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ぼくとわたしの生存戦略プロトタイプ  作者: 迷迷迷迷
土になった初恋を食べる
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昔話「アンジェラ」その四

  病院の病室。

  静かかで清潔で、ホワイトを基調とした優しい色合いで世界観が構成されている。


  そこで彼女はアンジェラに微笑みかけていた。

  彼女の皮膚はほとんど残っていない。

  火傷を雑に処理した直後のように不安定な表面だけが中身を守っている。


  アンジェラの手を愛しそうに撫でる。

  指はほとんど残されていなかった。

  斧か何か、何かしらの刃物でズタズタに切り落とされて、残っているのはクリームパンのような形状になった手の甲だけ。


  右手に至っては、手首ごと切断されている。


  足は、妙に綺麗な形状で残されていた。

  元々は、アジア圏の人間の女性の体型に照らし合わせて大きめの身体だったのだろう。

  スラリとした長さが、アンジェラのまぶたの裏にランウェイを、現実逃避のように輝かせている。


  だが輝きでは誤魔化しきれない、果てしない暗黒が広がり続けている。


  彼女は自由に歩けない。

  足の筋肉は徹底的に破壊されている。

  一見して綺麗に見える足の形も、入院着を少しずらすだけで大量の傷跡が簡単に、簡単すぎるほどに顕になってしまう。


  切り傷、打撲後、ブツブツとした黒カビのような火傷のあとのそれは、アンジェラもよく母の背中に眺めていた。


「あー」

 

  彼女がアンジェラの頬を撫でようとする。

  愛おしそうに見つめる。

  右目は、まつ毛が長い、少し色の薄い茶色の虹彩。


  片方は潰れていた。

  性格には眼球そのものは残ってはいる。残ってはいるが、およそ視覚は残されていそうにない。

  黄土色に濁り、黒目でさえ白内障のようになってしまい、筋力が機能していないのか、視線はあらぬ方向を向いている。


  斜視を想起させる。

  しかし現実的、科学的な症例に例えられないほどに、彼女は傷ついていた。


  傷つき果てていた。


「あー」


  そしてついには言葉さえも奪われている。


  口付けをするような近さで顔を寄せられる。

  消毒液の匂いが立ち込める彼女の口腔内はピンク色の粘膜に包まれている。


  歯は無い。全てが無い。

  下も、もはや真っ二つと言えるほどに裂けている。

  これでは発音も困難のはず。


  首に手術跡がある。

  喉も潰されいるのだろう。


  もう、何も残っていない。

  とさえ、アンジェラは思い込みそうになった。


  考えを必死に振り払おうとする。

  試む。試みへの決意を深めるために彼女の手を握り返そうとした。


  指がなくたって握手はできる。


  とにかく、アンジェラは彼女を癒したかった。

  あまりにも傷だらけの彼女をに、少しでも安らぎを。


「ぎゃあああああああああああああ!」


  触れた瞬間、アンジェラは彼女に思いっきり突き飛ばされていた。


  関係者であると、勝手に勘違いされてそのまま入室した。

  病室の硬い床の上、ひんやりとした硬さの上にアンジェラは叩きつけられる。


  痛い。

  だがそれ以上に。


「……ぅぅ」


  彼女の悲鳴が苦痛だった。

  それは助けを呼ぶ声だった。


  聞いたことがある。

  耳にしたことがある。母が恋人だった男に殺される直前、同じ声を出していた。


  同じ意味を持つ言葉だった。

  アンジェラは耳を塞ぎたくなる。

  耳を引きちぎって穴を埋めて、ついには鼓膜さえも破りたくなる。


  耳に触れようとしたところで。


「エミ!」


  大人の女性の鋭い声が鳴り響いた。


  カツカツとヒールの音。女性は床にころがっている謎の子供を一瞥したあと、そんなことよりもと、エミと呼ばれた彼女を宥めている。


  大人の魔物の腕力、あるいは既にこの状況に慣れきった所作。

  女性はエミを落ち着かせることに、何とか成功する。


「さあ、今日はもうおやすみなさい」

  女性の提案にエミは幼い子供のように返事をして、そして瞼を閉じている。


  寝息を確認して。

  そして女性は警戒するようにアンジェラの方に近づく。


「それで? あなたは誰?」


  声が刺々しくなっているのは、彼女自身緊急事態の連続に精神が酷く緊張してしまっていたから。


  だからこそ、アンジェラは久しぶりに向けられた他人の直接的な敵意に怯えきってしまう。


  怯えてはいけない、あたしは魔法使い、「普通」の人なんかに怯えてはいけない。

  自らに命令を下せば下すほど、アンジェラの頭は混乱し、体はブルブルと震える。


  こんな時、ジェラルドならどうするのだろう?

  きっと彼女たちを優しく、紳士的に宥めるに違いない。


  最愛の人を思い浮かべて、恐怖から少しでも逃れようとする。


  逃避行位の気配を、スーツ姿の女性は見逃さなかった。


「はあ……」

 

  若干苛立ちを含んだため息をひとつ、吐き出した。


  そのすぐあとには既に彼女も敵意を隠す術を行使している。

  謎の髪の短い幼児と少しでも目線を合わせるように跪く。

  幼児の警戒心を和らげるために、努めて優しい声音を使う。


「いきなり怖い顔をしてごめんなさい。

  私の名前はリン。あなたの名前は?」

 

  とにかく相手の情報を少しでも多く集めたい。

  という意図。

 

「……」


  アンジェラは分かりやすく経過しいた。

  相手をじっと見て、せめて殺意がないかどうか、それだけでも予想を立てようとしている。


  観察しようと努力している。

  視線の気配。イチゴのように鮮やかな虹彩に浮かぶ感情。


  それを見て、リンはほんのりと悲しそうにしていた。


「よく分からないけれど、あなたも大変な思いをしてきたのね」

「……!」


  自分の心情を読み取られた。

  他人に心を覗かれたような気分になり、アンジェラは途端不快感に牙を剥く。


「あなたに何が分かるん」


  リンは悲しみをうかべたまま、もう少しリラックスした姿勢で床に座り直している。


「まあ、ね。自分で言うのもあれだけど、うちもまあまあ苦労人だと思うからさ」


  そして視線を、ベッドの上に眠るエミに向ける。


  横顔は今にも泣き出しそうで、アンジェラは思わず凝視してしまっている。

  見たことの無い顔、女の表情をこれほどまでに美しいと思う。

  感情があまりにも未知の世界観すぎていて、アンジェラはいよいよ目が回りそうになっている。


  ふらつく視界の中、アンジェラはジェラルドにとても会いたくなっていた。

  今すぐ彼に抱きついて、抱きしめてもらって、笑いかけてもらって、一緒に眠りたかった。


「あ、ちょっと顔色が良くなったね」


  リンに指摘されて、アンジェラは一気に恥ずかしくなる。


「べ、別に……」

「その顔は恋をしている顔だよ~?」


  恋という単語を、そんな少女漫画でしか目にした事の無い言葉を、まさか自分に向けられるとは。


「なっ……なっ……!」

「あはは、もっと真っ赤になった」


  リンはアンジェラを茶化す。

  ふざけようとしている、空気を少しでも和ませようとしている。


  しかし彼女の努力も虚しく、病室には決定的に覆せない暗い冷たさがが存在していた。


  消えてくれない感触。

  熱を取り戻した、アンジェラは勇気を振り絞ってみる。


「あの、リンさん」

「なあに?」

「その……えっと……エミ、さんは……」


「ああ」と彼女はすぐに返事をしてくれた。

  答えを返す、意向はある。


  問い自体は既に彼女の日常とも呼べるほどに、深く食いこんでしまっているのだ。


「エミちゃんは私の、私の、……お仕事仲間だった子」

  リンはアンジェラの方を見ていない。

  見ようとしていない。

「戦争の時に、えっと、……軍人さんと一緒に食べ物を食べたりお酒を飲んだりする仕事があったの」

  違う、見れないのだ。


  アンジェラは直感した。

  想像力が血液のように巡る。

  だが巡る思考は決して温かいものでは無かった。

  優しいものでは無かった。

 

  アンジェラの脳裏に母の姿が思い浮かぶ。

  もう顔も声も思い出せない。


  なのに、母の呼吸の音だけは思い出せる。

  粘液の匂いだけは思い出せる。

  唇の端からこぼれ落ちる苦しそうな呼吸、そして白濁、そこに混ざる母の唾液のねっとりとした匂いが。


「誤魔化せられないわね」


  リンの声が酷く強く頭に響くものだから、アンジェラはもう少しのところで叫び声をあげそうだった。


  やけにクリアに見える視界。

  リンは同じ場所にいて、同じ悲しみをずっと抱き続けている。


「そう。あるとき軍人の集団がエミちゃんを、……めちゃくちゃにした」


  無駄な抵抗だとわかっていながらも、リンはそれでも近くにいる幼児を少しでも醜い世界から遠ざけようと頑張っていた。


「それ以来エミちゃんはずっとこのまま、記憶も混濁して、自分が何歳かも分からない」


  夕方が近づこうとしている。

  日の陰りを感じ取った、リンはアンジェラをそっと立ち上がらせ、病室の外へと案内する。


「おチビさん、住所は?」


  アンジェラはジェラルドが待つ家の場所を簡単に教える。


「送っていくよ」


  お気づかいなく。と遠慮しようとしたアンジェラを、リンはほぼ強引に連行するように暖かい車内へと誘った。


「まったくもう、そんなちっこい体で一丁前に遠慮なんかしちゃって」


  はっきりと子供扱いされてしまっていることに、アンジェラはむくれてしまう。


「あたしは、こう見えても魔法使いなんじゃから」


  この地方独特の訛りを心地よく耳に、リンはアンジェラと楽しく会話をする。


「へ~え? イマドキ魔法使いだなんて、ずいぶんと時代遅れな夢を持っているね」

「夢なんかじゃない! あたしにはすでに目指している一流の魔法使いがいるんじゃけぇ」

「へえ! 誰それ、かっこいい人?」

「かっこ、いい……っ」

「あ、赤くなった。もしかして? それって君の好きな人?」

「なっ……!」

「いや~ん♡ もういちごみたいに真っ赤になっちゃって、そうかあ、今どき男同士なんて随分と贅沢な恋愛方法だねえ。これも、戦争が終わってくれたご褒美なのかな……」

「?」

「で? で? その人の名前は?」

「……なんであなたに教えなならんのです」

「え~? いいじゃーん、ここであったご縁ってことで」

「うぐぐ……」


  仕方ないと、アンジェラは名前を教える。

  世界でいちばん尊敬している人、世界でいちばん大切な人。


  そして多分、もしかすると? アンジェラがこの世界で一番愛してる人。


  返事はかえってこない。

  静けさが車内に、不自然な程に累積する。


「リンさん?」


  アンジェラはリンに質問をしようとした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] かなり残酷で人は選ぶと思いますが私は好きです。読ませていただきありがとうございます。
[良い点] なんとか助けたはいいけれど、エミさんは自分が助かったことすら分かっているのかな……という状態ですね(;´・ω・) 最後の部分、リンさんの反応が気になります……リンさんはジェラルドのことを知…
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