第一話 美愛の悩み
「お母さんが私に会いたいんだって」
「へ?」
日曜日の朝。
優馬の自宅に赴いた私は彼の部屋に入り、早速話を始める。
同い年の彼は近所に住む私の幼馴染。
その付き合いは幼稚園から始まり、高3の今に至るまでずっと同じ、そして5年前から私の恋人だ。
「相談ってそれ?」
「まあ…うん優馬にしか言えないの、気持ち良い話じゃないのは分かってるけど」
困った顔で優馬は私を見る。
彼の家庭事情も複雑だから申し訳ないけど。
「いつ聞いたの?」
「昨日だよ、晩御飯の後でお父さんから」
「そっか…」
それでも、ちゃんと話を聞いてくれる優馬は優しい。
彼は私の家の家庭事情に詳しいから気兼ねなく話せる。
「正式に美愛と面会したいって事だよな?」
「そうよ」
「なるほど…」
私が、お母さんと10年以上会ってない事は優馬も知っている。
「おじさんは?」
「私が嫌なら断って良いって」
「…そうだよな」
お父さんはそう言ったが、今回は簡単に断る気にならない。
昔なら直ぐイヤだと言ったけど。
お母さんがお父さんと離婚した理由は知っている。
お母さんの不倫が原因だ。
なにしろ私は11年前、お母さんが単身赴任していたマンションの部屋で、浮気相手と帰って来た所をお父さんと見てしまったんだから。
「美愛のお祖父さん達は?」
「無理はしなくて良いって」
私はお父さんと、祖父母の4人で住んでいる。
おじいちゃん達は母の両親でもある。
元々お父さんはおじいちゃん達と仲が良かった。
だからお母さんの不倫が分かった時、おじいちゃん達はお父さんに味方をしてくれ、娘である母との縁を切った。
お陰でお父さんは私の親権を取る事が出来た経緯があった。
「おばさん、日本に帰ってるのか?」
「らしいね」
母は不倫がバレた後、すぐ浮気相手と別れて家族の元に帰ろうとした。
だが、お父さんは再構築を拒み離婚となった。
私が母を拒んだのもあるだろう。
あんな浮気現場を見せられたら、当然だ。
一人ぼっちになった母は地元に帰らず、転勤先に留まった。
帰って来ても近所から白い目で見られ、針の筵になるのが予想出来たからだろう。
そのまま元の職場で働き続けた母は降格を乗り越えてキャリアを重ねた。
今では海外支店の支店長という結構な立場になったらしい。
どうでも良いが。
「まだ憎いか?」
「憎しみは…まだあるけど」
「だよな」
優馬は溜め息をついた。
私の憎しみは年月の経過と共に薄れつつある。
だけど今も許す事は出来ない。
母から今まで何度か面会の要請があった。
でもずっと私は拒否してきた。
今回は5年ぶりの面会要請なのだ。
「おじさん達とおばさんは今も交流あるんだな」
「そうみたいね、弁護士を通してだけど」
お母さんからの連絡は全て弁護士を経由してだ。
私の写真位は渡しているかもしれないが、それはどうでもいい。
数年前まで私宛の手紙を預けられて来た事もあったが、一度も読まず突き返して貰った。
あの頃は心の傷がまだ深く大きかった。
「養育費は払ってるんだろ?」
「おそらく」
その辺りの詳細は知らない。
でも連絡をして来るんだから、役目は果たしているだろう。
「俺、美愛のおばさんって余り覚えてないからな」
「だよね、忙しい人だったし」
母は大学を出てからずっと仕事に生きた人だった。
幼い私の記憶にあるのは、朝早くから仕事に行き、夜遅くまで働いていた姿。
それでも私は母が好きだった。
たまの休みには遊んでくれたし、一杯甘えさせてくれた。
笑顔の絶えない家庭だった。
本当に幸せな……
「あっちが会いたいって話なら、考えても良いんじゃないか?」
「そう?」
優馬は静かな目で言った。
「家族を捨てて行った奴が不幸になるって話はよく聞くけど、実際は願望だよ」
「…そうね」
優馬は自分の母親の事を言ってるのだ。
彼の母親も8年前に不倫に走り、家族を捨てた。
もっとも優馬の母は親権も手放し、慰謝料と養育費を一括で支払うと、浮気相手と再婚をして縁を切った。
優馬の母親が浮気した相手の実家は結構な資産家らしく、金に靡いたって事だろう。
記憶にある優馬の母親は凄く綺麗な人だった。
優馬のお父さんもカッコよくって、美男美女の人目を引く夫婦だった。
その遺伝を引き継いだ優馬の容姿は言うに及ばない。
母親に捨てられた優馬の心の傷は、私より大きかっただろう。
「子供も出来て、幸せに暮してるらしいよ、毎年わざわざ家族写真つきの年賀状まで送って来るし」
「神経疑うわ」
「…だな、毎年破って捨ててるけど」
息子を甚振ってるのだろうか?
幸せな家庭をアピールするなんて、悪魔の所業だ。
「だから俺の母親よりマシって事だよ」
「う~む」
マシだから会うってのも違う気がする。
「なんにせよ、最終的に決めるのは美愛だ」
「…うん」
それは分かってる、こうして話すだけで気が楽になる。
本当に優馬の存在は助かる、共依存かもしれないけどね。
「お父さんに母さんの事情を詳しく聞いてみる」
「それが良いよ」
「今日はありがとう優馬」
そっと優馬を抱きしめる。
こんなに優しくって、気遣いも出来る優馬を棄てるなんて、信じられないよ。
「…ん」
そっと彼に口づけをした。