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ぼくとわたしの生存戦略プロトタイプ  作者: 迷迷迷迷
我らが愚かなる愚行を許し給え
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ドキドキ異世界歓待黙示録 その3

 銀色だった。

 水銀を丁寧に折り重ねたような、そんな色彩がそこには繰り広げられていた。

 シズクの左側の眼窩。本来ならば眼球が居座るべきそこに、「その現象」は鎮座していた。


 直感的にこの世の理を乱す方法であると、クドリャフカは確信した。


 シズクの左目は人間どころか哺乳類に備わるべき眼球としての体すらも為していなかった。


 丸いものは、ある。少女の片目に収まるほどの小さいそれはある。

 問題はその丸みは目ではないと言うことだった。

 あるのはただの暗闇だった。

 目蓋の裏に見える曖昧な暗闇から眠りに進もうとする、あの一瞬の時間。その時に見える暗さ、とクドリャフカは頭のなかでまとめていた。


 如何せんクドリャフカにしても「黒」を表現する最大限がその程度しかなかったのだ。

 あるいは、熱を出したときに見上げる月夜とでも例えてみようか。


 月は遥か遠く、目の中心にぼんやりと浮かび、その回りを謎の光輪が幾重にも重なりあい、ひしめき合っている。


 もしくは、真珠を墨汁にぽちゃん、と落としたときの波紋か?

 いやいや、いやいや。


 いやいや、いやいや。


 いやいや、いやいや。


 いやいや……。


「クド」

「うぅ?」

 いつの間にやら、クドリャフカの犬の肉体がルイの手にそっと包み込まれていた。


 ルイは、相手を慈しむように優しく撫でている。

 耳元に低い揺ったりとした声で囁きかける。


「あまり「あれ」を見つめてはいけません」

「あれは……?」

 ルイが彼にささやく、かくれんぼをしているような音量だった。


「あれは、魔法です」 

 どうやらあれが魔法であるらしかった。

「圧倒的な強者を倒すために、弱者足る存在が命を懸けて織り続けている、それが魔法です」


 決して強くはない何かが、狂気の名のもとに作り続ける。


 シズクの目は、魔法のひとつであるらしかった。


「己の生存を脅かすものを、殺す」

 ルイは、クドリャフカを保護しつつもその銀色の視線をシズクに固定し続けている。


 見惚れている、ともとれる瞳の潤いだった。


「生き物が、生物と規定される行為を継続する存在が、存在を確立した瞬間から確定される生存のための戦い、その戦略です」


 生存のための戦略。

 魔物にとってのそれが魔法と呼ばれている。ただそれだけの事だった。


 混沌のなか、シズクは口のなかで呪文を唱える。

「秋は夕暮れ、触れたら伝わる

 冬は努めて、足音で君と知る

 春はあけぼの、鮮やかに命奏でる

 愛しき物語が歌う

 うめく命に言葉を」

 規定されたワード。パスワードのように響くそれのなか、シズクの脳内に魔法の名前が浮上する。

「左様なら三角」


 耳馴染みのよい歌詞の一部にすぎない。意味としてはただそれだけで十分。


 そのはずだった。

 だが、残念ながらこの場所では魔法としての意味を、シズクという名の魔法使いに書き加えられてしまっていた。


 向こう側としては、凡そ人間側の思考を望む方の存在にとって、上記のひとときは指したる意味を為していなかった。


 呪文も、その名称すらもただの雑音にしか聞こえなかったのだろう。


 その証拠といわんばかりに。

「行きなり何しやがる。このキチガイ女があっ!!」

 まだ、相手は卑怯な手を使うしかない卑劣で矮小な存在であると、そう信じているが故の攻勢を取ろうとしていた。


 相手は大人である。

 筋肉量からして男性であろう。

 ならず者の道を進める程度には暴力を使い粉せられる相手。


 一方魔法使いの方はか弱い少女にしか見えないのだ。

 刃物をつかむ手すらあやふやで、やはり敵は油断せざるを得ないでいた。


 何といっても、シズクの目は今にも泣き出しそうだった。


 もしかしたら涙の一粒くらいならば落下していたのかもしれない。

 だとしても、敵がそれをじっくり観察することは叶わなかった。


 呼吸の音。

 腕が動く、右の腕、刃物を握りしめているその部分が敵の喉元を刺し貫いていた。


 全く無駄のない動きだった。

 また、不必要な部分を可能な限り削ぎ落としたかのような挙動でもある。


 呼吸の音。

「スゥー……はぁー……」 

 シズクの頭のなかに呼吸の音が繰り返されている、音は生きている限り繰り返され続ける。


 シズクはまっすぐ敵を見続けていた。

 殺しあいなのだ、敵を認識し続けなければ殺害など出来ない。


 殺すことにためらいを持たないのもまた、シズクという少女を構成する要素だった。


 他者を害することに取り立てて抵抗がない。積極的に傷つけようとは思わないが、必要となれば行動する。ただそれだけ。


 思考がシンプルになる。

 目のお陰、とも言える。シズクは自らの左目が映す世界に再確認を享受していた。


 そこは、色のない世界だった。

 白色と黒色しかない。

 または、形もない世界。

 無機物も存在しない、動物も植物も大した意味を為していない。

 存在は認識できるが、ただの風景としか思えない。


 シズクが左目に見る世界、その場所においてもっとも重要なのは「人間」という存在だった。


「スゥー……はぁー……」

 呼吸の音が継続している。

 殺しあいをしているので、若干吐息に緊張が混じっている。


 シズクは三十センチに満たない短さの刃物を手のなかで軽妙に動かす。

 お気に入りのボールペンを取り扱うような軽やかさ。

 刃物は羽虫のような軌道で次々と獲物の肉を切り裂いていた。


 的確に、確実に、丁寧に殺すために刃物は動く。

 殺害の方向性を定めている優秀なナビゲーションがある。

 それが左目の視界だった。


 大きな肉の塊が目の前に立ちふさがった。


 何かを言っている。


「あ、ああ、ああああ、あああああああ、あああああああああああ」

 悲鳴のようだった。

「きゃああああああ。殺してやる!」


 表情を見れば分かるが、どうやら相手はシズクの事を殺したがってるようだった。

 シズクはありがたいと思った。

 とても有り難い。「殺さないで」と願う相手を殺すのは、なかなか骨が折れるのだ。


 何といっても、三角形が上手く作れないのである。


 そう、左目の視界には人の「何か」が酷く単純な点と線だけで構成されているのだ。


 もちろん実態が見えないわけではないが、どうにも興味が湧かない。

 晴れた夜空の月の光のように輝く点と線に比べれば、それはただの模様のようなものでしかなかった。


 情報を検索するように、シズクは線を少しずつ解きほぐしていく。


 この作業はこの上ない快感を伴っている。

 凝り固まった肉を思いきり伸ばすような、ズクズクとした熱が脳みそを温めてくれる。


 快感を損なわないように、シズクは今までにも何度も獲物の攻撃を避ける練習をしてきた。

 幾度と無く失敗し深傷を負ってきた。

 失敗の繰り返し、最近になってようやく上手く体を運べるようになった。


 見える世界の邪魔にならないよう、体を作動させる。


 そうして見続けて、考え続けた果てに最高の模様が出来上がるのだ。


 見えてきた、もっとも単純な模様。

 三角の内のもっとも美しい線。


 たわわに実る葡萄のように芳醇な香りがする。

 熟れた麦のように甘くて、炊き立てほかほかのご飯のように瑞々しい。


 素晴らしく美しい!

 美しく完成されている。

 それゆえに。


「ああ」


 シズクは酷く絶望した。

 究極の美に見惚れ、次の瞬間には完全に飽きてしまっていたのだった。



 とたん、現実感が戻る。

 重さがあり匂いがあり、そしてちゃんと痛みを伴う。


 シズクは冷めきった無表情で泥棒を殺していた。

 

 もうすでに五人ほど血祭りにあげている。


 宵闇のなか、田舎の電灯が血まみれの死体をヌラヌラと照らしている。


「ぎゃああ、ぎゃあああ!!」

 泥棒の残党が悲惨な悲鳴をあげている。

「ひ、人殺し……っ」

「人じゃねぇだろうが」


 殺戮現場から少しずれたところ、安全地帯にいるのは泥棒たちの主犯格。


 安全な場所にいるがゆえに、モネとアンジェラは不届き者のリーダーの油断をつくことが出来ていた。


「動くな」


 モネが自らの武器を主犯格の後頭部にしっかりと押し付けて固定している。


「今すぐドタマぶち抜かれたいかこのまま自警団にお縄か、どっちかエエかね?」


 殺すか殺さないか、その程度の質問だった。


 単純な質疑であるが、しかし泥棒は上手く内容を噛み砕けなかったようである。


「糞がああ!」


 最後の抵抗と、己の安全を省みない勢いで腕を振り回す。

 やけっぱちの一欠片がモネの顎に当たった。


「ぅう、ぐ」

 急所に近いところにうっかり食らってしまい、モネは若干視界を涙ににじませている。


 攻撃が当たった瞬間に、少なくともモネ一匹程度ならある程度制圧できる可能性はあったかもしれない。


 しかし残念ながら魔物たちは二匹、もとい二人がかりで泥棒を制圧しようとしていた。


「ちっ……!」

 舌打ちを軽く含みつつアンジェラが杖で即座に泥棒の脳天をぶちのめしていた。

 頭蓋骨の強度、そのギリギリを攻める殴打に泥棒の意識がしばし途絶えた。


 さて。


「起きろ」

 畑泥棒にとっては一瞬の暗闇だったが、魔法使い側では既に尋問の準備が一通り整えられていた。


 ひと蹴り、適切に縛られた畑泥棒をモネが蹴りあげている。


 泥棒は苦しい声をあげつつも、痛みの効能で速やかに意識を取り戻していた。


「く、糞が……魔物の畜生どもが」

「そういうあんた方は人間側の、人間世界の復権を望む一派か?」

「ハッ……答えるか、ょ」


 縛り付けられている電信柱に畑泥棒の顔面がめり込んだ。

 モネが右腕で相手の頭部を鷲掴みにし、電子柱の硬い表面にミシミシと圧迫している。


「要望を聞きたいンちゃうねん、こっちは質問をしとるんよ」

 口調こそ穏やかだが、モネの視線はまっすぐ敵の情報を求め続けている。


「もう一度質問する」

 モネは問いかける。

「あんたは人間側の復権のいっぱで間違いないんやね?」

「あぁが……」

 

 泥棒は痛みに苦しみながらも同意を返す。

 モネはパッと手を離した。


「がはっ!」

 泥棒は喘鳴しつつもまだモネに対する憎悪を失わない。


「気になることがあるんやけど」

 モネは心配ごとのように質問をまたひとつ重ねる。

「いったい全体、どうして人間の世界を取り戻そうと思うんよ?」

 

 現状、彼らは世界を滅ぼした第一人者なのだ。

 侵略の果て、己の欲望を叶えるために、ただひたすら魔物を殺し続けた。


 時に嗤いながら。

 あるいは怒りながら、一方的になぶり続けてきた。


「どうせ彼らが戻ってきたって、自分等がどうのこうのいい思いなんて」

「するに決まっているだろうが!」


 終始泥棒は相手をバカにし続けていた。


「こんな寂れた田舎で野菜ばっか作っている学無しの百姓にゃ分からんだろうがな」


 どうやら泥棒はモネをユーエンの身内だと思っているらしい。

 モネはとりあえずその間違いについては特に訂正しようとはしなかった。


 畑泥棒は語り続ける。


「お前らと違って、学のある賢い魔物なら人間様はおめがねをかけて良い暮らしさせてくださるんだ」

「そういう宗派だと?」

「ハッ!! 神だ仏だの話じゃねえ、人間様は現実に存在している!!

 神のごとき力で、知恵遅れのてめぇらなんざぶち殺してくれるさ!」


「なるほど」

「あ?」


 泥棒としてはモネが顔を真っ赤にしてレスポンスバトルに参加するものだと、そう高をくくっていた。


 しかし、モネの方はいたって穏やかな表情のままだった。


「あんがとね、事情聴衆はこれでおしまい。お疲れさまでした」

「はあ?!」


 無視でもなく、また反論もしない。

 モネは相手の話をただの供述として扱おうとしていた。


「動機は反社会勢力との関連に基づいた反社会的行動。以上を自警団に報告させていただくから」


 さっさと泥棒をしかるべき場所に移送しようとする。

 そんなモネに泥棒は唾を飛ばす勢いで怒り散らしている。


 怒りながらも、それでも泥棒の内層には相手への油断が残っていた。


「学なしが、これだから馬鹿は話が通じない」

「はいはいはい」


 まだまだ話し続ける泥棒に、見かねたユーエンが静止にかかろうとしていた。


「お若いの、あんまりこの人らを下手に刺激しない方が……」

「黙れ、この鉄屑がっ!!!」


 泥棒が、なけなしの体力でユーエンの爪先を蹴りつける。


「おわ」

 ロボット、つまりは相手の言う通り「鉄屑」であればこそ、ユーエンには大したダメージはなかった。


 むしろ金属の塊にぶつけたせいで泥棒の爪先が内出血を。


 起こそうが、起きまいが……結局のところはあまり関係がなかったかも知れなかった。


 なぜなら。

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