真夜中でたらめバーテンダー その3
透き通っていた。
魔物の女性の足が透き通っている、ほのかに甘酸っぱい匂いがする。
シズクという名前の魔法使いの女性、彼女の両足は今ほのかに宇宙の気配を漂わせていた。
銀河がうねり、星は瞬き、そして空気も重さがとても少ない。
宇宙のような色合いに体が変容しているのである。
姿かたちはそのままに、ただ体を他者に認識させる情報だけが強引に塗り替え書き換えられたかと、そう錯覚したくなる。
しかし変化は勘違いなどではない。
決定的なまでにシズクの肉体において現実的に発言している状態でしかなかった。
両の手足、あとは右側の腕の先端、わずかを宇宙の色彩に返信させた後魔力が安定感を漂わせる。
若干の重力を能動的に忘却することができる。
それがシズクの得意とする魔法のひとつであった。
いわゆるスキル、ギフト、呼び方は様々有れど「魔法使い」ともなればやはり、魔法と呼ぶべきなのだろう。
とにかく、シズクは重力忘却においてふんわりと空を飛び始めた。
春先の匂いのような気配は無風状態なら妖しく相手を魅了するのだろうが、しかし残念ながらここは海の上である。
目が覚めるほどに清々しい潮風がビュウビュウとシズクの体を弄ぶ。
気を抜くと太平洋を気軽に横断できてしまえそうなほどの強風。
シズクは眼鏡の奥の瞳で狙いを定める。
野良猫のように獰猛な瞳孔がきゅっと細められる。
狙う先、海面をウゾウゾと移動する鎧の群れ。
あらかじめ脳にインプットしておいた情報が子供のスキップほどの速度で意識の端を通りすぎていく。
「すーはー」
若干呼吸をわざとらしくして、シズクは魔力に更なる工夫を織り込む。
一瞬、シズクが持参した漁師網が宇宙模様に変身した。
かとおもえばすぐに元々の色彩に戻っている。
ひとつ魔力を流せばシズクの視野においてほどほどに重力を忘れることが可能になる。
ふんわり、と網が群れの上に覆い被さる。
オムライスの卵部分を想像するとして、網で包み込まれているのは水曜日たちである。
網の端をはっしとつかむ指がある。
力強い指たち、アンジェラとモネの協力である。
「アン!」
モネが海上から顔を覗かせている。
水面に沈んだ網の端を軽く潜水してキャッチしていた。
「こちらもオーケーじゃ!」
アンジェラの方はモネよりも空中戦を得意としているため、先んじて海上にて網の確保に成功していた。
ヒーラーステッキを魔女のほうきよろしく軽妙に取り扱っている。
「よし、よし」
シズクは網の手応えと共に一気に水中へと身を沈める。
潜水と呼べるほど優雅とは言えない、まるで水鳥が水中の魚を補食するかのように狂暴で獰猛、なおかつ的確な速度であった。
ミサイルの落下のごとき水柱の発生、水しぶきが終わりを向かえるよりも早くにシズクは網を水中からぐるりと群れに巻き込ませている。
ざぷっと水面から顔を覗かせるや否やシズクが仲間に叫びかける。
「このまま浅瀬まで引きずり出します」
「了解!」
魔法使いの女たちは海をザブザブと勢いよく推進し、群れを一気に浅瀬へと引きずり出していた。
さて。
「大量だね」
ルイがシズクに話しかけている。
獣の姿から一転、人の形を模した基本形態へと姿を変容させている。
そんな彼にシズクも返事をする。
「ええ、大漁です」
どうやら彼と彼女の会話はうまく噛み合っていないようである。
ルイはどうにかして彼女と目線を交わそうとしていた。
まるでそうすることによって己の全てが救済されるかもしれないと、期待に胸を膨らませているかのようだった。
しかし。
「これは収穫が期待できそうですね」
シズクはあくまでも彼とは視線を合わせようとしない。
単純に気づいていないと言うのが理由のひとつ。
あるいは、深層心理で彼と目を合わせたくないと言う願望が一つまみ有るのだろう。
そうなのだろう、とルイは予想をしている。
想像が己の精神を著しく傷つけると、頭はでは理解していても体が言うことを聞いてくれそうになかった。
さておき。
「この大漁の鎧をどうするおつもりなのでしょうか?」
ルイが子首をかしげて魔法使いたちに質問をしている。
「そも、この鎧たちは一体何者なのでしょうか?」
ルイのルビーのような色彩の両目が囚われた水曜日を凝視している。
「ええ、ええあ、ええああ」
何やら発情期の猫のような声が、かそけき、聞こえてくる。
それは鎧から発せられているようだった。
「彼らもまた、水曜日、なのでしょう?」
ルイの質問にシズクが答えている。
「はい。彼らもまた、十分に、水曜日なのです」
シズクは魔王からの問いかけに、状況が許す限りの全力を込めて丁寧に答えようとしていた。
「そもそも水曜日の成り立ちについてお教えすべきでしょうか?」
魔法使いとして、シズクは姫君のお悩みを少しでも多く解消しようと試みていた。
図書城の姫君のためとなれば、大概の魔物は「それ」のために尽力せずにはいられないのである、そういうものなのである。
「勝手に面倒くさい設定を負わせないでくださいませんか?」
ルイがあからさまに機嫌を悪くしているのに対して、シズクの方は取り立てて悪びれることもしなかった。
そんなことより水曜日の解説である、魔法使いにとってはそちらの用件のほうが大切なのである。
「とはいえ、特別な意味合いは無いのですけれどね」
シズクは網を翻して水曜日を一つつまみ上げる。
曲がりなりにも金属鎧の逸品を模したものである、大概の成人男性の体にあてがうことが可能であろう一品である。
とても女性、……少なくとも十六歳程度の身体的女性であれば気軽に取り扱えるような代物ではないはず。
なのだが。
「んるるる、ご覧ください、この造形美!」
問題点などさもありなん、シズクはまるでクレーンゲームで引っ捕らえたぬいぐるみを愛でる女子高生のような明朗さにて、重厚な鉄鎧に頬をそっと寄せているのであった。
「十字軍が活躍した時代の色を感じます」
「色感じるって……」
姫君にかまけて仕事をサボりがちな姉貴分のことをアンジェラがジロンと軽くにらんでいる。
「姉さん、色なんて一つも分からんでしょうに」
アンジェラの発した文句のそれは比喩表現ではなかった。
ただの症例の一つだった。
「全くです」
自らのサボタージュにそこそこ過剰ともとれる罪悪感を感じているのか、シズクは自らが抱える障害を茶化されてもさも当然の報いかのように受け止めてしまっていた。
「ちょっとまえに爆弾を止めたせいで、そのせいで……ぼくの色覚はほとんど失われたも同然になってしまいましたから」
シズクは特に感慨もなさそうに穏やかに笑いながら空を少し見上げている。
「あの空も基本的に全部灰色に見えますが……肌に感じる温度から鑑みるに恐らく晴天なのでしょうね?」
ちなみに夕暮れは少し濃密な灰色に見えるらしい。
「難儀じゃのぉ」
常日頃からの憂慮だけをアンジェラはシズクに伝えていた。
「ええ、」シズクは日常的にそれらの意見に同意するだけだった。
「未だに縦型の信号機と横向きの信号機の順番が頭のなかでごちゃごちゃになり、結局肉眼で道路上を確認してばかりになっております」
とは言うものの、とアンジェラはさらりと話題を繋げている。
「しかしながらたとえ幾千幾万の色を見分けられたとしても、この水曜日の場合は特に有効なスキルになり得るとは限らんのぉ」
アンジェラもまた魔術タトゥーが大量に彫り込まれたおぞましい細腕にて、重苦しいはずの鎧をひょいと持ち上げてしまっている。
「ご覧の通りうちらの目から見てもただの鈍色の鉄の塊にしかみえんから」
モネも別方向の心配ごとにて、目元にうっすらと憂慮のシワを寄せている。
「例によって食料品としての活用法は期待できそうにないね……」
「食料」
ルイが意味深に小さくうなずいている。
真珠に彩られた姫としての付属品のティアラが小さく揺れ動いている。
「水曜日を食料とする考え方はあまり推奨されていないようですが?」
せっせと鎧を重量ごとに腑分けしつつ、ルイがモネに質問をしている。
姫君が問いかけているのはいわゆるモラルについての問題であった。
「元々は人間だった、……かもしれない生き物をむやみやたらに気軽に食べるのはカニバリズムに相当するか? についてやろ?」
魔法使いと言う職業の手前、モネはこの種の質問にすっかり慣れっこになってしまっているようだった。
「戦後まもなくの食糧難時期だったら、その質問しただけで村八分待った無しやったね」
モネは若干の苦い過去を思い出したかのように目をきゅっと細めて、そしてすぐにもとの大きさにぱっちり戻している。
「とは言うものの、その辺の思いやりがしっかりと整えられようとしていた頃合いには、すでに「食用に適した」個体はほとんど絶滅しとったんやけどね」
あるいは枯渇、とも言える。
石油がかつての科学世界にて枯れ果てたように、食べられる水曜日も魔物たちの手によって淘汰されてしまったようだ。
「元々、かなりの貴重種であったことが後の研究にて発表されています」
食用種を取り巻いていた問題についてシズクがモネの語りに補足を加えている。
「ただでさえ個体数が少なかった上に、情け容赦なく狩り尽くされたとなれば、かつてのドードー鳥も同情をせずにはいられない程の惨状であったことは容易に想像ができましょう」
過去の失敗から、魔法使いたちは新しいルールを取り決める。
「と言うわけで、今後もしも食用に値する個体が見つけられた場合は、即魔術師連盟等々に連絡をいれないといけません。うっかりでもない限り、故意に補食してしまえばそれなりの刑罰です」
シズクはお縄のジェスチャーを作ってルイを冗談混じりに脅している。
「恐ろしすぎます、社会的抹殺です」
「……そうなんだ」
しかしながら、ルイとしてはシズクの挙動が可愛らしくて仕方がない、ただそれだけの事しか考えられないようだった。
さて、ある程度鎧の仕分けが済んだところで。
「きゃあー!」
女の悲鳴が空間を切り裂いていた。
「何事?!」
シズクが吃驚仰天、勢いよく立ち上がって周囲に警戒心を張り巡らせている。
とっさに見開いた左目の魔眼。
暗黒よりも深い黒色に染まりきった眼球がすぐさま注目すべき一点を視界のなかに見出だしている。
「あそこ、に……誰か、……あれは……!? 女性……??」
シズクは酷く動揺していながらも伝えるべき要点だけは辛うじて言語化している。
多少情報が不明瞭だとしても、当小隊にはもう一匹ほど目の良さに自信がある個体が用意されている。
「ドザエモンって感じやあらへんね、あれは……」
モネも眼帯越しに義眼を対象に向けてフォーカスしている。
機械式である分、単純な情報検索能力ならばモネの義眼のほうが優れていると言える。
しかし。
「あ、えぇ~……? ??? 何なんあれ?」
悲しいかなモネはシズクよりも遥かに常識的な思考を有している。
故に、目にした情報をうまく理解することが出来ないでいた。
かなり、とても、ものすごく、理解の範疇からはぐれてしまっている。
そんな存在がいま、この瞬間にて魔を司る姫君を護衛する小隊のもとに急接近し続けているのであった。
「というか、もうウチでもフツーに視認できるほど近づいとりますがな」
平均よりかなり視力が良いアンジェラがナチュラルに勇気を発揮し、接近してきた謎の物体とのコンタクトを図ろうとしている。
「……」
護衛対象であるはずのルイも思い切り警戒体制に参加する気満々といった様子である。
頭にいただく銀色のティアラが攻撃性たっぷりにギラリと光る。
彼らが注目する先。
視線の集約。そこはいわゆる波打ち際と呼ぶべき地形であった。
自然、あるいは科学的な法則に基づいて生成された海岸とは言い難いものである。
戦争によって破壊されまくった魔界。
本来であればファンタジーがもっとも多く膨れ上がった中世から近世までの文明しか有していなかった土地に、突如として異世界から巨大な科学文明が落ちてきた。
まるで隕石のようだった。
彼ら、科学ともにやって来た彼ら、人間はまさに、見事なまでに侵略者であった。




