第114話 何かあったか?
森を抜けたアリシアは、氷のテーブルでティータイムを優雅にくつろぐエリスの姿を、木の陰から捉えた。彼女の顔は、体調不良による微熱たったものがさらに上がり、エリスへの怒りが混じり合い、周りの雪の白さに紅潮しているのがよくわかる。全身の感覚は極限まで研ぎ澄まされていたが、制御ができるが不安であった。
アリシアのブルーの瞳が、獲物を狙う狐のように鋭く光る。エリスは、まだ優雅に氷の椅子に腰掛け、透明なティーカップを傾けている。彼女の周りには、先ほどの戦闘の喧騒とはかけ離れた、静かで優雅な時間が流れていた。その余裕の姿勢がアリシアの神経を激しく逆撫でした。
「いたわね、おばさん!」
アリシアは、怒りに燃える炎のような衝動のまま、雪玉を握りしめた。大量の魔力を込めて硬化させ、さらに風の魔法で圧倒的な速度を乗せる。まるで魔法の弾丸と化した雪玉を、彼女は優雅にティータイムを楽しむエリスの頭部目掛けて、渾身の力で投げつけた。
「よし!命中よ!」
アリシアは、雪玉がエリスの顔面を直撃するその瞬間を、確信をもって見届けた。しかし、その刹那、ありえない光景が彼女の視界に飛び込んできた。
ガツンッ!
雪玉がエリスに到達する直前、エリスの横に一瞬にして現れた氷の腕が、その弾丸のような一撃を受け止めたのだ。氷の腕は、アイスゴーレムのものであった。一体、エリスの元に待機していたのだ。激しい衝撃で音を立ててめり込んだが、エリスの美しい姿に傷一つない。アリシアの全力の攻撃を、何もなかったかのようにあしらったエリスの姿は、絶対的な余裕を示していた。
アリシアは、驚きと怒りで頬を膨らませた。
「え?キスティーたちの方に二体行ったんじゃなかったの?もう!」
彼女は、自分の読みが外れたこと、そしてエリスの優雅で、あまりにも小馬鹿にした余裕の態度に苛立った。
エリスは、砕け落ちた氷の破片を、横目でチラリと確認した。彼女は、優雅にティーカップに口をつけ、アリシアの方を一瞥もせず、まるで独り言のように静かに呟いた。
「お主がやりそうなことは分かっておるわ。やはり子供じゃのう。奇襲とは、殺気をちゃんと殺さねばな。」
彼女は軽く笑った。その笑いは、湖畔の静寂に響き渡る、優雅で、どこか見下したような響きを持っていた。アリシアは、その余裕で人を見下したような笑いにさらに苛立った。
(ムカつくムカつくムカつく!)
「見てなさい…絶対ノックアウトさせてやるんだから…くしゅんっ!」
アリシアは、鼻をすすり、再び雪玉を握りしめると、無我夢中で投げ始めた。作戦など皆無でとにかく投げた。しかし全てことごとくアイスゴーレムに阻まれた。
エリスは、優雅に氷菓を口に運びながら、アリシアの怒りの連射を視線だけで追っていた。
「のう、狐娘。そもそもなぜそんなに怒っておる?なんかしたかのう?」
エリスは、心底身に覚えがないといった様子で、首を傾げた。その表情には、本当にアリシアが怒っている理由が理解できていない、純粋な困惑が浮かんでいた。
アリシアは、そのとぼけた態度に、血液が沸騰するほどムカついた。体調不良で限界を迎えていた彼女の感情は、暴走寸前。
「はぁ?人を阿呆呼ばわりしたでしょ?もう忘れたの?ボケてるの?年食いすぎよ!おばあちゃん!」
彼女は、渾身の力を込めて、最大の皮肉を込めてエリスに投げつけた。その声は、湖畔の冷たい空気を切り裂く、鋭利な響きを持っていた。
エリスは、その言葉を聞くと、ピクッと反応し、ティーカップを持つ手を静かに、そしてゆっくりとテーブルに置いた。彼女の深海の瞳から、優雅さが一瞬で消え去った。
「まだ言うか…ほんとに口の悪い狐娘じゃな…。ここまで来ると感心するわ。どれ、お姉さんが遊んでやろうかの。」
エリスは、不気味な笑みを浮かべた。その表情は、先ほどの優雅さとは打って変わり、氷の女王の冷酷さを纏っていた。
彼女は、優雅に立ち上がると、目の前のアイスゴーレムに向かって、冷たい息を吹きかけた。
ヒュウゥゥ…
その息は、極限まで圧縮された冷気を帯びており、アイスゴーレムは、一瞬にして活動を停止し、ただの巨大な氷塊へと戻った。それは、アリシアとの一対一の「遊び」に集中するという、エリスからの明確な意思表示だった。
アリシアは、それを見て、ここぞとばかりに挑発の言葉を浴びせた。
「いいの?介助してもらわなくて?肩やら腰やら膝やら、年のせいでガタガタじゃないの?動けるの?おばあちゃん!」
その言葉は、エリスの心にチクチクと刺さり、蓄積していった。エリスの美しい顔に、一瞬、あきれた顔が浮かぶ。
エリスは、一切の言葉を返さず、静かに左手をアリシアに向かってスッと前に出した。
その瞬間、爆発的な衝撃波がアリシアを襲った。それは、目に見えない純粋なエリスの強大な魔力の圧力であった。
ドォンッ!
アリシアは、何が起きたのか理解する間もなく、身体が宙を舞い、背後の森の雪にふわりと、しかし凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
アリシアは、雪クッションに勢いよく着地したものの、全身に走る衝撃の余波に、驚愕の表情を浮かべた。
「何したの?」
彼女は、先ほどの怒りさえ忘れ、純粋な驚きでエリスを見つめた。エリスは、その場から一歩も動いていない。
エリスは、左手を静かに元に戻しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「手を挙げただけじゃが?何かあったか?」
彼女の言葉は、アリシアの動揺を楽しんでいるようであった。
アリシアの顔が、一瞬にして生き生きとした輝きを放った。最高の「遊び」相手を見つけた喜びだった。体調不良なんて言ってられないと気合入れ直す。
「良くわかったわ。全力でいいってことね!」
エリスは、そのアリシアの変化を満足げに見つめた。
「初めから言っておろう。全力で来いと。『遊び』じゃ。ふふ…」
エリスは、心底楽しそうに笑った。彼女の目もまた、遊び相手を見つけた喜びでキラキラと輝き始めた。その笑顔は、氷のように冷たいが、どこか少女のような無邪気さを帯びていた。
それを見て、アリシアは再び挑発の言葉を投げつけた。彼女の怒りの矛先は、もはや楽しさへと変わりつつあったが、勝負への執着は消えていない。
「いつまで笑っていられるかしら?おばさん!」
アリシアは、雪玉では、ノックアウトは不可能と理解した。雪より硬いもの、彼女は何の躊躇もなく、雪ではなく、湖面の氷を魔力で切り出し、それを鉄ほどの硬度にまで硬化させ、エリスに投げつけることを決意した。
(この人なら、氷ぶつけたくらいじゃ死なないでしょ。遠慮なんていらないわね!)
アリシアは、湖の氷から、手のひらサイズの氷玉をいくつも生成し、硬化させる。彼女の銀髪が、魔力の高まりに呼応するかのように激しく揺らめく。
「行くわよ!」
アリシアは、間合いを測り、生成した氷玉の一つを、鉄よりも硬く硬化させた上に、風魔法で速度を上げて、エリスに投げつけた。その氷玉は、空気抵抗を無視するかのような超高速で、エリスの顔面へと迫る。
エリスは、優雅な微笑みを浮かべたまま、その致死性の氷玉を正面から受け止めようとした。彼女は、軽く左手を挙げ、アリシアの攻撃を手のひらで受け止めるつもりだった。彼女の心の中には、「所詮は子どもの全力」という甘い見立てがあった。
ガキンッ!
硬質な金属がぶつかり合ったような、甲高く、異様な衝撃音が湖畔に響き渡った。
エリスは、その予想を遥かに超える威力に、少し驚いた表情を浮かべた。彼女の挙げた左手が、激しい衝撃で内側へとはじかれ、わずかに体勢を崩したのだ。手のひらに、ピリッとした痛みが走る。
彼女の深海の瞳が、驚きと同時に、歓喜の光を放った。
「ふふふ…ははは!すごいのう!狐娘!まだ全力ではあるまい?もっと見せよ!『遊び』を楽しもうぞ!」
エリスの笑顔は、氷が砕けるような豪快さを伴い、その瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。彼女の長年の退屈を打ち破る、規格外の遊び相手が現れたのだ。
アリシアは、エリスが一瞬でも体勢を崩したことに、確かな手応えを感じた。彼女の氷玉は、効かないわけではない。この一歩も引かない女王を、全力で打ち負かせると確信し、闘志を再燃させた。
「なに大口開けて笑ってるのよ?シワ増えるわよ!おばさん!」
アリシアは、体調不良を忘れ、エリスに向かって不敵な笑みを返した。「規格外」対「規格外」の本気の「雪合戦」が、今、始まった。




