第118話 覚悟!
アリシアは、エリスの氷玉を体に受けた鈍い痛みをこらえながら、雪の上に倒れた体勢から素早く跳ね起きた。その顔は、体調不良から来る紅潮と、怒りによってさらに熱を帯びていた。
「もう…痛いわね…、おばさんは?」
彼女は、雪煙が濃く立ち込める轟音の中心に目を凝らす。視界は白く霞んでいたが、その中で何かが動くのを感じ取った。
雪煙の中から姿を現したのは、全身に雪をかぶり、場所によっては氷玉が直撃した痕跡が明確に残ったエリスだった。エリスは、優雅な仕草で、美しいショートパンツスタイルに合わせたトップスと髪についた雪を払いのけた。
「…ふぅ、やるのう。こんなに食らうとは思わなんだ。愉快じゃのう…。こんな痛み、久しく感じておらんかった。生きているのを実感するのう。」
エリスは、まるで最高の褒め言葉を聞いたかのように、心底機嫌よく笑った。その笑顔は、氷のような冷たさの中に、純粋な愉悦を湛えていた。彼女にとって、この激しい痛みと衝突は、長すぎる生における最高の刺激だった。
アリシアは、その異常な反応を見て、思わず言葉を失いかけたが、すぐにいつもの調子を取り戻した。
「おばさん?頭打った?なんかおかしくなってるよ?病院行く?」
彼女の言葉には、皮肉と、そして純粋な困惑が混じっていた。
エリスは、アリシアの言葉を全く気にする様子もなく、さらに笑みを深めた。
「うむ、楽しいのじゃ、純粋にな。まだやれるか?狐娘?」
「私は元気よ!若いから!御老体こそ大丈夫?」
アリシアは、熱が上がっており、額に汗を滲ませながらも、不敵な笑みを返した。
エリスは、アリシアの言葉の鋭さに、再び楽しそうに笑い声を上げた。
「そなたは本当に次から次へとよく言葉が出てくるのう…では行くぞ…」
エリスがそう言い終わったのと同時に、彼女は左手を電光石火の速さで振り抜いた。それは、もはや「氷玉」と呼べるサイズではない。湖の氷を一瞬で凝縮させた、岩のような大きさの巨大な氷塊だった。
「な、何よ?いきなり!?もう雪玉じゃないじゃない!何でもありね!」
アリシアは、その巨大な質量と圧倒的な速度に驚き、慌てて横へと飛び退いた。氷の塊は、アリシアがいた場所を深くえぐり、激しい音を立てて砕け散った。エリスは、その暴挙を、まるで子どもの悪戯のように笑っていた。
その時、エリスの背後から、雪煙を切り裂くように、人影が超高速で接近した。クロエだった。彼女は、殿下から託された聖剣を、雪景色の中で不気味に輝かせながら、気合を込めた叫びを上げた。
「覚悟!」
クロエは、エリスの無防備な背中目掛けて、渾身の力で聖剣を振り下ろした。
エリスは、後ろを振り向くことすらなく、まるで邪魔な虫を払うように、左手の指一本を、聖剣が当たる寸前のクロエに向けて軽く突き出した。
ビュンッ!
目に見えない純粋な魔力の衝撃が、クロエの体を襲った。エリスの圧倒的な格の違いを示す、一瞬の出来事だった。クロエは、聖剣を持ったまま、小さな悲鳴を上げて、アリシアの近くの森の雪へと吹き飛ばされた。
「きゃあ!」
エリスは、クロエが吹き飛ばされた方向を一瞥し、心底つまらなそうな顔で言った。
「なんじゃ?ハエか?この季節はおらんはずじゃがな?」
エリスは、人間を相手にする気すら全くないという、絶対的な力の差を、その言葉と態度で示し、再びアリシアに向き直った。
吹き飛ばされたクロエは、エリスに弾かれただけで傷だらけになり、打撲も重なり、全身激しい痛みに呻きながら、雪の上で辛うじて剣を支えに立ち上がった。
「う…う…何なの…ほんとに化け物ね…あんなの誰が倒せるのかしら…」
彼女の心は、エリスの予想外の強大さに、すでに折れかかっていた。
そのクロエの姿を、アリシアは冷めた目で見た。
「お姉さん…誰?遊んでるんだけど?邪魔しないでよ。」
アリシアにとって、エリスとの一対一の本気の「遊び」を邪魔されることは、最高の不快感だった。
クロエは、アリシアを見て、こんな場所に子どもがいるなんてと驚き、焦り、咄嗟に必死な形相で警告した。
「な…!お嬢さん!ここは危険よ!私が時間くらい稼いであげるからお逃げなさい!」
しかし、アリシアはポカンとして、クロエを言葉の通じない生き物のように見た。
「何言ってるの?遊んでるだけなんですけど?」
アリシアは、その言葉を全く理解せず、クロエの善意の忠告を完全に無視することにした。
エリスもまた、クロエを完全に無視し、楽しそうにアリシアに呼びかけた。
「狐娘!なんでも良いぞ!受けてやろう!」
アリシアは、クロエを無視して、エリスに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「じゃあ行くわよ!これでどうかしら!」
アリシアは、一言も発さず、王都で黒い奴らと戦った時に匹敵する、氷の極大魔法を放った。轟音と共に、巨大な氷の柱がエリスの上空に瞬時に生成され、その途方もない質量を伴って、エリスに目掛けて落下した。
エリスは、その膨大な魔力と、予期せぬ極大魔法に、流石に驚愕の表情を浮かべた。
「ぬっ!?」
エリスは、慌てて左手を掲げて、落下する氷の柱を受け止めようとした。しかし、アリシアの魔法は、彼女の予想を遥かに超える質量と勢いを持っており、エリスはその質量に押し切られ、ついに氷の柱の下敷きになった。
アリシアは、体調不良で極大魔法を使い、全身に激しい疲労を感じていた。
「はぁ…はぁ…、どう?これでもまだやれるかしら?」
彼女は、息を切らせながらも、エリスの安否を確認すべく言葉を発した。
クロエは、アリシアの無詠唱極大魔法を見て、完全に言葉を失い、呆然と立ち尽くした。彼女の心の中で、絶望的な認識がよぎった。
(え…?『人外』って…二人ともなの?)
彼女は、自分たちが敵対していると思っていた女性だけでなく、助けようとした子供までもが、規格外の力を持つ存在であるという事実に、全身の血の気が引くのを感じた。しかし、それでも、氷の柱の下敷きになった女性の方が、より強大な妖しい魔力を持っていることを察知し、全身の痛みに耐えながら、再び聖剣を構え直した。
アリシアは、クロエのその剣を構える行動を見て、頬を膨らませ怒った。
「もう!そんな剣振り回したら危ないじゃない!怪我したらどうするの!」
彼女は、「遊び」をしているのに、クロエが剣を振り回すなんて危険な行為だと感じていた。アリシアは、指を一本掲げて、クロエが持つ聖剣の刀身を瞬時に凍らせた。そして、小さな氷玉を、凍りついた剣の刀身目掛けて優しく投げつけた。
パキンッ…
あっけないほど簡単に、王室管理の聖剣は、二つに割れてしまった。その音は、湖畔に、妙に響き渡った。
クロエは、その場で絶叫した。
「え…え?…え!?えェーーーー!!」
彼女は、パニックになった。割れたのは、借り物であり、聖剣であり、王室管理の数少ない至宝だった。彼女は、罪の意識と絶望に打ちひしがれ、その場にへたり込んでしまった。
その時、巨大な氷の残骸を突き破り、エリスが何事もなかったかのように姿を現した。彼女は、全身の雪と氷を払い、腕にはわずかな擦り傷と、疲労の影が浮かんでいた。
「さすがにきいたのう…頭がクラクラするわ…」
エリスは、さすがに多少のダメージを隠せない様子でありながらも、まだ笑っていた。
アリシアは、極大魔法をぶつけても、エリスが倒れないという事実に、頭に血が上り、叫んだ。
「もう!どうしたらいいのよ!」
その頃、湖畔の森で事態を見守っていたレイエスたちは、雪煙の中から立ち上がるエリスの姿と、極大魔法を放ったアリシアの姿を、はっきりと認識していた。
騎士団長は、絶望に打ちひしがれながら、レイエスに報告した。
「殿下…既に子供が視界に入っていると思われますが、あの極大魔法…王都でアリシアが使ったものに間違いございません…これ以上は近づけません…」
彼の嫌な予感は、最悪の形で当たってしまった。彼は、天を仰ぎ、全身から力が抜けていくのを感じた。
レイエスは、極大魔法を受けたエリスが立ち上がる姿を見て、静かな恐怖を覚えていた。
「あれが極大魔法…それを受けても尚、立ち上がる『人外』…ふふ。さすがに分かっているよ…これ以上行けば死ぬな…」
レイエスは、撤退の必要性を完全に理解した。彼の顔には、冷や汗が流れていた。
騎士団長は、極限の心労の中で、現実離れした想像が頭をよぎっていた。
(ここで行われているのは何だ?天地創造時代の天魔大戦か?いや…魔と魔…か?)
彼の精神は、自身の無力さと、目の前の理解不能な光景によって、完全に摩耗していた。彼の忠誠心は、もはや絶望的な献身へと変わっていた。




