第十一話 美愛は紡ぐ
危ないところだった。
優馬の怒鳴り声に何かあったのは直ぐ分かったので、真奈美ちゃんを利用させて貰った。
少し悪い気もしたが、緊急事態だったので仕方ない。
今日の面会は優馬が自分の気持ちに整理を着け、先に進むには避けて通れない。
おばさんは早く過去の行いに向き合って貰おう。
過ぎた過ち、いくら反省しても時間は巻き戻ったりしない。
おばさんが再婚相手とどうなろうと知った事ではないが、真奈美ちゃんに、私と優馬が味わった苦しみをさせる訳にいかない。
長い沈黙が続く。
私から話を切り出せないし、まだ7歳の真奈美ちゃんもどうしていいか分からないのは当然。
「なあ…母さん」
「…何…かな?」
「真奈美ちゃん……可愛いよな」
優馬はさっきと同じ言葉を呟いた。
「……そ、そう」
「俺の妹だもんな、兄が妹を可愛いと思うのは当然か」
「誰が見ても真奈美ちゃんは可愛いよ」
「美愛もそう思うか?」
「もちろんだよ」
私達は笑いながら真奈美ちゃんを見る。
嬉しそうな真奈美ちゃんと対照的に、おばさんは強張った顔をしていた。
「だから母さんは真奈美ちゃんを大切にしてくれよ。
絶対に手放したりしないでくれ」
「ゆ……優…馬、お母さんは」
おばさんに優馬の言葉は伝わっただろうか。
母親からの愛情を突然断ち切られた子供の気持が。
「真奈美ちゃん、お庭に行かない?」
「お庭?」
「ええ、お庭にはたくさんの野菜や果物が植えられてるんだ」
「行く!」
真奈美ちゃんは喜んで立ち上がる。
ここは優馬とおばさん、二人にしなきゃ。
「凄い!凄い!!」
「でしょ?全部優馬が植えたんだよ」
真奈美ちゃんの上着を脱がせ、納屋から出した長靴を履かせる。
私のお古だけど、優馬は捨てないで置いてあったから良かった。
「はい帽子」
「ありがとう」
ついでに麦わら帽子も。
これも私のお古だけど、似合ってる。
「トマトって赤いのだけじゃないんだ」
真奈美ちゃんは青いトマトに興味津々。
「まだ熟す前だからね」
「熟す?」
「えーと、食べていいよって、なったら赤くなるの」
「…へぇ」
「赤いの取ってみる?」
「兄ちゃんに言わなくて良いの?」
「大丈夫よ」
優馬は収穫より育てる方が好き。
放っといたら、食べ頃を逸しそうになる。
「はい気をつけて使ってね」
「うん!」
収穫バサミを真奈美ちゃんに渡す。
小学校でハサミの使い方は教わってるだろうから良いよね。
「ほら大っきいよ!」
「凄いわね!」
大喜びの真奈美ちゃん。
初めてなのかな?
おばさんはガーデニングが趣味だったけど。
いつもお庭で優馬と一緒に…
『ママ、バジルはこれでいい?』
『ありがとう優馬、早速今夜のサラダに使うわね』
仲の良い親子、その姿は眩しかった。
優馬の家が羨ましかった。
好き勝手して、家族を捨てた私の母と違って、なのに…不倫を…
「大丈夫…?」
「大丈夫よ」
真奈美ちゃんに心配を掛けてしまった。
「お姉ちゃん…」
「何かな?」
「どうして兄ちゃんは、今までお母さんと会えなかったの?」
「それは…」
なんて答えたら良いんだろ?
本当の事を言ったら、真奈美ちゃんは両親を嫌いになってしまう。
「…真奈美ちゃんが出来たからだよ」
「私が出来たから、兄ちゃんはお母さんに会えなくなったの?」
「……それはその、コウノトリが……いや違うね」
これは難しい。
おばさんは真奈美ちゃんにどう言ってたんだろ?
「お母さん言ってたの…帰りたいって」
「帰りたい?」
「うん、兄ちゃんの住むお家に」
「へ……?」
自分本位だ、帰れるはずないのくらい分かるだろ!
「お母さんは私の事が嫌いになったのかな?」
「…どうして?」
「だって、最近兄ちゃんの話ばっかりで……」
「そんな事ないよ」
真奈美ちゃんの両肩に手を置き、しっかり見つめる。
そんな気持にさせては絶対に駄目、一生の傷になる。
「確かに優馬のお父さんと、真奈美ちゃんのお母さんは離婚したけど…」
「離婚って?」
「えーと、バイバイかな」
難しい言葉は使えないな。
「なんでバイバイしたの?」
「それは真奈美ちゃんに会うためなんだ」
「私に会うため?」
「真奈美ちゃんのお父さんは、お母さんと絶対幸せになりたかったの。
それは真奈美ちゃんに会いたかったからだよ」
「本当に?」
「本当」
と、しておこう。
「だけど…お父さんは、お母さんと最近喧嘩ばかりしてる」
「それは…なんでかな?」
不倫の挙げ句、孕ませて無理矢理奪ったからだ。
けど言えないね。
「昔はみんな仲良しだったの」
「そっか…」
その幸せは上辺だったって事。
繕うなら徹底してよ、巻き込まれる身にもなれ!
「お母さんは優馬に会いたくなったんだよ」
「兄ちゃんに?」
「なかなか会えないって寂しいでしょ?
だからイライラしたんじゃないかな?」
……苦しい、これは苦しい言い訳ね。
「…わかる、私もお祖父ちゃんとお婆ちゃんに会いたいもん」
「おじいちゃんって?」
はて、誰の親だろ?
「お父さんのだよ、今は外国に住んでて、たまにしか帰ってこないの」
「そっか」
「リタイアって言ってたよ」
「ほう……」
海外でリッチな隠居生活、金持ちは違うわ。
「お母さん、なんで兄ちゃんと早く会わなかったんだろ?」
「ここが遠いからだよ、真奈美ちゃんも来るの大変だったでしょ?」
「うん、飛行機で来たんだ」
「凄いわね」
私なんか去年の修学旅行で初めて乗ったのに。
「そっか……だから会えなかったんだ」
嘘も方便よ。
「お母さん、これでお父さんとまた仲良くなるかな?」
「なれるよ…きっと」
なって貰わなきゃ困る。
優馬のお父さんは池田さんと真剣にお付き合いしてるんだ、別れた妻にうろつかれちゃ迷惑するだろう。
「もっと野菜取って良い?」
おっと、考え込んでた。
「良いよ好きなだけ取って」
「…優馬」
声に振り返るとスッキリした顔の優馬が居た。
「母さんも真奈美ちゃんと一緒に」
「え…良いの?」
「もちろんだよ」
いいのかな?
優馬が良いなら、それでいいけど。
「お母さん、早く!」
「はいはい、待ってね」
私の隣に腰を下ろし、笑顔で収穫する2人を静かな目で見つめる優馬。
おばさんと何を話したのか。
「美愛…」
「なに?」
「俺は今も母さんを許せない」
「…そう」
当たり前よ、私だってそうだから。
「母さんは心が弱い。
だからこうなった」
「うん」
優馬は母親の実像を知る事で、ようやく気持に一区切りを着けられたんだ。
「後は父さんに任せる」
「任せるって?」
おじさんに何を任せるのかな?
「さっきラインがあった。
父さんが二人にケリをつけるって」
「それって…つまり」
「男をこの町に呼び出したそうだ」
「…まさか」
男って、おばさんの再婚相手、伊藤武左夫の事?
「母さんも覚悟を決めたって」
何の覚悟なんだろ?
離婚だけは勘弁してね、ここに戻らないにしても、真奈美ちゃんを第一にして欲しいから。
「真奈美ちゃんはどうするの?」
「明日は預かってくれって」
「分かったわ」
おじさんは一気にケリをつけるんだ。
「なんだか羨ましい」
「羨ましい?」
「私のお父さんもケリをつけて欲しいって事」
裏切っときながら、家族にすがる母は本当に気持悪い。
母をどう考えてるか、お父さんの気持ちが知りたくなった。