第11話 大物釣りたい!!
何事もなかったかのように、三人は再び釣りに集中し始めた。ブロンズベアを吹き飛ばしたアリシアも、涼しい顔で竿を垂らしている。
「あー、もう!全然釣れないじゃん!」
キスティーが、いまだに釣れないことに不満を爆発させる。
「だから騒ぐなって言っただろ!」
ギルが呆れたように言うが、キスティーは聞く耳を持たない。
「じゃあさ、もっと奥に行こうよ!この先に行けば、もっと大きな魚が釣れるって言ってたもん!」
キスティーが立ち上がり、川の上流方向を指差した。そこは、さらに鬱蒼とした、明らかに危険な雰囲気が漂う場所だ。
レイエス王子は、呆然としながらも、その言葉に反応した。
(この先…?あそこには、さらに強力な魔獣がいる可能性が高いのでは?だが、彼らはそれを『大物』と呼んでいるのか…?)
騎士団長は、再び顔色を青ざめさせていた。
「殿下、もう十分かと…!」
しかし、レイエスの視線は、すでに「大物」が潜むという川の上流へと向けられていた。彼の好奇心は、もはや抑えきれないほどに高まっていたのだ。
「仕方ないわね、キスティーは釣れないとすぐ飽きちゃうものね。」
アリシアはそう言いながら、自分の釣り竿を上げてキスティーの後を追う。
「ったく、しょうがねぇな…」
ギルも渋々といった様子で二人の後に続いた。レイエス王子は、そんな三人の様子にどこか呆れながらも、彼らの次に何をするのか、純粋な好奇心で目が離せなかった。騎士団長は不安げな表情でレイエスに付き従う。
「殿下、これより先は、さらに危険な領域かと…」
騎士団長が声を潜めて言うが、レイエスは軽く手を振るだけだ。
しばらく歩くと、川幅が広がり、水深も深くなった。周りの木々はさらに鬱蒼とし、昼間だというのに薄暗い。しかし、三人の子供たちはそんな気配など微塵も感じさせず、目を輝かせている。
「わー!ここ、もっと大きいのが釣れそうだね!」
キスティーが元気よく叫ぶ。アリシアも、辺りの空気を吸い込んで微笑んだ。
「そうね、ここなら大物も期待できそうよ。」
ギルは、川の流れをじっと見つめながら、ニヤリと笑った。
「さて、今日はどんなデカい奴が釣れるか…楽しみだぜ。」
彼らの言葉とは裏腹に、レイエスたちには周囲の異様な気配がひしひしと伝わってくる。動物の気配とは明らかに違う、禍々しい「魔力」の反応。騎士団長はすでに剣を抜き、警戒態勢に入っていた。
そんなレイエスたちの緊張をよそに、三人はそれぞれお気に入りのポイントを見つけて、再び釣り糸を垂らした。
「今度こそ、私が一番に大物釣るんだからね!」
キスティーが気合を入れ直して、竿を構える。すると、その瞬間、キスティーの竿が大きくしなった!
「うわっ!?なにこれ!?」
尋常ではない引きに、キスティーの体が前のめりになる。
「キスティー!竿、しっかり持ってろ!」
ギルが叫ぶ。アリシアも真剣な表情でキスティーの様子を見守る。
水面が大きく泡立ち、濁流が巻き起こる。そして、水の中から現れたのは、体長が人間の倍ほどもある、巨大なナマズだった。その全身は黒い鱗に覆われ、鋭い牙と、邪悪な光を放つ赤い目を持つ「アビスドゥームフィッシュ」だ!
「わー!すごい!でっかいナマズだー!」
キスティーは恐怖よりも好奇心が勝ったのか、目を輝かせて叫んだ。アビスドゥームフィッシュは、その巨体で暴れ回り周囲に魔力の衝撃波を放ち、辺りに泥水を撒き散らす。
「キスティー、一人で釣れるのか?手伝おうか?」
ギルが、ニヤニヤしながらキスティーに声をかけた。彼の顔には、キスティーが困っているのを楽しんでいるような表情が浮かんでいる。
「そうよ、キスティー。無理はしなくていいのよ?」
アリシアも、どこか含みのある笑顔で言う。
「できるもん!これくらい!私が一人で釣るんだから!」
キスティーは、ふくれっ面で言い返し、必死に竿にしがみつく。竿が折れるのではないかと思うほどの力で引きずり込まれそうになるが、彼女は驚くべき粘り強さで耐えている。ギルとアリシアは、そんなキスティーの奮闘を見て、楽しそうに笑っていた。
レイエス王子と騎士団長は、目の前で繰り広げられる信じられない光景に、息をのんだ。
「な、なんだと!?アビスドゥームフィッシュ…こんな凶悪な魔獣が、こんな場所に…!」
騎士団長の声が震える。アビスドゥームフィッシュは、この地域でも指折りの危険な魔獣として知られている。起こすと手がつけられず、体表面は硬く更に魔力で覆われ傷つけるのも難しく、王国の騎士団でも、討伐には複数の隊が連携し、大きな犠牲を覚悟しなければならないほどの強敵だ。
「殿下!すぐに撤退を!あれは我々の手に負える相手ではございません!」
騎士団長は、レイエスを庇いながら叫び、即座の撤退を進言する。しかし、レイエスは動けなかった。彼の目は、巨大な魔獣と格闘する小さなキスティーの姿に釘付けになっていたのだ。
(あの子供が…アビスドゥームフィッシュを…『釣っている』だと…!?)
レイエスの脳裏には、昨日見たアースゴーレムを一撃で倒した光景が蘇る。あの魔獣は、まさに子供たちの「日常」の中に組み込まれている。恐怖と同時に、レイエスの胸には、彼らの計り知れない力への畏敬の念が沸き起こっていた。この町の、そして彼らの秘密が、今、目の前で明らかになろうとしていた。
「うぅぅー!重い!もう無理ー!」
キスティーは必死に釣り竿にしがみつくが、アビスドゥームフィッシュの力はすさまじい。竿がミシミシと音を立て、今にも折れそうだ。
「ギル―!助けてー!このナマズ、水から叩き出してー!」
キスティーが半泣きになりながら、ギルに助けを求めた。ギルは、そんなキスティーの様子を見て、勝ち誇ったような笑顔を浮かべる。
「ははは!見たか、キスティー!お前じゃこのナマズは重すぎたんだよ!俺がいなきゃ無理だろ!」
「もー!そんなことないもん!ヒットさせたのは私なんだからね!」
キスティーが負けずに言い返すと、アリシアはそれを見てくすくす笑った。
「そうね、ヒットさせたのはキスティーだものね。でも、ギルの力がなきゃ、この大物は無理そうね。」
ギルは、ニヤニヤしながら川へと飛び込んだ。水しぶきが大きく上がる。そして、その巨体でアビスドゥームフィッシュに体当たりをかますと、信じられないほどの力で、巨大なナマズを水面から高く放り投げた!
「わあ!ギルすごいー!」
キスティーが歓声を上げ、高く舞い上がったナマズに向かって、軽く手を挙げた。杖も詠唱もない。ただ彼女の意思に従い、光の矢が放たれ、アビスドゥームフィッシュの頭部を貫いた。
巨大なナマズは、それでもピクリと動き、ギルの真上へと落下し始める!
「うわあああ!俺の上に落ちてくんなー!」
ギルが慌てて叫ぶ。その瞬間、アリシアが冷静に、しかし素早く手を挙げた。
「ドンッ!」
凄まじい突風が巻き起こり、落下しかけていたアビスドゥームフィッシュの巨体が、まるで軽い木の葉のように吹き飛ばされ、そのまま勢いよく岸辺へと放り出された。泥水と土煙が舞い上がり、巨大な魔獣がピクリとも動かずに横たわっている。
「やったー!釣り完了ー!」
キスティーが満面の笑みで叫ぶ。ギルは水から上がり、濡れた髪をかきあげながらアリシアに文句を言う。
「お、おいアリシア!もうちょっと早めにやってくれよ!俺、マジで潰れるかと思ったぞ!」
「あらごめんなさい、ギル。でも、あなたなら大丈夫だと思ったのよ?」
アリシアが微笑みながら答えると、三人は顔を見合わせて、けたけたと笑い出した。彼らにとって、このとてつもない魔獣との一戦は、ただの「釣り」であり、いつもの「遊び」の延長だった。