第14話 王子様、再来…
それから数週間が過ぎた。コレットの町は、いつもの穏やかな日常を取り戻し、王子たちの訪問は、少しばかり特別な思い出として人々の記憶に残るだけとなっていた。
ある日の午後、キスティーはアリシアの家の庭にいた。アリシアは薬屋の店番で忙しいため、キスティーは1人で庭に置かれたアリシアの練習用の木剣を手に取って遊んでいた。遊び方は、特に決まっているわけではない。地面に生えた草を的にしてみたり、空に向かって勢いよく振り上げてみたり、時には剣先で地面に絵を描いてみたりと、気まぐれなものだった。
「えいっ!」「やあっ!」
キスティーは、見よう見まねで剣を振るう。アリシアの剣は、彼女の華奢な体には少し長く重いが、それでも夢中で剣を操るのが楽しかった。時にはバランスを崩してよろけたり、勢い余って転びそうになったりしながらも、楽しげな笑い声を上げていた。
その時、鍛冶屋での鍛錬を終えたギルが、汗だくになってアリシアの家にやってきた。彼は、喉が渇いたので、アリシアの家の井戸で水を飲もうと思っていたのだ。庭の入り口に差し掛かった時、ちょうどキスティーが勢いよく木剣を振り上げた。
「うわっ!あぶねっ!」
木剣は、ギルの足元寸前の地面に「ブスッ!」と突き刺さった。もし少しでもタイミングがずれていたら、ギルの足に当たっていたかもしれない。
ギルは、驚きと呆れが混じった顔で、呆然と木剣を見つめた。
「こら、キスティー!何やってんだお前は!危ないだろうが!」
ギルの怒鳴り声に、キスティーはびっくりして剣を持つ手を止めた。
「あ…ギル!ごめん!見えてなかった!」
慌てて木剣を引き抜くと、申し訳なさそうにギルを見上げた。しかし、ギルの呆れは収まらない。
「見えてなかった、じゃねぇよ!一体何を考えてるんだ!もし当たってたらどうするつもりだったんだ!」
「でも、当たらなかったじゃん…」
キスティーが口尖らせて小声で反論すると、ギルの額には青筋が浮かんだ。
「当たらなかったから良いって問題じゃないんだ!お前はいつもそうだ!何も考えずに無茶ばかりしやがって!」
「別に無茶なんかしてないもん!ただ遊んでただけだし!ギルがそこにいるのが悪いの!」
キスティーもむっとして言い返した。二人の間には、いつもの小競り合いの空気が流れる。
「遊びで剣を振り回して、人に怪我をさせるところだったんだぞ!少しは反省しろ!」
「だって…ギル、すぐに怒るんだもん…」
キスティーは言葉に詰まり、下を向いてしまった。ギルが本気で心配してくれていることはわかっているが、素直に謝るのも悔しいのだ。ギルは、そんなキスティーの態度にため息をつく。
「はぁ…ったく。お前が怪我してないなら、それでいいけどよ。」
そう言って、ギルは突き刺さった木剣を抜いてやった。キスティーは、その言葉に小さく顔を上げた。
その時、薬屋の店番をしていたアリシアは、庭の方から聞こえてくる騒がしい声に、気が気ではなかった。一体何が起きているのかと心配になり、店番をしながらも何度も庭の方に視線を送っていた。
(キスティーとギル、また喧嘩してるのかしら…本当にいつも騒がしいんだから…)
いてもたってもいられなくなったアリシアは、店番を中断して庭の様子を見に行こうとした、まさにその時だった。
店の入り口の戸がカラリと開き、一人の青年が店の中に入ってきた。アリシアは咄嗟に笑顔を作り、「いらっしゃいませ」と声をかけた。
「何かお探しですか?」
顔を上げたアリシアの目に映ったのは、見覚えのある、しかしまさかこんな場所にいるはずのない人物だった。
「……王子様……?」
アリシアは、驚きで言葉を失った。店の入り口に立っていたのは、数週間前にコレットの町を訪れた、第三王子レイエスその人だったのだ。
「こんにちは、アリシア。元気にしてたかい?」
レイエスは穏やかな笑みを浮かべ、アリシアに挨拶した。その声は、広場で初めて会った時よりもずっと親しげに響いた。
アリシアは、その言葉にピクリと反応したが、全身が金縛りにあったように固まってしまっていた。まさか、王子様がコレットの町に、しかも自分の薬屋にまで来るとは夢にも思っていなかったのだ。
レイエスに続き、薬屋の戸口をくぐって騎士団長も店の中に入ってきた。彼の顔には、どこか疲労と諦めが混じったような表情が浮かんでいる。アリシアの心の中は、「えー、なになになにー!?なんで!?どうしてここに!?」という叫びでいっぱいだった。
その時、けたたましい声が店の外から聞こえてきた。
「ねえねえ、アリシア聞いて!ギルがさあ〜、私が剣を振って遊んでただけなのに、本気で怒るんだよー!もうちょっと優しくしてくれてもいいのにさー!」
キスティーが、怒ったようにまくし立てながら店の中へ飛び込んできた。その後ろから、呆れた顔のギルバートが続く。
「いやキスティー、お前が剣を振り回して危ないことしたのが悪いんだろ!俺はただ…」
ギルが言いかける途中で、二人の視線が店の中にいるレイエス王子と騎士団長に吸い寄せられた。彼らは、さっきまで言い争っていたことなどすっかり忘れ、ピタリと動きを止める。
「……あ……え……?」
キスティーの声が、途中で途切れた。ギルも、口を半開きにしたまま固まってしまう。三人は、まるで彫像のように、しばしその場に立ち尽くした。
沈黙が薬屋の中に広がる。その張り詰めた空気を破ったのは、騎士団長のわざとらしい咳払いだった。
「おほんっ!」
その音で、3人は我に返った。次の瞬間、彼らはまるで示し合わせたかのように、カウンターの陰に素早く身を縮め、コソコソと話し始めた。
「ど、どうしようアリシア!?」
キスティーが半泣きになりながらアリシアの袖を掴む。
「また怒られる!?今度は何で!?」
「し、静かにして、キスティー!」
アリシアも顔を青ざめさせながら、小声で囁く。
「なんで王子様がここに…!?何か用事なのかしら!?」
「ていうか、俺ら、またなんかやらかしたか…?」
ギルが焦ったように頭を抱える。
「帰りは普通だったのに、今日急に来るなんて…絶対あの時のことよ…!」
「あ、あの時ってどの時!?魔獣の森の!?それとも広場でのこと!?どっちもヤバいじゃん!」
キスティーがさらにパニックになる。
「どっちもよ!どうするのギル!?」
アリシアがギルに振る。
「うるせえ!俺に聞くなよ!どうすんだよこれ…!」
三人の焦りの声が、か細く薬屋の中に響き渡った。
レイエスは、カウンターの陰で縮こまる3人に、優しい声で語りかけた。
「あ…いや、捕まえたり、説教なんてしないから。安心してくれ。」
「え?」
3人は顔を見合わせた。レイエスは、そんな彼らの反応を面白そうに眺め、不敵な笑みを浮かべた。
「その逆だ。君たちが俺を楽しませてくれたから、その褒美に海に『遊び』に行かないか?」
アリシア、キスティー、ギルバートの3人は、ポカンとした顔でレイエスを見つめた。海?褒美?何の話だ?
レイエスは、さらに言葉を続けた。
「君たちとの釣りが楽しかったからね。今度は、海で釣りを教えてほしいんだ。どうだい?一緒に行こう。」
王子は、自信に満ちた笑みを湛えていた。3人は、再びカウンターの陰に縮こまり、コソコソと話し始めた。
「え、どういうこと?わかんない!罠じゃないの…?」
キスティーがアリシアの腕を引っ張る。
「いきなり海に誘うなんて、何か裏があるんじゃないかしら…?」
アリシアも疑いの目を向ける。
「だ、だよな。絶対何か企んでるぜ、あの王子様…。」
ギルが顎に手を当てて考え込む。
「だってだって、褒美って言ったんだよ?私たち、何かしたっけ…?」
キスティーが首を傾げる。
「大物を釣ったことかしら?でも、あれはいつもの『魚』だし…」
アリシアが小声で呟く。
「まさか、あの時のこと、根に持ってるんじゃねぇだろうな…?」
ギルが顔を青ざめさせる。
「俺たちが騒いでたから、仕返しとか…」
三人の疑心暗鬼な会話が続く中、再び騎士団長の盛大な咳払いが響いた。
「おほんっ!」
三人はビクッと跳ね上がり、恐る恐るレイエスの方を振り返った。レイエスは、そんな彼らの様子を見て、楽しそうに笑っている。
アリシアが意を決して、恐る恐る口を開いた。
「あの…王子様…。私たち、その…お母さんたちに相談をしてからでないと…」
キスティーとギルも、アリシアの言葉に何度も力強く頷いた。
レイエスは、彼らの反応に仕方ないといった表情を浮かべた。
「そうか。では、仕方ない。だが、明日またここに来る。」
そう告げると、レイエスは再び不敵な笑みを浮かべ、薬屋の戸口から出て行った。騎士団長も、3人に「ギロっ」と視線を送り、慌ててレイエスの後を追うように店を出て行った。
「はぁ〜〜〜っ!死ぬかと思ったぁ〜〜〜!」
レイエス王子と騎士団長が店を出て行ったのを確認すると、キスティーは全身の力が抜けたように、その場にへたり込んだ。アリシアも、レジカウンターに手をついて、大きく息をついている。ギルは、店の入り口にもたれかかり、天井を仰いでいた。
「ま、マジで心臓止まるかと思ったぜ…。またお説教だと思ってたら、まさかあんなこと言い出すなんてよ…。」
ギルが呆れたように呟く。顔にはまだ冷や汗がにじんでいる。
「そうよ!海に誘うだなんて、一体どういうつもりなのかしら…。」
アリシアが眉をひそめる。
「ねえねえアリシア、ギル!やっぱりあれって罠なんじゃない!?海に連れて行かれて、いきなり捕まる、とか!?」
キスティーが半泣きになりながら、二人に詰め寄る。
「まさか…。でも、確かに急すぎるわよね。それに、『褒美』だなんて…私たち、王子様に褒められるようなことなんて何もしてないじゃない。」
アリシアが首を傾げる。
「いや、デカい『魚』は釣ったけどよ…。あれも俺らにとっちゃいつものことだしな。」
ギルが腕を組み、考え込む。
「そうそう!いつもの遊びだもん!なのに、いきなり褒美とか言われても、なんか気持ち悪いっていうか…。」
キスティーがぶるぶると震える。
「まさか、俺たちがいつも町で騒いでることに気づいてて、それで…?」
ギルの言葉に、三人の顔色が変わる。
「ええ!?それじゃあ、やっぱり捕まえるつもりなの!?」
キスティーが叫ぶ。
「静かにして、キスティー!まだ外にいるかも!」
アリシアが慌てて口を塞ぐ。
「でも、もしそうだったら、どうするの、ギル?」
ギルは、難しい顔をして考えたが、すぐに諦めたように頭を振った。
「知るかよ!考えるだけ無駄だ!とにかく、明日また来るらしいし…。」
「とりあえず、今日はもう帰って、みんなおうちの人と相談しようよ。」
アリシアの提案に、キスティーとギルも頷いた。3人はそれぞれ、自分の家へと急いだ。




