絶、初恋泥棒 その2
鳥の怪獣であった。
カラスのように真っ黒な羽毛が臼ぐらい日光に照らされて煌々とした存在感を放っている。
くちばしはあまり尖っていない、梟や猛禽類などが保有する丸みを帯びており、くちばしの先は仄かに白みを帯びていた。
「!」
ルイだったもの、鳥の怪獣に変身したその姿は翼を大きく広げて飛んできたナイフへと襲いかかる。
ナイフ、読んで字のごとくまさしく刺客によるもの。
そして当然のごとくここは魔界であり……。
「そう、ここは魔物の巣窟、魔王のお庭……」
シズクは武器を構えながらぶつくさ何事かを苦悩している。
「であればこそ、唯一の姫に魅了されることは必然の当然」
「恋敵があわよくば自動的に殺害されるであろうチャンスに酔いしれとるところ悪いけど」
モネが仕事の部下であるシズクのに目配せをしている。
「職務怠慢はヨユーで処罰するから、そのへんはご理解しといてよ」
「ええ、ええ……もちろん」
逆らえば、恐らくモネは本気で自分のことを殺すのだろうとシズクは単純に想像することが出来ていた。
モネは決してシズクのような快楽殺人をしない、殺しは基本的に彼女の趣味ではない。
とはいえ、仕事となればそれなりに殺害を可能とする。魔法使いとしての職務意識はむしろ気分屋なシズクよりも遥かに優れている。
それに、アンジェラもシズクを殺しにかかるだろう。
彼女もあくまでモネに使えている身、シズクの優先順位はモネよりも下でしかない。
身内を殺す、という状況への対応はアンジェラの方が上。
さすがに殺しの才能に溢れたシズクであろうとも、戦闘行為に特化した魔法使いの魔物二匹を相手にするのはいささか分が悪すぎる。
と言うより、そもそもシズクもむやみやたらに貴重な友人を傷つける気はない。
なので。
「我らが唯一の姫君の御身のために」
魔法使いは魔法を捧げる。
と言うわけで。
「情報検索はスピード命」
モネは右目のゴーグルを調節し、奥に隠す高機能義眼の索敵機能を起動、操作する。
かつての戦争、魔物の肉体を兵器として改造する技術、モネが使用する義眼はその一部分であった。
極限にまで到達してしまった科学技術、生命体のサーチ能力は実に見事なものである。
遠洋漁業用のレーダーサーチによくにた記号的情報が義眼を通じてモネの視覚に付与される。
「う、ぅ」
情報の供給過多にモネはめまいを覚える。
痛みにも通ずる不快感。
幾度となく義眼を使用してきた、科学の極地がもたらす弊害にも慣れてきたつもりである。
とは言うものの。
「痛いもんは、痛いんやけどね……っ!」
眼窩を中心に体の内側、粘膜がジュクジュクと焼け爛れるような不快感。
その向こう側に検索結果が現れる。
機械的なアナウンスのもと、義眼を通じた視覚に敵の姿がサーチされる。
「見つけた!」
モネは言葉を発すると同時、あるいは口よりも遥か先に手を出していた。
武器を構えている。
背中に密着する姿勢で携帯しているライフル銃に似た武器。
「M1ガーランド」と言う名の武器に類似したそれをモネは素早く構え、引き金を引いた。
狙撃に適した武器ではない、とはいえ持ち主がある程度操作すれば多少の自由は効いてしまう。
足りないはずの飛距離まで計算しつつ、モネは義眼の照準に合わせて敵を撃ち抜いた。
敵は海面から覗く小さな瓦礫の先端に構えていたようだった。
弾丸が、肉体のどこかに命中したようだ。
「がぁ!」
遠くに聞こえる悲鳴。
続いて痛みに悶え苦しむ喘鳴。「
「ぐふ、うぅ……ぅあ……っ?」
まさかこのような安全地帯で高性能の狙撃を食らう羽目になるとは。
打たれた側の魔物はうめき苦しんでいる。
音だけが確認できている。
「地獄にエルフ耳ってね」
アンジェラの言い回しにルイが首を小さくかしげる。
「そのような諺が存在するのですか?」
「せえへんよ。たった今、ナウにウチが考えただけのしょーもないオリジナルじゃよ」
「そうですか」
この瞬間、アンジェラにとってもっとも重要視すべきなのは聴覚から得られる微かな情報だった。
モネの義眼で捉えなくてはならないほどに隠匿された存在。
悲鳴を聞き取れば、あとはこちらの領分であるとアンジェラは杖を構える。
「シズ姉さん!」
アンジェラはシズクに要求をしている。
言語を極端に省いたコミュニケーションは既に魔法使いたちの間である程度のルーティーンと化していた。
「了解しました」
シズクは体内に魔力を巡らせる。
魔力の感覚は血液の動作にとてもよく似ている。
興奮すれば血流が激しくなるように、ある程度肉体の持ち主の意向に基づいて操作することが可能である。
シズクの魔力が持つ性質は林檎にまつわるエピソードを基準としている。
かつてアイザック・ニュートンが重力について著したいくつかの論述。
魔界においてはもはや伝説にも等しい立ち位置となっているかつての科学。アイザック・ニュートンと言う伝説につきまとう確固たるイメージ、それが林檎の落下である。
「とどのつまりは重力を基本とした魔法じゃの」
「要約ありがとうございます、アンジェラさん」
後輩であるアンジェラに感謝をする。
シズクはフハッフハッ、とかなり癖のある息づかいをしている。
そうしないと魔力の想像がうまく出来ないようだった。
延々と紙の上に絵をと文字を書き記し続ける。と言うのがシズクの魔力運用のイメージらしい。
場合によってはまあまあ苦痛を感じさせる心象風景ではある。
ともあれ、シズクの重力魔法によりアンジェラは敵の上方へと躍り出た。
「いただき」
アンジェラは杖を構えている。
烏のくちばしのように長く尖った杖の部分を、アンジェラは情け容赦躊躇いも何もなく敵、の可能性がある存在に叩きつけようとする。
杖のくちばしが相手の骨を打ち砕こうとした、その刹那。
「クソがぁ!」
やられてしまう寸前、相手側が最後の抵抗を苦しそうに、苦しそうに、辛うじて実行していた。
「セオ!!!」
アンジェラに殺されそうになっている、彼に名前を呼ばれたセオがすぐに身を翻していた。
かなりの速度、ルイもついうっかり取り逃がしてしまうほどの勢いがあった。
鯨の鳴き声のような音、それがセオの持つ魔力の気配であると言うこと。
その事実に魔法使いたちが気づいた頃には、既にセオの魔力によって周囲に大嵐が巻き起こされていた。
……。
少し後になって、ルイたちが居た場所に局地的な暴風警報のようなものが発令されていたようである。
実際に気象庁が発令したわけではないにしても、少なくとも科学的観点において発令の条件は出揃っていたとされる。
ルイはそう確信している。
状況をまだ完全に理解していない時点においても、ルイは尋常ならざる異変を肌に感じ取っていた。
「……っ!」
ビュウビュウと風が吹き荒れる、ルイの一つにまとめた真っ黒な髪の毛が風に柔らかくあおられている。
「うあー!」
シズクの叫び声が聞こえてきた。
暴風雨の最中、ルイは目をこぼれ落ちそうなほどに見開いて娘の姿を索敵する。
紅玉のような色彩の目が雷雲の暗がりに爛々と輝きを放つ。
スーハー、と手短に深呼吸をする。
シズクほどではないにしても、ルイも実のところあまり魔力を動かすのが得意ではないのである。
しかし不本意ではあるにしろ現状はかなり地の利が効いてしまっている。
ビュウビュウと風が吹きすさぶ、嵐のなかであれば、飛び立つ、という目的に限定するならば、助走をつけること無くスムーズに飛行に写ることが出来る。
まばたきの合間のような速度、展開、ルイはまた鳥の怪物に変身している。
全身まるごとメタモルフォーゼは無駄な労力と見なし、ルイはとりあえず左右の腕を飛行に適した形状へと変容させ、地面から高く飛び上がった。
「シズク!」
「うわっ」
ルイはシズクの襟首をくちばし……ではなくヒト型の唇のままでハッシとつかんでいた。
「妃殿下?!」
「おひょひゃひくひひぇひひゃひゃい(大人しくしてください)」
「なにゆーとるか全く分からんけど!」
シズクの腰に必死にまとわりついているアンジェラがルイに感謝をする。
「こいつぁアカンて! 一旦避難した方が……っ」
アンジェラが冷静な退却を推奨しようとした。
そのところで。
「逃げんじゃねぇよ」
男性の声、聞き覚えがあまりにもありすぎる声が頭上より雨粒と共に降り落ちてきていた。
「なあ、カワイ子ちゃん共がよぉ!!」
見上げた視点の先、神主のような装束を身に付けた成人男性らしき存在が雨雲に取り込まれていた。
蛸や烏賊などの軟体類に似た柔らかさを帯びた怪物、彼はそれに襲われ犯されているようだった。
現状の環境を侵害している存在、巨大な雨雲を操作している核心。
男性がそれを担っているのは、魔物が持つ魔的直感にてすぐに判別できる。
曇天から雨が降り注ぐのと同じくらいの当たり前、男性はセオを材料にこしらえた雨雲で魔法使いたちに襲いかかってきている。
そのはず、なのだが。
「……なんだか、取り憑かれているみたいやね」
そんな感想をひとりごつ。
モネが暴風雨から少しはぐれた地点にて武器を構えていた。
「……これは自分の希望的観測なのかもしれない」
誰かに話しかけているような独り言。
しかしこの嵐のなかで返事をしてくれる声など存在するはずもなかった。
答えを必要としないまま、モネはライフル銃のような武器を使って遠距離攻撃を放った。
狙撃に特化したタイプの銃ではない。
だがモネの右目を埋める義眼の補助によって通常の機能を遥かに凌駕した技を可能としている。
弾丸が敵の頭部を撃ち抜いていた。
瑞々しいモノが破裂する音。
頭蓋骨が弾丸によって砕かれ、その狂暴な回転力が中身の脳漿をグチャグチャに掻き回している。
「ぅ、ぃ……ぎ」
狙撃をモロに食らってしまった相手は脱力したまま下側、海に落ちていった。
水面に大きな肉の塊が落ちる、激しい飛沫の気配が寂しく響く。
現象の核を失い、嵐を産み出している「それ」も攻撃の意味を失ったようだった。
分かりやすく雷雲が速やかに去っていく、数分ぶりの晴れは既に昼の気配へと装いを変え始めていた。
ナナセ独白
俺は磔刑に処されていた。
そうとしか思えなかった。
誰だったか、イエスだかそんな名前の野郎もこんな風にして死んだらしい。
いや、殺された、と言うべきなのだろうか?
どちらにせよ、俺の場合はそいつとは違って、この先もう二度と世界に復活することは無いと言うこと。
ただそれだけ、それしか確信できなかった。
「火をくべましょう」
彼女の声が聞こえてきた。
「ああ」
と、俺は声を漏らさずには入れられない。
これから磔刑に処されると言う絶望、ではない、決して。
違う。違う、と全身が、己を構築する全ての概念が事実を、現実を否定している。
今から自分は聖者のように磔刑に処され、あるいは聖女のようにそのまま火炙りの刑に処されるのだ。
悔いなど無い。あるわけがない。
ただ、とにかく……。
「ああ、これであたしは救われる」
俺は彼女の供述が許せなかった。
許容できない、とも言える。
「嘘だ……」
夢にしたって悪夢にしたって、あまりにも趣味が悪すぎる。
目の前の光景、それらに比べたらかつての神話に語られる数々の地獄など、とんだお笑い草でしかない。
いや、むしろ生き地獄さえ幼稚園児のお遊戯に思えてくる。
「嘘つき!」
燃え盛る業火か、あるいは煮えたぎるマグマか、狂暴な熱の塊から明瞭なる「人間」の声が響いてくる。
「嘘つき!」
正当なる評価。としか言いようがない。
嗚呼そうだ、そうだとも! 俺は嘘つきなのだ。
とあるカルト宗教のさる集金方法、俺はかつてそれらの一連の行為に荷担していた。
いやむしろ主犯とも言える行為を働いた。
だってイカれカルト信徒共ときたらろくすっぽ金の集め方すら知らねえで、俺が荷担しなけりゃ勝手に自滅していたに違いねぇ。
……なんて、自分の「仕事」っぷりに郷愁のようなものさえ覚える。
「嘘つき!」
俺は別にイカれちゃいない。
だから、自分自身に嘘なんてつけない。
そんな器用な真似は出来やしない。
俺の脳内に響く言葉、音楽、風景、景色、声、声、彼女の声。
……それは全部本当だ。
「嘘つき!」
……嗚呼畜生、うるさい。
「嘘つき!」
分かってる。分かってる、嘘がつけたらどんなに良かった。と、他でもない俺自身がそう願っている。
今でも願っている。
「嘘つき!」
声の塊、質量、憎悪をたっぷりと含んだ肉声の分厚い壁。
声の全てに聞き覚えがある。
俺が嘘で騙して金を毟りとったバカ信者共だ。
大多数は顔すらも覚えていない、だから声のほとんどは砂嵐のようにしか聞こえない。言葉としての体を為していなかった。
「……さん」
彼女が俺の名前を読んでいる。
喧騒の真っ只中、彼女の声だけは嫌にクリアに聞こえてくる。
もはやそれは声と言う空間を振動させる波とは言えそうにない。
鼓膜の内側から聞こえてくる声。
耳すらも必要としないで、脳みそが直接拾い集めている、想像の世界の言語だった。
「ナナセさん」
それが俺の名前だ。
生きている世界、そこで彼女になども呼ばれた名前だ。
「私は」
「やめろ」俺の声。
「私は……」
「やめろ!」
炎にくるまれて全身が焼けただれている。
そろそろ肉体が保つべき水分も消滅している頃合い。
だと言うのに、俺の喉はやはり拒絶の意を叫んでいた。
「やめてくれ……!」
皮膚の表面が鶏皮の串焼きのようにパリパリになっている。
皮下組織に至っては焼肉屋のホルモン焼きのようだ。
もはや俺は焼死体になっている。
だったらなぜ、意識が続いているのだろう?
「私は、あなたに」
どうして彼女の声が聞こえるのだろう。
「やめてくれ……」
懇願している、自分の声すらも止められない。
感情が止められない。
口が焼かれようが、喉が焼かれようが、目を焼かれようが、耳を焼かれようが。
たとえ、思考の全てを焼き尽くされたとして、心を失える理由には成り得ない。
今日も、俺は悪夢の中で彼女の言葉を聴くしかなかった。




