はとびーむれいんぼう
「はとビームレインボーォオオ!!!」
ビームと名を冠してはいるものの、その実際はただの頭突きであった。
とにかく、フウラ・ウイと言う名前の成人男性の意識は、ほぼ確実に己よりも年若いであろう魔物の少年によって阻害されていたのであった。
「……ンで」
謎のプリンセス……? に膝枕をされているウイのことを心配そうに見つめている隻眼の碧眼があった。
「我がロヒカルメ小隊に急患が担ぎ込まれてきた、と」
「そういうことじゃよ」
上司と思わしき少女に向かって別の少女がにやにやと笑いかけている。
「モネ小隊長」
と呼ばれている美しい少女が湿度の高いため息を吐き出している。
「こまったなぁ……」
モネは牛のような獣の耳を自らの肉体の一部として、当然の事として動かしている。
モネにとっては不安を表すボディランゲージであるらしい。
耳の動きだけではなく表情全体から憂いが見てとれる。
しかしながら憂慮に沈む彼女とは相対的にウイの心はいたって平静を保てていた。
なんと言ってもモネや、あるいはもう一匹のヒーラー(治癒術を専門としている魔物の事)と思わしき可憐な少女。
現状、視界に確認できる範囲に存在している他者に人間は含まれていないようである。
ウイは己に静かに繰り返し言い聞かせている。
大丈夫、大丈夫。ここに人間は一人も存在していない。
「ええ、はい、その通りです」
ウイの思考に返事をする、男の低い声が彼の頭上から降り注いできていた。
「人間は全て滅びましたよ」
「そいつは結構、実に結構」
お気に入りの歌である「デイジー・ベル」でも歌いたくなるような気分である。
が、残念ながら歌っている場合ではないようだった。
「嗚呼、なんと言うことだ」
ウイは、ものすごくわざとらしく悲嘆にくれるフリをしている。
「おぞましい「魔王」の軍勢の調査に挑もうとしたら、よもや敵陣の主格そのものに引っ捕らえられてしまうとは!」
「そんな無理して下手くそな演技をせんでも大丈夫ですよ」
モネがウイの事を気遣っていた。
「長々とお話しするようなタイプの方でも無いやろうし、サクッと本題に進みましょうか?」
地面に近いところで這いつくばるようにしている、そんなウイに向けてモネは椅子に座りながら質問をする。
「我が魔王の作りしダンジョンを攻略し、我ら王の配下は貴殿を真に称賛する」
必要最低限の演技力しか搭載していないそれらの台詞は、まるで祝詞のようでとても不気味であった。
「まあ、ようするに……」
モネは上半身に巻き付けているホルダーから拳銃のような武器を取りだし、特に躊躇いもなく銃口をウイに向けている。
「残念ながら貴方は蟻地獄に引っ掛かってしまったんよ」
…………。
事態の説明を行うためには、まずもってこの世界の成り立ちについて理解を深めなくてはならない。
「ええ~」
取り押さえられたままのウイが不満げな声を漏らしている。
「歴史の授業とか興味ねぇんだが?」
「まあまあ、そんなイケズなこと言わんといてや」
モネはウイをそれとなく説得している。
「かつての侵略戦争については……」
モネは牛のような耳をピクリ、と動かして軽く思慮を巡らした。
「あー……まさかあなたに「わざわざ」、それを説明する必要性も無いでしょうね」
「おや?」
ウイはようやく少し相手への意外性を見いだし始めていた。
「久しぶりに初対面で俺の種族の特徴を見いだされたよ」
「一応、そっち方面の専門家として日銭稼がせてもらっとりますんで」
そっち方面、とは言わば魔界の深い部分に繋がる道筋のこと。
取り分けこのフウラ・ウイと言う名前の個体がもつ魔物としての情報はかなり特殊と言える。
「さて」 モネが続きの要求を行おうとしたところで。
「エルフの森に火炎放射器~♪」
聴くもおぞましい歌詞をなんとも可愛らしい声で歌う、おそらくは魔法使いであろう、黒髪の美しい少女が場面に現れていた。
「おいおいおいおいおい」
真っ向からの喧嘩売りにさすがのウイも面食らってしまっていた。
「ずいぶんと懐かしいプロパガンダソングだなオイ」
プロパガンダ、という言葉に同じような黒髪をもつ、これまた美麗な男性が反応を示している。
「エルフの大量虐殺から既に百年あまりが経過しておりますよ、ミスター」
なんの前触れもなく規格外な年数が登場してきた、が。
「オーマイガー! そんなに時間が経ってんのかよ。そりゃ俺も年取るわけだ……」
ウイは特に違和感を覚えるわけでもなく、ただ己の日常の一部分としてその年月をさらりと受け流していた。
むしろ、雑貨屋併設カフェ「トットテルリ」にたむろする不良少女、もとい魔法使いの少女たちの方が戸惑いを隠せないでいるようだった。
「どど、どうしましょう……」
よりにもよって一番動揺を決め込んでいるのは黒髪の美少女であった。
「ホントの本当に、「それ」で間違いなさそうな雰囲気でございますよ」
「カマ掛けた本人がいの一番に怯えたらいかんじゃろ、シズク姐さん」
アンジェラは黒髪の彼女の事をシズクと呼んでいた。
シズクと言う名前の少女はネコ科系統の魔物らしく、黒猫のような耳をピクピクと快活そうに動かしている。
「ですがアンジェラさん……」
シズクは後輩の魔法使いにオドオドと問いかけている。
「あの、伝説の「エルフ族」が今、ぼくらの目の前に生存しておられるですよ!」
「まあ、確実に死んではいないかな」
ウイはいよいよ謎の男性の膝枕の上で本格的にくつろぎ始めていた。
「ご覧の通り」
ウイが自分の事情を雑に解説している。
「か弱いエルフが弱々しく弱っているんだよ」
その割には優雅さが満ち溢れ過ぎている気がする。
ルイはそう思ったが、あえて言葉にする必要性は無いと判断した。
「と、まあ、当然のごとくこんなところに迷い込んだと言うことは、迷宮の深奥に眠る大魔王にお願い事をしに来た。と言うわけなんだが」
ウイが改まって頼みごとをする。
「神様を殺してほしいんだ」
今から十六年前の事だった、戦争が終わったのだ。
「長ーーーい、戦争だったよ」
ウイが頭のなかで思い出している、戦争についてのいくつかの事柄。
「タイトルは数多く存在していても、根底に流れている理由は全部一緒だった。
人間と魔物が互いの生存圏をかけてひたすら戦争をし続けていた」
元をたどれば現代の魔物の祖先が暮らしていた原始の御伽世界へ人間界から異世界転生してきた存在。
それがこの御伽世界における「人間」と認識される者たちの祖であった。
「彼らはとてもすごい科学技術をこの世界にもたらしました」
ウイの過去回想にシズクがにゅるりと参加している。
「お陰さまで魔物の生活水準は鯉のぼりもひっくり返るほどの急上昇を果たした、訳ですが」
シズクは演技のような仕草でフゥ、とため息をついている。
「その結果石と棒で戦っていたはずの魔物たちは一気にサイエンス・フィクション並のスペクタクル戦争に巻き込まれていく羽目になった。と言うわけですが」
「嫌に否定的な姿勢だな?」
戦火の記憶も熱病も冷めやらぬ。
そんな世の中にしてみれば、この御伽世界はかなり治安が安定しているように思われる。
少なくとも二千年代前半のアジアのとある島国に類似した治安が保たれている。
「ざっくりまとめるとしたら先達の苦労のお陰ですよ」
一見してウイの存在を尊敬してるかのように思われる。
だがしかし、実際のところシズクがつらつらと語るそれらはただの事実報告でしかなかった。
「警告! 警告! 警告! 警告!」
町がとてつもなく騒がしい。
「因果交流回路」と呼ばれる現象が支配する土地。
可能な限り単純な表現をするとすればダンジョン、あるいは大迷宮と呼ぶべき土地。
そこに大きな怪物が現れていた。
スライムと言えば聞こえがいい、良すぎると言っても差し支えないほどだ。
ゲルとゼラチン質の狭間の質感をまとったなだらかな人の形がひとつ、町の最中を我が物顔で闊歩しているのであった。
「運が悪かったですね」
ウイのことを慰めようとしているらしい。
「いや? 運が悪い、と言うべきでしょうか? 悪運は今まさに、ウイさんの頭上から振りかけられているわけですし」
「どうでもいいこと気にしとらんと」
呆れを少し顔に滲ませながらモネがシズクに指示を出している。
「緊急封鎖は既にほぼ完了済み、自分等にも早速討伐依頼が舞い込んで来とるよ」
討伐とはつまり?
ウイはさして思考を動かすこともなく、難なく合点を行き届かせていた。
「水曜日殺しかぁ」
この世界、魔物たちの世界。
本来ならば人間が暮らしていないであろう場所。
御伽世界と呼ばれるこの場所には「水曜日」と呼ばれる怪物が存在している。
一週間の内の1日を指す意味合いの言葉だが、魔物たちにとっては己の生活を害する巨大な化け物を意味する言葉として馴染みが深い。
「少し昔」
ルイの声がどこからともなく聞こえてくる。
「十六年前に巨大な爆弾が、水曜日に爆発した。その影響、忌まわしく、悲しみに溢れた記憶が「水曜日」という言葉に強い嫌悪をもたらすことになった」
こねこねこねこね、とやたら蠱惑的な声にて解説をするのは謎の造形になったルイの姿である。
「えーっと?」
ウイが若干の気まずさを込めつつルイ……らしき物体に質問をしている。
「確実なる失礼を承知かつ覚悟の上で言わせてもらうが宜しいか?」
「どうぞ」
「その格好は何かの冗談なのか?」
いかにも冗談臭い姫君の出で立ちであった。
なんとも可愛らしい、いじらしい黒い小鳥のような姿。それが現状の姫君の御姿なのである。
「お労しい、とでも言うべきか?」
ウイの気遣いにルイは羽毛のような質感に包まれた胸元を不満げに膨らませていた。
「失礼だね。これはわたしの気合いの一張羅だよ」
「一張羅と言うか全裸じゃね? 獣そのまま衣服皆無にしか見えないんだけど?」
もちろん御伽の世界、幻覚などで仮初めの姿を作ることも可能ではある。
とはいえ。
「そも、わたしが如何様な姿であろうとも、この世界に何ら意味は存在していないのだ」
重要なのは、目の前の殺しあいただ一つのみである。
「警報行き渡りましたかね?」
シズクが後輩であるアンジェラに確認を取っている。
「然れば、ぼくはもう、……もう、暴れたくて仕方がありません」
姫君護衛兼、大迷宮探検を担う魔法使いの小隊。
彼女らが担うクエストの主たる部分は狂暴で危険な人食い……もとい魔物を食らう存在「水曜日」の駆除である。
暴れ狂う水曜日のその姿は巨大なスライムのように不安定であった。
「危険はあまり多くないようですね」
シズクが目を少し細めて「水曜日」の具合を遠目に確認している。
猫を基軸とした物語に由来する魔物であるが故なのか、シズクはかなり視力に優れているようである。
「油断は禁物だよ、シズクちゃん」
楽観思考に向かいがちな同僚をモネが滑らかに諌めている。
「彼方のあれは、基本的に自分等の常識の範囲外だから」
「ええ、ええ。分かっているつもりですとも」
油断禁物。
ざっくりとした方針のもと、魔法使いたちが駆除作業に移行する。
しかしまがりなりにも大迷宮に巣食う異形の存在である、人の肉体では到達が困難を極めるであろう場所を占領している。
それは。
 




