6.氷の騎士団長、心を奪われる(騎士団長目線)
まもなく夕刻を迎える城下の街は、いつも通りの賑わいを見せていた。
夕飯の買い物をする親子に、通りで輪になり噂話に興じる者たち、一仕事を終えたのか満足げに家路を急ぐ父親の姿……。
そんな日常のありふれた風景を眺めながら、俺は今日も小さな異変も見落とすまいと神経を尖らせる。
この一見穏やかな、犯罪など起こりうるはずのない普通の生活の中にこそ、危険が潜んでいたりするものなのだ。
現にここ数日の間だけで、もう何人もの子供が姿を消したという報告が上がってきている。
犯行は決まって今頃の時刻で、恐らく各国に拠点を持つ大きな人身売買グループが関与し、裏で手を引いているものと思われた。
これ以上の被害を防ぎ、早々に攫われた子供を保護する必要がある。
俺の名はクラレンス・ウィンザー。
ここ、ミルキー王国で第一騎士団の団長を拝命している。
自分で言うのもなんだが、剣の腕は確かだと自負しているし、肝も据わっているほうだと思う。
無表情で協調性がないせいか、『氷の騎士団長』などと揶揄されていることは知っているが、今更性格も変えられない為、放置している。
「ほら見て、氷の騎士団長様よ! 見回りかしら?」
「今日もなんて麗しいお姿なのかしら……怖いけれど」
「遠くから見ているだけなら素敵なのにねぇ」
聞こえていないと思っているのだろうが、俺は普通の人間より目も耳もいいらしく、余計な情報まで拾ってしまう。
試しに噂をしている女性たちを見やれば、皆蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
これもまた日常のありふれた風景の一つと言える。
目つきのせいか、また怖がらせてしまったようだな。
まあ、どうでもいいことだ。
侯爵家の次男に生まれながら、国の為にこの命を捧げると決めて騎士になってからというもの、俺には仕事以外に興味を持てるものがなかった。
金、地位に権力、女にすら興味がないからか、同僚や部下と噂話で盛り上がることもなく、気付けば感情すら表に出なくなっていた。
これでは『氷の騎士団長』と呼ばれて当然かもしれない。
そんなことを考えながら、今日も部下を置いて単独で行動している俺は、子供連れの不審な男が目撃されたという港方面に向かっていたのだが。
この違和感はなんだ?
何かが急速に近付いてくるような……。
俺は得体のしれない、いまだかつて感じたことのない気配が、急激な速さでこちらに向かってくるのを察知した。
生物のようだが、万が一、何らかの攻撃だとしたら街が大変なことになる。
有事に備えて一人戦闘準備に入るが、街中で剣を抜き、不用意に周囲の人間を怖がらせることはしたくなかった。
俺はいつでも抜けるように剣のグリップに手をかけると、何かがやってくる通りの奥にじっと目を凝らし、しばし待つ。
するとそこには――
「案外私たちには気付かないものなのね」
高いところで結わいた美しい金髪を風に靡かせ、爆速で屋根の上を走ってくる女性の姿があった。
我ながらよく音声を拾えたものだが、察するにまだ年若い娘だと思われる。
は?
どうして若い娘が屋根の上を走っているんだ?
いや、それよりあの速さは一体……俺意外は誰も彼女に気付いていないというのもおかしな話だ。
それにあんなに急いでどこに向かって……って、この先は危険じゃないか!
あっという間に見えなくなった娘の後ろ姿を慌てて追いかける。
王国の民を守ることが己の大切な仕事なのだから当然だ。
しかし――
はたしてあの娘は「人」なのだろうか?
ふと湧き出た疑問に首を傾げてしまう。
そして。
ククッ、アハハハハ!
気付けば笑い出していた。
なんとこの俺が、声を上げて。
声を出して笑うなんて、いつぶりなのか思い出せないほどだ。
あの娘ほどではないが、この速さで駆けているのだから、今の俺の表情まで判別できる者などいないだろう。
それにしても愉快な気分だ。
彼女は一体何者なのだろうか。
これほどまでに心を惹かれる存在を俺は知らない。
ドクドクと鼓動が高鳴っているのを感じる。
これが走っているせいではないことだけは、鈍感な自分でも理解できた。
俺は一瞬にして、正体もわからない彼女に心を奪われてしまったらしい。
最高速度で倉庫街に辿り着くと、すぐさま彼女の姿を探す。
さほどの時間もかからず、その姿は見つかった。
子供を抱えた男と対峙する金色の髪と鮮やかな水色のスカートの後ろ姿は、殺風景な倉庫が立ち並ぶ中では一際目を惹いたからだ。
いや、俺の目にだけ眩しく映っているのかもしれないが。
あの男が子供を攫った犯人に違いないな。
彼女が危ない。
すぐさま守ろうと背後から飛び出しかけた俺だったが、突如響いた声に足を止めた。
「わたくしは『魔法令嬢ミルキーレナ』と申します。今からあなたを成敗させていただきますわ!」
凛々しいその声と佇まいに心が震える。
「ミルキーレナ……」
その名が俺の心に深く刻み込まれた瞬間だった。