雑貨屋トットテルリ 今日は閉店
「契約は為されたね」
どこからともなく神もどきの声が聞こえてくる。
戦争の遺物、かつては生物を殺すために作られ育てられた存在。
「全てはあなたの手の中の戯曲、ということですか?」
遺物に向けてシズクは話しかけている。
「さぞ愉快でしょう、愚かなる我々が憎しみを基軸に躍り狂っている様子は」
どうやらシズクはかなり怒っているようだった。
誰かの都合で、個人の感情が好き勝手に一方的に利用されるという状況が少女には許しがたい事態であるらしかった。
「シズク」
リップヴァン・カンパネラという名前の女性が、魔法使いの少女を押さえ込もうとしている。
本音を言えば体を使いたい。
全身を使って魔法使いの少女を押さえ込まなくてはならない。そう、カンパネラは想定していた。
もしかすると、かなりの高確率において願望を抱いていたのかもしれない。
カンパネラは今すぐに遺物であるジョズが殺されることを望んでいたに違いない。
「そうでなければ、君はいつか自殺を考えるようになっただろうね」
ジョズが、遺物らしくカンパネラが進むであろうもしもの道筋を予言している。
シズクはいよいよ世界まるごと相手を破壊しそうなほどに怒りを膨らませた。
「何が気に入らないんだい? 子猫ちゃん」
茶化すようにしているジョズは、もしかすると誰よりも少女の怒りを理解しているのかもしれなかった。
「ああ、ああ。そうかそうか、魔法使いというものは、個人の意識を何よりも尊重するんだったね? そんな、反社会的で餓鬼臭い我儘を今さら持ち出すとか」
ジョズのそれは、実に真に迫った嘲笑であった。
笑われて、しかしシズクは特に怒りを膨らませることをしない。
他人の感情に関係なく、あくまでも己の内側においてのみ発生した怒りにだけ固執しているようだった。
「心というものは秘密があればこそ成り立つ意識であると、ぼくはそう考えています」
ナイフを取り出しながらシズクは己の我儘を貫き通す。
「悲しみがある、喜びがある、愛しさがある、切なさがある」
そして、次は少女の方が遺物の側を嘲っていた。
「それらが磨耗するには、まだ我々はあなた方のように歳を重ね、成熟し腐乱し、枯れ果ててはいない。
残念ながら、この世界ではまだ人間の魂も獣の本能も、輝きを失うには早すぎる」
シズクは己の意思を言葉にする。
「ぼくは、個体に限定された意識が膨れ上がり、爆発的な勢いを産み出すあの奇跡のような偶然が大好きだ。
美しい絵を見たときの感動。
楽しく漫画を読むときのあの浮遊感。
悲しい小説が潤す眼球の涙。
あなた方は、それらを侮辱したも同然だ」
洗脳という行為。それらがシズクにはどうにも、どうしようもなく許せない事柄であるらしかった。
「俺が許せないようだな!」
ジョズ・ストーンはシズクを挑発しようとした。
しかし。
「いいえ、特別あなたに憎悪を抱いてはいません」
「あれ?」
しかし帰ってきた反応はあまり劇的なそれではなかった。
シズクは、やはり子供っぽく答えるだけだった。
「気に入らないだけです。自分の欲望を叶えるために他人を利用するくらいなら、いっそ仕事なりお使いなり何なり……例えばぼくでもよろしければ、世界の一つや二つくらいなら全力で滅ぼして見せたというのに」
「ええ……」
つまりは、他人任せが大嫌いなだけのようで、それ以外に対した理由はないようだった。
「お命、頂戴!」
電光石火。
実際には電気も火も持たない、後に残っているのは小さな雪の欠片だけだった。
直線上に進む、目に求まらぬ早さ、風のような軽やかさでシズクはジョズの肉にナイフを沈めようとしていた。
深く深く、ナイフが肉を貫く。
貫通したはずの刃物は、しかしてジョズの決定的な部分を切り裂くことはできなかった。
「チッ……」シズクは舌打ちをする。
ナイフに串刺しになっている真っ赤な肉、タコの触手のような肉片をナイフの一振りで振り落とす。
「往生際が悪いですね」
シズクは、今度はもっと分かりやすく相手を罵倒し始める。
「仮にもかつての大戦争の英雄とされる存在が、身代わり人形などという姑息な手段を使うとは!」
「俺は別に英雄じゃねぇし、そもそもその触手の1本はヒト代わりではなくもれなく俺の肉体の大事なひとかけらなんだが?!」
すっかり場面がシズクの狂気と強行的凶行に支配されつつある。
「これが魔法使いが得意とする「場面の支配」なのかな……?」
狂気的な空気に対抗しうる、別世界の狂気。
「端から見るとまさに地獄絵図! やねぇ」
助け船は殺し屋側から温情として手渡されていた。
こつん、と背後からシズクの頭を小突く指がある。
モネであった。
「こらこら、シズちゃん」
モネは笑顔で部下をなだめている。
「お客様の手前であんまり粗相したらあきまへんて」
あくまでも魔法使いたちは仕事のクライアントを優先するつもりのようだった。
これが「人間」であれば立場の差異に不遇を訴えるのだろう。
例えば神の御前で無礼であるだとか、ありきたりなファンタジー小説のお貴族様キャラの素振りを自然と振る舞えるのだろうか。
しかし残念ながらこの場面に人間はいなかった。
人間らしい奴もいないし、そもそも皆一様に魔物で、魔界側の生き物でしかないのである。
取り分け事の中心を担うジョズ・ストーンは、魔なる存在の頂点に位置する存在。
もとより人間らしい、人道的なやり取りは期待してなどいないようだった。
「魂胆を教えてもらおうか」
いつの間にやら背後を確保していたのはアンジェラであった。
「背後っつうか、たまたま道すがらの通り道がこちら側だったわけなんじゃけど」
「ええ~?」
ジョズはちみっこいツインテ娘を疑わしく弄くっている。
「ほんとにござるか~?」
「ジョズさん……」
彼の様子をカンパネラがあきれ気味に眺めていた。
さて。
魔王城である。
「普通に招かれた……」
ジョズ・ストーンは人の姿に戻って、城の一室で茶を嗜んでいた。
ジョズは人間の男性の姿になっている。
本当の人間であったのならば整髪剤の何かしらの深みを含んだ薬剤の匂いを身にまとっていそうな。
少しシックな作りのコートがよく似合う中年男性であった。
「イマドキのイケメンと言うよりかは」
机に頬杖をついて、カンパネラがジョズに話しかけている。
「古きよきハンサム、って感じ? だよねー」
「しれっと世間話しているところとても申し訳なんだけど、カンパネラちゃん」
ジョズは隣に座る彼女にとても戸惑いを見せている。
「君、つい数十分前まで俺に取り殺されそうになっていたはずでは?」
本来は戦争兵器の遺物であるはずのジョズ・ストーンはカンパネラの切り替えの速さに戸惑いを見せずに入られないでいた。
「フツーはもうちょっと躊躇いってものを見せるべきだと思うんだが?」
「は? 意味わかんない、なんであんたの都合に合わせてこっちの気分変えなくちゃいけないワケ?」
会話の雰囲気としては年の近い男女の兄弟のようである。
しかし実際のところはとてもそのようなハートフルな関係性とは呼べなかった。
「なんてったって、寄生虫と寄生主じゃけぇのお」
彼と彼女の関係性をざっくりさっくり要約しているのはアンジェラであった。
そう、ここはアンジェラがバーテンダーを務める酒場であった。
「いやいやいや」
ツッコミどころが多すぎる!!
と反論を示した声は必ずしもひとつに限定されてはいない。
つまりは二人いた。
「待たんかい」
もう少し重量感のある男性の低音があった。
ライカ・クドリャフカという名前の男性。
……男性? なのだろうか?
いまいち自信を持って判別が着けられないのは、クドリャフカの姿がもれなく犬以外の何物でもないからだった。
それなもう見事な犬。
かなり丁寧に手入れがなされているのだろう、その毛並みは本物の柴犬のそれのようにふっくらつやつやとしていた。
「未成年が酒飲んでんじゃねえよ!」
犬のようなクドリャフカは、とても畜生の思考とは思えないほどマトモに若者たちへ叱責を送っていた。
「なんなんだろうな……」
喫茶店の内部にて、陽の光に満ち溢れた店内にジョズのため息が虚しく漂っていた。
「俺はもしかするとまだ夢でも見ているんだろうか」
「夢」
喫茶店のカウンター席。
ずっしりとした重みを感じさせる木材の設えの上。
きれいに、丁寧に、若干過剰なまでに清潔に磨かれた机の上にジョズが頼んだ特性コーヒーが置かれている。
もこもこと湯気を呟く、黒くて温かな飲み物。
「特性」と銘打っている、その理由について特別ジョズは深く想像を巡らせることはしなかったようだった。
故に、ジョズはコーヒーを口内に含んだ瞬間に一瞬、ほんの僅かだけ、世界を祝福したくなりかけていた。
「……うまいな」
兵器として侵略戦争の時代を生きていた存在であることを自覚してるつもりだった。
だからこそ戦場において美味は不必要であり、己に味の善し悪しの違いなどわからないはずである。
そう、ジョズは思い込んでいたようだった。
しかしどうだろう? これは一体どういうことだろう?
「こんなにもうまいコーヒーが……こんな世界に存在していたなんて……」
「ええ?! そんなに?」
らしくなくジョズが真正面から褒め称えるので、たまらず彼の隣に座るカンパネラが一口の試飲を要求する。
いざ口に含む。
ふむ、たしかになかなか乙な香りがする。
……だが。
「そんな、奇跡みたいに褒め称えるほどかな?」
どうやらカンパネラにとってはあまり好ましいとは言えない味であるらしかった。
それもそのはず。と、ジョズはすでに推理に近しい予想を思考の中で組み立てている。
「つまりは、バリスタがものすごいスピードで客個人の味の好みを判別し、それに合わせたブレンドなりなんなりをしている、と?」
「はい」
返事をしているのは喫茶店の店員。
アイオイ・ルイ、すなわち魔王城の主である魔王様であった。
「なんで魔王陛下がカフェの店員してんだよ?!」
ジョズは至極真っ当なる指摘をしてきていた。
ルイが即答する。
「アルバイトをしている」
現状答えられる回答といえば、せいぜいこれらが関の山であった。
「本業ではとても健康的な生活を保証出来ない旨、せめて自己の適性を再活用し得る職業を、と思った所存」
つまり。
「味覚とかその辺が敏感すぎるから、それを生かしたバイトに勤しむ、と」
カンパネラが要約をしていた。
彼女は彼女なりにすっかりこの状況に慣れてしまっているようだった。
「それにしても驚きだよね」
カンパネラは感慨深そうに呟いていた。
机の上にはふんわりと口当たりの良さそうなパンケーキが、半分以上は口の中に消費された状態で静かに存在している。
「驚く」
ジョズはカンパネラの心の有り様についてを想像してみる。
割合真剣に考えようとしていた。
やはり相手が相手である。つい数十分前まで取殺そうとしていた相手なのである。
「ぼくは! その件についてはまだ完全に許したわけでは無いですからね!」
グルグルと野良猫のように起こっているのはシヅクイ・シズクであった。
どうやら彼女も一応は、このイカした喫茶店の関係者であるらしい。
「メイドをやらせてもらってます」
「あ、その変な服メイド服だったんだ」
新事実にカンパネラは若干驚いていた。
変呼ばわりにシズクは心外と大げさに傷ついている素振りを見せる。
「んぐるるる……変とは……」
魔法使いらしく横柄に横暴な態度を演出しようとした。
だが。
「ううぅ……そんなに変化なぁ……」
「うわぁー予想以上に傷ついちゃった、ごめんなさい」
カンパネラは言い訳のような速度で訂正を加える。
「なんというか、露出過多というか? 十六歳の身空が身につけるには若干煽情的というか?」
色々とごまかそうとしたが、しかしカンパネラの方も結局はうなだれることになった。
「ああ……ああぁ……もう、あたしっていつも余計な一言ばっかり言うんだから」
「そうか?」
ジョズは違和感を一瞬抱いた。が、すぐに彼女の思うところを直感している。
「そんなに気に病むこと無いだろうよ」
思いつく方向性でジョズは被害者をなだめようとしている。
「言葉がキツイやつなんて、この世界に五万と存在しているんだしよ」
我ながら理解者ぶりが薄ら寒いと、ジョズは自虐したくなる。
「だから落ち込むことなんて」
「いや、別に落ち込んじゃいないさ」
しかしどうやら彼と彼女の会話はあまりうまく噛み合っているとは言えないようだった。
「キリくんには……本当に、本当に悪いことをしたって、本当に、思っている……つもり、だと思う」
どうやらカンパネラは今日の出来事しか頭にないようだった。
「ンだよ、まだそいつのこと引きずってんのかよ」
言った瞬間には後悔をいだけるほどには、ジョズを睨んだカンパネラの視線は尖すぎていた。
延々とにらみ続けるようなそれではない。
恨みつらみのねっとりとした感情ではなく、瞬間的にうっかり失言してしまったような大人臭い負の感情だった。
「気にしなかった日なんて、ずっと無かったよ」
カンパネラは、女子高生らしからぬ速度で己の感情を支配下においていた。
チンギスハンも白目をむくほどの侵略速度だった、感情のすべてを己が手で蹂躙していると言って良い程である。
「あたしにとって彼の存在は黒歴史そのもの。存在を認めたくないくらいには、……忘れていたい人だった」
だが、どうしても彼女はその行為をしなかった。
「できなかった」
彼女はコーヒーの香りをかぎながら、苦味について考えながら、己の罪を雑に結論づけている。
「いじめっ子に逆らえなかったのも、いじめに加担したのも、全部あたしが選んだことなのよ」
「致し方ない状況だったんだろ?」
それもそうかもね。
と、カンパネラはジョズに対して同意をする。
実に空虚な賛同であった。
直球にNOを突きつけられるよりもよほど相手に不快感を抱かせる具合である。
とはいえ、それでもジョズは何も言えなかった。
思いやりというわけでもなく、ただ目の前の女が哀れで仕方がなかったのだ。
彼女はまるで無期懲役を告げられた犯罪者のような表情を浮かべていた。
なぜだかジョズはものすごい怒りにかられていた。
どれくらいすごいかというと、大概の察しの悪い人……もとい魔物ですら怯えて動けなくなってしまうほどの怒りだった。
怒りは収まらなかった。
収め方を、ジョズ本人ですら理解することができなかった。
「ちょっと待ってくれ」
ありきたりなセリフでその場から離れたくなる、そうしたくなるほどにはジョズは起こっていた。
戦争兵器に改造されて以来、こんなにも他人に怒りを抱いたのは初めてだったようだ。
「置いて行かないでよ」
カンパネラは相手に攻撃をしていた。
巻き添えでもなんでもなく、これらの行為は確実に彼女にとってジョズを攻撃する意図を持ったものだった。
「まあ、ゆっくりコーヒーでも飲んで、あたしの話を聞いてよ。奢るからさ」
ジョズが睨むようにしている。
しかし必要以上に怒りを抱く自分自身への戸惑いのほうが感情の多くを占めていた。
「罪の意識はあったはずなのよ」
「曖昧だな、自分のことのくせに」
「そうなの、曖昧なの」
それ自体が罪そのものであると、カンパネラは主張したがっているようだった。
「未だに本当に、自分が本当に悪かったって思えていないのが、あたしは許せない」
できることなら己を滅多刺しにしたいくらいだと、告白した。




