ピコピコお料理番組三分前 その二
「おもてなしを受けたのなら、お返しをするんだっけ……」
冠婚葬祭のあれやこれやを初体験する青臭い若者のような迷いを抱いている。
彼女の名前はバンビノ・ピコリーノ。料理人の少女である。
当然のことながら人間ではない。鹿混じりの魔物、角が生え、若干小人のように小柄な体質と体型を保有している。
「そんなに小難しく考えること無いよ、ピコ」
ピコリーノにアドバイス……とも呼べない雑な対応をしているのは彼女の妹、スピカであった。
スピカはくるくると回る天球儀の周りを浮遊霊のように漂っている。
「混沌を極めた美食を求めてこの大迷宮にやって来たのに」
「うわー!? ヒトの恥ずかしい夢を勝手に暴露しないでよぉ!」
今の今まで、少なくともピコリーノの周囲を形成する関係性は、概ね彼女の夢を小馬鹿にしていた。
貶したりは決してしないのだ。
ただ、「ありえない」という枠組みから決して逸れること無く、「はぐれもの」の彼女をにこにことほほえましく見守るだけ。
ただそれだけだった。
だからこそ。
「じゃあ、この区域の農家さんに挨拶してちょっと取引すれば、すぐに混沌の美食作れるようになるから」
モネが事務処理風味に雑にピコリーノの夢が近づく道を教えている。
「はえ?!」
近くにある薬局の場所を質問されて異様に具体的な口頭説明を受けたときのような、そんな戸惑い。
「おや」
スピカが愉快そうにしている最中、シズクが早速料理人に料理をご所望していた。
「では! 料理人として料理を注文してもよろしいでしょうか?!」
かなり興奮している。
どうやらプロの作る食事をものすごく期待しているらしい。
「ぼく、お腹が空きました」
「ああ~魔法使いって体力の消耗が激しいって、噂には聞いていたけど」
それにしても、こんな目まぐるしく空腹感を覚えるものだろうか?
ピコリーノは新しい土地の新たな出会いに戸惑いつつ、しかしそれでも真面目に仕事をこなそうと行動を起こした。
さて。
「うーん、若干の潔癖性を感じるキッチン」
喫茶店「トットテルリ」の厨房はとても広かった。
とても広い……。
「いやいや」
スピカが堪えきれず突っ込んでいる。
「どう考えても、あのこぢんまりとした地味な店が抱えるキッチンとしてはゴージャス過ぎるでしょ」
確かに、とピコリーノは姉に同意せざるを得ないでいた。
そこはもはや一流ホテルの厨房並みに設備が完備されているのだ。
部屋の面積としては一般家庭の想像しうるキッチンを2倍にした程度。
正直な話、坪の計算の時点でまあまあ違和感がある。
が、しかしピコリーノの目は、そして指は、キッチン内に整えられたありとあらゆる調理道具、ないし数多くの調味料や保存食品に首ったけになっていた。
「うあああぁぅ~」
ピコリーノは他人の住みかであることを一瞬にして瞬間的に忘却していた。
「み、魅惑の空間……っ!!」
ヨダレが垂れる勢いさながら、瞳をギラギラと輝かせてピコリーノは備品を的確にチェックしている。
そして「おそろしや!」と口上文句のような感動詞を発している。
「これって本物の食肉? 人間を加工したものじゃないよね?」
しれっとイカれたワードをひねり出しているピコリーノに、モネの使い魔であるクドリャフカなる男性がぎょっとしている。
「いきなりなに言ってんだコイツ……?」
もれなく柴犬のような姿でしかない、そんな不思議な男性であるが、しかし疑問点については至極真っ当でもあった。
「ごめんごめん」
スピカが妹の言い回しについて簡単な弁明のようなものをしている。
「うちの地元に伝わる慣習でね、科学的な食べ物にはすべて「人間様」の魂が宿られているっていう……」
「ああ、人間信仰やね」
モネがさらりと情報を突き止めているのに対し、クドリャフカがついつい情報に対してドン引きしてしまっている。
「んだよ、そのイカれた宗教……?」
露骨に嫌悪感を示している。
クドリャフカにとっては「人間」は全ての魔物の天敵でしかないのである。
「まあまあ、落ち着きなされ、クドの旦那」
グルルと唸るクドリャフカを、大鎌を携えたアンジェラがたしなめている。
「全員が全員、人間に反抗心むき出しだった訳じゃ無かろうて」
「なっ……!」
そんなわけ無いだろう!
とでも言わんばかりのクドリャフカの視線の鋭さ。
「え、えと……?」
恩人の知り合いが信頼を置いているであろう使い魔の並々ならぬ剣呑さにピコリーノが怯えてしまっている。
「さあさあ」
怖じ気づいている妹にスピカが発破をかけていた。
「怖がってないで、早くお料理しなくちゃ。食材の腐敗は待ってくれないよ」
「そ、そうだね! お姉ちゃん」
何やらやたらと言い回しが血腥い姉妹である。
さておき。
「レッツクッキング」
料理が始まった。
「なにか手伝えることはございますでしょうか?」
シズクがそわそわそわ、とピコリーノの周辺をうろちょろしている。
「いやいやいや……」
シズクからの要望にピコリーノが恐縮ぶった素振りを見せてきている。
「今回ばかりはあたしが貴方を、お客様をおもてなしする番なんだから! 邪魔しないでちょ」
客を邪魔物呼ばわりするホストがどこにいる。
とクドリャフカなどはついつい思ってしまう。
しかしながら当の本人であるシズクは実に分かりやすく「どこ吹く風」であった。
「誠に申し訳ございません。ぼくは誰かに「饗される」という状況に未だに慣れないのです」
若干クドいとさえ思えてくるほどに丁寧に、シズクは己の不得手を相手に報告している。
「そうなんだ」
ピコリーノが実際に言えることはせいぜいこのくらいだった。
言葉の裏、喉の奥や胸の内に点々とした不安が水滴のように飛び散っていた。
存在しない水滴。
一粒のそれぞれは精神の基軸にさして意味を為さない。
とにかく濡れるという感触、陸に生きるはずの「人間」の魂が根元的に恐れる冷たさだった。
相手に堪えようのない不快感を与えてしまったことについて、他でもないシズク自身が即座に申し訳なさそうにしていた。
「すみません」
とてもかぶき者のそれらとは思えないほどにしおらしくしてしまっている。
どうにもこうにも、言葉そのものの意味を帯びるかのよう。
塩を被った菜っぱのようにしんなりと、シズクは黒猫の耳をペタリとさせてしまっている。
「どうしても、何かをしていないと落ち着かない性分でして」
「それは……」
あまり肯定的とはいえない意見を言おうとしている。
秒針が向かうであろう近場の未来をピコリーノは予感していた。
それは未来予知でも何でもなく、ただの普通の統計学だった。
無謀な夢を何度も繰り返した。
いかなる「人の魂」ですらも魅了する、究極の混沌を少女は求めている。
「図らずしてそれは」
ごくごく当たり前のように玉ねぎを切っている、的確な手際のもとにモネが予想を小さく組み立てていた。
「我々魔法使いが求めるべき「欲望」に近しいものがあるね」
モネの語る単語は、それ単品においてはさほど特別な意味を有してなどいなかった。
言葉そのものは重要ではない。
問題なのはそこに込められている意味だった。
「せっかくだから」
実態を持たない存在であるスピカが介入するような質問を投げ掛けている。
「君たちの願うところを教えてよ」
「スピカ」
魔法使いである以前に、会ったばかりの他人に「願い事は何ですか?」と質問するシチュエーション。
ともすれば怪しい宗教勧誘と勘違いされかねない質問内容に、むしろピコリーノの方が動揺してしまっていた。
「そういうデリケートな質問を軽々しくするもんじゃないよ」
「えー??? 別にいいじゃんかよ~~~」
妹からの叱責に対してスピカは曖昧に、古ぼけたネオンサインように体をぼんやりと明滅させるだけだった。
さておき、結局のところはピコリーノの手際の良さによって料理の完成形がすぐに色濃く現れ始めていた。
「ハンバーグステーキですね!」
「ご明察だよ」
ピコリーノは料理名をわざわざ丁寧に表現するシズクの言葉遣いについて、ようやくほんの僅かながらの面白味を見いだしていた。
 




