第十話 優馬は母に
母と二人で話をする。
俺の決断に父さんは静かに頷く。
美愛は何か言いそうだったが、俺の決意は揺るがないのを理解してくれた。
「分かった」
最後にそう言ってくれた。
2日後、父さんから弁護士を通じて連絡を受けた母さんが我が家にやって来た。
隣には真奈美ちゃんの姿も。
「兄ちゃん!」
「やあ」
俺の姿を見た真奈美ちゃんが駆け出す。
どうやら母さんから怒られたりは無かったみたいだ。
「…優馬、久しぶり…すっかり大きくなって」
「そうだね」
8年振りに見る母さん。
少し年を取ったけど、記憶にある姿とあまり変わってなかった。
「まーなみちゃん」
「あ、お姉ちゃん!!」
俺の後ろから美愛が姿を表わす。
真奈美ちゃんは嬉しそうに美愛に手を振った。
「み、美愛ちゃんなの?」
「…お久しぶりです」
美愛の目が怖い。
怒りが滲み、凄みまで加わり俺でさえ怯んでしまう程だ。
「お姉ちゃん…怖いよ」
「あらごめんなさい」
真奈美ちゃんが怯えてしまった。
母さんとの話に加わらない代わりに、真奈美ちゃんの面倒を見させて欲しいが美愛の条件だった。
「それじゃ終わったら呼んで」
「分かった」
美愛は真奈美ちゃんを連れ、二階にある俺の部屋に行った。
「まあ座ってよ」
「え…ええ」
母さんはダイニングテーブルに着く。
お互い緊張しているのが伝わり、言葉がなかなか出ない。
「…お庭」
「ん?」
ポツリと母さんが呟く。
何を言うんだろうか。
「お庭…ちゃんと管理してるのね」
「うん、ハーブとかはしてないけど」
「そうね、立派な野菜達だわ」
「ありがとう」
リビングの窓から庭が見える。
母さんと庭いじりをするのが好きだった。
一杯汗をかいて、草を毟り、次はどんなハーブを植えるか相談するのが楽しかった。
今は野菜、美愛の料理に使って貰う為だ。
「母さんは今はどんなハーブを?」
「もうやってないの」
「そうなのか」
意外だ、ガーデニングは母さん一番の趣味だったのに。
「優馬は続けてたのね」
「母さんが居なくなってから、しばらく放置してたけど」
「ご…ごめんなさい」
母さんは俯いてしまった。
別に責めるつもりは無かったんだけど。
「立派な畑だろ?
母さん言ってたよね、土を育てるのは植物を育てるのと同じくらい大切だって」
「…言ったわね」
「収穫より、うまく育てる方が楽しくてさ」
「そ…そう、本当にごめんなさい」
ダメか。
何を言っても、ごめんなさいばかりだ。
ちゃんと自分の気持ちに区切りをつけたいから、今日は呼んだのに。
「なんで年賀状を毎年出したの?」
「…え?」
こうなれば年賀状の話から切り込んでいくしかない。
いきなり浮気の事から始めたところで、お互い冷静では行かないだろう。
「だって、他に連絡が出来なかったから」
「それは、そっちが面会を放棄したからでしょ?」
「違う!
私は同意してなかったわ!!」
「か…母さん」
テーブルに手を着き、勢いよく立ち上がった母さんが叫んだ。
「落ち着いて、そんな大声出したら二人が降りて来ちゃうから」
「…そうね、ごめんなさい」
まあ降りて来るのは美愛だけだろうけど。
それにしても母さんは謝ってばかりだ。
「私はここに居る…元気にしてるのを知って欲しくて」
「そう…か」
そんなの知りたくもなかったけど、今は黙っておこう。
「なんで家族写真を?」
「あの男がこれなら出して良いって、でも直ぐに止めろって自分勝手よね」
あの男って、きっと母さんの浮気相手…いや今は再婚相手か。
だが自分勝手は母さんもだ。
「こっちの気持ちを考えた?
俺達は母さんを忘れるのに必死だったんだ」
「…忘れて欲しく無かったの」
「なんだよ…それ?」
「…あなた達に忘れられたら、もう帰れない…幸せだったこの場所に…」
母さ……いや、この人は何を言ってるんだ?
全く理解できない、これは狂人の戯言だ。
「それなら、なんで浮気したんだよ」
「おかしくなっていた!
私はあなた達を捨てる気なんか無かったの!!」
「…ふざけるな」
実際裏切ったじゃないか。
父さんを裏切ってクソ野郎に身体を許して、何が捨てるつもりはだと?
…落ち着け冷静にだ、美愛のように…
「おかしくなっていた……本当に自分を見失ってたの」
「…そっか」
言い訳にならない。
覚悟もなく、欲望のまま行動しただけ。
なんて事はない、美愛の母より質が悪いと改めて分かった。
「結果として捨てたんだよ」
「ち…違う、私はあの男に騙されて」
「騙されたとか洗脳とか、そんな責任転嫁は要らない聞きたくない」
「でも……」
「思い出してくれ、あの日まで普通に暮していたんだ。
俺や父さんに全く気づかせずにね」
「…苦しかった、いつかバレてしまうんじゃないか……そうなれば終わりになるって」
怯えていたと言いたいのか……
「とっくに抱かれて終わってたのにか?」
「………う」
金に目が眩んで、もう家族として終わっていたんだ。
それを隠していたのは悪質でしかない。
「あの子さえ妊娠してなければ私は!!」
「もういいよ」
「優馬……」
「もういい、帰って……」
なんだよ、妊娠してなければって。
真奈美ちゃんをなんだと思ってるんだ?
あの子を愛して無かったのか、だから俺も捨てたのかよ…
「お願い!まだ」
「だから帰……」
「ちょっとごめんなさいね」
「え?」
突然リビングの扉が開き、中に美愛と真奈美ちゃんが入って来た。
「真奈美ちゃんが喉渇いたって」
「そうなの……真奈美?」
「う……うん」
頷く真奈美ちゃんだけど違うな。
これは美愛が言わせてる。
「ほら真奈美ちゃん」
「…わーい、おいしそう」
美愛は真奈美ちゃんを母さんの隣に座らせ、冷蔵庫から出したレモネードをコップに注いだ。
「おばさんもいかが?」
「わ…私はいいわ」
「遠慮なさらず」
美愛は構わずコップに注ぎ母さんの前に差し出した。
「…母さんとおんなじ味…」
「まさか?」
レモネードを飲んだ真奈美ちゃんが驚いてる。
母さんもレモネードを口に入れた。
「なんで?
これは私が作ったのと同じ…」
「このレモネードは美愛が作ってくれた手製なんだよ」
「……本当なの?」
美愛が再現してくれた母さんのレモネードだ。
「はい…6年前に優馬が風邪ひいた時、うわ言で言ったんです。
母さんのレモネードが飲みたいって」
「…そうだったの優馬?」
「忘れた」
「言ったよ?」
覚えてない、でも言ったんだろう。
「おじさんにも協力して貰って再現したんですよ。
大変でした、いろんなレシピを調べて、何十杯も飲んで。
私も、二人共お腹を壊して」
「…そうだったんだ」
どうやって再現できたか今まで知らなかった。
父さんは美愛がたまたま作ったのがこれだったって言ってたのに……
「真奈美ちゃん、お母さんの考えたレモネードはおいしいね」
「うん!!
私も風邪ひいた時は必ず、作ってくれるんだ!」
真奈美ちゃんの笑顔に心が引き戻されて行く。
『優馬大丈夫?
ほら温かいレモネードよ』
あれは母さんが出ていく少し前、風邪をひいた俺に作ってくれたレモネード。
人肌に温められて、いつもよりハチミツが多くて……
『おいしい?』
『うん、ありがとうママ!』
『早く良くなってね』
そっと母さんは頭を撫でてくれた。
あれも打算だったのか?
違う!そうじゃなきゃ、俺は未だにこう呼んで、認めているのはおかしいじゃないか……
「…母さん」
「ゆ…優馬」
「書いたと思うけど、真奈美ちゃんは可愛い俺の妹だから」
俺は再び母さんに向き直った。