昔話「アンジェラ」その三
ジェラルシ・アンジェラは弟子になりたがった。
誰の弟子か?
「それはもちろん、おぢちゃんの弟子じゃよ」
一週間前まで利用していたショッピングモールとは違う場所。
もう少し都会に近い方面にある、もうちょっとだけサイズが大きいモール。
ジェラルドは最初不安を抱いていた。
たかが買い物場所とはいえ、一方的にアンジェラの生活環境を変えてしまうことに躊躇いがあった。
「おぢちゃん! おぢちゃん!」
しかしジェラルドの憂いなど露知らず、アンジェラはさっさと新しい環境に身を馴染ませつつあった。
「ねえ、おぢちゃん!」
「はいはい、どうしたん?」
割かし強めの腕力でぐいぐいと服の袖を引っ張ってくるアンジェラに、ジェラルドは慣れた様子で問いかけている。
「あれ、あれ」
アンジェラはルビーのように透き通っている細くて薄い触覚を柔らかくぴょこぴょことさせながら興奮している。
子猫のしっぽよりも細い指で真っ直ぐ、とある場所を指し示している。
そこは。
「えい……えい、映画館?」
確かにそこには、そう記されているはずだった。
ジェラルドは首を傾げる。
「なんじゃあ、みたい映画でもあるんか?」
質問に対して、アンジェラはむしろ質問文の方にこそ信じ難いものを見るような視線を向けていている。
「おぢちゃん……」
そして彼の手をそっと優しく握って、やさしくやさしく、さとすような言葉遣いを使っている。
「映画っていうのは見るものじゃなくて、いつだってどんな時だって人生を観ている。そういうのが映画なんじゃよ……」
「お、おお……??」
ジェラルドは戸惑うしかなかった。
「なんじゃ、えっと……テツガク? 一丁前にかっこええこと言い腐って……」
彼に茶化されたと思った。
アンジェラはぷくっと怒りながら、それでも主義主張を曲げようとはしない。
「当たり前じゃ! あたしはおぢちゃんみたいなかっこいい大人を目指しとるからの。どんなに恥ずかしくたって、かっこいいことを絶対にあきらめないんじゃよ」
「おーおー、気張りや」
気軽に笑おうとした。
しかし彼は上手くできなかった。
「……」
彼女の、彼女らしからぬ大人びた雰囲気。
大人を真似しないといけない。
それを上手くこなさないといけなかった。
可能性の全てが、彼にはどうしようもなく悲しかった。
……。
「どうしよう……」
アンジェラは迷っていた。
今日はジェラルドが風邪をひいてしまって、顔を真っ赤にしながらゲホゲホと布団の中に沈みっぱなしなのである。
どうやら流行りの熱病らしい。
「アンジェラ」
ズキズキと痛み、腫れる喉を堪えて、ジェラルドはアンジェラと距離を置こうとしていた。
「伝染るとあかんから、治るまでは俺……じゃなくてえっと、ワシに近づいちゃいかんよ。
伝染るとあかんから、ほら……寂しいのは分かるから……布団に潜り込んだらダメだって……」
そのような感じのやり取り、もとい攻防戦をごねごねと三十分ほど繰り返した。
最終的には半べそになりながら、地元の老人医者に今日はひとりで遊びに行きなさいと、強制退去させられたのであった。
彼と彼女が共に暮らし始めてから既に一年近く経過しようとしている。
男子三日会わざれば刮目せよ、それなら果たして女子は如何様になるのか?
「たぶん、すっごいすっごい強い化け物になれるんだよ!」
横断歩道をきちんと渡りながら、しっかりと道の安全を確認しながら、アンジェラは少しと奥にあるショッピングモールにトコトコと出かけている。
町のひとり歩きもさることながら、アンジェラの有り余る体力には多少の遠出も軽いジョギングのようなものでしかない。
「はあ……」
だからなのだろうか?
最近ジェラルドの元気がない、アンジェラの体力に大人の体が追いつかないのだろうか。
「強いだけじゃダメじゃなあ」
アンジェラは早くも次の展開を頭の中に思い浮かべている。
「エレガントに、困っている誰かをクールに、助けられるようにならないと」
夢物語を語る。
……そんなアンジェラの前に。
「あ」
神様の声が聞こえてきた。
別にいきなり天啓を受けただとか、そんな神話ではない、決して。
それはあくまでも「神様」という名前で呼ばれている、扱われている、魔物を捕食する対象である。
アンジェラの幼い頭には、とにかく出会ったら助けを呼びながら逃げ続ける、それ以外の行動は死を意味する対象である。
言うなれば人間にとっての不審者のようなもの。
危険を察知した。
アンジェラはダボダボのシマシマTシャツの裾をぎゅっと掴んで、その場から逃げようとした。
だが。
「うあ」
悲鳴が聞こえた。
確かに聞こえてきた、声にアンジェラは振り返る。
見ると、コウモリのようなカラスのような、そのような御姿の神様が群がっている。
ぎゃあぎゃあと騒がしい、は音の中心点に魔物らしき塊が落ちているではないか。
うずくまっているそれは、逃げようともせずにその場に留まり続けている。
動けないのだ。
アンジェラはすぐに理解した。
逃げようとしても逃げられない、体が逃げてくれない、心が逃げてくれない。
命が死ぬまで逃げられない。
そんな状況を、アンジェラは既に知っていた。
知ってしまっていた。
だから体が動いた。
まだ神様は、敵はこちらに気づいていない。
獲物として認識している対象に夢中になっている。
対象が味わう苦痛に胸を痛めながら、アンジェラはポシェットから一振の金槌を取り出していた。
それは道具。
戦うための道具、武器だった。
こっそり持ち出したものだった。
一人の時間が寂しくて、夜の暗闇が怖くて、こっそり家を抜け出してジェラルドの仕事場に忍び込んだことがある。
仕事の場、と表現するかどうかも怪しい。
彼の仕事は町の守護。
襲い来る飢えた神様から町民を守る、そのために神様を殺す。
それが彼の今の仕事だった。
殺し屋の仕事をする彼のことを町民は怖がった。
殺しを仕事にするなんて気が狂っていると、影に罵る。
直接は言わない。
殺されたくないから言わない。
白い目を向けてくる、彼を賞賛しようとしない全てが、アンジェラは大嫌いだった。
殺してやりたいとさえ、思う。
殺意は正しく使わないといけない。
何度も何度もジェラルドの仕事場に忍び寄るうち、アンジェラの小さな胸の中に一つ、確信が芽生えていた。
彼のとても素晴らしい仕事ぶりに少しでも近づけたら!
どんなに素晴らしいことだろう?
アンジェラは気合いと決意を込めて、覚悟のもと、大声で叫ぶ。
「!」
獣の威嚇のような声。
これはジェラルドがよく使っている方法、敵を怯えさせる一波。
叫び声に神様が驚いた、襲われていた対象はビクリと固まってしまっている。
アンジェラは武器を握りしめてかけ出す。
怖い、と思う。
しかし諦めてはいけない。ここで諦めてしまえば、彼の輝きに追いつけない。
星を追いかけるような気持ちで、アンジェラは金槌を神様に振り落とした。
……。
敵が弱かったのが幸いだった。
なんという僥倖!!
アンジェラは生まれて初めての殺し合いで白星を上げたのだ。
相手は豆腐並みの強度しかなく、もしかすると武器さえも必要ないほど。
あるいは、魔法使いでもなんでもない「普通」の魔物でも対処出来たのではなかろうか?
「ぜえ、ぜえ」
アンジェラが息切れしているのも戦闘による疲弊と言うよりかは戦いそのものに対する緊張感、強ばった体をほぐす意味合いの方が強かった。
呼吸を整えつつ、アンジェラはうずくまったままの対象、否傷ついている女性を心配する。
「だ、だだ、大丈夫、ですか?」
舌も足も、なんなら脳みそさえももつれて意味が分からないほどに混乱してしまっている。
神様と殺しあっていた時の方が余程心が平穏だった、とさえ思えてくる。
思えば、もしかすると、これがアンジェラにとって生まれて初めて他人の女と会話した経験。
初体験だったのかもしれない。
「あー」
彼女は返事をする。
それが返事だった。
しかしアンジェラは意向と意味を上手く把握できないまま、それをただの鳴き声のようにしか認識しなかった。
なので、何度も何度も話しかける。
しかし言葉は帰ってこない。
時間をかけて、だんだんと理解し始める。
顔と顔を突合せて、うずくまっていたそれが顕になった時。
「……っ!?」
アンジェラは悲鳴をあげそうになった。