第109話 おーい!
エリスは対岸を見つめ振り返り三人に伝えた。
「…そうじゃな、我が湖の対岸に着いたら雪合戦スタートじゃ。着いたら一発氷を打ち上げて合図をしようかの。氷の上を突き進んでも、森の雪をかき分けてきても、どちらでも良いぞ。」
エリスは、優雅に、しかし戦闘的な宣言をした。彼女の深海の瞳には、遊びを装った本気の挑戦の炎が宿っている。
アリシアは、その言葉に挑発的な笑みを浮かべた。冷たい湖畔に立つ彼女の銀髪は、逆立つかのように微かに揺らぎ、全身から静かな闘気が立ち上っている。
「全力よ?本当に後悔しない?」
アリシアの声は、体調不良からくるかすれた音ではなく、自信に満ちた、冷たい響きを持っていた。その瞳は、上から見下ろすかのように、エリスを捉えている。
エリスは、アリシアのその冷たい視線と、挑戦的な言葉に、不敵な笑みを深くした。
「構わん。お姉さんは強いのじゃ。」
その言葉は、まるで氷の女王の宣言のようだった。エリスは、アリシアの挑発に乗って、自らの力を誇示する。
アリシアは、その言葉を聞き、冷たくフンッと鼻を鳴らし、再びエリスを見下ろした。
(口で勝てないからって、何よ?大人の余裕?ムカつくムカつくムカつく!)
睨みながら、心で叫んでいた。
キスティーは、二人の間に流れる張り詰めた空気に、心臓がバクバクと高鳴るのを感じた。この雪合戦が、もはや単なる遊びではないことを、彼女の本能が察していた。
「はい!じゃあ準備しよ!」
キスティーは、無理に明るい声を出し、アリシアの腕を掴んで、その場から引き剥がそうとした。彼女の行動は、これ以上、アリシアがエリスを怒らせて、取り返しのつかない事態になるのを避けたいという、純粋な願いから来ていた。
アリシアは、不満そうな顔をしたが、キスティーの力強い引っ張りに渋々従い、エリスから顔をそむけた。
エリスは、二人の子供たちから視線を外し、巨大なアイスゴーレムを引き連れて、凍てつく湖面を滑るように、対岸へと移動し始めた。その美しいスタイルと銀色の髪、そして背後の巨大な氷の従者の姿は、まるで冬の神話の一場面のようだった。
キスティーは、アリシアとギルを連れて、湖畔の木々が立ち並ぶ森の中へと急いだ。足元の雪は深く、踏みしめるたびに、ザクッ、ザクッと重い音を立てる。三人は、息を弾ませながら、敵の視線から身を隠せる位置へと移動した。
「どうする?森行く?湖?」
キスティーは、遊びが始まると思うと弾んだ声で、二人に問いかけた。彼女の頬は寒さで真っ赤に染まり、吐く息が白く踊る。
アリシアは、氷ブロックにもたれかかり、呼吸を整えながら考え込んだ。その銀色の瞳は、湖面と森を交互に見つめ、最適なルートを探っている。
「そうね。…くしゅんっ!湖は雪がないから、雪玉を作るための雪が少ないわ。いっぱい作って持っていかないと不利ね…とりあえず、雪玉作りながら考えましょ!」
アリシアは、そう言うと、せっせと雪を握り固め、雪玉を作り始めた。その手つきは、優雅だが素早かった。
「俺は細かい事考えるの無理。作戦は二人に任せるぜ。それに、湖の正面から行きてーな。雪に足を取られるの苦手なんだよな。」
ギルの視線は、湖面を滑らかに進むエリスとアイスゴーレムに向けられていた。彼は、正面から力と力でぶつかり合いたいという、もはや雪合戦のルールを超えた想像しかしていなかった。
キスティーは、ギルの言葉に賛同した。
「私も湖滑りたい!つるつるで楽しいんだもん!どうする?アリシアは?」
アリシアは、雪玉を力いっぱい握りつぶし、その固さを確かめながら、静かに作戦を練った。
「うーん…私は森から行こうかしら?二人が湖正面から行って、注意を引く。私が森を抜けて、後ろから回り込むのよ。で、おばさんを倒す!」
アリシアは、そう言うと、握った雪玉を力いっぱい握りつぶし、雪と氷の破片を雪の上に落とした。その雪玉を握りつぶす音には、エリスへの強い敵意が込められていた。
キスティーは、そのアリシアの尋常ではない様子を見て、心配そうに顔を覗き込んだ。
「アリシア?程々にね。お姉さん、怪我しちゃうよ。」
キスティーは、今の体調不良も重なったイライラモードのアリシアの攻撃性の高さに、純粋にエリスの身を案じていた。
アリシアは、その問いに冷たく応じた。
「知らないわ!向こうが魔力込めた全力でいいって言ったんだから!…くしゅんっ!」
アリシアの顔には、苛立ちと、戦いへの興奮が混じり合っていた。
作戦は決まった。ギルとキスティーが湖を正面から進み、アリシアは森を抜けてエリスを側面から叩く。
三人は、すぐに雪玉作りに熱中した。雪玉が山程できあがると、アリシアは崩れないように強化魔法をかけ、それをキスティーの何でも入ってるリュックから大きな袋二枚取り出し、雪玉詰めてキスティーとギルに分けて持たせた。
――ヒュー……バンッ!
その時、遠くの湖面の上空で大きな音が響いた。その音源は湖の対岸上空で、巨大な氷の塊が弾け飛ぶ大きな破裂音だった。砕けた氷の破片は、空中で太陽の光を浴び、まるでダイヤモンドの粉のようにキラキラと幻想的な光を放ちながら、湖畔に降り注いだ。それは、エリスからの、美しい開始の合図だった。
アリシアは、その美しい光景を一瞥したが、すぐにその瞳を鋭く光らせた。
「さあ!行くわよ!おばさん退治!」
アリシアは、もはや雪合戦ではなく、明確な「討伐戦」としてこの遊びを捉えていた。
ギルは、その物騒な言葉に顔をしかめた。
「いや…退治って…」
キスティーは、アリシアの腕を掴み、必死に訴えかけた。
「アリシア。ほどほどだよ?聞いてる?おーい!」
しかし、アリシアの耳には、もはや友の声は届いていなかった。彼女は戦場へ向かう一人の兵士の顔になっていた。




