第二話 優馬の悩み
「今日はありがとう」
美愛の笑顔が眩しい。
どうやら美愛の相談相手として俺は役に立たったみたいで良かった。
「お昼はしっかり食べなよ。
なんだったら、おじさんが帰ってくるまで一緒に居てあげようか?」
「ありがとう、大丈夫だよ」
美愛は昼ご飯の心配をする。
俺は放っといたら昼を食べないのを知っているからだ。
玄関で美愛を見送って、ダイニングに向かう。
美愛はご飯を炊いて、味噌汁を用意してくれた。
おかずが無いのはちゃんと理由がある。
静かな家。
静寂の中、一人ぼっちだけど平気な俺。
「さて、今の内にやってしまうか」
作業着に着替え、庭に出る。
初夏の日差しに照らされる小さな畑は六つに区切られ、それぞれの区画に色々な野菜が植えられていた。
トマトやスイカ、とうもろこし等の夏野菜。
家庭菜園は俺の趣味で母としていた名残りだ。
もっとも母のしていたのはタイムやローズマリー等のハーブ類だったが。
「…ふう」
水やりは毎朝済ませている。
でも雑草は定期的に抜かないと油断したら大変な事になってしまう。
「帰って来た」
聞き覚えのある車のエンジン音。
自動車はバックをしながら自宅のガレージに入ってきた。
「ただいま」
「おかえり、父さん」
朝4時から釣りに行っていた父さんは車から笑顔で降りて来た。
トランクからクーラーボックスと釣り竿を下ろす。
今日の釣果は上々だったみたい。
本当は俺も行く予定だったが、昨夜美愛からの連絡に急遽キャンセルしたんだ。
「釣れた?」
「まあ見てくれ」
「凄い!」
クーラーボックスを開けると、中にはカサゴの他に、数種類の魚が入っていた。
特に目をひく二匹の魚、50センチ近くある。
「これはアジ?
にしても大き過ぎる…」
「マアジだよ。
これ程大きいのを釣ったのは久しぶりだ」
父さんは笑顔で教えてくれた。
今回は大物狙いの仕掛けを用意していたから狙い通りの結果が嬉しいんだ。
「俺もこんなの釣りたかったな」
「相談が優先だ、美愛ちゃんまだ居るか?」
「さっき帰ったよ」
「そうか、一匹は持って帰って貰おうと思ったんだけど」
「連絡してくれたら美愛を待たせたのに」
「ビックリさせたかったんだよ」
美愛の家とは家族ぐるみの付き合いがある。
お父さんも美愛を娘みたいに可愛がって来た。
色々あったけど、今はお互い元気に生活が出来てるから良しとしよう。
俺や美愛は母親という存在が消滅しちゃったけど。
「優馬、後で山内さんのところに持って行ってくれるか?」
「父さんが持って行けば?」
父さんは美愛のお父さんと仲が良い、互いの家や外の店でたまに飲むくらいだ。
「父さんは用事があるんだ」
「池田さんのところに持って行くの?」
「まあな」
お父さんは少し照れた表情を浮かべた。
池田さんは父さんの勤める会社の同僚女性。
8歳の娘を育ててるシングルマザーで、三年前から二人は付き合っている。
「優馬、昼は食べたか?」
「まだだよ、美愛がご飯と味噌汁を作ってくれてる」
「それじゃマアジをおかずに食べよう。
刺身でいいか?」
「やった!」
豪華な昼ご飯になったぞ。
美愛も父さんの釣果がここまでだと予想してなかったはずだ。
父さんはクーラーボックスからマアジを一匹掴み、家に入る。
俺は釣り道具を並べ、園芸道具と一緒に水洗いをした。
片付けを終え、リビングに戻ると新たに刺身がテーブルに並んでいた。
「旨い!」
「だな!」
熱々ご飯に新鮮な刺身、箸が止まらない。
「父さん、料理の腕がまた上がったんじゃない?」
「凄いだろ」
「凄いよ」
素直に称賛しよう。
昔の父さんは全く料理なんかしなかった。
だから母さんが出ていった時、俺達の生活は大変だった。
父さんと母さんの実家は遠くて頼れなかったので、外食ばかりになってしまったんだ。
「心の余裕かな」
「余裕?」
「ああ、気持ちが荒んでいた時は料理どころか釣りすら、やる気になれなかった」
「…父さん」
確かにそうだった。
8年前、母さんが出ていった時は…
「ところで美愛ちゃんの相談は上手く行ったか?」
父さんが話題を変える。
余り思い出したくないんだろう。
「…母親が会いたい…か」
「美愛は考えてみるって。
昔なら絶対に無かったね」
父さんに美愛の相談を話す。
隠す必要は無い。
きっと美愛の父さんは後で俺の父さんにも喋るだろう。
「そうか、山内さんにも考えがあるのだろう」
「そうだね」
美愛は母の浮気が発覚する前、明るい性格でクラスの人気者だった。
でも離婚してから、性格は一変してしまった。
塞ぎ込んで、学校も休みがちになり、たまに来てもいつも泣いてばかりで、周りの友人もどう接していいか分からず、やがて離れてしまった。
そんな美愛に俺は何をしたのか?
何も出来なかったが、本当のところだ。
まだ7歳だった俺に、母親が居なくなるという事は理解出来なかった。
でも明るかった美愛に戻って欲しくて、学校からのプリントや宿題を持って行ったり、少しでも良いから、毎日他愛もない話をしたっけ。
まさか3年後に今度は俺の母が不倫をすると思わなかった。
「家と山内さんはケースが違うからな」
「美愛の母さんは再婚をしなかっただけで、裏切った事に変わりないよ」
「それは確かにだが…」
経緯なんかどうでも良い。
美愛の母さんは離婚してから再婚をしなくて、こっちは再婚をして新しい家庭を作った。
結論として、二人の母は共に家族を捨てただけだ!
「優馬は母さんに会いたいか?」
「全く、視界に入れたくない」
「そうか」
そんな気は全然ない。
向こうも会いたくないだろう。
「父さんこそ、どうなのさ?」
「俺はアイツの意図する事が分からん」
父さんは憎むではなく、静かな目で呟いた。
「それって?」
「年賀状だよ、何回も弁護士を通じて止めるように言っても続けてるだろ。
違反金を払ってまで」
「嫌がらせでしょ?」
絶対にそうだ。
受け取りを拒否しても、写真はどうしても目に入ってしまう。
向こうは家が豪邸だろうが、俺に父違いの妹が増えようが、知りたくないのに。
…写真って、覚えてるもんだな。
「男も年賀状を止めるようアイツに言ってるそうだ」
「…へえ」
それがなんだって話だ。
自慢だろ『私、再婚して幸せ』ってアピールに違いない。
「父さんも再婚したら?」
「今は考えられない」
父さんは即答で答えた。
でも父さんは凄くモテるんで、沢山の女性に声を掛けられる。
息子の俺と一緒に歩いてる時でさえ、何回もだ。
「今は優馬を幸せにするのが父さんの役目だから」
「ありがとう」
はにかんだ笑顔の父さんに…不覚だ涙が出そうになる。
「だがな、まだ美愛ちゃんには手を出すな」
「え?」
「美愛ちゃんの父さんと、俺。
父さん同士の約束だからな…」
「う…」
全身に汗が滲む。
この後、美愛の家に魚を届けるのが憂鬱だ。