伝説的に飽きられた伝説の勇者 その3
現場に魔法使いどもが到着する少し前……。
「ニャーハッハッハッハ!」
海を含んだ迷宮、水面の上、謎の笑い声が鳴り響いていた。
「ニャーハッハッハッハ!」
港に居を構える魔物の何匹かがヒソヒソと話し合っている。
「うわ……また出た」
「あれが噂の……神さまもどき?」
「そう、もどき」
ヒソヒソと冷たい目線だけを向ける魔物たち。
そんな彼らを無視して、そのもどきは延々と笑い続けていた。
それはもう、とても楽しそうに。
さて。
魔法使いどもは、まだ船で移動していた。
「この船遅くね?」
クドリャフカが文句を言っているのに対し、モネが軽い調子のため息を含ませつつ返事をしている。
「中古品のさらに中古品を格安で譲ってもらったんよ、性能面のアレコレは多少目を瞑らんとね」
「それ以前にそんな出がらしの出がらしで団の備品を賄う財政状態をどうにかしやがれ」
クドリャフカの不満を放棄するように、目的地が近づいてきていた。
……いや? この場合目的地「が」勝手にこちら側に近寄ってきた。とでも言うべきか。
「んる?」
最初に異変に気がついたのは魔王たちであった。
魔王の権力の片割れを担うシズクが、黒猫のような柔らかい体毛に包まれた耳をピクリ、と動かしている。
立ち上がる。
黒猫の体毛のように境目がよく分からないミニスカートタイプのワンピースの裾がヒラヒラとはためく。
シズクが動くとほぼ同時にルイが少女の背後に近寄る。
聞きなれた足音に気配、髪の毛や皮膚の匂い、もっと深いところを探れば魔力の風味。
とにかく魔王をそれぞれ半分背負っている彼らは、ある程度はお互いを信頼している。
信用したくないと同時に、信頼するしかない状況の上、シズクは船のへりに身を激しく寄せる。
「シズクちゃん?」
海へと身を投げるかのごとい勢いにモネがぎょっとしている。
だが動揺したのはごくごく短い時間のみ。
大概の迷宮に共通する思考回路として、仲間が異変を感じたとしたら大体は敵の襲来である。
多少思い込みが激しい方向性へと進んでも良し、とされる位には、迷宮は魔物にとって敵の巣窟なのである。
今回も無事に直感が働いてくれていた。
水面から突如として神、と思わしき異形の姿が現れたのだ。
「ニャーハッハッハッハ!」
謎の笑い声、もといサイレンの音を鳴らしながら。
それは実にうるさいサイレンであった。
巨大なタコの姿をした神の頭部にちょこんとパトカーのライトが明滅する、音はそこから発生しているようだった。
「突っ込みどころが多すぎるんだが?!」
クドリャフカがバウワウと叫んでしまっている。
曲がりなりにもここは迷宮。
本来ならば魔物が勇者に蹂躙される区域である。
しかしながら。
「なんだか様子が怪しいですね?」
シズクは居心地が悪そうにしている。
神との殺しあいともなればいの一番に躍り出て対象を血濡れ[自身も血塗れになる]にしたくてしたくて堪らなくなる性分であるはずなのに。
「うーむ」
シズクという生きた危険探知機の具合を見て、モネが瞳に憂いを抱いている。
「なんか嫌な予感すんなあ」
「嫌な予感?」
クドリャフカが傍らで見上げる先、モネが右目をおおうモノクル式のゴーグルを軽く操作していた。
小型のコンピュータのような機能をいくつか搭載しているゴーグルは、かつて栄華を極めた科学世界の残り香のような品物とされている。
コンピューター、すなわち計測器としての機能をモネは指先で使用する。
そしてすぐに計測結果が表されていた。
「あらあら、あれは神さんとは違うお方やね」
「どう言うことだ?」
「あんさんと同じような状態ってことなんよ、クドリャフカのお兄さん」
モネがゴーグルから指を離してクドリャフカに笑いかけている。
美少女の快活な笑顔を柔らかく受け取りつつも、クドリャフカの心のうちには暗澹とした不安が急速に膨れ上がりつつあった。
「俺と同じ、精霊……」
精霊と言う名を与えられている。
いや、便宜上として区分されているだけにすぎない。
「神になり損ねた物か」
クドリャフカは極々自然に予想してしまっていた。
「なんだったか、魔物がえぐいレベルのストレスを受けると神レベルに暴走するっつう」
当然本物の神さまではないため資源にも食料にも財産にも何にもならない。
本当の意味でただの、なんの変哲もない「普通」の害獣である。
「同族を害獣呼ばわりとか……科学世界の昭和前期の精神障害者みたいな扱いみたいだな」
さすがにそこまで非人道的行為はしない! と、モネは速攻クドリャフカに意見しようとした。
が。
「ちゃんと生き物扱いするだけまだましでありますよ」
ルイの純粋な視線に邪魔されてしまう。
「わたしの育った場所では少しでも不具があれば牢屋に閉じ込めて餓死するまで放置だったよ」
「……」
モネとクドリャフカはしばらく沈黙して。
「えっと……?」やっと口を開くことができたのはクドリャフカが先であった。
「お前は、江戸時代か……もっと前の平安時代からやって来たのか?」
科学世界における人類社会から逸れた存在を扱う際の、なんとも言えない超自然じみた排他的動向とは、また異なる手段を選ぶ。
「我々魔物ってのは」
モネが咳払いの後、事情をきちんと説明しようとする。
「ご覧の通り、科学世界に生きていた人間以上に個々の個性が独特やからね、人間さん感覚で考えるとかなり自由度が高いと思うんよ」
自分で言うのもなんだが、といった気恥ずかしさがモネの頬ににじむ汗の粒にありありと現れている。
「当然、神さまモドキになった人にもきちんと対応する。というか、そもそもそういった危険な存在に対処するのが魔法使いの本領分みたいなもんなんよ!」
中途半端に相手を気遣うことはしない、危険なものは危険であると、とりあえずは断定する。
「んで?」
対応すべき対象の情報をある程度得た、クドリャフカは実際の行動計画についてモネに質問する。
「そのモドキやろうにはどのような対処を考えてんだ?」
「それこそ千差万別なんよ」
答えとも言えそうにない答えだけをモネは返している。
「風邪を治すだけでも千差万別の治療法がある。ましてや、まだ今のところあの遺物さんがどれ程神さんに侵食されとるかも分からんのやし」
「遺物呼ばわりか」
声が、気がつくとすぐ近くにいた。
「た、助けて!!」
若々しい男性の声だった。
この世界では女神よりも男性神の方が割合が多いらしい、人間と少し異なっている。
年齢不詳としか言いようがない、遺物と呼ばれる存在。
確かに異形の姿であった。
巨大なゼリーを想像してみる。
できるだけ、いっそえ本の世界に登場しそうなほどに思いきった巨大さ。
そのゼリーをイチゴ味、あるいはアセロラ味に固定してタコによくにた姿に加工したもの。それが遺物の造形であった。
「我ながら意味が分からん……」
色々とイメージを固定しようと努力するクドリャフカ。
一生懸命形容を考えて己の認識を少しでも多く正常に保とうと努力をした。
しようとしたが、だが、限界であった。
「おぎゃああああ?!」
突然と現れた謎、あまりにも謎過ぎるモンスターにクドリャフカは絹を裂くような悲鳴を上げる。
「うわ」動揺しきる魔法使い側よりも、遺物の方がよっぽど冷静さをうまく演出出来ているようだった。
「うるさ……」
「す、すんません……」
モネが慌ててクドリャフカの口をむぎゅっと押さえ込んで黙らせている。
「こちらは魔法使い斡旋事務所の物です」
モネは便宜上決して間違ってはいないとされるであろう? 自分達の身分を証明している。
本来であれば虚偽の免許証や、別に虚偽でもないフツーに取得済みの生活もろもろに必要な資格などなど、見せるべき証明書はそれなりにある。
しかし戦争行為の遺物であるらしい彼はそれらの全てを必要としなかった。
「君たちが何者であるか、そんなのは見れば分かる」
タコのような、あるいはそれ以外のなにかにも見える気もする、彼は理知的な言葉遣いで魔法使いどもの正体を見破っていた。
「魔法使いがこのような場所に居るなんて……」
遺物は驚いているようだった。
表情はあまりよく読み取れないが、深い青色の瞳は困惑と動揺に僅かだけ揺れ動いている。
「危険だから、早く別の場所に移動して、どこか安全なところで……興業でもなんでもすれば良い」
遺物はどうやら魔法使いどもを心配してくれているようだった。
迷宮内、それも迷宮の基軸となるボスクラスの的である神さま、あるいはそれに類する遺物が目の前に居るのである。
言うなれば自分達は蛇に睨まれた蛙であるはずだった。
だが、どういうわけか蛇の方が率先して蛙の方を苦そうとしてきている。
クドリャフカは相手を訝る。
敵対心は、恐らく無いのだろう。
しかしそれ以上に何か、何かしらの抗いがたい疎外感を感じるのは何故なのだろうか。
「危ないから、早く別の……」
全てを言い終えようとするより先、遺物を狙って別の敵が襲いかかってきていた。
あああああ とにかく形容しがたい深いな啓蒙的音楽。
かつての科学世界に存在したとされる仏教をベースにしたカルト宗教の洗脳じみた曲を想起させる。
あるいは、風俗関連の仕事を勧誘するド派手なピンクをあしらった巨大トラックから奏でられるコマーシャルソング、などなど。
とにかく、魔王にとっては不快で仕方がない音楽であった。
魔力関係なしに、感覚だけでシズクは現役魔王、すなわちルイが酷く不快感を覚えていることに気づかされている。
「いけません……!」シズクはあたふたとする。
「あの珍妙なメロディーを今すぐ停止しなければ、魔王陛下の聴覚過敏が悪化してしまいます!」
しれっと魔王の弱点? を暴露していることは受け流すとして、それはそれとして音楽に不快感を抱いているのはなにも魔王だけに限った話ではないようだった。
「同感だな」
以外にもクドリャフカが次に音の排除を希望している。
「なんだこの音楽……? いや、音楽とすら認めたくない、午後七時三十分辺りから近所を延々と走り続ける選挙カーぐらいにやかましい」
「めっちゃうるさいやつやん!」モネはクドリャフカの抱く不快感に同情したくなる。
悲しむよりも先に、こちら側にまっすぐ進んでくる集団の情報を整理しようとする。
「とはいえ、見るからに魔術師の集団なんやけどね」
「魔術師」
クドリャフカも現時点で脳内に保有している情報を検索してみることにした。
「魔法使いっぽいけど、そうじゃない奴らのことだろ?」
「せやねえ、大体そんな感じやね」
良くできました! と花丸スマイルで褒めそやすモネのことを、クドリャフカは居心地が悪そうに「やめろ」と受け流している。
のほほんとしている魔法使いどもとは相対的に、キッチリとした船に乗っている魔術師たちの表情は緊迫感に溢れて、こぼれそうな勢いであった。
「みつけたぞー!」
魔術師のうちの誰かがそう叫んでいた。
「遺物を発見した! 急ぎ保護をしろ!」
どうやら魔術師たちは遺物さんに何かしらの用があるようだった。
シズクが遺物に話しかける。
「何やら向こうはあなたを保護しようとしていますが?」
遺物はあくまでも神ではない。
魔術師が何かしらの用途を意図して彼を保護しようとしたとして、現状において魔法使い側にその行為を否定する理屈は存在していない。
今のところは。
シズクはもう一度彼に話しかける。
「魔術師さんが呼んでますよ」
遺物は返事をしなかった。
決して聞こえなかった訳でもなく、ましてや魔法使いの言葉を無視した訳でもない。
ただひたすらに余裕がなかった、ただそれだけのことであった。
「……っ!」
遺物は恐怖を覚えていた。
その表情は魔法使いにとって、とても見覚えのあるものだった。
世界の全てに恐怖している瞬間。
ジャンプスケアを食らったときの肉の異常なる収縮。
トラウマの再来。
形容しがたい不安がついに現実化してしまったときの、あの絶望感。
とにかく、遺物さんは魔術師のことを怖がっているようだった。
「もしもし?」
恐怖を覚えるのならば、そしてそれが不当な状況に起因しているのならば、シズクの中で推奨されている思考はある程度決定済みであった。「不躾なことをお聞きしますが、貴殿のお名前を教えてくださいますでしょうか?」
恐怖心で意識が朦朧としていたのだろうか?
魔法使いの少女の声は彼の脳内で酷く妖しく、しかし抗いがたいように蠱惑的に、また官能的に皮膚を撫でる妖魔のような響きを含んでいた。
遺物である彼は答える。
「俺の名前はジョズ。ジョズ・ストーン」
「ジョズ、が名前ですか?」
「ああ、そうだが?」
「ではジョズさん」
シズクはジョズに提案する。
「ご提案なのですが、ぼくでよろしければあなたの不快感を一匹残らず排除させていただきたいのですが。いかがいたしましょうか?」
どういう意味なのか。
「普通」に近しい思考を持っていれば迷っていただろう。
迷うことが出来ただろう。
だが残念ながらそうはならなかった。
ジョズは遺物だった。
戦争の時代に生まれて、生きていて、本来は死ぬはずだったもの。
戦争のための兵器として改造された生き物。
であれば、左隣に佇む魔法使いの少女が、その眼鏡の奥に爛々と煌めかせている緑色の殺意の輝きに気づかないわけがなかった。




