第五話 美愛から母へ
「…寂しかった…1人で生きていくのが」
静かに項垂れる母。
まさか隠し通せるとでも思っていたのか?
だとしたら私だけじゃなく、お父さんやおじいちゃん達まで馬鹿にしているとしか思えない。
「別に誰と付き合おうが、再婚しようと母さんの自由だから、私達に許可なんか要らない」
「…美愛」
実際他人だ。
母は私達家族の戸籍を離れて他人、再婚するのに何の問題も無い。
「私達の今を何にも知ろうとしないで、急に会いたいって違うと思う」
「そ…それは帰ったばかりで時間が無くって」
また言い訳か、いい加減止めて欲しい。
「母さんは自分にしか興味がなかったんです」
「違う!!」
母は叫んだ。
さっきまでハンカチで目を抑えていたが、全く濡れてない。
「離婚して、病気するまでの三年間、一回も連絡が無かったのはなぜ?」
[入院している、面会を]
その手紙が弁護士を通して来るまで、母から一回も連絡は無かった。
後からお父さんから聞いたが、その時は何も思わなかった。
「新しい生活を作り上げるのに夢中だった、違う?」
「ち…違う…それに、ちゃんと養育費だって毎月払っていたわ」
「それには感謝してます」
子供の権利だが、それすらしない人間が多い中、役目は果たした。
だけど…
「滞ったら、会社に延滞の通知が行くのを恐れてたから?」
「そうじゃない、美愛の為によ!!
貴女の幸せを願って、だから私は!!」
「それなら、なんで浮気したんです?」
「そ…それは魔がさして…」
言いにくいだろう。
今更過去の傷に塩を塗りつけられるのはイヤに違いない。
それをする私もだ。
「魔がさすって、裏切りを半年も続けといて、魔がさしたは違う気がするけど?」
「あの時は…アイツが」
「相手のせいにしないでね。
どんなクズだったにしても、それに乗ったのはアナタなんですから」
「あう…」
母をアナタ呼ばわりするなんて、自分でもイヤな娘だと分かっている。
だけど吐き出さないとダメなんだ。
「仕事こそが誇り、自分のアイデンティティだった、違いますか?」
「………」
母は無言で私を見る。
仕事こそが自分の存在証明、それが私達家族より上だったんだ。
「…今は何を言っても言い訳になるわね」
「言い訳?」
何が言い訳なんだろう?
「確かに私は仕事が好きだった。
大きな仕事を任されて、立場を高めるのが生きがいだったところがあったわ」
「そうですね」
「黙って聞いて!」
私の相槌は要らないか…
「…結婚して、貴女を産んで幸せだった事に偽りは無いの」
訥々と話すのを黙って聞く。
言いたい事は後にしよう。
「産休が終わって、復帰したら会社は私の居場所に別の人を据えていた…」
それは当然か。
会社組織に詳しくないけど、居ない人間のポストを空けておく程、仕事って優しく無いよね。
「だからブランクを埋めるのに必死だった。
早く元のポジション、いいえ更に上に行く。
それが協力してくれた、お父さん達、家族への恩返しだと、そう信じて…」
母は何を言ってるんだ?
「………少なくとも、私はそんなの望んでなかったよ」
「でしょうね、分かってくれると思ってないわ」
やれやれだ。
わかり会えるなんて思ってなかったけど、ここまでとはね。
「…自慢の母さんだったんだよ」
「え?」
「確かに寂しかったけど、私を愛してくれていた。
疲れていても、一杯甘えさせてくれた。
例え家族でお出かけした記憶は殆ど無くても、卒園式や入学式に来れなくても、母さんは私を…」
信じていた。
だから裏切りが信じられなかった。
だから母を憎んだ。
私を助けてくれたのは父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてなにより優馬…
「結局自分が中心。
だから離れて暮らすと地が出て、過ちを犯した」
「……それは、だから」
「もういいよ。
離婚してスッキリ煩わしい過去を切り捨てる為、新しい出会いを求めたんでしょ?」
「み、美愛それは…」
「私の高校も知らないって、知り合い…それがイヤなら弁護士にでも聞けば直ぐ分かる事なのに」
「あぁぁ…」
なんて事はない。
それだけなんだ、母はそれだけの人間、でも…
「だけど会いたいって思ってくれたんだね」
「え?」
涙で濡らした顔を上げる母さんは本当の涙を流していた。
「恨みはあるけど、会えて良かったよ」
「美愛…」
「だから今はサヨナラね」
「へ?」
なんでそんな声を出すの?
「まだ許せるはずないから。
まあスッキリしたから、ありがとう」
「ち…ちょっと待って」
「それじゃ!」
話は終わりだ。
急いで席を立ち、扉を開ける。
もうここに居たくない、限界だ!
ホテルを飛び出し、携帯を取り出す。
『終わった?』
「優馬!」
ワンコールで聞こえた声に胸が熱くなる。
「愛してる!!」
涙で叫んだ。