第111話 出陣よ!
湖の対岸から響いた氷の破裂音と、空から降り注ぐダイヤモンドの粉のような氷の結晶。それは、エリスからの冷たくも華やかな開始の合図だった。三人の子どもたちは、その合図に一斉に闘志を燃やし、それぞれの作戦を開始した。
「さあ!行くわよ!おばさん退治!」
アリシアは、その物騒な言葉を最後に吐き出すと、すぐさま森へと向かった。彼女の銀色の髪は、雪化粧した針葉樹の暗い緑の中に際立つ。アリシアは、くしゃみによる魔力制御の不安定さを自覚しているからこそ、正面からの力押しを避け、奇襲による一撃必殺を狙っていた。雪を蹴り立てて進み始める彼女の足取りは、寒さや体調不良を忘れさせるほど、軽快だった。
その場に残されたキスティーとギルは、雪が深く積もった湖畔で、互いに顔を見合わせた。
「さあ、行くよー!」
キスティーは、すでに遊びへの高揚感で胸がいっぱいだった。彼女にとって、この雪合戦は、エリスへの敵意などではなく、ただ純粋な冬の楽しみでしかなかった。彼女の瞳はキラキラと輝き、すぐにでも凍てつく湖面に飛び出したくてうずうずしている。
ギルは、そんなキスティーを制するように、大きな手で彼女の肩を掴んだ。
「ちょっと待て、これ付けていけよ!」
ギルは、そう言うと、持っていた革製の道具入れから、昨日夜遅くまで工房にこもって作っていたものを取り出した。それは、履いている雪靴に装着して使う、特製のスケートの刃だった。鈍く光る頑丈な鉄製の刃は、彼の鍛冶師としての技術と、キスティーへの友情の証が凝縮されている。
キスティーは、そのスケートの刃を見た途端、目を丸くして歓声を上げた。
「わあ!これ作ったの?すごーい!ギルはやっぱりいい鍛冶屋になれるね!これで氷の上もスイスイだね!」
彼女は、素直な言葉でギルの技術を褒め称えた。その純粋な賛辞は、夜遅くまで作業に没頭したギルにとって、何よりも嬉しい報酬だった。キスティーは、急いでそのスケートの刃を、自分の雪靴に装着し始めた。
ギルは、キスティーの賞賛に照れくさそうに顔を赤らめ、頬を掻いた。
「へへ、そろそろ季節と思ってな。お前にゃあ、これが一番だろうと思って。昨日遅くまでかかったけど、いいのが出来たぞ。」
彼は、自慢げに胸を張り、自身の作品への誇りを示した。その手つきは、すでに一丁前の鍛冶師のそれだった。
キスティーがスケートの刃の装着を終えると、ギルは続けて、彼自身の装備を取り出した。それは、重そうな鉄製の、トゲトゲのスパイクがびっしり生えた靴底のようなものだった。
「俺は滑るの下手だからよ。これで滑らないように、鉄の滑り止め作ったんだ。」
ギルは、自分の不器用さを正直に認めつつ、その不器用さを力と技術で補うという、彼らしい解決策を提示した。彼はその重厚な滑り止めを、自分の頑丈なブーツに力強く装着した。
アリシアは、すでに森に入りかけていたが、そのギルの異様な装備を一瞥し、思わず立ち止まった。
「……そんなの付けて歩けるの、ギルくらいなものよ。」
彼女の口調には、皮肉ではなく、心からの感心が滲んでいた。普通の人間なら、その重さと形状で、まともに歩くことすらできないだろう。
アリシアは、自身が奇襲部隊であることを思い出し、すぐに心を戦闘モードへと切り替えた。彼女は雪の中を進むため、自身の雪用のブーツのまま、改めて二人に号令をかける。
「さあ、準備できたわね!みんな!あらためておばさん退治出陣よ!」
「だから…『おばさん』も『退治』もダメだよ、アリシア!」
キスティーの必死の呼びかけも、アリシアの耳には入らず、三人はそれぞれの戦場へと向かってスタートした。アリシアは、深い雪をかき分けながら、森の奥へと進んでいく。
キスティーは、氷の湖畔に立つと、スケートの刃に体重を乗せた。氷の上を滑り出した瞬間、彼女の顔に最高の笑顔が弾けた。
「楽しいー!ギル!ありがと!はは!」
キスティーは、まるで氷の上を泳ぐ魚のように、スイスイと自在に滑り始めた。彼女の小柄な体は、スケートの刃によって、凍てついた湖面を軽やかに舞う。彼女の歓声は、湖畔一帯の静寂を打ち破り、純粋な喜びを撒き散らした。
ギルは、そのキスティーの驚異的な運動能力を見て、再び舌を巻いた。
「滑るの上手いな、お前。俺には無理だ…」
ギルは、そう呟きながら、トゲトゲの滑り止めが付いたブーツで、氷を踏みしめながら進んでいく。彼は、滑ることなく、しかし重い足取りで、湖面を歩いていた。彼の力は氷を突き破るほどの剛健さを持っているが、繊細なバランス感覚は、生まれつき欠けているのだ。
キスティーは、ギルの苦戦を他所に、しばらくの間、氷の上を滑って遊ぶように進んだ。彼女は、スケートの新しい感触を楽しみ、氷の摩擦抵抗のなさを、全身で堪能していた。湖面は広く、彼女の遊び場は無限に広がっている。彼女の心には、戦いよりも遊びの喜びが優位を占めていた。彼女は、くるくると回転したり、急停止してみたりと、無邪気な実験を繰り返した。
そうしているうちに、遠くの湖面から、キラリと光る大きな影が、重い足取りで近づいてくるのが見えた。
キスティーは、滑りながらその輝きに気が付いた。それは、エリスが作り出したアイスゴーレムの冷たい光沢だった。氷の巨体は、雪の結晶を反射し、太陽の光が薄い空の下でも、その存在感を際立たせていた。
ギルは、歩いているため、キスティーよりもまだ後ろを進んでいた。彼は、重い鉄の滑り止めと、氷に薄く積もった雪で、まだその巨大な影を視界に捉えられていない。
キスティーは、アイスゴーレムを発見すると、目を輝かせた。彼女にとって、それはエリスが作ってくれた、巨大な雪合戦の相手でしかなかった。恐怖心よりも、未知の巨大な相手との対戦への好奇心が勝ったのだ。
「行くよー!」
キスティーは、歓声を上げ、リュックからアリシア特製の強化雪玉を取り出すと、スケートの勢いを乗せて、アイスゴーレムに向かって思い切り投げつけた。
ヒュッと音を立てた雪玉は、正確にアイスゴーレムの胸元に命中した。
ガツンッ!
硬い雪玉と氷の巨体がぶつかる、鈍い、しかし重々しい衝突音が、湖面に響き渡った。
しかし、アイスゴーレムは、びくともしない。雪玉は、その氷の表面に当たった衝撃で粉々に砕け散ったが、ゴーレムの巨体には、微かな傷一つ残らなかった。
「ええーー!!」
キスティーは、その予想外の頑丈さに、驚きの声を上げた。
アイスゴーレムは、その小さな攻撃に反応するように、重々しい動作で右腕を振り上げた。その巨大な腕が、湖面の雪を掻き集める、と言うよりも湖面の氷を削り氷玉として、まるで機関銃のように、雪玉もとい、氷玉を乱射し始めた。
その氷玉は、さすがはエリスが作ったゴーレムの作ったもの、尋常ではない速度と硬さを持っていた。
キスティーは、慌ててスケートの機動力を使い、左右に体を傾けて氷玉を避ける。しかし、乱射される雪玉は、スケートの軌道を読むかのように正確で、そのうちの一つが、彼女の肩を直撃した。
ゴンッ!
硬い衝撃がキスティーの肩を襲い、思わずうめき声を上げた。
「きゃ!痛ーい!何?雪?氷じゃないの?」
キスティーは、その雪玉の異常な硬さに驚き、目を丸くした。彼女は、この雪合戦が、もはや子どもの遊びの範疇ではないことを、その身をもって感じ始めたのだった。




