第三話 女は歩んで行く〜史佳
念願だった娘と11年振りの面会。
先週離婚の際に担当していた弁護士から、私の携帯に娘側の許可が出たと報告を受けた。
『…そうですか…ありが…とうございます』
電話を受けた弁護士はさぞかし聞き取りにくかっただろう。
自分がこれ程狼狽えてしまうとは、予想してなかった。
どうして娘が面会をしてくれる気持ちになったのか分からない。
7年前に私が大病を患った時すら、面会を断られたのに、それがどうして急に…
「考えても仕方ないわね」
詳しい理由なんか分からない。
実家の両親や元夫に聞く事も出来ない。
直接の連絡は一切禁止。
それが離婚時に交わされた約束だし。
「…何を着て行けば」
どんな格好で娘に会えば良いのか、普段の仕事で着ているようなパンツスーツは違うし、ラフな格好もおかしい。
先月海外の支社から日本に戻る際、不要な物は全て処分して来たので、現在部屋に私の私物は殆ど無い。
「買いに行くしかないね」
パソコンでネット検索をしてもピンと来ない。
実際に試着をして、考える事にしよう。
服を着替え、タクシーに乗り、近くの百貨店で降りる。
適当なブランドの婦人服店に入り、店員と相談して何点か試着後、気に入った数点を購入した。
少し予算をオーバーしてしまったが、娘に安物を来てくるような、みすぼらしい暮らしをしていると思われたくない。
それほどお金に困っている訳ではない。
最低限のお金があれば、それで良い。
毎月の決められた養育費は一回たりとも遅れた事が無い。
不倫の代償で家族を失い、お金を払う事でしか、娘や実家の関係を維持出来ない私には…
「…何か食べて帰ろう」
クヨクヨするのは朝から何も食べてないからだ。
家事が苦手だから食事は全て外食。
掃除や洗濯もハウスキーパーに任せて来た。
時計は昼をまわっている。せっかくなので、このまま百貨店のレストランに行って食事を済ませよう。
紙袋に入った洋服を手に、最上階のレストラン街へ向かう。
日曜日の百貨店は沢山の人で賑わっており、人混みの苦手な私は人に酔ってしまった。
「大丈夫ですか?」
荷物を床に置き、椅子にへたり込んでいると一人の女性が声を掛けてくれた。
少しラフな服装をしており、百貨店の関係者では無さそう。
「…人に酔ったみたいで、少しすれば落ち着きますから」
「それなら、ラウンジに行かれては?」
「ラウンジですか?」
「荷物も預かってくれますし、ゆっくりとソファで休憩出来ますよ」
そう言って、女性は微笑んだ。
薄くひいた化粧がよく映える美しい容姿だ。
私よりちょっと若いくらいで、気力に満ちた顔をしている。
「ここの会員じゃないから、利用出来ないんじゃ」
百貨店のラウンジは会員以外の利用が出来ない事は知っている。
「私は会員ですから同伴で入れますよ」
「…でも」
確かに同伴者の一人くらいなら入れるだろう。
「そのままに出来ませんから」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます」
親切を余り無碍に出来ない。
海外なら絶対ついて行かないが、ここは日本。
なにより、この女性は悪人に見えない、甘える事にした。
「落ち着かれましたか?」
「ありがとう、すっかり治りました」
ラウンジの椅子に座り、ゆっくり寛ぐ事で、目眩はようやく収まってきた。
対面の椅子に座る女性も私の様子に安心した笑みを浮かべた。
「用事があったでしょう、ごめんなさいね」
貴重な時間を使わせてしまい、せっかくの休日を台無しにしてしまった。
「いいえ、娘を待って暇を持て余してたんです。
だから気になさらず」
「娘さんを?」
先ほどから女性は1人で、娘さんの姿は見えないけど。
「この百貨店にはピアノ教室が併設されてるんです。
その付き添いですから」
「行かなくても大丈夫なんですか?」
「終わったら連絡が来ますから」
「そうなんですか」
女性の左手薬指には指輪が填められている。
きっと旦那さんが娘さんを見ているのだろう。
そういえば美愛もピアノ教室に通わせていた。
今も続けてるのかな?
私は一度も教室へ送り迎えをしなかった。
旦那や両親に任せっきりで、発表会にも行った事が無かったな…
「どうされました?」
「いえ、なんでも…」
今更ながら私は酷い母親だった。
仕事ばかりで、家庭を蔑ろにして、挙げ句不倫まで。
こんな人間、見捨てられて当然。
「…また気分が?」
「そうではありません、貴女は仲の良いご家庭なんですね」
また気を使わせしまった。
羨む気持ちを抱くなんて、どれだけ自分は醜い人間なのか。
「娘と仲は良いですね」
女性は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「娘と二人暮らしなんです」
「そ…それは、すみません」
指輪だけ見て旦那さんが居ると判断したのは軽率だった。
「気になさらないで下さい、紛らわしかったですね」
「…そんな事は」
自分の指輪に気づいた女性はそっと薬指を触った。
「8年前に離婚をしたんです、これは最近頂いた物でして…」
指輪は愛しい人からの贈り物なのか。
私がしていた指輪はどうなったのか?
離婚した後、外して…
捨てたりしてないから、どこかにあるはず。
「私もです」
思わず口が動いてしまう、こんな事は初めて。
「私も以前離婚を、貴女と違って1人暮らしですが」
「…そうでしたか」
『私にも娘が…』
だが言えない。
母親に親権が行かなかった時点でお察しだ。
それから色々あったけど、結局再婚しないで、ずっと1人…
「仕方ないです、自分の責任ですから」
思わず言ってしまった。
私はどうしたんだろう?
「…そうですね、人生後戻りは出来ませんもの」
「全くですね」
乗り越えていくしかない。
だからケジメの為、面会を申し込んだ。
来月娘は18歳に。
それが最後の養育費になる。
続けての支払いは不要と断られてしまった。
後は縁が切れてしまうだろう、だからその前に一度だけ美愛と…
「すみません、娘からです」
「どうぞ、お出に」
女性は携帯を取り出した。
「うん、分かった。
ママはラウンジに居るから…」
彼女とお別れが来たみたい。
名残り惜しい。
「失礼しました」
彼女は携帯を鞄にしまい、頭を下げた。
「迎えに行かなくて大丈夫なの?」
「ここに来るそうです、ラウンジのジュースがお目当てなんですよ」
「へえ…」
しっかりした娘さんみたいね。
店内を一人で移動出来るなら、小学校くらいかな。
「ママ」
「ここよ」
ラウンジに聞こえる元気な声。
女の子が私達のテーブルにやって来た。
「ママ、お友達?」
「ええ、さっき知り合ったの」
笑顔で会話をする二人に寂しさがつのる。
こんな時間を私も美愛と送りたかった…
「ほらご挨拶なさい」
「初めまして、池田詩織8歳です」
ちょこんと頭を下げる。
背中に背負っているのはピアノ教室の鞄だろう。
可愛いい姿は美愛を彷彿とさせた。
「しっかり挨拶出来て偉いわね」
「ありがとうございます」
はにかんで笑う仕草は、この家庭が幸せである証拠だ。
「おばさんは山内史佳よ、宜しくね」
思わず離婚前の姓を名乗ってしまった。
幸せだった頃の名前…
「すみません申し遅れました、私は池田紗央莉と言います」
「…ご丁寧に」
「ママ、名前言わないでずっとお話してたの?」
「ウッカリしてたわ」
「川口のおじさんに笑われちゃうよ」
楽しそうな会話に私の胸は疼く。
ラウンジを出た私は連絡先を交換して別れた。
「…帰ろう」
家に帰り指輪を探す事に決めた。