救われなかったドMやろう
「魔王陛下はその昔、六人のお姫様を召し上がりになられたそうですよ。
あ、もちろん性的な意味で」
シズクという名前の魔法使いの少女がお客人に向けて話しかけている。
外は雨が降り始めている。
ぽつぽつと水に濡れる地面、木々、雑草や花々。
しかしシズクは目の前にいる男性の魔物が、別に雨宿りのためにこの魔王のお城の前に現れたというわけではないということ、その事をすぐに把握していた。
とりあえず挨拶代わりの話題のつもりだったらしい、シズクの与太話について、男性はひどく暗い声を発している。
「いきなりなんの話をしてんだよ……。
朝も早くからアホじゃねえの?」
なんの取り繕いもしなければ、ただの下劣な下ネタ話である。
「申し訳ございません」
シズクは彼に向けてすぐに謝罪をしている。
「当方、淫らを司る「悪魔」の流れを汲んでおりまして」
魔法使いというのは元来悪魔の手下。
取り分けシズクには化け猫の物語も流れているため、少なくとも彼女自身には大抵の下ネタはただの小粋なジョークに聞こえてしまう。
「性質とか体質とかでごまかすなよ」
雨はまだ本調子ではない。
毛先を湿気にくねらせながら、男性は唾棄するような素振りでシズクに反論をしている。
「科学的じゃないんだよ、信条で体質まで簡単に皮ってたまるかってんだ」
「おやおや」
シズクも今のところ舌戦に参加し続けられている。
「我々魔物は科学からはぐれた存在ですよ?」
「いいや、そう言い切るとなると間違いになるよ、黒猫のお姉ちゃん」
「それは、どう言うことでしょう、クルミさん」
クルミと名前を呼ばれている。
リスのような耳を持つ男性の魔物は怪しむような視線をシズクに向けてきている。
「学校で習うだろう」
「申し訳ございません、ぼくは学校に通った経験がないのです」
戦争のあとの混乱時期はまだまだ色濃く残っている。学校どころか浮浪児童に関連する社会機能問題も多く取り残されている。
であれば教育機関に通学していない状況はさほど珍しいものでもない。
少なくともかつての科学世界における不登校児童への関心とは毛色が大きく異なっている。
しかして、その前提を踏まえたとしてもクルミは訝る素振りを止めようとはしなかった。
「おかしいなあ」
どこか挑発するように、クルミはシズクに確認をしている。
「魔王の権利を与えられた寵姫ともなれば、全ての魔術に干渉できる権限を有しているはずだが?」
にらむ。
少女の右目が彼をにらんでいる。
「誰が寵姫だと……?」
シズクは、魔王が自分に愛情を抱いているという疑い、可能性が認められないようだった。
「冗談だとしても許しがたいですね」
武器を構えそうな勢いのシズクに、クルミはため息混じりに抑制をかけようとしている。
「落ち着けって。ああ、うん、挑発したことは認める。悪かった。ただ、こちらとしてもそちらさんの意見に不快感を抱いたことを認めてもらわねぇと」
クルミの主張に今度はシズクの方がため息をつく。
「ええ、ぼくたち魔物は基本的には人間性に縛られています」
魔物の起源は人間がこの世界の原生精霊を人間と組み合わせ家畜化したことに由来している。
「んだよ、やっぱちゃんと知ってんじゃねぇか」
ハッと、クルミは嘲笑をする。
もちろん目の前の魔法使いにたいしてが主たる感情だが、しかし背景から迫るように別の事情、現実が彼の思考に確固たる葉脈を開かせている。
「なんだかな」
「黄昏てますね」
「それもそうだろ? 一寸前まで俺たちの元素が人間のキメラだったことなんて極秘中の極秘だったのに」
戦争が終わると同時に人間が和の軍隊が秘蔵していたデータも次々と公開、あるいはほとんどが非合法に流失し無法に拡散させられた。
魔物は大分混乱した。
そして、数年のうちに混乱はただの過去になった。
「薄情だよな」
クルミは舌打ちしそうな気分を懸命に我慢している。
「基本的に魔物ってのは個人主義が強すぎる」
個はあくまでも個でしかない。
集団の秩序も尊ぶには尊ぶが、本質的には個体の底知れぬ混沌を好む傾向がある。
「おやおや」
シズクは笑顔を浮かべて見せる。
「いくらなんでもそれは対象が全体的すぎますよ、アニメオタクが犯罪者になりやすいという暴論のごとしです」
あるいは「犯罪者のほぼ100パーセントはH2Oという物質を接種している」というレベルの、とにかく議論ですらない低俗な誘導尋問である。
「とにかく」
クルミは話をもとに戻そうとする。
「なんにせよ若い女が気軽に下ネタなんかに笑うもんじゃないし、俺はそもそも手下のお前じゃなくて魔王本人に用があってこんな……こんな……よくわからん空中庭園に足を踏み入れたりしねぇっての」
なるほどたしかに、この主張に関しては認めざるを得ないと。
そう思うのは、魔法使いだけの問題ではなかった。
「失敬な」
心からの軽蔑を込めたつもりだったのか、しかし魔王陛下の試みは見事に失敗している。
「他人の住みかを罵倒するとは、見下げた品性だな」
黒色の長いスカートの裾を手でパタパタと払いながら、よっこいしょと魔王ルイが立ち上がっている。
中年を通り越して老年を駆け抜けていこうとしているかのような、そんな所作に軽く失望、仕掛けたところで。
「は、え?」
クルミは突然現れた、ように見える、いや、そうとしか思えない。
思いたくない、認めたくないと、反射的に思考を否定文で一杯にせずにはいられないでいた。
「誰、誰? ……いや、そのバカみたいにむんむんの魔力、魔王以外にあり得ないが……だが、しかし……!?」
そこにいるのはメイドであった。
メイド服を、それなりに肌に馴染ませつつ庭仕事をしている、メイド服を着た魔王、アイオイ・ルイであった。
実にクラシカルな出で立ちのメイド服であった、若干スカートの丈は短い。
白いエプロンは土に汚れている、雨足が強まるほどにフリルを丁寧にあしらったヘッドドレスが雨水に重く濡れていく。
それはなんとも見事なメイド服だった。蠱惑的であるとさえ、思えてくる。
「魔力の節約のため、通常の移動時や非常時の戦闘行為などの際には仮契約の姿としてコンパクトな形状を使用しておりますが、しかし」
ルイはお客人に事情を説明する。
「それでは姫……」
姫呼ばわりに尋常ならざる拒絶を察知し、即言い直す。
「わたしの、……手下である、魔法使いのシズクさんの負担が大きくなってしまう」
どう言うことか。
ルイはことのほか大切そうに、自分を戒めている首輪に指先でそっと触れている。
首輪は白金色、ぐるりと金属が首を捕らえる。
鎖がじゃらじゃらと輪から延びている、動くたびに、呼吸をするたびに微かに鈴の音のような音色を擦れ合わせている。
「魔王としての権限を失ったわたしにはこの世界に存在する意味はなく、ゆえに本来なら次代の魔王であるシズクさんに殺されて、わたしはこの世界から消えてなくなるはずだった」
しかし次の魔王がビルから飛び降り自殺をしたため、魔王の権限はまだ生き残っていた前任者に戻った。
「なんでまたそんな愚行を」
クルミの質問にシズクは申し訳なさそうに答えている。
「先代、陛下が死にかけていた……というよりぼくが殺しかけて死にそうになられていたので、魔王の力を取り戻せば致命傷は治せるかな? と」
「そんな、金の貸し借りみたいな理屈で……」
「正直なところかなりギャンブルでした」
そして賭けは外れたらしい。
シズクは、特に後悔している風でもなく、ただ思い出話をしている。
「魔王の権利譲渡は半分だけ成功しましたが、残りは残念ながらぼくの肉体に残存してしまいました」
このように。と、シズクは魔力の並みが渦巻く左目を指差す。
それは見るもおぞましい、不気味で醜悪な魔眼だった。
「えっと、つまり?」
気がつけば魔王が静まり返ってしまっている。
静けさをいいことに、雨の気配も忘れてクルミは魔王未満の少女に質問を浴びせかける。
「魔王の権力がまっぷたつになったと」
どうして特別な魔力であるはずの「魔王」を使えるのか。
「ぼくが魔王陛下のクローン体だからですよ」
血液型でも教えるかのような気軽さだった。
「人工生物、つまり魔物の粗である生物兵器シリーズの正式商品ではないんですけれどね。いわゆる欠番です」
兵器式番号は9784101250212番。
「多いな」クルミが、聞いたこともないしこれから先の日常生活でもあまり使いたくない桁数に、早くも嫌気を覚えている。
「ええ、それはもう、子沢山です」
シズクでさえも感慨深そうにしている。
「当代の魔王陛下はそのプロトタイプ、三番目の個体です」
「初版みたいなものか」
「ええ、ええ、貴重な貴書です」
それこそ、王族貴族華族よりも遥かに尊ばれるべき存在だったそうな。
「だからこそ、麗らかな女性を六人か七人くらい性的に食べても誰も怒らないのですよ」
そこに話を繋げるのか。魔王はそう思った、苦々しく思った。
しかし黒歴史を黒と認めないほどには、兵器の異常性はあまりにも強すぎていた。
「生体兵器を大量に作るために子作りしまくりかぁ」
羨望よりも若干の恐怖を覚えている、怖がれるぐらいにはクルミも大人の真似事が得意な方であるらしかった。
「クローンとか培養じゃダメなのかよ、家畜じゃあるまいし、兵器としては効率悪くねぇか?」
「卵細胞が必要なのです」
シズクは答えをすぐに返している。まるでテストで回答を答案用紙の上に記すような速度だった。
「もっと具体的に言うと、生き物の卵という概念が必要なのだそうです」
「具体的どころか、より一層抽象的、いやむしろシュールレアリスムに片足突っ込んでるな」
卵は世界、卵を割るということはひとつの世界を壊すということ。
「そんなことを言った作家もおりました」
シズクが悦に入っているのをよそに、クルミは一人で勝手に納得を進めようとしている。
「神は聖母から生まれたという聖書の内容を再現しようとしたか」
「さすがに処女懐胎は無理だったそうですけれどね」
1個の完成された生体兵器と卵細胞を使い受精卵を作成、そこから一体ずつ生体兵器たちを作り続けた。
ひたすら作り続けた。
「人間の繁殖欲がとても役に立ったそうですよ、なんと言っても発情関係なく一年中子作りが可能ですから。繁殖目的の家畜としてはかなりリーズナブルです」
「暴論が過ぎないか?」
必要な部分、必要としなければならない部分があまりにも欠落している。
そのことをクルミはシズクに指摘している。
「少なくとも人間に許される増えかたじゃねえな。いや、獣でさえんな真似したら絶滅一直線だ」
「ええ、まさしく」
とはいえ、さすがに生殖のしすぎで滅んだわけではない、とシズクは前提する。
「生体兵器生成システムは戦争の終わりで完全に瓦解してしまいました。あとに残ったのは兵器の残存データのみ」
そして。
「その残存データで魔王陛下が生成なされたのがぼくです」
どうりで。
「無駄に強いと思ったら」
「この遺伝子のお陰で色々と助かっておりますよ」
自己修復能力がけた違いだそうだ。
「実際こんな豪雨の最中で延々とはなし続けても、ちょっと鼻水が出そうになるだけで済まされますからねっ」
「普通じゃね?」
というわけで。
「淫ら夢の魔王が率いるギルド、文芸部にようこそいらっしゃいました」
魔法使いがより集まって協力し会うもの。会社ほどに制約は少ないが、一応公的組織として仕事の受注や生産、その他諸々ある程度の経済社会的行為を推奨できる。
「さすがに犯罪は犯せませんけれど」
軽妙に残念そうにしているシズクにルイがあきれた視線を浴びせている。
「当たり前だ」
とにかく、魔王城にお客人をお誘いするのであった。
がらがらがら、引戸のおと。
「魔王城が引戸って……」
クルミは、今度こそ場所についての疑問点を指摘する。
「いや、そもそも、これって本当に魔王城なのか?」
「ええ、そうですよ?」
質問の意向さえもわからないままで、ほぼおうむ返しの要領のままシズクはてきとーに返事だけをする。
「魔王がいればそこが魔王城になります。帝がいる場所が帝都足り得るように」
「権力者の権威とかの話じゃねえんだよ。もっとこう、建築のセンスの問題というか……」
はっきり言って魔王城はとてもじゃないが城とは呼称できない設計をしていた。
聖なる力やらホーリーな光に満ち溢れているだとか、そういった直球の問題ではない。
要素などではなく、単純に見た目の話。
魔王城はかなりコンパクトである。屋根裏部屋を含んだ三階建て、瓦屋根に木造、正面玄関は引戸で、軒先は庭に出やすいよう広々としている。
「うん、ていうか、フツーの日本家屋じゃね??!」
クルミの表現はおおむね正しい。
田舎の古い土地にありがちな土地持ちの古民家、という形容がとてもよく似合う。
それが魔王城だった。
「標識に「魔王城」って堂々と書いてあったときは、自分がついに狂ったんかと思ったわ!」
なんと! と魔王ギルドはショックを受けた。
「んぐるるる……」シズクは真剣な面持ちでルイに向けてヒソヒソと耳打ちをする。
「やはりもっとかっこいい標識にするべきだったんですよ。ほら、エクスカリバーが刺さっているみたいな標識、あれの方がよかったんですよ」
「しかしあれは値段が高すぎて予算が間に合わなかっただろ」
魔王城の予算とは? クルミはとても気になっていそうだが、しかしあえて突っ込みはしなかった。
客間。
床は以外にもフローリングが基本だった。
机を挟んで睨みを効かせているのは、お茶を給仕してきた魔王陛下であった。
「魔王にお茶汲みさせんなや!」
魔物の王がしとやかにお茶を給仕している。
緑茶であった。
クルミの意見を無視して、シズクは自然な動作で緑茶を啜っている。
さて、仕事の相談。
「というより、勧誘だな」
クルミは茶に手をつけずに本題の中の本題を切り出している。
「ほうほう?」
ホスト側の席に座るシズクが興味深そうに呼吸をしている。
「それはそれは、我が文芸部に公的魔術機構様のお眼鏡にかなう技巧を有した魔法使いがいらっしゃるとは、これはこれは、光栄の限りでございますね」
「御託はいいんだよ、ガキが」
シズクの愛想笑いをクルミは一刀両断している。
「俺は魔王陛下をこの臭い魔窟からさっさと救いあげて、我々の安全な領域にお迎えしなくちゃいけないんだよ」
そういって、クルミは自分のもつ力でシズクを攻撃していた。
 




