昔話「アンジェラ」その二
「おぢちゃん、あたし、名前が欲しい」
「な、名前……」
桃色の髪の毛の幼女に頼まれて、元雑魚兵のジェラルシ・ジェラルドは困惑してしまっていた。
「どうしようかね、いまから姓名判断頼むべきかの」
「そんなよくわかんないペテン師がつけた名前嫌じゃわ」
「ペテン師ってあなたね……」
「おぢちゃんの名前がいいー! おぢちゃんの名前ちょうだいー!」
「だあー! ちょっとちょっと! 暴んな! いてっ! 力強いなお前」
ジェラルドはとにかく幼女を落ち着かせようとする。
「大人しゅうせんと、ハサミが耳をちょん切るよ?」
名前も考えなくてはならないが、それよりも先に幼女の伸び放題の髪の毛をどうにかしたかった。
四分後……。
「やらかした……」
ジェラルドは途方に暮れていた。
浴室の鏡の前。
鏡の中には途方に暮れる中年のゴブリン男性と、桃色の散切り頭の幼女がにこにことしている。
幼女は自らのニュースタイルに心からウキウキとしている様子。
「おぢちゃん、名スタイリスト! じゃね」
「あんがとさん……」
こんなことになるくらいなら少しでも勇気を出して床屋になり連れていけば良かったと、ジェラルドが後悔をしている。
そのすぐ近くにて、幼女はほっぺたに髪の毛を貼り付けたままにこやかに頬を紅潮させる。
お留守番の後。
ジェラルドは幼女を湯船の中にしっかりと肩まで、溺れないように身長に浸からせている。
入浴をさせながら、ジェラルドはモジモジとした口調で彼女に提案をしている。
「アンジェラ、ってのはどうかな?」
「えー……」
「おうふ……露骨に嫌そうじゃの……。なんじゃあ、ワシが考えられる最大限のきゃわいい名前なんじゃが」
幼女、もといアンジェラがくたびれたタオルで白いクラゲをぶくぶくとこしらえている。
それを眺めながら、ジェラルドは彼女の名前についてのいわれを語る。
「昔戦場で……。ああ、いや……えっと、その……前に働いていたところでよおけ、えーっと? アンジェラ……なんとかっていう「人間」の歌手さんが歌った曲を聴いとってな。
それがエエ歌だったんじゃけぇ、せっかくならお前さんもその歌みたいに綺麗なおなごになれればなあ、と」
「へーえ」
分かったようで、全く持ってわかないままのアンジェラ。
ただ、その小さな耳はしっかりと彼の言葉を受け止めていた。
「おぢさん」
「なに?」
「にんげんって、なに?」
「え」
アンジェラはすぐさま後悔をした。
ジェラルドの瞳、黒に近い茶色の色合いに闇夜よりも深い、暗い何かが過ぎった。
「なんでもない……!」
アンジェラは直ぐに訂正しようとする。
だが声が震えてしまう、怒られると思うと目に涙が溢れてきてしまう。
「教えるよ」
アンジェラの表情を見つめて、ジェラルドはできる限り柔和な表情を意識しようと試みる。
「人間っていうのは、昔この世界で王様をやっていた生き物のことじゃよ」
「王様、いちばん偉そうな人」
「そう。そして人間がやる王様はおうおうにして良くないものばかりじゃった。
たまに、物凄く偶然に、やさしい王様も少しはいたみたいじゃけど、それよりもイカンやつの方がずっと、ずっと、多すぎたんじゃよ」
だから、とジェラルドは過去を語る。
「悪い王様はワシたちみたいな弱い魔物を好き放題しておった。
男はみんな奴隷にされて、老人は家畜の肥料、女子供は……」
彼は彼女の目を見て、言葉を濁らせる。
濁ったまま、ただ泥の中で言葉を探し続けている。
「弱いやつをめちゃくちゃにされたないから、弱い魔物たちは結託して人間と戦争を起こしたんじゃよ」
「それにおぢちゃんも参加してたんじゃね!」
アンジェラはにっこりと楽しそうにする。
「悪い王様をやっつけるために、みんなと頑張っておぢちゃんは戦ったんだ!」
アンジェラの頭の中には勇敢に戦う彼の姿が映し出されていた。
最高にクールな、彼女にとって最高のヒーロー。
空想の影。
「……ぅ」
また、彼は涙を流していた。
……。
夢の中。
悪夢は繰り返す。
女は悲鳴をあげている、男の息遣いはハアハアと荒い。
ただ、ただ、ただ、彼女と日々を過ごす中で夢の形が変わり始めていた。
十年以上も変わることのなかった、鮮度を失わなかった憎悪が塗り替えられる。
渇きかけの瘡蓋のような感触。
嫌だ、それはダメだ、許されてはいけない。
絶対に助けは来ない。
事実。
「助けて……」
助けは来なかったでは無いか。
決意を改めようとして。
「助けて」
男は気づく。
「助けて!」
女の顔が、幼いアンジェラのそれに変わっていることに。
映画館。を、内蔵している地方のショッピングモール。
フードコートのぬるいラーメンを食べ終えて、ジェラルドはまた即席の歴史の授業をアンジェラに行っている。
「おぢさん、質問!」
「ハイなんでしょう」
「ここってさ、日本、なんじゃよね?」
「ああ」
答えを返そうとして、しかしてジェラルドは分かりやすく視線を泳がせている。
上手く答えが見つからないようだった。
アンジェラの質問に対して彼が言葉を濁すことはよくあること。
なので、アンジェラは独自に回答を想像することにした。
「ここは日本であって日本じゃない、偽りの神が支配するサイコ帝国……」
「違う違う。いや、まあまあ違わないけど、そんなかっこええもんじゃ無か」
ジェラルドは頭の中を懸命に整理して、頑張って解説をしようとする。
「確かに旧世界では、この土地も日本として扱われとったよ」
「旧世界って、なに?」
「ええと、人間が支配していた時代の事じゃよ」
ジェラルドは自分の飲水が入ったコップとアンジェラのコップを掴み、ふたつ並べる。
「人間、あん人らはむかし、この世界に来る前は違う世界に暮らしとったんよ。
「異世界転生」とか、そんなふうに言っとったね。何かしらが起きて、元の世界に居られなくなった人間の魂が、これまた偶然が重なって、数多く存在する世界観の中で子の場所に流れ着いた」
「流木みたい」
「おお、わしより分かり易い例え話じゃの、アンジェラは頭がええのお」
「えへへ」
アンジェラはほっぺたを赤くして照れている。
ジェラルドはアンジェラの柔らかい頬を見て、言葉を続ける。
「人間さんは皆一様にどえらい魔力を持っとってな、だから王様になれたんよ」
そして。
「魔物が暮らしとった土地を開発して、そして人間が暮らしやすいように、彼らが元いた世界にできるだけ似せた形を象った」
「箱庭だ!」
「は、はこにわ……?」
アンジェラはジェラルドに箱庭についてを解説する。
「あのね、ちっちゃいお庭で、その中ならどんなに嘘くさい環境でも好き放題できる、えごいずむ……? の塊みたいな趣味なんじゃよ」
ジェラルドは、あまり上手く理解できなかったようだった。
「なんじゃろうなあ、偏った思想を感じるのお……」
低い声で、小さく自責をする。
「……。……あんまり手前の主観を混ぜると、彼女の教育に良くない……」
しかし彼の憂いは手遅れのようだった。
「あたしはおぢちゃんみたいなゴミクソのあほんだらになる!!!」
ラーメンにテンションが上がっていたらしい、アンジェラは夢を高らかに歌っている。
「アンジェラ?!」
人々が当然のごとく訝るような視線を向けてきている。
その中に、ふと。
「……!」
ジェラルドは久方ぶりに感じる気配を、肌に思い出していた。
彼の変化に彼女はすぐに気づく。
「おぢちゃん……?」
彼は彼女の方を見ていない。
周囲を強く警戒している。
その表情は、アンジェラにとっては決して初めてのことではなかった。
例えば、港町に「神様」という存在が現れそうになった時。
魔物を食べてしまうと言われている、こわい何かが訪れようとした時にジェラルドは静かに、速やかにアンジェラの手を引いて避難所まで移動した。
あの時、あの瞬間、アンジェラは確かに彼の瞳に刃物よりも冷たく鋭い気配を感じとった。
ケダモノとも違う。
母親を撲殺した酔っ払いのような、下卑た暴力性などではない、決して。
もっと深く、鋭く洗練されたもののような気がする。
アンジェラはそれが上手く理解できなかった。
漠然と憧れ続けている大人の世界の、子供のヤワな心ではとても太刀打ちできない攻撃性。
ただ相手を傷つけるのでは無い、もっと恐ろしい覚悟。
あれは、何なのだろう?
「帰ろうか」
ジェラルドはアンジェラの手を引いて、家に帰る。
「おぢちゃん」
アンジェラは彼のことを呼ぼうとした。
だが声がかすれて上手く発音できない。
それでも。
「どうした?」
彼は彼女の言葉を聞き逃さなかった。