第105話 お主は誰じゃ?
湖畔は、クッキーの甘い残り香と、三人の高揚した熱気で満たされていた。アイシングクッキーでエネルギーを補給したキスティーとギルは、氷の家づくりを再開するために立ち上がった。
「おう!もう休憩終わりだ!さっさと終わらせて、熊をさばいて昼メシにするぞ!」
ギルは、雪の上に転がっていた巨大な氷ブロックの前に立ち、腕まくりをして、力強く拳を握りしめた。その目は、獲物を前にした狩人のように爛々《らんらん》と輝いている。
「俺がすぐ終わらせてやるよ。みてろよ!」
彼は、筋肉質の体に魔力を集中させ、氷塊を持ち上げる準備を始めた。その姿には、鍛冶師の息子らしい剛健さが溢れている。
しかし、キスティーも負けてはいなかった。彼女は、ギルの張り切りぶりに、わけの分からない対抗心を燃やした。
「ずるいー!私もやるよ!ギルには負けないんだから!」
キスティーは、氷ブロックの反対側に回り込み、ギルと同じブロックに手をかけた。彼女の小柄な体躯からは想像もできないほどの力が込められ、その瞳は、楽しさと真剣さが入り混じった光を放っている。
アリシアは、そんな二人の様子を、積まれた氷ブロックにもたれかかりながら、心底寒そうな様子で見守っていた。
「頑張ってー…くしゅんっ! ギル来たし、少し休ませてもらおうかしら?」
アリシアは、鼻をすすり、ショールに顔を埋めた。彼女は調子が戻らず、無理をしないという判断を下した。
キスティーは、アリシアの言葉に、満面の笑顔で応える。
「うん!アリシア休んでていいよ!ギルいるからすぐ終わるよ!ね!ギル!」
キスティーは、ギルに目配せして、「手伝え」という無言の圧をかけた。
ギルは、そんなキスティーの意図を汲み取り、ニヤリと笑って胸を叩いた。
「おう!任せとけ!」
彼は、力こぶを作り、最強の助っ人であることを誇示した。アリシアの体調不良と、キスティーの張り切りが、ギルの「男の仕事」というプライドをくすぐったのだ。
アリシアは、二人の言葉に甘え、氷ブロックの影で静かに休憩を取った。彼女の目には、降り続く雪と、それに反射する氷の煌めきが映っている。彼女の心は、体調の不調と、友人の温かさとの間で揺れていた。
ギルは、怪力と手際の良さで、作業を圧倒的なスピードで進めていった。彼は、氷のブロックを一つ一つ丁寧に持ち上げ、アリシアが描いた設計図通りに積み重ねていく。キスティーも負けじと、小さなブロックを運び、ギルが積み上げた氷壁の雪埋め作業を手伝った。二人の共同作業は、まるで長年連れ添った職人たちのようだった。
やがて、氷の家は驚くべき速度で完成に近づいた。
その氷の家は、もはや「かまくら」と呼べる代物ではなかった。高さは3メートルを超え、直径も10メートルはある、普通に人が家族で住めるくらいの大きさの「家」と化していた。氷のブロックが空の光を透過させ、内部は青白く幻想的な光で満たされている。
ギルは、最後のブロックを天井に組み込み、手を叩いた。
「どうだ!すげぇだろ!」
完成した氷の家の前に、キスティーは歓声を上げた。
「広ーい!見てアリシア!これなら中で鬼ごっこできるね!」
キスティーは、嬉しさのあまり、氷の家の中を駆け回り、その声が反響するのを楽しんだ。
アリシアは、その壮麗な氷の家を見て、寒ささえも一瞬忘れたかのように、顔を輝かせた。
「まぁ、すごいわ! 寒さも和らぐわ…。暖も取れそうね。さすがギルね。」
彼女は、その巨大で幻想的な空間に、心底感動していた。
ギルは、自分の仕事に最高の賛辞をもらい、照れくさそうに頭をかきながら、氷の家の内部を見渡して感心した。
「できたらすげぇな。普通に住めるな。ここで冬を越せるぜ。」
彼は、自分の作り上げたものへの誇りで胸がいっぱいだった。
休憩と完成の感動で、アリシアの顔色も幾分か良くなったように見えた。彼女は、立ち上がり、腕を組みながら、次の「作業」へと意識を移した。
「さあ! 凍える前に、外の熊さん、さばきましょうか!」
アリシアは、くしゃみすることなく、少し調子良さそうに言った。
ギルは、獲物という「ご褒美」を前に、興奮を隠せない。
「おう!待ってました!さばくのも料理も任せた! 今日は熊肉のステーキだ!」
彼は、大きな喜びの声を上げ、三人は「昼食」を求めて、湖畔の雪の上に横たわるアイアンブラッドベアの元へと向かった。
雪の上に転がっているアイアンブラッドベアの巨体の前に到着し、アリシアはどうさばくか、体を見回していた。
その時、三人の視線の先に、人影が飛び込んできた。。
湖畔の静寂と雪の白さに、不自然なまでに際立つその人影に、三人は顔を見合わせた。
そこに佇むのは、一人の女性だった。彼女の出で立ちは、この極寒の魔獣の森という場所に存在するには、あまりにも異質で、現実離れしていた。
彼女は、透き通るような純白のドレスを纏い、ドレスの裾は雪の上に無造作に広がり、その繊細なレースは雪の結晶のようにも見えた。その肌は、背景に同化しそうなほど白い。アリシアに勝るとも劣らない銀色の長い髪が、雪の静寂の中で、氷のような輝きを放っている。そして、彼女の瞳は深海のように深いブルーで、唇には、まるで氷を砕いて作ったかのようなブルーのリップが施されていた。
彼女は、完全に静止しており、まるで氷の彫像のように、世界から切り離された存在に見えた。彼女の周囲だけ、冷気が一層濃いように感じられる。彼女の静謐な美しさは、まさに、この世のものとは思えない、と形容するにふさわしいものだった。
しかし、異様な女性の存在を、特に警戒することなく受け入れた。彼らにとって、普通でないことは面白いこと、と言う認識があるからだ。
キスティーが、その無防備な純粋さをもって、真っ先に声をかけた。
「あの…お姉さん?どうしたの?迷ったの?そんな格好じゃ凍えちゃうよ?大丈夫?」
キスティーの問いかけには、心配と、そして少しの好奇心が込められていた。
その言葉に、女性は静かに、そしてゆっくりと、三人の方を向いた。その動きは、氷の上を滑るかのように滑らかだった。
彼女の深海のように深い瞳が、三人を捉える。そして、その青い唇が、微かに開かれた。
「………我に話しかけておるのか?お主は誰じゃ?」
その声は、鈴の音のように澄んでおり、しかしどこか遠く、感情を読み取れない響きを持っていた。
三人は、その古風な言葉遣いと、予想外の問いかけに、一瞬の戸惑いを見せ、首を傾げた。
「え…?」
しばしの沈黙が、女性と三人の子供たちの間に流れた。それは、「規格外」と「規格外」が、極寒の湖畔で出会った瞬間だった。




