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昔々だなんてとんでもない!
ましてや遥か未来の物語ではない、今現在の話である。
あるところ、とぼかす必要はなくかつて「名古屋」と呼ばれていた土地。
戦争の影響で生み出された生物兵器にズタボロにされ、一時期はYouはshock!!!! とまで評された……。
「……いや、そこまででは無いでありますよ」
隣を歩く魔王、アイオイ・ルイが無表情で誇張表現を訂正している。
それを聞いた魔王に仕える魔法使い、シヅクイ・シズクが少しムッとしている。
「何をおっしゃいますやら、この魔王陛下は」
シズクはルイに持論を語っている。
「今生きているこの瞬間にこそ、さっきまでの呼吸音は過去の彼方に向かっていってしまっていいるのです」
「そうなのか」
魔王陛下は彼女の意見にサクッと同意を返している。
彼らは町中を歩いていた。
かつては「名古屋」と呼ばれていた場所は今は名前の意味を失い、灰の笛と故障される巨大な迷宮へと変わり果てた。
滅びかけの、しかし瀬戸際で死にきれなかった世界。
土地は傷だらけ。
建物は生物兵器に破壊されるか食われるかのいずれか、とにかく大体が廃墟と化している。
……ように見える、が、どうやらそれはルイの見当違いであるらしかった。
廃墟の下やらには多数の新しい建築物が連なり、それらは木造建築であったりモルタル製であったりコンクリート製であったり……得てして統一感がない。
混沌と雑多の境目を漂う街のデザインは、戦争で破壊された建材をそのまま流用しただけに過ぎなかった。
さらに。
「戦争によって生み出された魔術の数々が、なんといいますか、主に植物の多くに魔的な影響を及ぼしたみたいです」
例えば、とシズクは道端に生えている季節外れのたんぽぽの花を摘んで、そっとルイに手渡している。
ただ雑草を手渡しているだけの珍奇な光景。
だが、傍から見ると精悍な雰囲気のある美少女が、謎にスタイルの良いマスレードをかなりキュート寄りにデフォルトしたような形状の仮面をかぶった男性に花をプレゼントしている。
そんな奇妙で不気味で、しかしどことなくロマンチックささえも感じさせる状態になってしまっている。
事実、道を歩いていた行商人やら地元の人間が少しどよめくほどに関心を寄せている。
だが当の本人たちは周りの空気に全く関心を示さない。
ましてやシズクに至っては視線を認識してすらいない。
「ありがとう」
ルイがお礼を言いながら優雅に花を、もとい雑草を受け取っている。
シズクとしてはプレゼントする気などサラサラ無く、ただのサンプル提供であることはシズクにとって決まりきった事実でしかなかった。
だからこそ。
「うふ」
と、ルイが仮面の下の無駄に形の良い桃色の唇をニッコリと微笑ませていて、シズクは真剣に居心地が悪くなってしまっている。
からかうのもそこそこに、ルイは早くもシズクが伝えんとしている違和感について合点を届かせている。
「なるほど、以上に魔力が多いでありますね」
「植物が戦争で溢れた魔力を吸い込んでぐんぐん成長しまくったんです」
その結果、廃墟と水と緑だらけの、さながら崩壊ミレニアムのような荒涼風景が広がりを見せ続けている。
「一応主成分は科学的にほぼ変容していないため、毒性と決定づけられる毒もほぼ見受けられず、とにかくサイズ感がおかしくなった、成長が異常に早くて繁殖力も高い植物が発現した。
いえ、外的要因により進化を強要された。とでもいいましょうか」
シズクは「んるる」とふざけたように喉小さく鳴らしている。
「ロアルド・ダールの「ぼくのつくった魔法のくすり」のようです、ふふ」
意地悪な祖母をとっちめるために、孫がヤバめの魔法の薬をうっかり作ってしまったブラック・ユーモア小説を思い出している。
「また随分と懐かしいものを……」
ルイは小恥ずかしそうにしながら思い出話をひと粒。
「君がまだ小さい頃に読み聞かせたものだったか」
「ええ」
シズクは肯定する。
そして。
「ええ、すでに過ぎ去った、無垢なだけの安らぎです」
思い出そのものをどうにかして否定しようとしている。
だが上手く出来ずに、眼鏡の奥の瞳を不安定に震わせるばかりであった。
「…………」
シズクの頬を見る、仮面越しの下の目は隠されてしまっている。
なので。
「…………」
ただズズッと、鼻をすするような音だけが寂しく虚しく響いていた。
たどり着いた先はビルだった。
廃虚といえるほど決定的に崩壊してはいないように見える。
「ここは本屋、本屋さんです」
「ここに」
シズクの紹介にルイは驚いている。
顔は無表情に等しいが、それでもわずかに鼻息がムフン、と荒れ模様になっている。
「よもや、戦火にまみれたこの地にそのような文化的店舗が構えられるとは。
いやはや、なんとも痛快」
「何が痛快なん?」
夏空の下を転がる鈴のような声。
シズクが声のする方に耳を傾ける、黒猫のような耳がピクリと動く。
声の主をみて。
「アンジェラさん!」
シズクはとても嬉しそうに笑顔を綻ばせている。
ジェラルシ・アンジェラ、シズクやルイと同じく魔法使いの座に身を置いている、これまた可愛らしい少女である。
クラシカルな白ブラウスにハイウエストスカートという少々時代錯誤なデザイン性の洋服を、持ち前の可憐さでそこそこに着こなしている。
シズクはアンジェラにすたたっと駆け寄っている。編み上げブーツの細いヒールが、ひび割れたアスファルトをコツコツっと叩いている。
「どうしたのですか? このようなところに」
「いや、なに」
少女たちはなんとも堅苦しい口調を使いたがっている。
「ちょいと、うちのこれが新しいレシピ本を欲しがっていてのぉ、ほら、最近流行りのオーツ麦やら海水牛肉やら紫キャベツ、ああ、あとモネ嬢がマリトッツォや真珠ジェラートにもチャレンジしたいというわけじゃけぇ。
まあ、とにかく料理本を求めてエンヤコラというわけじゃが。
……はて? おふた方は如何様に?」
自分よりも遥かに年下の娘に質問をされている、ルイは彼女以上に二千年代前半における若者然とした気軽さで会話を行っていた。
「わたしたちはアンジェラ殿よりももっとアバウトに本を求めて、本そのものを求めて定期的な本屋めぐりを行っているだけだよ」
悲しいかな、とルイは心のうちの見えにくいであろう部分でひっそり悲嘆に暮れている。
別の彼女の前であれば「どうでもいい」と気楽に気軽な態度を取れる。
なのに、嗚呼なのに、問題の彼女はルイにとってあまりにも、大切過ぎる。
過剰であり、故にかしこまってかっこつけたがってしまう。
自分などは到底そのような、誰かに格好が良い態度を作れるようなタマではない。
ということを、他でもないルイ自身がそう信じているというのに。
「陛下?」
シズクに呼ばれて、思案と憂いに沈みかけていたルイの肩がビクッと揺れている。
世界を滅ぼした「魔王」の物語を持っている、魔物の一人であるルイも少女たちのあとを追いかけて、街の大きな本屋に入店した。
さて。
店内はとても清潔感に満ち溢れていた。
広い天井、ピカピカに磨き上げられた床は大理石の上質なイミテーション。
天井には清掃のしやすそうな蛍光灯が煌々と室内を安全に照らしている。
外壁のオンボロ具合からはまるで想像出来ないほどのクリアなデザインと環境。
一見してシンプルなデザインを売りにする高級ブティックのような出で立ちさえ感じさせてくる。
ただ、とても繁盛していそうな店の割には、……異様なほどに。
「……人が少ないね」
ルイは店内の閑散とした雰囲気にそこはかとない怯えを抱いていた。
確実に人が存在すべき空間にそれらがいない。
例えば賑やかであるはずの遊園地や水族館があるけどあるけど無人の状態であること。
無人の状態、誰も乗っていないのに回り続けるメリーゴーランドのような不気味さ。
「致し方ないのです」
シズクが事情を説明している。
「ここはもとより、魔法使いや魔術師、あるいは魔導に連なる生業に携わる方々を主たる顧客として経営してきたお店ですから」
アンジェラがシズクと共に納得をしようとする。
「戦前はもっとこういう魔法使い御用達のお店がよおけあったみたいじゃけど、それらも先の戦争でごっそりとお取り潰しになってしもうたんじゃよ」
ルイは、特区の昔に納得をし終えていた。
終わってしまっていた。
「ああ、……そうなったのか」
そうして、次はなるべくポジティブに物事を考えようとしている。
すでに彼はそうしようとする反射神経のようなものを身に着けてしまっていた。
「そうなってしまったんだな」
「……」
アンジェラは数秒だけ睨むような、そんな視線をルイに向けている。
当然のごとく向こうが気づいている、ということを前提として、その上であえて感情を表現せずにはいられないでいる。
そうしたほうが良い、としないほうが良いのではないか?
思考が2つ並びで、アンジェラの脳内の天秤は見事なまでの水平を保ったままだった。
と、そこへルイへと近づく影が一つ。
「やあやあやあ」
軽やかな男性の声だった。
ルイは素直に視線をそちらに向ける。
スーツ姿の男性。髪型や衣服は、どこか潔癖なまでに整えられている。
「ごきげんよう」
ルイは、いささか過剰かと思われるほどの丁寧な挨拶をしていた。
淑女の挨拶と見紛いそうになるほどの優雅さ。
スーツ姿の男性はブフッと吹き出している。
「おやめください、そのような女臭い挨拶」
「申し訳ございません」
相手に不快感をもたせたことをすぐに察した。
ルイは即座に謝罪の姿勢をかまえている。
「ご不快な思いをなされるのであれば、これ以上の関連性をもたせることへの断絶をご検となされればと」
ひくっ、と男性の口の端が引きつったのを彼らは見逃さなかった。
「なんとまあ、なんとまあ」
しかし相手も、対象を油断の目で見ているとしても、それでも大人としての対応を依然として保持したままである。
少なくとも、表面上は。
「我らが「魔王」陛下は、わたくしめのような下賤なものであっても、まるで女中のごときへりくだりをなされる」
サラリーマンもどきの男性は、あえてよく聞こえるように丁寧な発音を心がけて、「魔王」という題目を言葉に、声に発している。
魔物たちの王、人間の天敵。
「当代の魔王は悲願たる「勇者」の破滅にご尽力なされたとか」
視線の鋭さに気づかないまま、サラリーマンもどきの男は金色の瞳に答えだけを一方的に語り続けている。
「さて、いかがいたしましょう!
もしお時間がよろしければ、わたくしめおすすめのカフェにでも」




