第122話 召し上がれ!
アリシアは、流れるような手つきでアイアンブラッドベアの肉を捌き終えた。その仕上がりは、まるで宝石のように美しく、部位ごとに切り分けられた肉塊は、一切の無駄がない。エリスは、その非凡な手際の良さに、完全に見惚れていた。彼女の深海の瞳は、アリシアの一挙手一投足を、魔法の演算を見るように追っていた。
アリシアは、肉の切り分けを終えると、ギルの方を指さした。
「ギル!鉄板と鍋出しといてね。もちろん、持ってきてるわよね?」
その声には、まさか持ってきてないことないわよね、という強い確認の意味も込められていた。
ギルは、先ほどのキスティーの火魔法の失敗で煤だらけになっていたが、アリシアの問いかけに、誇らしげに胸を張った。
「当たり前だろ!森で遊ぶときはいつも持ってきてるぜ!」
そう言って、彼は急いで氷の家から、巨大で重厚な鉄板と、同じく大きな調理用の鍋を取り出した。その道具の大きさは、彼が普段からいかに大量の食事を求めているかを物語っていた。彼はそれを、かまどになるように組まれた石の上に、バランスよく設置した。
アリシアは、ギルの普段通りの仕事ぶりに、満足そうに親指を立てた。
エリスは、その一連の手慣れた連携を見て、純粋に感心していた。
「ほう…よく準備しとるのう。これほど巨大な獲物を捌いて料理する道具まで。手慣れたもんじゃ。」
彼女には、この子供たちが、遊びと食事を一体のものとして、どれほどの回数、この森で実行してきたかが、一目で理解できた。アリシアが料理担当、ギルが力仕事と道具管理、キスティーが薪集めとおばあちゃんの畑の野菜とお菓子担当という、長年の経験で培われたスムーズな役割分担は、見ていて心地よいほどだった。
そこに、薪で起こした火の番をしていたキスティーが、顔を真っ黒にして戻ってきた。彼女のくせっ毛にも、細かな煤が付着している。しかし、その顔は達成感に満ちた笑顔だった。
「アリシア!火、ちゃんと着いたよ!…くしゅんっ!」
キスティーは、煤だらけになりながらも、成功の喜びを隠さず笑った。そして、再び可愛らしいくしゃみを一つ。
アリシアは、キスティーの汚れきった顔を見て、思わず笑いをこぼしながらも、優しく声をかけた。
「キスティー!真っ黒じゃない?もう…帰ったらお風呂に一緒に入りましょ。」
アリシアは、煤だらけのキスティーを心配しつつ、下準備がすべて完了したことに、高揚感を覚えた。
「さあ!作るわよ!みんなのために美味しいの作るんだから!」
アリシアは、切り分けた肉塊の前に立ち、意気揚々と腕まくりをした。そして、エリスに向かってニッコリと笑いかけた。その笑顔には、最高の料理を作ることへの絶対的な自信が満ち溢れていた。
エリスは、アリシアの自信に満ちた笑顔を受け止め、穏やかに微笑んだ。
「お手並み拝見じゃな。楽しみにしておるぞ。」
彼女の瞳は、まるで我が子の発表会を期待して見に来た母親のように優しさを湛えていた。
アリシアの「熊」料理が始まった。その調理は、まるで魔法の舞台を見ているようだった。
まず、目の前の肉塊を包丁の裏で小刻みに、絶妙な力加減で細かく叩き、硬くならないようにし、数カ所刻みを入れて縮まないように処理した後、ギルが設置した巨大な鉄板の上に、アリシアが切り分けた「熊」の肉の分厚い塊が並べられた。熊肉は、雪の中で冷やされていたため、熱された鉄板の上に乗せられた瞬間、ジューッという激しい音を立て、大量の芳醇な脂が弾け始めた。
アリシアは、湖の氷から作った氷のボウルに、キスティーが持ってきた香りの強い葉野菜や、鮮やかな色の根菜を、マイ包丁で瞬時に細かく刻み入れた。そして、バッグから取り出した、特製ブレンドの調味料を、惜しみなく振りかけた。
「まずは、熊肉の魔力漬けグリルよ!」
そう言って、アリシアは手のひらから微かな風魔法を送り込み、肉の表面に調味料を均一に浸透させた。風魔法は薄く均一に、肉の表面は瞬時に薄い膜に覆われ、旨味が閉じ込められていく。肉からは、香ばしい焦げ目と、スパイスの強い香りが、湖畔の冷たい空気を切り裂くように立ち上った。
エリスは、アリシアの流れるような魔力の活用と、料理の手際の良さに、再び目を丸くした。調理工程の一切の無駄がなく、まるで計算され尽くした芸術のようだった。
並行して、アリシアはもう一つの料理に取り掛かった。大きな鍋に、湖の透き通った水を入れ、キスティーが持ってきた冬野菜、特に甘みの強い根菜とキノコ類をゴロゴロと豪快に入れ、さらに細かく切った熊肉の薄切りを投入した。
「次は、熊肉と冬野菜の重力スパイス煮込みよ!」
彼女は、煮込み用の肉には、先ほどとは異なる、優しい香りのハーブと、甘みを引き出すための特製調味料を入れ、鍋をかき混ぜた。アリシアは、鍋の上から重力魔法をかけ圧力を加えた後、鍋の底に微弱な火魔法を加え、一気に温度を上げたかと思うと、すぐに温度を一定に保つように調整した。これによって、肉も短時間で驚くほど柔らかくなり、野菜の旨味が最大限に引き出されていく。鍋からは、湯気と共に、心まで温まるような、深い香りのスープの匂いが立ち上った。
ギルは、鉄板から立ち上る香ばしい肉の匂いと、鍋から漂う温かいスープの香りに、限界に達していた。彼の腹の虫は、もはや轟音を立てて鳴り響いている。
「熊肉の魔力漬けグリル」は、鉄板で両面をカリッと焼き上げられ、芳醇な脂と風魔法で漬け込まれた調味料の複雑な香りを放っている。そして、「熊肉と冬野菜の重力スパイス煮込み」は、肉がトロトロに煮込まれ、琥珀色のスープの中に鮮やかな野菜が浮かび、見た目にも美しい仕上がりとなった。
アリシアは、両手を腰に当て、満足げに頷いた。
「さあ、出来上がりよ!」
アリシアがそう声を上げると、ギルとキスティーは、歓喜の声を上げた。
アリシアは、まずエリスの分を、用意した皿に美しく盛り付けた。グリル肉はちょうどいいサイズのものを取り分け、煮込みはスープと具材のバランスを考え、丁寧にすくい分けられた。
アリシアは、料理を取り分けた皿をエリスに差し出した。
「エリスさん!これが私の『熊』料理よ。召し上がれ!」
楽しそうに笑うアリシアの顔は、達成感に満ちていた。
エリスは、その見事な仕上がりと、アリシアの心からの笑顔に、再び感嘆した。
「すごいのう。この短時間で、これほど手の込んだものを…あっぱれじゃな。うむ、いただこう。」
エリスは、優雅に微笑んでその皿を受け取った。
ギルは、もはや待ち切れない。彼の視線は、鉄板の上の肉に釘付けだった。
「もう食っていいか?食うぞ?食うぞ!」
キスティーも、目をキラキラさせて同意した。
「食べよう!」
四人の声が揃った。
「「「「いただきます!!!!」」」」
その声が、静かな湖畔に響き渡った。
ギルは、待望の熊肉の魔力漬けグリルを、巨大な塊のまま鷲掴みにし、豪快にかぶりついた。
「うおおおお!なんだこれ!?最高だ!何か分かんねーけど、色んな味するぞ!カリッとして、ジュワッとして口の中でブワーッて!」
語彙力の足りないギルは全身で美味しさを表現していた。
肉は、見た目のワイルドさとは裏腹に、驚くほど柔らかく、香ばしく焼かれた表面の下から、豊潤な肉汁が溢れ出した。アリシア特製の調味料が、肉の獣臭さを完全に消し去り、代わりに深い旨味とスパイシーな風味を残し、噛むたびに違った香りを口の中に広げ、飲み込んだ後もほのかに余韻の残る後を引くものであった。ギルは、まるで人生で最高の獲物に出会ったかのように、目を閉じ、唸りながら噛み締めた。いつものことだが。
キスティーは、スプーンを取り、熊肉と冬野菜のスパイス煮込みを口に運んだ。
「わぁ…あったかい…それに、すっごく甘い!このスープ、少しスパイシーな香りがするのに、優しい味。何これ?畑のお野菜、短時間でこんなにトロトロになるの?口当たりすごく滑らかだよ!お肉も口に入れたら溶けちゃうよ!こんなにこのお肉がお野菜と合うなんてすごーい!」
キスティーは目を丸くし、流し込むようにスープをどんどん食べた。
煮込みのスープは、冬野菜の自然な甘みが凝縮され、アリシアの特製ハーブ調味料によって、複雑で深みのある味わいになっていた。スパイスを効かせることで、熊肉の独特の風味を和らげ、さらに数種類のブレンドハーブでまろやかな味わいに調えられていた。肉は、圧力を加え煮込んだことにより、口に入れた瞬間にホロホロと崩れ、舌の上でとろけた。同時に硬めの根菜類もスープにしっかり旨味を出し、やわらかく煮込まれていた。肉と野菜とスープを口に入れ、飲み込んだ後の幸福感は、この場所が凍える氷上であることを忘れるほどであった。
熱いスープが、彼女の冷えた体を内側からじんわりと温めていく。キスティーは、感動のあまり、思わず涙ぐんだ。
そして、エリス。彼女は、皿の上に盛り付けられたグリル肉を、優雅に、しかし真剣な表情で口に運んだ。
「…………っ!」
エリスは、一瞬、目を大きく見開いた。その表情は、驚きと、そして純粋な歓喜に彩られていた。
「…これは…美味いのう…。まさか、熊の肉がこれほど繊細な味わいになるとは…。表面の焼き具合、瞬間的な強火の高温でカリッとさせ、中の肉汁が完全に閉じ込められておる…。噛んだ時の肉汁の溢れ方が洪水かと思うほどに…。しかもスパイスが均一にムラなく馴染んでおり、さらにこのスパイス、香りが強いにも関わらず、肉の旨味を邪魔せず、逆に引き立てておる。焼き加減も中にほんのり赤みが残る絶妙な加減。飲み込んだあとに残る、このしつこくない切れのある後味、いくらでも食べたくなってしまう。神業じゃな…」
彼女が口にした熊肉は、外はカリッと、中はジューシーに仕上がっており、その絶妙な火加減は、熟練の料理人でさえ真似できない魔力による精密な制御の賜物だった。エリスは、長すぎる生の中で、様々な珍味を経験してきたはずだが、アリシアの料理は、その常識を軽々と超えていた。
次に、彼女は煮込みのスープをすすった。
「この温かさ…この優しさ…。体の中から、力が湧いてくるようじゃ…。野菜の旨味が凝縮しておる。それになんじゃ?この肉…口に入れた瞬間に溶けてなくなるほどの柔らかさ。それに『熊』独特のクセのある香りが消えておる…。ブレンドハーブに加えて野菜の旨味甘味を目一杯抽出されたスープによってまろやかになっておるのじゃな。『圧力』とは、敵を押し潰す為だけじゃなく、こういう形で使えるのじゃな。飲み込んだその後に口に残る野菜と肉のハーモニー…」
エリスは、氷のように冷たい体の中に、じんわりとした温かい感情が広がるのを感じていた。それは、単なる食事ではなく、アリシアの心遣いと優しい気持ちがいっぱい込められた、最高のおもてなしだった。彼女は、初めて出会う感情に、心底満足し、穏やかな微笑みを浮かべた。
アリシアは、皆が心から喜んでいる姿を見て、最高の幸福感に包まれた。彼女自身も、自分の料理を口に入れ、満足の笑顔を浮かべた。
「ふふ、そうでしょ!私の料理は世界一なんだから!」
アリシアは、得意満面の表情で、グリル肉を頬張った。
四人は、先ほどの激しい「遊び」や、緊張感を完全に忘れ、和やかな笑い声と熊肉を噛み締める音を響かせながら、温かい食事を楽しんだ。湖畔の冷たい空気は、彼らの温かい交流によって、少しずつ優しさに満ちた空間へと変わっていった。




