たんぽぽとふをる
二十九歳である。
「昨今じゃあ、この頃合いになってようやく……ようやく! ちょっとは大人になってきたか? と、ようやく……多少は? 自分を取り繕うことが可能になる感じ?
そんな感じ? この感じ分かる?」
タンバ・タンポポ、タンポポと言う名前の女性が机を挟んだ向かい側に座る男性に話しかけている。
「ねえ、フヲルさん……でしたっけ?」
「フヲルでいいよ。俺もあんたのことは呼び捨てで構わないだろうか?」
同い年なのだし、とフヲルと言うなの男性がそれらしい言い訳を即席で作る。
フヲル・H・アッペルバウム。
どうやらそれが彼の名前であるらしい。
タンポポはそのような思いに耽っていた。とにかく相手の名前を知った、という状況だけに思考を置いている。
普段はなかなか機会のない哲学的な思考。
似合わなさを自嘲しようとしても、うまく出来ない理由があった。
「まさかさぁ……」
タンポポはうなじより少し上の部分で丁寧にまとめた赤毛を指先で軽くいじくっている。
「スパイとしてカルト教団の情報をちょっと抜き取ろうとしたら、なんか知らんうちに狙いのカルトの教祖とディナーって……」
「改めて言語化すると意味不明が過ぎるな、マジウケるわ」
同年齢、直感空気感がそれなりに合致する大人の男女。
決して恋人関係には進まない程度の感情、とかく気楽に言葉を使うにはあまりにも場が整いすぎている。
若干恐ろしく、むしろうすら寒い思えてしまうほどに。
「それもこれも」
フヲルは他責を気軽に嗜んでいる。
「お前が「魔法使い」で、ちょっとそこいらで人食いの化け物を退治していたのが悪いんだろうがよ」
比喩表現ではない。
彼の主張はあくまでも彼らにとっての現実、日常にあり得るアクシデントである。
そもそも、彼らは「人間」ではないのだ。
地球と言ういずれかの世界観に生息する「人間」という生命体ではない、あまりにも違いすぎている。
と、その事実を再確認するために、フヲルは若干の無遠慮も構うこと無くタンポポの額を、そこに生えているツノに視線を固定する。
自己紹介はとっくに済ませている。
なので、フヲルはタンポポが「酒鬼」の魔物であることを既に知っていた。
魔物が暮らす世界において、己の本質を意味する物語、魔物としての名称は誕生日と同じくらいの価値がある。
「つまり」
タンポポが粒のような持論を口のなかに転がす。
「君たちが主張するような「人間」至上主義は、結局のところ本質的には魔物の理解外でしかないんだよ」
タンポポ側の机の上の食事は既にあらかたキレイに唇の中へと納められていた。
「むしろかつての人間世界で作られた神様の方が、人の想像力の内側で認識されていた分、よっぽど理解しやすいと言えるよ」
食事が終わったためか、タンポポは目の中に若干の眠気を漂わせている。
「人間」の肉体にありがちな眠気の仕組み、ではあるが、しかし異常なまでのリラックス具合ではある。
「敵の真ん前で、よくもまあ敵陣の本尊を貶せるなぁ」
「蛮勇とも言えるよね、我ながら」
タンポポは半分も減っていないフヲルの皿を若干悲しそうに眺めていた。
「こちとら仮にも戦争経験者なもんで、今さらになって敵の大将を崇め奉る存在を見つけておいて心穏やか~になんてなれる訳ないと言う訳で」
「そんなのは……!」
フヲルは反論しようとしてすぐに思い止まる。
「ああ、あー……いや、違う、「違うんだよな」……」
「……」
タンポポは相手の様子をじっと観察する。
限りなく黄色に近い、琥珀色の目がじっと彼を見据えている。
自分と同い年である、という情報に虚偽が含まれていないと断定する。
となれば彼は二十九歳。
世代としては「戦争」に参加していても何らおかしくはない。
かつて魔界には戦争が起きていた。
……いや、存在していたと言うべきか? なんとってもその戦争は人間と魔物との間で長い間繰り広げられてきた戦争行為なのである。
人間が、「人間」と呼称すべき生命体が滅却されてしまった世界において、少なくとも魔物と人間の対立はほぼ不可能になってしまった。
「あれだよね」
これ以上の詮索は逆に今後のやり取りの阻害となり得る、とタンポポはいかにも戦い慣れした所作にて話題を早急に片付け始めている。
「もしもこの場に、本物の人間がいたとして私たちを見たら、「なんだこの腐った醜いタンパク質共は」とか思ったりするんだろうね」
「突然のものすごい自己嫌悪じゃねえか」
結局フヲルの方はほとんど料理にてを着けようとしなかった。
ウェイターが料理の皿を片付ける前に、とりあえずタンポポはちょっとした八つ当たりを片付けることにしていた。
「そもそも、私がこんなヘロヘロになっているのは……」
「雑に過去回想が始まりそうな予感」
このようなことがあった。
二十九歳男性、名前はフヲル・H・アッペルバウム。
「日本」と呼称されるべき土地にある、とある領域にてサラリーマンをしている。
労働の終わり、今日の夕食を作るために通いのスーパーで食材を購入した。
買い置きをしない主義、今日は買ったばかりの新鮮なトマトで簡単なサラダでも作ってみようかと、そんなことを考えていた。
「アー」
謎の怪物に踏み潰されたトマト、果肉の飛沫や無意味に散った種の粒。
真っ赤な果肉の破片を片方の頬に浴びる、フヲルはアスファルトの上に伸びていた。
「……っ!」
怪物のアウアウとした鳴き声を頭上に、フヲルは自分の肉体の具合について急速なる瞑想をする。
自分は、……そうだ、今しがた怪物に襲われたのだ。
「……ぅ」
ここは魔界。しかも魔界のなかでも有数に魔力が混沌を極めている大迷宮、その名も……。
「因果交流回路」
そう、その名前だ。
「……?」
不意に聞こえてきた少女の声。
「さる一人の偉大な魔女が、たった一日で作り上げた、究極のカオス空間」
午後の日差しに小さく纏まる影のような声だった。
ふんわりと心地よく甘い。
……なのに。
「この宮には爆弾が眠っている……。世界をまるごと滅ぼせる爆弾、「姫」と呼ばれる最終兵器が眠っている」
地の底を這うようなウィスパーボイス。
体の内側から気管支を犯されているような感覚になる。
「ともあれ、そのような経緯にて、この土地はお姫様に呪われてしまったのですよ。分かりましたか?」
どうやら少女はフヲルではなく、彼を襲った大きな怪物に話しかけているようだった。
「あなたは、「水曜日」と呼ばれるようになってしまったあなたは、このような場所に囚われるべき存在ではないのですよ?」
小さい子供をあやすような声を意識している。
が、彼女の目論みは決してうまく機能しているとは言えそうになかった。
「分かったなら、おとなしくすみっこでゆっくり眠りましょう?」
「アーぁ アアアーーィイイイ」」
水曜日? と呼ばれている、フヲルの背丈を余裕で越える大きさの怪物は全くもって要領を得なかった。
フヲルを襲った瞬間から変わらない、あるいはその存在がこの世界に確立された瞬間から状態が継続しているのかもしれない。
「ア」
水曜日はまるで幼い子供のように、世界や他人の存在をうまく認識することが出来ないようだった。
自分、という概念すらも怪しい、ただひたすらに生命を継続する。
それしか出来ないようだった。
「我々魔物は、魂ではなく言葉によって存在を確立する」
別の声が聞こえてくる。
女性のような柔らかさを持った声だった。
「言葉を失った時点で、「それ」はもう……この世界で生きていられないんだ」
この頃合いになりフヲルも多少は意識の均衡を取り戻しつつあった。
水曜日と言う名の怪物の姿、あるいはそれに退治する謎の女たち。
「ダメだよシズクちゃん」
大人の女魔物が少女の魔物をいさめている。
「先輩を置いてけぼりにして勝手に切り込まない! これ魔法使いの基本だっての~」
「魔法使い……」
ムクリと上半身を起こすフヲルの鼓膜に固有名詞が滑り込む。
「混沌に寄り添う、魔道を生存のために使用する者たちのこと……」
下等魔物が強者に媚びへつらうために作り上げた玩具のような魔力の動き。
そのはず、と、フヲルは思っていた。
「……あれ?」
そして彼は違和感を抱いた。
どうして自分は、「魔法使い」についてこんなにも詳しいのだろうか?
訳が分からない。
分からないと言えば、魔法使いを自称する目の前の女たちについても、以前として意味不明ばかりが増え続けている。
「兵士も死に絶え、魔術師はあくまでも「平和」を守るために魔道を極める。となれば……」
シズクと呼ばれる少女は雨合羽を来ていた。
紅色がよく映える、それはなにも雨を防ぐだけが目的とは言いきれないようだった。
「タンポポさんはそちらの負傷した男性の救護をお願いします」
シズクが、タンポポと言う名の先輩女性魔法使いに頼んでいる。
雨合羽のフード、魔物に多く現れる獣の耳に合わせた布の余白がピコリと小さく動いていた。
「まかせなせぇ」
タンポポは後輩の要求を快諾している。
「熟練ヒーラー魔法使いの妙法を、あの……ロクデナシに浴びせまくってやんよ!」
誰がロクデナシだ。とフヲルは初対面であるはずのタンポポに早速悪感情を抱き始めている。
しかし個人的な不快感よりも憂慮すべき事柄が目の前に差し迫っていた。
「あ」
水曜日がこちらに向かってきている。
獲物と見定めたフヲルを狙ってよだれをだらだらと流す、その姿は病に犯された野犬のようにおどろおどろしかった。
大きさは前述した通りかなりのもの。
小型トラック程度の体躯からは獰猛な生命力が垂れ流しになっていた。
「大丈夫なのか……?」
治療魔法を施そうと近寄ってきたタンポポにフヲルが思わず質問をしている。
「大丈夫、とは?」
彼の呻き声にタンポポは一瞬疑問を抱く。
些細な違和感ともとれる気軽さ、故に彼女はすぐに彼が何を心配しているのか察することが出来ていた。
「あ~……ああ、彼女なら大丈夫だよ。あの程度の怪物なら個人戦も可能だ」
魔法使いと言えば、戦後の世界を阿鼻叫喚に陥れた怪物、それらを殺すことに長けた殺し屋のようなもの
と言うのが現状の魔界の常識とも言える。
だがしかし、実際に目にした魔法使いがああも若いとなるとフヲルは不安を抱かずにいられないでいた。
なんと言ってもシズクと言う名の少女は、どこからどう見てもただの少女なのである。
とても狂暴な人食いの怪物を相手に戦闘を行えるような……。
「あ」
フヲルが考える良識を置き去りにして、水曜日は少女に食らいついていた。
「……」
水曜日の突進を左側に受け止めたシズクの影が揺れる。
何か、金属質なものが擦れ合うような音が鳴り響いた。
小鳥の囀りのような響鳴が少し、涼やかな音色は水曜日のよだれにかき消されていた。
「ああ、ぅあ」
腹を透かした赤ん坊のようにくずる、水曜日はおなかがすいているようだった。
「嗚呼、愛しき水曜日」
シズクが劇画風味に語りかけてりる。
「あなたを殺せることを光栄に思います」
あるいは? 語る声はフヲルの幻聴だったのかもしれない。
彼女の声はとにかく蠱惑的で、あまりにも現実感が少なすぎている。
なおかつ。
「あああああ」
水曜日の呻き声の存在感のかくたるや。
「あ……!」フヲルは思わずシズクに向かって「逃げろ」と叫びそうになる。
口ごもる。
ごくごく僅かな時間の合間、シズクの姿が白銀の軌跡を描いて飛び上がっていた。
魔法である。
ストレートにフヲルは気づけてしまった。
と言うのもシズクの使う魔法のそれはとても分かりやすい見た目に加工されていたからだ。
プラネタリウムのような色彩になっていた。
少女の両足に類似するよう成形したガラス瓶のなかへ、液体化したプラネタリウムを注ぎ入れたようだった。
プラネ色の両足で、シズクは宙を自由自在に舞っている。
あっちに飛び、こっちに飛ぶ。
空を飛んでいるのだろうかと、そう思っているのだろうと、フヲルは水曜日の思考について予想する。
勝手な思い込み。
期待したくなるのはシズクの魔法のせい、とも言える。
なぜなら、彼女は。
「……」
なにも言わず、シズクと言う名前の魔法使いが水曜日に襲いかかった。
稲光よろしく目に酷く痛く刺さる輝き、日本刀によく似た武器を右手に握りしめている。
短刀ほどの長さ。
「水曜日」の左腕を切り裂いた。
ちょっとした切り傷ではない、まるで生命そのものを裂傷させたかのような具合である。
「ああ、いああああ!!」
切り裂かれた左腕から水曜日の血液がドバドバと溢れ、流れ落ち、地面を真っ赤に染めていく。
赤色だった。
それはそれは見事な赤色であった。




