第12話 よし!バーベキュー♪
レイエス王子と騎士団長は、目の前で繰り広げられた一連の出来事に、完全に呆然としていた。口を半開きにし、言葉を失って立ち尽くしている。
「な、なんだ…何が起きた…?」
騎士団長が、震える声で呟いた。彼の目は、岸辺に横たわるアビスドゥームフィッシュと、騒ぎながら笑い合う三人の子供たちを交互に見ていた。
(ギルバートが、素手であの魔獣を水から叩き出しただと…?そして、キスティーが光の矢でとどめを刺し、アリシアが風の魔法で岸に…!?)
レイエスの頭の中は、激しい衝撃と混乱で渦巻いていた。個々の能力も規格外だが、何より信じられないのは、彼らがまるで長年訓練された騎士団の連携のように、一切の躊躇なく、そして完璧なタイミングでそれを成し遂げたことだ。しかも、それを「釣り完了」と呼んで、笑い合っている。
「あ、あれは…子供だぞ…?一体…なんなんだ…?」
レイエスは、もはや恐怖さえ感じ始めていた。彼の持つ世界の常識、魔法の概念、魔獣の危険性、そして何よりも「普通」という概念が、目の前の三人の子供たちによって、粉々に打ち砕かれていた。この町の平穏の理由が、今、まざまざと目の前に示された瞬間だった。
岸に放り出された巨大なアビスドゥームフィッシュを前に、アリシアはすぐに腰に差していた短剣を抜いた。
「よし、これで今日の御飯は大漁ね!」
アリシアがにこやかに言うと、まるで舞台の主役のように、その場で華麗な剣さばきを披露し始めた。巨大な「魚」が、あっという間に食べやすい大きさに解体されていく。その手際の良さは、並の料理人をはるかに凌駕している。というよりも、どうしてこの硬い魔獣の体をいとも簡単に切れるのか?
「ギル、薪集めてきて!キスティーは火の準備、お願いね!」
アリシアが指示を出すと、ギルは素早く森の奥へ駆け込み、あっという間に大量の薪を抱えて戻ってきた。
「はい、アリシア!」
キスティーは、慎重な顔つきで手のひらに炎を灯す。しかし、魔法の調整が苦手な彼女のこと。次の瞬間には…
「ボォォォォォオオッ!!」
とんでもない火柱が立ち上り、薪を抱えていたギルの顔が焦げそうになる。
「うわあああ!?熱い!キスティー!てめえ、何やってんだ!」
ギルが悲鳴を上げ、慌てて後ろに飛び退る。キスティーは、それを見てケラケラと笑っていた。
「あはは!ごめんごめん!ちょっとやりすぎちゃった!」
「やりすぎた、じゃねぇんだよ!殺す気か!?」
ギルが怒鳴りつけるが、キスティーは全く悪びれる様子がない。アリシアはそんな二人のやり取りを横目に、手早くさばいたアビスドゥームフィッシュの切り身を、ギルが鍛冶場から持ってきたらしい大きな鉄板にきれいに並べ始めた。ジュウジュウと音を立てて、香ばしい匂いが再びあたりに漂う。
「もう!二人とも喧嘩しないの!せっかくの美味しいお魚が台無しになっちゃうわよ!」
アリシアが注意すると、ギルは渋々といった表情で黙り、キスティーも口を尖らせながら反省をした。三人は騒がしくも楽しそうに、自分たちで釣り上げ、さばき、調理した「魚」を囲んで笑い合っていた。
レイエス王子は、目の前で繰り広げられる光景に、思考が完全に停止していた。強大な魔獣アビスドゥームフィッシュが、あっという間に調理されていく様は、彼にとって常識をはるかに超えたものだった。そして、この子供たちの「遊び」のレベルが、もはや国の騎士団の魔獣討伐と何ら変わらないことに、彼は気づいてしまった。
(この子たちの『遊び』によって、この町は『平穏』なのだ…!)
レイエスは、点と点が線で繋がるように、コレットの町の平穏の謎を悟った。度重なる魔獣の被害報告が絶えない中、この町だけが平和を保っている理由。それは、他ならぬ目の前のこの三人組の、ただの日常の「遊び」によるものだったのだ。
(これほどの力を持つ者たちを、国に欲しくないはずがない…!彼女らが国に来てくれれば、どれほどの助けになるか…!)
レイエスは、彼らが持つ力の価値を即座に理解した。だが、同時に胸に浮かんだのは、彼女らが素直に来るだろうか? いや、来ないだろう、という確信にも似た思いだった。彼らは、その力をひけらかすこともなく、ただ純粋に、自分たちの「日常」の中で使っているだけなのだ。強大な力は、彼らにとって遊びの一部であり、生き方そのものだった。
どうすれば、彼らを国に迎え入れることができるのか? 彼らを無理に連れて行くことなど、考えられない。だが、このまま放っておくこともできない。レイエスの心は、深い葛藤に包まれていた。
隣に立つ騎士団長も、もはや何が何だか分からず、ただ呆然と口を半開きにしている。目の前で起きた出来事が、彼の理解の範疇を完全に超えていたのだ。
その時、ギルがレイエス王子と騎士団長の方に振り返った。
「おーい、そこのお二人さん!あんたらもどうだ?俺らが釣った大物だぜ!すげー美味いぞ!」
ギルは、レイエス王子に話しかけるのは恐れ多いのか、近くに行き騎士団長に声をかけた。
「王、王子様たちは…俺らに話しかけるのも恐れ多いだろうからよ。騎士団長さん、あんたも食うだろ?よければ一緒にどうだ?」
ギルの言葉に、騎士団長はギクッと体を震わせた。目の前の子供たちへの恐怖と、王族への配慮が入り混じった複雑な表情だ。
「え、えぇ!?わ、わたくしが、殿下が…そ、その…」
騎士団長は、顔を引きつらせながら、しどろもどろに返事をした。そんな騎士団長の様子を見て、ギルは首を傾げる。
「なんだよ、食いたくないのか?損するぜ!」
レイエス王子は、そんな二人のやり取りを見て、静かに微笑んだ。そして、騎士団長が戸惑う中で、自ら一歩、子供たちのバーベキューの輪へと足を踏み出した。
ジュウジュウと音を立てながら、『魚』が美味しそうに焼き上がっていく。アリシアが手際よく特製のハーブソースで味付けをすると、その香ばしい匂いが森中に広がり、食欲をそそる。
「うぅぅ…もう、我慢できない…!」
キスティーは、垂れそうなよだれを拭うことも忘れ、鉄板に釘付けだ。
「キスティー、口閉じなさい。」
とアリシアに軽く叱られるが、全く気にしていない様子。ギルも、もう待ちきれないといった様子で、じっと鉄板を見つめていた。
そこに、レイエス王子が静かに腰を下ろした。少し離れて、騎士団長も不安そうな面持ちで控えている。アリシアはそれを見て、軽くお辞儀をした。
「王子様、どうぞ。よろしければ、召し上がってください。」
アリシアが、丁寧に切り身を取り分け、差し出す。しかし、キスティーとギルは、そんなお構いなしだ。
「いっただきまーす!」
「おう!」
二人は、取り分けるのを待たずに、熱々の鉄板から直接『魚』を頬張り始めた。アツアツの肉を口いっぱいに頬張り、幸せそうな顔をしている。
「うーっまーい!アリシア、これ最高ー!」
キスティーが満面の笑みで叫ぶ。ギルも無言で頷きながら、次々と口に運んでいた。アリシアも、二人の様子を見て嬉しそうに微笑んだ。
レイエス王子と騎士団長は、恐る恐るその『魚』を口に運んだ。魔獣の肉など、今まで食べたこともない。ましてや、こんな野外で、子供たちが調理したものだ。
……!
二人の顔に、驚きが広がる。口の中に広がるのは、想像をはるかに超える深い味わいと、ハーブの香りが絶妙に絡み合った、極上の味だった。生臭さは全くなく、肉質は柔らかくジューシーだ。これは、王宮の専属料理人でも出せないような、初めての味だった。
(な…なんだ、これは…!?まさか、魔獣の肉がこれほど…!)
レイエスは目を見開いた。騎士団長もまた、目を大きく見開いて、感動したように黙り込んでいる。
キスティーたちは、そんな二人の様子を心配そうに伺っていた。いつも自分たちが食べているものだから、美味しいのは当たり前だと思っているが、王子様たちに口に合うのか、少し不安だったのだ。
すると、レイエス王子がゆっくりと顔を上げ、一言、静かに告げた。
「……美味しい。」
その一言を聞いた瞬間、三人の顔がパッと輝いた。
「やったー!」
「だろー!」
「よかったわ!」
キスティーは飛び上がって喜び、ギルは胸を張り、アリシアは心から安堵したように微笑む。彼らの純粋な喜びの感情が、レイエスにも伝わってくる。レイエスもまた、そんな彼らの屈託のない笑顔につられるように、静かに微笑んだ。魔獣が生息する森の奥で、王族と子供たちが、一つのバーベキューを囲んで笑顔を交わす。それは、奇妙だが、温かい光景だった。