雑貨屋トットテルリ、コーヒーあります
「あたしだってもっと楽しい青春を過ごしたかった」
「青春」という言葉、現象、時期、空間や空気についてをカンパネラは語っている。
「あたしの青春は、死んでいた。自分で殺したんだ、確かね」
「詩的な表現」
ジョズは小馬鹿にする、怒りがまだ上手く収まらないようだった。
そしてもっと厄介なのがカンパネラ自身がそれをただの然るべき現象として受け入れていることだった。
地震や雷には怒らず、親父にはしっかりと復讐できる。
実在している問題だった。
そしてその問題は永遠に解かれない。
「いじめの加害者としてずっと、ずっと、あたしはどこかでいつも自分に幸せな青春はふさわしくないと、そう信じようとしていた。
信じ切って、そうして自分の醜さから逃れようとしていた」
「現実逃避か」
ジョズは魔王手作りの美味なるコーヒーに意識の半分……いや二割程度を割くことにした。
カンパネラのそれは、やはりどうしても加害者側の情けない現実逃避にしか思えず、それがジョズにはどうしても怒りを誘発させるものだったのだ。
そして、殊更厄介なのは相手の抱く不快感を誰よりも、おそらくはこの世界の誰よりもカンパネラ自身が自覚し、あまつさえ深海のごとく深い理解力を示している。ということだった。
「事の締めとしては」
分かりきったことを、もう何度も繰り返してきたように、カンパネラはもう一度繰り返していた。
「あたしが、あたし自身の手で、全部台無しにしたってことなのよ」
ブロッコリーの芽の数にも匹敵する回数、カンパネラは何度も繰り返してきた。
「楽しい学校生活も。
友達とのひとときも。
恋人作ったり、青春っぽい色々、あたしが自分で全部台無しにした」
「それは……」
ジョズは年上として、できればなるべく男らしく頼りがいのある意見を選ぼうと努めていた。
そうしたくなるほどにな、怒りを通り越して憎らしいほどに、彼女の横顔は美しかったのだ。
「自己犠牲がすぎるな」
嘘をつく必要もなく、ただ思うがままに正しいと思う言葉が自然と浮かんできていた。
「別にあいつは、お前に延々と不幸せな人生を送って欲しいと思っている、……願っているわけではないと、思うが……」
言葉が尻に向かうほどに音が小さくなってしまう
現在進行で思考を動かすほどに、カンパネラがあの青年に許しを与えてもらいたいわけではないということを再確認させられてしまう。
「彼は、キリさんは、あなたを一生許さないのでしょうね」
残酷な話をするようだが、しかしシズクの意見は限りなく真実に近い位置に存在しているのだろう。
他ならぬ「人間」を殺すことに特化した技巧を身に着けている殺し屋、魔法使いなのである。
敵の表情を見るのは、観察するのは、生き延びるために必須のスキル。ただそれだけの事だった。
つまりは、シズクはずっと相手を敵と認識しているようだった。
あるいはもしかすると、この場所には、この猫耳の少女にとっての安息の場は存在していないのかもしれない。
「許すも許さないも、他人が決めるべき事柄ではないと、ぼくはそう考えてます」
「と言うと?」
場面は一気に女同士の会話になった。
あるいはそれは女子小学生の交換日記のように強制的で脅迫的。
あるいはそれは女子中学生の陰口のように的外れで広範囲。
もしくは、やはりただの世間話、井戸端会議だったかもしれない。
「自分を許せるのは、自分だけなんですよ」
シズクはカンパネラに向けて持論を語っている。
自分語り。誰かを救うための説法や、他人に影響をもたらすために繰り出された呪文のそれらとは決定的に異なっている。
自分だけに限定された、酷く狭苦しい視点においての論述だった。
「己の罪を最後の許すのも自分で、それは罪人が善行に進めば進むほど自身の内なる裁判官は存在感を増すのです」
「なんだかポエミーになってきたね」
「ぼくは女の子ですからね」
シズクは少しだけ上手なウインクをする。アイドルさながら、愛らしさと憎らしさといじらしさが程よく炸裂している。
「ちょっとしたポエムのノート十冊や二十冊、崖上のカモシカの足のように軽々としたためてみせます」
「書きすぎだっつうの」
あながち見栄っ張りのでまかせとも言えない雰囲気にカンパネラはシズクに対する警戒心を深めている。
「誰かをすくいたいと願うのならば」
シズクはさっさと持論を片付ける。
「まずは自分が救われなければならないのです、そして、その自分を最も根本的に救うには、誰かを助けて、助けて、助け続けて、やがては己を許せると誤解することが前提となります」
でなければ他人に見捨てられるか、あるいは自罰に滅されるだけ。
「ただそれだけのことです」
「簡単、だね。うん」
結論はついたようだった。
それにしても。
「いやあ、高い依頼料払った甲斐ってものがあるね、やっぱり」
そういえば、とジョズも事の状態を思い返していた。
「そういや、これは魔法使いが介入している仕事だったか」
ジョズはとてつもなく苦いものを噛み潰したような表情を浮かべていた。
「無法者の取引は危険だぜ?」
「いきなりの老婆心?」
しかしカンパネラの方はむしろジョズの方を心配してしまっていた。
「今どき魔法使いに仕事を頼むなんて珍しくもなんとも無いけどねー」
「そうなのか?」
ジョズは心の底から疑問をいだいているようだった。
彼の思考の中、あるいは現状保持している記憶においては魔法使いという存在はただのやくざ者でしか無いようだった。
「それは」
魔法使いという存在に対しての弁明はルイが率先して行っている。
無表情でかなり分かりづらいが、この魔王陛下は若干強めの不快感を胸の内に滲ませているようだ。
「かなり時代遅れな発送と言えましょう、化石石器、いずれにせよ表層化する前に地層の奥に眠ることを推奨します」
「なかなかエグいこと言うな、我が敵魔王陛下は」
特に怒ることもなく、むしろジョズは魔王を目の前に楽しそうにしていた。
「なんかウキウキしているけど?」
今度はカンパネラのほうが彼に不理解を示す番であった。
「かなりの高レベルで馬鹿にされているような気がするんだけど」
「それは言えているな。だが」
ジョズはフム、と状況についての考察を巡らせている。
「しかしあながち、どうしてか、どうしても怒ったり否定したりする気になれねぇな」
暗に己に向けられた罵倒のすべてをただ受け入れているだけに過ぎない。とも解釈できる。
「そんな世捨て人みたいな物の考え方してねぇよ、年寄じゃあるまいし。
ただ単に、俺はお嬢ちゃんに向けてマウントを取っているだけだ、自慢話だよ」
カンパネラは望むところであると、臨戦態勢を踊るように整えている。
シズクのそれとは比べられないにしても、やはりカンパネラも迷宮を相手に日々仕事をしているのだ。
どう頑張っても、どう誤魔化し取り繕おうとも、どうしようもなく頭のイカれた女なのである。
「ぼくとしては」
シズクは報酬を追加していた。
「ジョズさんの身の上話、所謂ところの「自分語り」をぜひともお聞きしたいところなのですが」
「ほう?」
ジョズとしてはまあまあ予想外の提案と要求であったようだ。
「俺の話なんて」
興味がないだろう、という流れに持って行きたがっているようだったが。
「聞かせてよ」
ジョズは大人しくカンパネラの要求を飲み込むことにした。
さて。
「俺が戦争に参加していたって話は、もうし終わっているという認識でいいよな?」
「もちろん」
今更の話をカンパネラは軽く受け流している。
ジョズは話し続ける。
「そこは紛れもなく地獄だった」
結論としてはそうとしか言いようがない。
ただそれだけのことだった。
「だが」
話はそこで止まらない。
「問題は、残念ながら「そこ」には存在してなかったのだと、そう、今この瞬間にようやく分かってきやがったよ」
思うところを話してみた。
「思い出話をするんだ」
ジョズは自分自身を納得させようとするかのように話し続ける。
「俺が……俺たちが所属していた部隊はかなり無茶な命令を下されちまっていた」
あまり職場として優良な環境とは言えなかったようだった。
しかしそれでも、ジョズの語る様子にかつての場所への憎しみはあまり含まれてはいない。
どこか、あたたかな感触の記憶としてジョズは戦争を認識しているようだった。
「人間に、戦うための存在として心を加工された影響も、無くはないんだろうが……」
ジョズはまずもって言い訳のような前提を置かずにはいられないようだった。
行動する理由としては、己の満ち足りた記憶が隣の可憐な女の自尊心を酷く傷つけるということを、彼は痛いほどに直感しているから。
悪いことが起きるに違いない。
予感は秒針よりも速い速度で確信へと変わり、やがての果てにはただの生あたたかい現実として受肉するのだろう。
しかし思いやりの全ては、すでに無意味に到達してしまっていた。
「そこが、……「そこ」にこそ、ジョズくんの青春が輝いていたのね」
カンパネラの指摘。
指をさすわけでもなく、ただ言葉という透明な媒体にてジョズ一人を現実の中に指定している。
「ああ」
ジョズは諦めて降参していた。
「平和を享受するこの時代よりも、俺に取っちゃかつてのクソみたいな戦争時代のほうが、あんたより……ああカンパネラ、あんたのゴミみたいな青春よりも遥かに輝いていた」
断言すると、ジョズは笑顔の相手を泣きそうになりながら傷つける。
「誰も他人を傷つけようなんて思わなかった。生き延びるために、とにかく他人を気遣い尊重し合っていた。
それなのに、お前らと来たら」
「狭い臭い教室の中で、勝手に共食いを開始するんだもの」
あまつさえ。とカンパネラは自分の指先を、どこか遠くを眺めるような視線で凝視していた。
「戦争を、あたしたちは無意味な戦争をしていたのよ」
どうやらカンパネラは泣いているようだった。
「そしてあたし一人だけが負けた」
涙がぽろぽろとこぼれていく。
「クラスのみんなも、キリくんでさえ、さっさとあの戦場のことを忘れた」
「それは仕方のないことなのです」
シズクがカンパネラの話に返事をする。
シズクは、どうやら喫茶店においてはあまり優秀なメイドとは言えないようだった。
現にものすごくサボっている。
実に不真面目なメイドであるが、しかし喫茶店のマスターである魔王陛下の寵姫であるためお咎めはされない、絶対に。
「いじめという行為は一つの発生に付き、とても多種多様の戦争状態を生み出します。
今日もどこかの教室で戦場が生まれているんです。そしてそこで戦場の弱者は強者に殺される。昨日でさえ強者だったはずのものも、気がついた頃には弱者として殺されている。ええ、その戦場はとても暗いのです」
シズクの話を聞きながら、カンパネラは頭の中で「嘘の戦場」について勝手にイメージを作っていた。
その戦場は、シズクが供述している通りやはりかなり暗いのだ。
暗くて臭くてジメジメとしていて、おまけに天井には訳の分からない宗教画がびっしりと記されている。曼荼羅のように生真面目で磔刑場のように血生臭く、あるいは女神が生首を首飾りにしているかのように突拍子がない。
「そんなハチャメチャな宗教画は、」シズクはカンパネラの想像に更に具体性を持たせてくる。
「おそらく近くでよく観察すると、ただの言葉の羅列で構成された点描のようなものなのでしょう」
「点描」
「ええ、ただの点々です。点を構成するのは……そう、「みんななかよし」。そのような感覚の標識が相応しいと言えます」
「なるほどね」
なかなかにおぞましい戦場が出来上がった。
空想の戰場。
この世界のどこにも存在していない。そのはずなのに、その場所が放つ呪いは世界に確かに存在し続けているのだ。
「おそらくは」
シズクはほほえみながら、豊かな想像をするように満ち足りた微笑みを口元に柔らかく浮かべていた。
「人間の魂、いや、獣の心ですら、その戦場を完全に破壊することは不可能なのでしょう」
シズクにしてみれば空想話に適当なオチを着けたかったつもりだったのだろうか。
事実、イメージを望んだ本人であるカンパネラはそれで物語を締めくくろうと準備をすでに整え終えているような気配が合った。
つまりのところは、もうそろそろ家に帰りたいという雰囲気を醸し出している。
なんとなく! である。
なんとなくジョズは彼女をこのまま家に返したくないという強い欲求に駆られていた。
「もう少し、話がしたいんだが」
手前ですら寒気がするほどにテンプレートな呼び止めを使ってしまった。
流石に少女たちもびっくりしてしまっているようだった。
「おやおや」
カンパネラが意外なものを見つけたような視線をジョズに向けて固定していた。
「かつて戦ったという天使ともされる存在が、まさかワンナイトをご希望とは」
「ンなわけねぇだろ、俺に犯罪趣味はない」
ロリコン趣味にはあまり興味がない、という状態。
肉欲関連の関係性においてはほぼ無関心に等しい。というジョズの心理的傾向を歩いていど把握した上で、カンパネラはまだ相手の要求を飲み込めないでいる。
「自分でも厄介なことを言っているつもりだ」
やたらと重苦しい空気に変わる。
いそいそとギャラリーが増え始めていた。
段々と周囲の環境が暇をふくらませるほどには、彼らは長々と空想話を堪能していたようだ。
「何なん?」
牛耳の美少女、あるいはエルフ耳の美少女が興味津々にこちらに注目している。
彼女らは決して戦場から目をそらさない。そんな感じの、実に厄介そうな魔物であった。
「話を聞いてもらえるなら、万々歳よ」
カンパネラは話したがっている。
付き従う、憑き従わせているジョズは、彼女の意向についていくことにした。




