○第五条○大人
雇い主は状況が理解できていないのか、メイアと突然乱入してきた男を代わりばんこに何度も見つめると、やがてその視線はメイアの握っているネクタイピンに向いた。
「貴様!メイア!どっからそんなもん持ってきたというんだ、金属じゃないか。なぜ言わない、メイア!まさか盗んできたんじゃないだろうな?さあ、叔父さんに見せなさい」
そう言って雇い主がそのネクタイピンに手を伸ばす。どうせ屁理屈を並べ立ててネクタイピンを取りたいだけだ。メイアは身軽にかわす。
「何が盗んできただ、ふざけるな!ーー『ヴァイキング』の街のくせに」
そう彼が言うと、『叔父さん』の動きが止まった。明らかに『ヴァイキング』という文字に過剰に反応していた。顔には驚愕、不安、恐怖の色を宿していた。
「来なさい」とメイアに行って、彼は納屋の奥へとずんずん歩き出した。メイアでさえ一度もはいったことがないところだ。絶対に行ってはいけないところだ。子供たちが騒ぎを感じて、作業は中断せずとも、食い入るようにこちらを見つめている。
慌ててメイアもついていった。
張られた布を避けて、、扉を開けて、梯子があった。それは下の船小屋に続く梯子だった。そこには、お父さんの漁船が浮かべてあるはずのーー。
「見せなければ、いいと思っているんだ。見せなければ何もわからないと思っている。侮っているんだ」
我に帰った『雇い主』が、血相を変えて追ってくるので、メイアは急いで梯子を降りる。立てかけられてある黒板。オール。水路を跨いだ向こう側には杭が打ってあって、繋げられた漁船がーー。
「何これ」
それは船に見えた。
しかし少し違った。船首が曲がっていて、縦に細長くて、そして、一番に、船底が浅い。人の膝小僧くらいまでしかない喫水の浅さ。漁業より、どう考えても、速度を出すためだけの船。
「ロングシップ。盗賊のための船だ。獲物に素早く到着し、略奪し、素早く脱出するための、そのための船です」
|盗賊〈ヴァイキング〉。
13世紀ごろまで北ヨーロッパに多大な影響を与えていた武装集団である。彼らは農耕をすることももちろんあったが、やはりその本業は略奪であった。
時代が進むうちに、その姿は歴史から影一つ残さず消えたはずだったがーー。
彼は続ける。
「市場にいた連中。盗賊が堂々と街中に入って来れるという事実。正常に機能しない行政。盗賊とこの街は癒着しているんです」
「嘘つくな!おいメイア、騙されちゃあならないぞっ、こいつのいうことは嘘っぱちだ。ロングシップ?少し確かに船体は長いが、漁船だろうこれは」
「その船底の浅さでどう漁をするというんだ」
「うるさいそういうこともある!黙れっ!メイア、いいから叔父さんを信じなさい!」
大袈裟に手振りをして『雇い主』は叫ぶ。それに彼は静かに、しかし確かな激情に裏打ちされた声音で続ける。
「嘘をついているのはあなただ。どれだけうまく隠してもいつかバレる。相手が子供だったからといって関係ない。そこに声なき声が、流れぬ涙がある限り、それは必ず明るみに出るんだ」
『雇い主』は後退りする。目は泳ぎ、脂ぎった肌にさらに脂汗を流している。彼の気迫に気圧されたのだ。しかしまだ言い募る。
「でもーー」
「でもじゃない。そうじゃないとどうしてこんな目に合う子供がいる道理があるんだ。いもしない魔物の見回りなんていって多額の報奨と、『みかじめ料』をせしめているんだろう。だからこの文明レベルにあって下水道の一つもできていやしないんだ」
「おいメイア!騙されるな!叔父さんの言うことを聞け!大人の言うことを聞いていればーー」
「良いことはないっ!!」ビリビリと、壁が震えた。メイアはぶわりと鳥肌が立って、少し世界が明るくなって、
視野が、一つ広がる気がした。これが、本物の声なのだ。
「大人のいうことを聞いても幸せにはならない!何故なら君を幸せにするのは、君しか出来ないからです!君は、君が幸せにしなければならない!君しか君を救うことはできないんだ!大人は強いが、何も出来ない!君は弱いかもしれない、でも君は、何でもできる!何故なら!」
そういうと彼は黒板の方に向き直った。そして拳を握りしめる。
「君を縛るものなど、生まれた時から、何一つ!存在しないからだっ!!」
それは、長年メイアを縛っていたもの。家族。大人。借金。
そして自分の賢さ。そして弱さ。
彼が言ったのは、多分、その全てなのだと思う。
そして、彼はおおきく振りかぶって、その拳で、黒板を粉々に破壊した。
それを見て、溢れる涙は止まらなかった。メイアはようやく、自分から涙を流すことが出来た気がした。この男こそが、本物の大人なのだ、と思った。
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