき、複雑な表情でレイエスの隣に座った。
テーブルには、色鮮やかな料理が所狭しと並べられている。料理長は、その中心に立ち、熱い口調で料理の説明を始めた。
「さあ!まずは、この『輝く海の宝石、ギガンティックマーリンのカルパッチョ』だ!この完璧な下処理と、絶妙な鮮度、そして何よりも私が精魂込めて作った特製ソースが、魚本来の旨味を最大限に引き出している!口に入れた瞬間、海の風味が弾けるぞ!」
料理長が誇らしげに言うと、キスティーは目を丸くして口をあんぐりと開けている。ヨダレが少し垂れていることに気づいたアリシアが、慌ててハンカチで拭いてやった。
「もう、キスティー。はしたないわよ。」
「えへへ…だって、すっごく美味しそうなんだもん!」
「次に、これだ!『大海の恵み、ギガンティックマーリンの香草焼き』だ!新鮮なハーブをふんだんに使い、表面はパリッと香ばしく、中はふっくらとジューシーに焼き上げた!一口食べれば、もう止まらなくなること間違いなしだ!」
料理長はさらに声を張り上げた。
「そして、〆にはこれだ!『深海の秘宝、ギガンティックマーリンの濃厚ブイヤベース』だ!魚のアラからじっくりと煮出したスープは、深みのある味わい。魚の身や新鮮な野菜を加えて煮込むことで、一口で海全体を感じられるほどの、究極の一品に仕上がっている!」
料理長の説明が終わると、三人は大きな拍手を送った。キスティーはもう我慢できないといった様子で、身を乗り出している。
そんな彼らの様子を見て、レイエスはゴクリと喉を鳴らした。
(本当に、ギガンティックマーリンの料理なのか…?もし、毒があったら…)
レイエスは不安に思い、騎士団長に視線を送った。騎士団長もまた、同じような思いだったのだろう。彼の顔は真っ青で、料理から目を逸らしている。
「騎士団長…どう思う?」
「殿下…いくら料理長が腕を振るったとはいえ、魔獣を食すなど…」
「だが、彼らのことだ…何も気にせず食べてしまうだろう…」
レイエスは、もはやどうすることもできないと諦めたようにため息をついた。
その時、料理長が満面の笑みで、三人に声をかけた。
「さあ!皆、冷めないうちにどうぞ!」
「いただきまーす!」
キスティーは待ちきれずに、大きな声で叫んだ。ギルもアリシアも、遠慮なく料理に手を伸ばす。
「わあああ!すっごく美味しい!これ、今まで食べた魚の中で一番かも!」
キスティーが目をキラキラさせながらカルパッチョを口に運ぶ。
ギルは香草焼きを豪快に頬張り、目を丸くした。
「なんだこれ!?すげぇ!肉みてぇに美味いぜ!」
アリシアもブイヤベースを一口飲んで、感動したように言った。
「本当に…美味しいわ。こんなに美味しい魚は初めてよ…!」
三人は、まるで夢中になったかのように次々と料理を平らげていく。そんな様子を横目に、レイエスと騎士団長は、恐る恐る料理に手を伸ばした。
(一口だけ…味見だけだ…)
レイエスはそう心の中で言い聞かせ、カルパッチョを少しだけ口にした。
「……!」
レイエスの口に広がったのは、今まで感じたことのない深い旨味と、爽やかな海の風味だった。彼の顔に驚きと感動の色が浮かぶ。
「こ、これは…!」
騎士団長も恐る恐る香草焼きを一口食べると、その美味しさに言葉を失った。
「な…なんという…これが…魔獣の肉だと…!?」
彼らの知る常識が、また一つ、音を立てて崩れていく。しかし、レイエスと騎士団長は、そんなことなど忘れてしまうほどに、目の前の料理に夢中になっていた。
「殿下、これは…いけますな…!」
「ああ、もちろんだ!これは、とんでもない発見かもしれないな…!」
レイエスはそう呟きながら、嬉しそうにフォークを進めた。三人の子供たちの「遊び」が、またしても、思わぬ形で大人たちの常識を覆していく。
船の甲板は、美味しい料理と、賑やかな笑い声に包まれていた。




