第102話 ダメじゃん!
魔獣との遭遇を済ませた二人は、さらに深く森の中へと進んでいった。あたりは静寂に包まれ、雪は絶え間なく、しかし穏やかに降り続いている。足元の雪がザクッと音を立てる他は、世界が凍てついているかのようだった。
「くしゅんっ! ねぇ、キスティー、この森、冬はほんとに静かよね。」
アリシアは、カシミヤのショールで鼻を押さえながら、微かな声で問いかけた。彼女の体調不良は相変わらずだが、高揚感が寒さと不調を上回っている。
「うん!ほんとに静かで声が通るよね!」
キスティーは、楽しそうに雪を踏みしめながら笑った。その会話は他愛なく、先ほど巨大な凶悪魔獣を処理したとは思えない。
しばらく進むと、木々の間から突然、眩い光が差し込んだ。
「わぁ!」
キスティーが感嘆の声を上げ、歩みを速めた。アリシアも顔を上げ、その光に目を細めた。
森を抜け、二人の視界が開けたその先には、一面の銀世界が広がっていた。人々が「人外」が出ると恐れる湖は、その全容を氷に閉ざされ、凍てついていたのだ。
空から薄く差し込む冬の太陽の光を受け、湖面の氷は数えきれないほどの小さな面に反射し、まるで敷き詰められたダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。その美しさは筆舌に尽くしがたく、息を飲むほどの絶景だった。
「くしゅんっ! ……綺麗…」
アリシアは、くしゃみと共に、心からの感動を漏らした。氷とともにアリシアの銀色の髪は同化するかのように輝いて、美しさを際立たせた。
キスティーは、待っていられないとばかりに、一目散に湖へと続く雪の斜面を駆け下りた。
「わーい! 凍ってる!」
湖畔に到着すると、彼女は躊躇なく分厚い氷の上に踏み出した。しかし、氷の表面は想像以上に滑らかで、勢いのついたキスティーはあっけなく足を取られ、可愛らしい声を上げて転倒した。
「きゃ!」
雪の上と違い、硬い氷の上に背中から叩きつけられたはずなのに、彼女は少しも痛がらず、満面の笑顔で笑っている。
「つるつるだー!楽しい!」
彼女の無邪気で活発な様子に、アリシアも思わず笑みがこぼれた。
「もう、キスティーったら無茶ばかりするんだから。」
アリシアは、湖畔の雪を踏みしめながら、ゆっくりとキスティーを追った。彼女は一歩一歩、慎重に、キスティーがいる氷の上へと進んでいく。
氷の上に大の字になったキスティーが、太陽の光を浴びてキラキラと輝く氷上から、アリシアを呼ぶ。
「アリシア! 早く来てー!つるつるだよ!すごく分厚いよ!」
アリシアは、氷の縁に立ち止まり、湖面を見下ろした。透き通る氷の下には、深い水の色が見え、確かにその厚さはかなりのものだとわかる。
「 待って、すぐ行くわ。…くしゅんっ!」
アリシアは、一度くしゃみをしてから、慎重に氷の上に踏み出した。彼女は魔法で体を支えているのか、キスティーのように滑ることなく、慎重にキスティーの元へと到着した。
「ほんとに厚いわね。…くしゅんっ! これなら切り出しても大丈夫そうね!ブロックにして、積み上げましょうか?お家作りましょ!」
アリシアの瞳に、氷の家の設計図が浮かんでいるかのようだった。
キスティーは、体を起こして、嬉しさで氷の上をぴょんぴょん跳ねた。
「作る! 去年もしたよね。去年より大きなお家作ろうよ!」
「ええ、しましょう! 去年はすぐに溶けてしまったから、今年はもっと頑丈にね。…くしゅんっ!」
二人は笑い合い、氷の上で手を叩いた。
氷のかまくらづくりが始まる。
アリシアは、早速、氷をブロック状に切り出すための準備を始めた。彼女は周囲を見回し、最も安定した、分厚い場所を選ぶ。
「さあ、始めるわよ! キスティー、私が切るわ。 慎重にするから、大丈夫…だと思う…くしゅんっ!」
アリシアは、くしゃみを挟むたびに、自信と不安が入り混じった複雑な表情を見せる。彼女は自身の体調不良で魔力の制御の不安定さを自覚しており、その不安定さが引き起こす結果を恐れていた。
キスティーは、アリシアの不安な様子に気づき、心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫?私やろうか?」
アリシアは、その提案に、苦笑いを浮かべた。
「キスティー…去年切るって言って、氷、ほとんど砕けたわよね?覚えてる?」
キスティーは、指摘されて、頬を膨らませ言い返した。。
「あれはちょっと雪が目に入って…」
「はいはい。…くしゅんっ! 私がやるわ。慎重にに慎重に…」
アリシアは、ため息をつきながらも、責任を持ってやるという決意を込めて、右手の指を軽く上げた。その指先に、極限まで圧縮された「風」の魔力が集束する。氷を切り出すために、鋭利な刃のような形を保ち、湖面の氷に向かって滑るように振り下ろした。
風の刃は音もなく、分厚い氷を縦横に切り刻んでいく。完璧に制御された魔力の刃は、四角いブロックの輪郭を鮮やかに描いていった。
切り終わる、まさにその直前だった。
アリシアの鼻がムズムズと動き、魔力の集中が途切れる。
「くしゅんっ!」
甲高いくしゃみの音が、凍てついた湖面に響き渡った。
その瞬間、風の魔法の刃は制御を失い、切り出されていたブロックの輪郭を外れ、アリシアが立っている位置から数メートル離れた湖面の氷に、渦を巻くような強烈な衝撃を与えた。
轟音と共に、湖面の氷の一部に直径二メートルほどの大きな円い穴が開いた。黒々とした水が音を立てて湧き上がり、蒸気が立ち込める。
アリシアは、自分のしでかしたことに、顔を青ざめさせた。
「あ…間違っちゃった…くしゅんっ!」
再びくしゃみをして、両手で顔を覆う。完璧にやりたかったのに、という落胆と、予想外の結果への驚きが、彼女を襲った。
キスティーは、ぽかんと口を開けて、湖に開いた穴と、落ち込むアリシアの顔を交互に見た後、思わず笑い出した。
「あははは! アリシアもダメじゃん!くしゃみひどいし!」
「う…うるさいわね! …くしゅんっ! でも、ちゃんと、切れたから大丈夫よ。穴はあいたけど…」
アリシアは、強がって言い返したがうまくできなかったことに少し不満だった。二人は、巨大な穴が開いた凍った湖の上でキラキラと笑い合った。
穴から立ち上る水蒸気と、切り出された四角い氷のブロックが、二人の遊びの舞台を照らしていた。




