ピコピコお料理番組三分前
「若く、精力に溢れた男性作家が永い年月幸いにも小説ないし色々な作品を書き続け、発表してくれたとするよ」
お下げの髪の毛と首に巻かれた編み込みのチョーカーがなんとも艶めき、可愛らしい。
シヅクイ・シズクという名前の魔物の少女が、その現れている、あるいは存在している美少女に抱いた、最初の感想だった。
感想文のそれらのように色褪せていく感傷とは圧倒的に異なっている。
美しさは現状のもので、そしてまだ未来は確定していない。
それらの美しさは非業の死を迎えるかもしれないし、爛熟の果てに腐敗して腐敗臭と共にウジ虫に食いつくされるだけに終わる、かも知れない。
だが全ては予想にすぎなかった。
「それは一重に今、この瞬間に! あたいと会話をしているからだよ、シズク君」
その少女はシズクに向かって話しかけている。
場所は名古屋駅、とかつて呼ばていた施設。
とりあえず広々としていて、ほどよく不親切に入り組んでいる建物を想像するとして、比較的解放感のある区域。そこに彼女らはたむろしていた。
「まあ、暇潰しに本読んでたら、たまたま隣に座りあっただけの、ただそれだけのきっかけなんだけれどね」
彼女はシズクに向けて話している。
本は開かれたままだった。文庫本であり、カバーはしていない。タイトルから推察するに料理系の研究書かと思われる。
「だけ、と過度に規模を縮小するのは、この場合にはあまりよろしくないかと思われます」
シズクは少女に向けて話しかけている。
名前を言おうとして、戸惑う。
「おっといけない! こっちの自己紹介がまだだった。失敬、失敬」
彼女はシズクに名前を教えている。
「あたい……じゃなくて、あたしの名前はピコリーノ。フルネームはバンビノ・ピコリーノ、だよ」
魔物文化の特徴のそれらとして、人名らしからぬ奇妙さを伴った名称である。
かつては人間に利用されるがままだった、言わば奴隷であった魔物たちにまともな名称は与えられなかった。
故に、人間側の文化や物の考え方ではふざけているようにしか聞こえない名前も多々多く存在する。
「そこで、冒頭の話に戻るってやつだよ」
しばらく自己紹介を重ね合わせた結果、ピコリーノの方は早くもシズクと友好的な関係を期待していた。
「あたいらのとんちきな生体を解明するには、やっぱり大昔に存在していたと言われる「人間」を研究しなくちゃならないって訳」
「なかなかアカデミックな話題に移ろうとしておりますね」
「うんうん、移ろうよ、そりゃあ。季節や川の流れよりも遥かにスムーズに移ろわなくちゃいけないのよ」
どうやら少女たちはお互いにすでに納得し終えているようだった。
考えるまでもなく、二人の視線はもとの位置に戻る。
元々固定していた場所。
駅構内、町の風景。
そこに、あからさまに異形なる存在が浮遊しているということに。
「あれは」
ピコリーノは自陣側の知識に基づいてあらましのような結論を導き出す。
「やっぱり、科学的根拠から著しく逸脱した存在。というわけなんだよねぇ……」
認めたくないが、しかし認めざるを得ない。
ピコリーノは往来でいきなりゲリラ豪雨にぶち当たった民衆のように嘆いている。
異形としか認識できそうにないそれ。
現代の魔物とは大きくその姿を違わせている。
ざっくばらんには人形ではなく、表情も皮膚もなく、あえて言うなら粘膜がむき出しの肉の塊。そこに可動部のつもりなのか何本かの触手がうねうねと生えている。
「かつて、存在していたという「人間」があの姿を見ても」シズクは想いを馳せている。
「よもや自身の同胞であるとは、到底思えないのでしょうね」
結論からまとめてみれば、つまりはそういうことである。
「やっぱり、あれって「人間」なんだぁ……」
ピコリーノはセーラースタイルのフェミニンな雰囲気をしたアウター、そのヒラヒラとした襟を指先で軽く触れている。
「ヤバ、はじめて神様にあっちゃった」
現状この世界では人間を、ありとあらゆる状況や状態に関係なく「神様」と呼んでいる。
元々はネットの掲示板から奥様方の井戸端会議など、正体も根拠もなにもない名称、すなわち揶揄のようなものだった。
しかし多数決の理不尽は魔物世界においても共通事項らしい。
大勢が何度も何度もその名前を使い続け、いつしか世間で「人間」という名称の方が意味を持たなくなってしまった。
「という訳なのですよ」
「はえ~?」
駅の内部を歩きながら、シズクはピコリーノに軽い解説を行っている。
先生が生徒学徒等々に行う教鞭、教える、という行為には到底及ばないだろう。
むしろシズクの軽妙なる語り口には商業的な俗っぽさがたっぷりと含まれていた。
ピコリーノなどは、この黒猫のような魔法使いがこれまでに何度も同じような説明を自分のような存在に提供してきたのだろうと、それとなく察していた。
つまりはここ名古屋……「かつて名古屋と呼ばれていた場所」。
日本という国だったもの、そことおおむね同様の環境にて生まれた異常なる空間。
「迷宮をお社として、この土地には多数の神様が生息しております」
大まかな要約と共にシズクは「迷宮」観光案内を締め括っていた。
そうこうしている内に、少女たちはすっかり神様のお膝元にたどり着いてしまっていた。
そこにはちょうど空白が生まれていた。
町の警備ロボットがシズクにアイコンタクトを打ってきている。
それは一見して無機質な点滅でしかないが、しかし魔法使いには十分に伝達としての意味合いを有している。
無論神たる存在の前では全ての秘密は無意味に終わる。
神とはそういう理屈を有している、ましてや素体が人間となれば秘密などは完全なる甘美にも等しい。
つまりは、撒き餌だった。
「来る!」
シズクは隣人であり、自身と同様に戦う方法、生存するための戦略についてを考えている、そんな存在に情報を伝えている。
ごくごく短い情報でしかなかった。
しかしながらそれでも、ピコリーノには十分意味が伝わったようだ。
「こなくそ!」
大迷宮「灰の笛」に迷い込んだその瞬間、よもや血肉に飢えた異形の神に遭遇するとは。
とはいえしかし、戦場に参じる程度の覚悟ならばピコリーノにも用意することができていた。
そもそも彼女もまた、己の目的のために迷宮に挑もうとする愚か者でしかなかったのだ。
「ここは預からせてもらう!」
「んる?!」
神がこちらに向かう。突進のような速度はまだ少女らのどちらかを狙うべきか迷っているようだ。
先手を打つのはピコリーノの声。
シズクは一瞬だけキョトンと、しかしすぐに相手の意向を尊重する。
「……っ!」
相手を殺そうとする、そして同時に相手に殺されそうになる。
それらの状況に身を投じる瞬間よりも遥かにシズクは緊張感を抱いていた。
全身を強ばらせ、脂汗さえもにじむ肌をごまかして、自らを無理に欺くかのように回避行為を実行していた。
よたよたと情けない足取りで安全圏に逃げるシズクを横目に、ピコリーノが臨戦態勢を整えている。
取り出したるそれは、武器らしきものだった。
現状まだ日本と呼ばれている文化圏、国家の状態が残存している区域にて、もっとも最悪で凶悪な迷宮であるところのこの場所に挑もうとしている。
身一つで迷宮に乗り込むのである。
頭がイカれているか、あるいは元々狂っているかのどちらかである。
「つまり! とどのつまり! 頭がおかしいってこと!!」
ピコリーノはその道具を思いきり地面に叩きつけていた。
「チエェエエエイ!!!!」
破壊するかのような、いっそ憎しみすらも感じさせるくらい爽快な投げ付け方であった。
その時点ですでに完結している動作の色々ですら感動的な珍奇さに満ち溢れている。
だというのに、彼女の行動にはまだ続きがあった。
なんと割れたはずの天球儀、のようなものから謎の映像が撒き散らされていたのだ。
ホログラム。のような色彩と光彩を有しているそれは、一見してみて無駄な装飾品のように思われた。
しかし案外初見の感想は間違ってもいないようだった。
飾りはあくまでも飾りでしかなく、それ以上の意味合いを期待するのは人の意識の自分勝手。
とでも言わんばかりに、ただ煌びやかなだけであった。
「んる……るぅ……?」
シズクも思わず喉を鳴らしてしまう。
「………」
そして、あろうことか神ですらトンチキなる光景に戸惑っているようだった。
いや、神であればこそ、人の魂を宿した存在であればあるほどに、光景の奇妙さに面食らう敷かないのだろうか?
とりあえず、この場合において有用だったのは獣の本性であるらしかった。
「あの~……」
シズクがのそのそとピコリーノの方に近づく。
所作こそコソドロ感半端なしではあるが、実際のところは戦場における忍び足をほどよく駆使した高等技術を無意識に使用してしまっていた。
「ぶしつけなことをお伺いしますが、あのキラキラのネオンサインは何なのでしょう?」
ピコリーノは答える。
「いいでしょ~、きれいでしょ?」
「ええ、とてもきれいです」
シズクは素直な感想を彼女に伝えている。
特に嘘をつく必要もないほどには、その灯りはきちんと正しく美しかった。
「まるで……クリスマスを先取りしたかのような高揚感を覚えます」
「oh! なかなか良いご感想、しびれちゃうネ」
ピコリーノは視線を少し遠く、ちょうどネオンサインが輝く部分に差し向けている。
「スピッカ~、よかったね~、本職さんに褒められたよ~」
どうやら光るそれには名前があるらしい。
魔法使いという職業柄、道具に名前をつけるというスピリチュアル的行為にはさほど忌避感を示さない。
そもそもこの世界、魔世界そのものがスピリチュアルの塊みたいなもの。
多少の不思議ちゃんキャラがどうだというのだ?
「……いや」
色々と、駄々をこねるように考え事を巡らせてみたが、やはりシズクは己の抱いた直感に従うことにしていた。
「あの道具は、……いえ、「彼女」を道具と呼ぶべきか、かなり危うい感じになってきましたね」
「おやまぁ」
ここへ来て、敵を目前に意味の無い陽動をしておいて、はじめてピコリーノは魔法使いとしてシズクを頼ろうとしていた。
「なんかもう、ワケわからないけどとりあえず頑張って!!」
というわけで、シズクは魔王を召喚することにしていた。
「そのような気軽な召集を独断で決定してもよろしいのだろうか? 魔法使い様」
どこからともなく、なんてことはなく、声はシズクの腰のベルトから発せられていた。
レザーの質感が実に渋い、工具入れのように武骨で頑丈、なおかつ実用性に満ち溢れたベルトとナイフ用のホルスターである。
ホルスターにはナイフが納められている。
変わった質感のナイフである。
ガラスか、あるいは水晶やダイヤモンド、氷などの透明な個体を削り出したかのような色合いを持つ。
一目見ただけでは宝飾品のそれか、あるいはおもちゃかと見間違いそうになる。
ただ美しいだけの宝石の塊にしか見えなかっただろう。
だがどう取り繕うともその塊はナイフであり、それ以外何者になるつもりはないようだった。
シズクは右腕でナイフを握りしめる。
最初から細胞の一部分であるかのようにナイフは「招き猫」の少女の手のひらに馴染んでいた。
馴染みすぎて、そう……まるで、透明になってしまうかのような。
溶けてしまうかのような。
「あれ?」
先んじてピコリーノが気づいていた。
本当に、シズクの体は消えてしまっていたのだ。
「あ」
神様もそう思い込んだらしい。
限りなくゲル上のそれに近しい硬度の眼球をぐちょりぐちょり、四方八方に巡らせている。
普通の人間、例えばきちんと地面に足をつけて堅実に、真面目に正しく生きている人間であれば、その時点で神に見つかっていたのだろう。
見つかって、そしてむしゃむしゃと食べられてしまっていたのだろう。
だが神様の願いは叶わなかった。
神は願いを叶えるだけで、叶えてもらうものではない、という話をしたのは誰だったか。
とにかく、少しひんやりとした空気が、ただ空気だけが確実に存在していた。
ふんわりと、凍る寸前ほどに冷たい水の雫が落ちる。
と、次の瞬間には。
「あ」
神様の目玉、弱点である眼球から大量の血液が溢れ出していた。
いきなり、突然かと思われる現象。
しかし冷静になって観察してみればただの殺人行為でしかなかった。
シズクは別に消えていたりなどしていない。
ただ目に求まらぬ速度で動いている、重力に逆らう勢いで走っているだけだった。
重力を忘れる。重さを忘れて動く、それがシズクの得意魔法であった。
重さを忘れて、しかし攻撃性はひたすら覚え続けている。
時として風が、雨が、雪が人の体を理不尽に傷つけ殺すように、魔法はただ目的を達成するために実行されていた。
殺人をするという目的、ただ一つを目指している。
元々は異世界から、あるいは別のどこかからやって来た人間を殺すために、少女は殺し屋の仕事をしているのであった。
ナイフが沈み混んだ肉塊。
少しだけ色褪せている血液が大量に吹き出した。
頸動脈どころの騒ぎではない、心臓そのものを切り裂かれたような、そのような勢いの出血量であった。
辺りに神の血の匂いが充満する。
とはいえその匂いは例えば人間ないし哺乳類、もしくは地球などの科学的根拠に基づいた物質が放つ臭気とは大きく異なっていた。
強いて言うなら魚の匂いに似ている。塩と水分の質量が圧倒的に多い。
「いやいや」
スピカ、らしき存在がピコリーノの思い込みを正そうとしている。
「そんなに複雑なもんじゃないでしょ? 海の匂いじゃん、これ」
「うん、まあ、そうなんだけども」
スピカの、妹の味気ない台詞にピコリーノは若干拍子抜けしていたのであった。
さて。
「通報があったと思えば」
関西の訛りを含んだ少女の声がある。
「神さん討伐の現場にはほぼ高確率であんさんがいるんやねえ」
モニカ・モネ、とその牛耳の美少女はまず手始めに自己紹介をしてくれていた。
少なくともシズクよりは遥かに「普通」っぽい彼女は、右目を隠している機械のような眼帯を指先でコリコリと弄くっていた。
「団員として、殺し屋の仕事ばかりしてもらうのも悪いことではあらへんのやけど……」
色々と気になる情報が遠くのネオンサインのようにゆったりと、魅惑的に明滅している。
とはいえあれこれ詮索を無遠慮、もしくは勇猛果敢に実行できるほどの胆力をピコリーノは有してなどいなかった。
とりあえず、ピコリーノは新しく登場してきた人物の情報を集めることにしている。
「え、私?」
自分についての情報を求められたモネは一瞬だけ目をぱちくりさせていた。
「私は、……あー……どこにでもいるフツーの職業魔法使い、神さま駆除を担当としている業者みたいなもんやで」
「なるほど」
ピコリーノは、形式上において納得だけを演出しようと試みた。
つまり「訳が分からない」という己の状態を秘匿しようとしていた。 なのだが、しかし。
「いやいや」
ピコリーノの所持する素敵な天球儀の内部からネオンサインが、スピカという名の謎めいた存在が現れる。
「見るからに堅気の人間じゃないっしょ! どう見ても裏家業の愛人的存在にしか思えないっしょ!」
「スピカぁ??! なに言ってんのぉ??!」
ド直球の無礼行為にピコリーノが悲鳴を上げている。
仮にスピカの主張が本当だとしても待ち構えているのはリンチという名の直球の殺人。
もしくは名誉毀損という名の社会的即死技である。
色々と、夜の速度のように危険性がピコリーノの頭のなかを駆け巡り、明滅していった。
それを端から眺めていたモネが若干困惑気味に彼女のことを心配している。
「あの~……? 大丈夫? えらい顔色悪ぅなっとるけれど?」
「バイタルに以上は来しとらんよ」
状況報告をするのは別の美少女。
名をジェラルシ・アンジェラと言うらしい。
桜の花びらのように可憐な色彩の髪の毛を頭の高い位置に二つまとめにしている。
所謂ツインテール、服装も何ともゴシック気味で可愛らしさが過剰である。
にもかかわらず、アンジェラなる少女はそれらの外的要素を全て見事に使いこなしていた。
「アンジー」
モネはアンジェラのことを親しげに呼んでいる。
「念のためにそこのお二方の健康診断をやってほしいんやけど」
モネは魔法使いとして、つまりは迷宮にて神殺しを仕事する身として、業務的な点検を行おうとしていた。
迷宮の管理。
それらもまた魔法使いが古来より生業としてきた仕事のうちの一つであった。
本来迷宮とはかなり限定された空間であった。
しかしかつて世界中で行われていた「侵略戦争」、それらがもたらした被害によって世界のルールは書き換えられてしまった。
それこそ、「魔法使い」が普通の職業になってしまうくらいには、世界は既にメチャメチャにされてしまっているのであった。
さておき、それはそれとして。
「と言うよりかは」
モネの方もすかさず質問の一手を伸ばしてきていた。
「自分としてはそちらのお二方の方が気になって仕方があらへんのやけど」
自己紹介である。
とはいえ、先程までの付け焼き刃な、その場しのぎの自己紹介を繰り返すつもりは更々なかった。
「私らはさすらいの占いし、兼料理人、だよ」
バンビノ・ピコリーノという名の少女は自らの役割を言葉にしていた。
「とりあえず、お腹はすいておりませぬでしょうか?」
さて。
招かれざるは拒絶する、魔王城である。
「どれくらい拒絶するかと言いますと、休日午前の宗教勧誘レベルには居留守を使いたくなるくらいの拒絶感です」
シズクはお客人に丁寧な説明をしている。
城の持ち主としてお役目を果たそうとしているつもりなのだろうが、決してうまくいっているとは言えそうになかった。
「基準がよくわからないっていう、ツッコミをしたいところだし、ぜひともするべきなんだろうけれども」
ピコリーノは姉のスピカと顔を見合わせた。
流石のスピカも、この状況には少々面食らっているようであった。
「いまいち共感できそうにない例え話はともかく、だよ」
スピカは周囲をキョロキョロと見渡している。
「ここって、あの……いわゆる店だよね?」
魔王城、という看板がおっ立つ。
「ええ、ええ、そうですよ」
シズクは来訪者である二方に場所の説明をしている。
「一応は、……本当に一応は、かろうじて一応は! 喫茶店という形式として商売を認可されております」
「ものすごく否定したがっている……??」
ピコリーノは己の職業上の特技として相手の不快が至る部分に敏感に気づいている。
「でも、どこからどう見ても立派な喫茶店だよ」
スピカはいつの間にかサラリと注文し終えているフルーツティーを啜りながら店内を一望した。
たしかに場所の説明としてはこれ以上もこれ以下もどうしようもない。
なぜならそこは見事に喫茶店で、あまつさえ「素敵」に分類される喫茶店なのだ。




