第10話 安全な川釣りにしよう!
「王子様を怪我させちゃったら大変だもんね!」
キスティーが元気よく言うと、ギルとアリシアも頷いた。流石に魔獣の森の奥深くまで連れて行くのはまずいと判断し、三人は比較的安全だと考えている「近くの川」で釣りをすることに決めた。しかし、その川もまた、魔獣の森のすぐ横を流れており、魔獣が出没することは多々ある場所だった。
「お前ら、王子様を危険な目に遭わせたらただじゃおかないからな。」
ギルがレイエス王子の方を一瞥しながら、念を押すように言った。キスティーは不満げに口を尖らせる。
「わかってるってば!私だってそこまでバカじゃないんだから!」
「どこまでかは怪しいけどね。」
アリシアがくすくす笑う。そんな三人の騒がしいやり取りを、レイエス王子は興味深そうに眺めていた。彼の隣には、冷や汗をかきながらも、王子の護衛としてただ一人付き添っている騎士団長がいる。レイエスがぞろぞろと護衛を連れて行くことを許さなかったため、選ばれた少数精鋭の護衛隊は、少し離れて後方からついてきている。
「ねーねー、今日は何が釣れるかなー?」
キスティーが、はしゃいだ声で尋ねた。
「ブラックトラウトとか、レインボーフィッシュとかかな?大物が釣れるといいんだけど。」
アリシアが、釣り竿を担ぎながら答える。彼女の動きは優雅で、まるでピクニックに向かう少女のようだ。
「俺は、やっぱりグレートサーモンがいいな。でっかいやつ!」
ギルが拳を握りしめ、力強く言う。
「グレートサーモン釣れたら、どうやって食べる?やっぱり塩焼きかな?それとも、アリシアの作った薬草のソースで食べる?」
キスティーが目を輝かせて、食べ物の話で盛り上がる。
「塩焼きもいいけど、ムニエルも美味しいわよ。キスティーが火の魔法で上手に焼いてくれればね。」
アリシアが微笑んで言うと、キスティーは胸を張った。
「まかせて!焦がさないように頑張る!」
楽しそうに笑い合う三人の様子は、まるで遠足に向かう普通の子供たちそのものだ。レイエスは、彼らの無邪気な会話を聞きながら、昨日の森での信じられない出来事が、本当にこの子供たちの仕業だったのか、と改めて疑問に感じていた。彼らの言動からは、あの異様な強さの片鱗すら感じられない。
会話を交わしながら歩くこと数十分。やがて、一行は目的の川に到着した。
しかし、騎士団長は、目の前の光景に思わず眉をひそめた。川岸は鬱蒼とした木々に覆われ、下草は伸び放題。所々に獣道のようなものが通っているだけで、とてもではないが、普通の子供たちが川遊びをするような場所には見えない。川の流れも速く、岩がゴロゴロと転がっている。
「な、なんだここは…?」
騎士団長は、不安に駆られ、思わずレイエス王子の方を振り返った。
レイエスもまた、目の前の光景にわずかに目を見開いた。
「…これが、君たちの言う『近くの川』で、『遊ぶ場所』なのか?」
レイエスが、驚きと困惑の入り混じった声でキスティーたちに尋ねた。彼の頭の中では、王宮の庭園を流れるような、穏やかな小川の景色が思い描かれていたのだ。
「え?そうだよ?」
キスティーは、何が不思議なのか分からないといった顔で、きょとんとして答える。
「ほら、あそこの岩の上とか、その下に魚がいっぱいいるんだよ!」
ギルが指差す先は、見るからに足場の悪い、苔むした大きな岩だ。
「この先に行くと、もっと穏やかな流れの場所もあるのよ。そこだと、大物も釣れるわ。」
アリシアが、涼しい顔で付け加える。
騎士団長は、その言葉に思わず頭を抱えた。
(穏やかだと…?ここから先へ進むなど、正気の沙汰ではない!しかも大物とは、一体どんな魔獣が釣れるというのだ!?)
レイエスは、そんな騎士団長の様子をちらりと見ると、再びキスティーたちに目を向けた。彼らの純粋な笑顔と、目の前の「遊ぶ場所」とのギャップに、レイエスの探求心はますます掻き立てられていく。
三人は慣れた様子で、それぞれお気に入りの釣りポイントに釣り竿を垂らし始めた。キスティーは比較的流れの緩やかな場所に、ギルは岩陰の深みに、アリシアは少し上流へと移動する。
アリシアは、レイエス王子と騎士団長にも釣り竿を差し出した。
「王子様、騎士団長さんも、どうぞ。もしよかったら、一緒に釣りを楽しまれてはいかがですか?」
アリシアの言葉に、レイエス王子はわずかに眉をひそめ、騎士団長は困惑した表情を浮かべる。しかし、断る理由もなく、二人はぎこちなく釣り竿を受け取った。
「そ、その、ありがとうございます…。」
騎士団長が戸惑いながら竿を垂らす。レイエスも、見よう見まねで川に釣り糸を垂らした。彼らにとって、このような環境での釣りは初めての経験だ。
ギルはすぐに竿を上げた。「おっ!」という声と共に、釣り針には銀色の鱗が美しいシルバーヘルフィッシュが力強くかかっていた。
「よっしゃ!一匹目ゲット!」
ギルが誇らしげに魚を見せる。続いてアリシアの竿も大きくしなった。彼女は優雅な手つきでリールを巻き、鮮やかな青色のブルージェムフィッシュを釣り上げた。
「まあ、小さいけれど、今日の晩御飯にはなりそうね。」
アリシアが微笑む。それを見たキスティーは、自分の竿が全く動かないことに不満そうに口を尖らせた。
「えー!もう釣れたのー!?なんか細工してるでしょ?ずるいー!」
キスティーが大きな声で騒ぎ出すと、ギルがすぐに注意した。
「おい、キスティー!騒ぐと魚が逃げるだろ!」
「ギルの声だって大きいわよ!」
アリシアが冷静にツッコミを入れる。結局、三人はすぐにいつものように騒がしくなり、笑い声が川辺に響き渡った。レイエスと騎士団長は、そんな彼らの様子に呆れつつも、どこか微笑ましく感じていた。
その時だった。
ザサッ、ザササッ…!
三人の騒ぎ声に引き寄せられたかのように、背後の茂みから中型の魔獣、ブロンズベアが咆哮を上げて飛び出してきた。鈍い光を放つその爪を振り上げ、一番近くにいたキスティーに襲いかかる!
「危ない!キスティー!」
騎士団長が慌ててレイエス王子を庇いつつ、剣を抜いて魔獣に応戦しようとする。
「殿下、お下がりを!危ないぞっ!」
騎士団長はそう叫んだが、三人はまだ騒いでいる。ブロンズベアの巨体が迫り、まさに衝突寸前というところで、アリシアがふと気付いたかのように顔を上げた。
「あら、邪魔ね。」
アリシアは、驚くほど冷静だった。そして、ごく自然に、ただ右手を軽く挙げたかと思うと──
「ドオォォン!!」
唸るような風が巻き起こり、ブロンズベアの巨体が、まるで軽いゴミのように宙へと吹き飛ばされた。轟音と共に、ブロンズベアは遙か彼方の木々に衝突し、そのままピクリとも動かなくなった。
レイエス王子と騎士団長は、目の前で起こった信じられない光景に、完全に唖然としていた。杖も詠唱もなく、子供が片手で放った魔法で、あれほど強靭な魔獣が一撃で吹き飛ばされたのだ。