第十四話 女は歩き出す〜史佳
先日、私は念願だった娘と11年振りの再会を果たした。
今年で18歳の娘はすっかり大きくなっており、その成長を全く見られなかったのが寂しくもあった。
娘は頭も良く、私が不合格になった高校に通っているという。
私は再び家族と交流を持ちたいと言ったが、娘は許してくれなかった。
最初から簡単に進むと思ってなかったが、やはりそうなってしまうとショックは大きかった。
今までの気持ちを正直に伝えようとしたのに、娘は殆ど聞く耳を持たないばかりか、私の今までも調べており、呆れた態度まで取られてしまった。
自分のした事が娘や家族を激しく傷つけたのは分かっている、反省もした。
だが知ったような口をきく娘の姿に腹が立った。
確かに離婚後、新しい人と交際したが、娘や家族を忘れる為じゃない。
罪を犯した人間だって、人生は続く、人は一人では生きていけない。
失った幸せに見切りをつけ、新たな幸せを求めるのが、それほど悪い事なんだろうか。
絶望で廃人のようになって、残りの人生を過ごせとでもいうのだろうか。
どんな気持ちで今までを生きて来たのか、包み隠さず娘には話そうとしたのに、全く聞いてくれなかったばかりか、後日私は弁護士から再び接触禁止を伝えられてしまった。
『あの家族には情というものが無いの?』
我慢出来なかった。
ここまで突き放される事を私はしたのか?
私は反省したし、こんなにも苦しんで来た人間にする態度ではない。
元夫はともかく、私は両親の子供で美愛は娘なのに。
私は夫側の弁護士事務所にアボを取り、接触禁止を止めて貰えるよう頼んだ。
「貴女は山内さんのご家庭が今までどうされていたか、ご存知ですか?」
話を聞き終えた弁護士は少し呆れた顔で言った。
私が離婚した時、夫側で担当していた弁護士ではない。
聞けばあの時担当していた弁護士の娘だと言う。
「まだ私は日本に戻って来たばかりで、そんな時間あったと思いますか?」
「それは分かっております。
しかし、貴女は家族と関係の改善を考えておられたんですよね?」
「え、ええ」
私が望むのは改善でなく修復だ。
その事すら理解しようとしない態度に腹が立つ。
「もし山内様が再婚されていたら、貴女の行動は迷惑になります。
そう考えたりしませんでしたか?」
「あの人は…再婚したのですか?」
まさか、そんな事があるの?
それなら政志さんは私の両親と一緒に暮していてない事になる。
美愛はどっちと住んでるの?
「山内政志さんは再婚せず、今も貴女のご両親と一緒に暮しております。
もちろん美愛…娘さんも一緒に」
「…ふざけてるの?」
この人は一体なんのつもり?
いくら弁護士とはいえ、私より若そうだし、人生経験も少ないだろうに。
「ご自分の希望を主張されるのら、先に山内様の状況を調べられたらいかがですか、それからでしょう」
「もう結構です」
まともに取り合う気が無いのなら、時間の無駄でしかない。
それならば、こちらも弁護士を立てさせてもらう。
「波風を立てるような事は、お止めになった方がよろしいかと」
「貴女に関係ありません」
私がどう動こうと、こちらの勝手だ放っといて欲しい。
「聞いていた通りの方ですね」
「はあ?」
「なんでもありません」
「聞き捨てならないわね、何が言いたいの?」
私の気持ちも分からないくせに、なんなの?
「ますます娘さんとの仲が拗れますよ」
「それは…」
それは不味い。
面会の結果は失敗だったけど、それでも美愛は会ってくれたのだ。
娘は私にとって最後の砦、決定的なミスは避けたい。
「それじゃ私はどうしたら…」
「だから調べるようにと」
「…分かりました」
弁護士との話は終わり、帰る足で私は興信所に寄った。
「…ふむ」
依頼から一ヶ月後、興信所から上がってきた報告書にゆっくり目を通す。
改めて読むと、私の知らなかった事ばかり。
仕事が忙しく時間が取れなかったので軽く読み飛ばしていた。
今日から1週間の夏季休暇で時間が取れたから、報告書を元に、なんらかの行動方針を決めよう。
「しかし、どうやって?」
親しい友人と呼べる人は居ない。
昔の知り合いや友人は不倫がバレた時点で自分から縁を切った。
新しく出来た友人に不倫の過去は知られたくない。
会社の人間だって私の過去を知るのは殆ど居ないのだ。
10年以上も前に起きた不倫話なんか、誰も興味を持たないって事。
帰国した私に会社が用意してくれたのは人事部長のポスト。
海外事業部では役員待遇だったが、これは事実上の降格人事になる。
もう出世は見込めないだろう。
なにより私自身、それを望む気持ちになれない。
全て仕事一筋に生きると決めたはずだったのに不思議だ。
「…なんだかな」
こんな人生になるなら、仕事なんか程々にすれば良かった。
浮気なんかしないで、家族と暮していたなら、きっと幸せな人生を歩めていたのに。
「まあ…そんな人生を選んでたとしても、結局は後悔していたんだろうな…」
今までを振り返っても仕方ない。
そんな私の脳裏に娘が言った言葉が浮かぶ。
『自分が中心…』
その言葉は本当だったのかもしれない。
「…はぁ」
実際、美愛にそう思われていた。
報告書に書かれていたが、娘は頭も回り、友人も多くみんなから慕われているらしい。
しかも綺麗になって。
更に恋人までいるなんて……
「…川口優馬か」
優馬君は覚えている。
美愛と同じ幼稚園と小学校に通っていた男の子だったが、それだけだ。
川口家と私の家は特に親しい交流をしていた記憶はない。
あったとしても、私が覚えてないだけかもしれない。
「…写真がないから優馬君がどう成長したか分からないけど」
おそらくだが、見た目の良い男子になっているだろう。
優馬君の両親が美男美女夫婦で有名だったから。
「確か……霞さんだったかな?」
数回だが霞さんと言葉を交わした記憶がかる。
あまり化粧もしてないのに、物凄い美女で頭の回転も早く、私も少し憧れていた。
「きっと今も幸せな家庭を維持してるんだろうな…」
間違いなく、そうだろう。
「…お腹空いた」
朝から何も食べてない。
空腹だと思考が悲観的になってしまう。
「…何を食べよう?」
この近所にどんなレストランがあるか、未だによく分からない。
会社の近くなら大体把握しているのだけど。
私は昔から家事が苦手。
掃除、洗濯、料理、全て上手く出来ない。
母親に任せきりで、積極的にやらなかったのもある。
そんな事に労力を使うくらいなら人に頼んだ方が合理的だと考えていた。
結婚していた時だって、政志さんが殆ど全部やっていたし。
「…なんにも入ってないか」
冷蔵庫の中はビールとスーパーで買った酒のつまみ、後は牛乳くらいしかない。
今度こそ家事をしようと、せっかく調理器具や家電を買い揃えたのに、殆ど使わないまま。
結局外食ばかり、掃除や洗濯も家事代行にして貰っている。
「練習がてら、何か作ろうかな?」
報告書によれば美愛は料理が上手いらしい。
きっと私の母や政志さんから手解きを受けたからだろう。
次に会う機会があれば、私が料理をした物を持って行けば、話の切っ掛けになる。
鞄からタブレットを取り出し、適当なサイトから素人向きのレシピを幾つかピックアップ。
着替えを済ませ、近所のスーパーに向かう。
ここは少し値段が高いけど、品は良い、惣菜も美味しいので気に入っている。
ここなら良い材料も仕入れられるだろう。
「…えーと」
バゲットはパンコーナーで籠に入れた。
バターは冷蔵庫にあるから、最後は玉子。
でも、なんでこんなに種類があるの?
大きさや種類、値段もバラバラじゃない。
「お母さん、玉子はここだよ!」
1人な女の子が元気な声で母親を呼んでいる。
離婚した時、美愛もこれくらいの年だった。
あれから11年も経ったんだ…
「どの玉子にするの?」
「どれでも良いわよ、真奈美が好きなの選びなさい」
「はーい!」
微笑ましい親子の姿に目が離せない。
私は美愛と買い物をした記憶は無い、全部夫に頼んでいた。
「おばさん、どうしたの?」
「なんでもない…ありがとね」
私の様子に女の子は心配そうな顔で聞いてくれた。
ぱっと見では分からないが、女の子の着ているのは海外の高級ブランドね。
「……貴女は」
「はい?」
母親は私を見て言葉を失っている。
誰だろう?
凄く綺麗な人で、着ているのも女の子と同じブランドだ。少し濃いめの化粧がとても似合っている。
もしかして女優さん?
なんにしても、私の知り合いに、こんな人は居ない。
「…史佳さん」
「は?」
なんで私の名前を?
「どちら様です…か?」
「いと…川口、川口霞です。
優馬の…母の…」
「ま…まさか…」
余りの驚きに声を失った。