伝説的に飽きられた伝説の勇者
シズクは眼鏡の調整をしていた。
魔王城技術部担当、モニカ・モネがあきれたようにため息をついている。
「この際敵にサクッと姫……じゃなくて魔王を拐われそうになった敬意については目をつむるんよ」
魔界全体を左右するレベルで危うい存在の奪取を許しそうになった。
本来ならば首切りレベルの重罪では?
「そこんとこどうなんだよ?」
モネの飼い犬である精霊犬、ライカ・クドリャフカが、もふもふも柴犬しっぽをフリフリと振り回している。興奮気味のようだ。
「どうと言われてもね」
モネはクドリャフカに対し、白黒のほんわりとした体毛に包まれた乳牛のような柔らかい耳をピコピコと動かしている。
「この黄昏の時代に魔王一匹が勇者に好き放題されたって、別に一年後の卵の値段がめちゃくちゃ上がる訳でもあらへんし」
科学世界にも王はたくさんいたが、そのうちの一人が殺されたとしても別に世界は滅びはしない。
「という持論というわけで」
「んな無情な……」
滅びそうで滅ばない、しかし人間という存在は確実に消滅してしまっている。
そんな世界観に生きていると、どうしても個人主義じみた淡白さを身に付けずにはいられないようである。と、クドリャフカはモネのあっけらかんとした様子から一人、予想だけを立ている。
考え事を口に発することはしない。クドリャフカは話題を元々の位置に戻そうとする。
「そんな血まみれ傷まみれの状態で、これから定例会議なんてできるのか?」
ここは魔王城。魔王が御わす居城。魔王の群れは青空のした、定期的な話し合いを行おうとしていた。
「定例会議だなんて」モネがクドリャフカの台詞に小さく笑う。
「ただの話し合い、学級会みたいなノリしかあらへんよ」
西の地方の言葉で訂正してくる、モネは青空のような瞳をゆっくりと瞬かせている。
「会社や無くて、ただのギルドなんやし」
「何か違いでもあんのかよ?」
何かしら共通の点を持った者同士が協力しあって目的を達成する。
そういう集まり、のはずである。
だとしたら、いわゆる科学社会において「人間」という生き物が数多く形成していたという会社、という概念にも当てはまるのではなかろうか?
「いやいや」
クドリャフカの詰め寄りをモネは否定と共に軽く受け流している。
ミーティングが行われる場所、魔王城の一部屋までの移動。
そこでクドリャフカとモネはゆっったりと談合をしている。
「確かに、伝統や信頼があったり、あるいは企業理念とか利益がしっかり期待できるギルドなら、大体は企業としてそのまま進化する事もままあるけれどね」
黄昏の時代と呼ばれている、そんな時期。
「ただ単に戦後という状況が必然的に混乱を起こして、その後の何となく落ち着きつつある時期ってだけなんやけどね。そうなんやけど、なんともかんとも、こう言葉にされると歴史の分岐点に立たされているような気がしてならへんよ」
そうして、魔王を引き連れ彼らは会議室にはいる。
入った瞬間。
ひゅううううううう。
と、謎の黒い球体がモネの顔面に激突していた。
ぼぎゅ! そこそこに重度の深い音を立てて球体はモネを吹き飛ばした。
「はぶっ??!」
当然の帰結のごとき現象、モネは衝撃のあまりに尻餅をついている。
パンツスーツに包まれた少し重めの尻が魔王城の石の床に激突する。
「モネさん?!」
いの一番にシズクがぎょっと驚きモネに駆け寄っている。
「大丈夫ですか?! お怪我は……」
「それは、まだなんとも……」
即死レベルの攻撃ではないということだけを確認し、シズクはすぐに攻撃体制に写ろうとする。
「何者だ!」
仕事の上司であり仲間であり、そして大切な友人でもある。
モネの前に立ちふさがるようにシズクは視線を室内に向ける。
緊迫感が空間を支配する。
と、そこへ別の声が聞こえてくる。
「後ろだ!」
男性の声であるということぐらいしか判別できない。
しかし情報を伝達するというのが主目的、そしてそのデータをシズクはすぐさま受け取っていた。
シズクは武器を構える。
魔王の魔力そのものを凝縮した宝石のナイフ。
刃を構えると同時に敵はシズクに襲いかかる。
シズクは敵の突進をナイフで受け止める。
ギャギャリ! 硬い物質同士が激しく擦れあう音。
シズクの目が敵、すなわち魔物を食らおうとする「神様」の姿をとらえていた。
それは車輪のような姿をしていた。
「パンジャンドラム」という珍奇な武器がかつての世界に存在していて、ちょうどその存在をかなり簡略化したような造りとなっている。
想像の名前を冠するかのように、車輪型の神様は歯車から火花を散らし始めていた。
戦争という現象では笑いの対象とされようが、兵器はあくまでも兵器である。
個人、個体の命を脅かせる力は十二分に備えている。
「ぅ、ぎぅ……!」
皮膚を焼かれてシズクはうめく。
火花の集まりは小規模の炎と変わらず、少女の白い肌を次々と焼いていく。
皮膚の表面に骨のような色の水ぶくれができる、その前に。
「オラァッ!」
衝撃からある程度回復したモネが、自分の持つ武器を使って神を横殴りにしていた。
闘牛のごとき安定感と推進力、内蔵された基礎的かつ根本的な筋肉の質の良さ。
そこから繰り出されるエルボー的一撃は、さながら意趣返しの如く神を城の壁に思いきり叩きつけていた。
ガァン!!
モネの武器に弾かれ、神が弾丸のように壁にめり込んでいる。
「シズクちゃん! 大丈夫?」
やけどの痛みによろめきながら、シズクは武器を構えるモネの姿を目で見ている。
魔法使いが心配でたまらないといった様子のモネ。
彼女は腕に抱き抱えるように、ライフル銃のような武器を構えている。
「モシン・ナガン」に似た形状のボルトアクションライフル、あるいはそれらに酷似した機構を備えている。
戦うための器。
モネは銃口のそばに魔力を激しく流す。
夏の炎天のごとき魔力だった。
血筋が為せる技、彼女の家系は名門と呼べば同様の意味合いと通じる、由緒正しい魔物の一族だった。
あるいは才能、努力という一種のギフト。
日々丁寧に磨く魔力の回路は、常人であれば焼ききれる勢いのそれを悠々と受け止められる。
バーナーのごとき熱量の銃剣が現れる。
発現させたそれをできるだけ正しく、的確に構える。
銃剣道の速度。
モネは神の肉体に剣を深く差し込み、そして安全性を確保するためにすぐさま身を引いて姿勢を整える。
「あ」
神が悲鳴を上げている。
肉が焦げるにおい、炎の要素を多く含んだ魔力に刺突された影響である。
「一旦距離とるよ!」
モネは片腕でシズクを助け起こし、神と距離を計る。
そしてすぐさま右耳に装着したピアス型の通信魔術道具を起動させる。
通信相手と直通で繋がる。
「ムスビ営業担当? こちらモネ技術開発担当」
ムスビという通信相手。
声は、聞き覚えのあるものだった。
成人はしっかり迎えられているのだろうが、それでもどことなく少年的幼さを感じさせる声である。
とはいえ口調のそれは声の若々しさとはそぐわない程に、良くいえば世間に擦れた疲労感に満ちていた。
「いやぁ申し訳ない、試験機に使用しようとした魔術機構に「ゴキブリ様」が紛れ込んでいたみたいだ」
神をゴキブリ呼ばわりする、ムスビは通信の向こうからモネに要求をしてきている。
「完全にこちらの不手際だ。個人的資産を切り崩してでもボーナスを出す、だから」
「了解。頼まれんでも任せておいてよ」
ボーナス云々の提案にしっかり瞳を輝かせつつ、モネは青い左目に決意を滾らせる。
「城を守るのは管理者の大事なお勤めやからね」
モネは武器を構える。
頃合い、神が再起動をする。
「あ」
ぎゃ、ぎゃ。と歯車が再び回転を取り戻そうとする。
かなり怒っているらしい。先んじて火花が轟々と膨れ上がり、もはや炎そのものとしか言い様の無い勢いを帯びている。
そして回転が予想外の起動を描きながら城の廊下を重要無人に飛び回る。
「んぎゃ!?」
火の勢いにシズクはぎょっとする。まだやけどを食らった肉体の恐怖が抜けきっていない。
だがシズクが臨戦態勢を整えようとする様子を、モネは言葉で静かに制している。
「魔王城の管理を任されている身として、これ以上城の壁やら床やらを黒こげズタボロにされるわけにはいかへんよ」
ギュルギュルと動き回る神の姿。
御姿を見るために、モネはもうひとつ己が持ち合わせる武器を使うことにした。
「モネさん……」
魔力の気配を感じ取ったシズクがモネを心配する。
「不安がることあらへんよ、シズクちゃん」
モネは笑いかけるような調子でシズクをなだめる。
「ただ、目隠しをとるだけの話しやし」
モネの右目を保護する眼帯、ゴーグルを軽く改造したもの。
それをモネは外す。
眼帯のした、そこには生々しさがたっぷり残る深い傷跡。
その中心点に機械式の義眼が埋め込まれていた。
とても分かりやすく、まさしく異形の義眼であった。
間違いなく人間、無いしおおよその哺乳類が持つべき眼球の造形、あるいは色彩設定から大きく逸脱している。
元々は「何かしらの戦争兵器」だったものの一部。
敵の動作を把握するのにとても便利。
仮にこの世界がファーストパーソンシューティングゲームの世界観を持っていたとしたら、モネのそれは即BANレベルの逸脱とされてしまうだろう。
とかく、敵を狙い打つには丁度が良すぎる。
それこそ。
「……ひゅ」
戦場の経験もない少女が神を狙撃することができるくらいには、とても丁度が良い。
ばん、と銃を撃つ。
銃の形に合わさる弾丸が魔力の反応にしたがって爆発する。
銃に内蔵された機構は、二千年代を基準とした科学技術のなかでは比較的単純と言えるのだろう。
基本は木材と鉄しか介していない。
火薬もない。魔法の銃なので科学的な要素はあまり必要ないのである。
人を殺すにはあまり向いていない。
だが神殺しなら的確な働きを見せてくれる優れもの。
弾丸は神の左目を、まるで至近距離からキスを贈るように狙い定め、逃さなかった。
ガラスにヒビが入るような音。
神の目玉が破壊されたのだ。
「あ」
神は小さく悲鳴を上げただけ、呼吸とあまり変わらない断末魔だけをこぼしていた。
「狙撃ほど紳士的な殺しかたも、なかなか無いでしょうね」
神が殺されたのを確認する。
神の死体、死体に変わりつつある肉の塊を穏やかに見つめつつ、シズクは感動の言葉をモネに語る。
「前々から殺されるなら狙撃が良いなと思っている所存です。日常生活のまま、ただ町で過ごしていて、前触れもなく弾丸に脳漿を破壊されれば、そこにはただ日常の継続だけが残される」
まさにジェントル、相手の尊厳を守る殺しかた。
と、シズクは考えているようだった。
モネは、特に考える時間を必要とすること無く返事をする。
「だとしても、わたしはシズクちゃんを撃つことはしないよ」
真っ平ごめんである、とはっきり宣言している。
「人殺しにはなれても、友達殺しになれるほどの覚悟は、まだまだ作れそうに無いんよ」
「んなもん……」
クドリャフカが苦いものを口に含んだような声をこぼしている。
「そんな馬鹿げた覚悟、ただの小娘には必要ねぇんだっての」
吐き捨てるようにいう。
そしてクドリャフカは柴犬のような肉体で「グルル」と牙を剥いている。
「それにしても、時間外労働で労災一直線の事態を踏み抜きやがった、クソ馬鹿はキチンと絞めなきゃならねぇ」
「ええ」
ルイの声が聞こえる。
いつの間にやら魔王陛下はヒト形を形成し終えていた。
会議用の形状のつもりらしい。
「とりあえず、本日の最優先議題は決まったであります」
さて。
「ぎゃあああああ!」
魔王陛下直々にシメられようとしている、若い陰陽師の男性が会議室にいた。
「離せ! 離せっ! まって、話せば分かるっ!」
年頃は十六歳程度。モネやシズクと代々同じ頃あいに見える。
「これは兆候なんすよ、マジ、信じてください。夢にも見るくらいだったんスから」
とりあえず神様との戦闘中に通信した相手の声ではなさそうである。
という予想に確信を抱きつつ、クドリャフカがその少年の供述内容を追求する。
「夢で女が神に襲われるのを見たなら、その……もうちょっと、さ? なんか、せめて行動することってあると思うんだが……?」
相手を傷つけたい、詰って謗って馬鹿にしたい。という意思を強引に否定しようとする。
という、我慢の現れがありありと見えてしまっている。
「な……っ! 俺がモネちゃんを見殺しにするわけねぇだろうが! ふざけんなよ犬畜生!」
魔王に関節技をキメられていようがいまいがお構いなしで、狸の耳をもつ少年がキレ気味に反論をしている。
「そんなおっかない真似ができっか! 秒でペースト状にされるっての!」
「どういう意味やボケコラ!」
モネが魔王の秘されし豪腕からベリッと狸耳の少年を引き剥がしている。
片腕だけで詰め寄る牛乳娘に少年は悲鳴をあげている。
「ぎゃああ! こ、殺されるっ! 助けて……魔王様!」
ギャアギャアとうるさいクソガキどもをピシャリと戒める、また別の声。
「なんだ? 朝っぱらからビービーうるせぇな」
言葉遣いこそ粗雑で強気、しかし声色は確実に会議室内の混沌ぶりに怯えと戸惑いを覚えている。
その声は、とりあえず聞き覚えのあるものだった。
 




