真珠の酒 その五
この世界の主たる原住民であったエルフ族たちは度重なる乱獲とレイプと人身売買によりほぼ絶滅、代わりにエルフ遺伝子は現状世界中にばらまかれたという。
アンジェラは自らの三角に長くとんがった耳から指を離している。
「方法はともかく、生き物として遺伝子の流布をしまくるという根源目的を最も成功させた、とも言えなくもないけぇのお」
「……いや、それは違うんじゃないか?」
手短にまとめるべきではない事柄の数々をひとまとめにされて、クドリャフカは呆けたようにアンジェラの口元を見上げることしかできないでいた。
「民族の滅亡が、まさか三分クッキングの前座に使われるとは」
「なんにせよ、実を言いますとうちはそのエルフ族の王族の直系の生き残りらしいんよ」
「また随分とファンタジア!」
冒頭に警告文が流れたとはいえ、後も世間話的に話されるとクドリャフカも面を食らってしまう。
存在そのものがファンタジーな魔物たちの間でも、やはり貧富の差やらが生み出す立場の違い、底から生じる上流階級へのあこがれは普遍的に存在している。
とりわけエルフ族、すなわち「エルフ」となると魔物たちの祖とも言われるほどに古い歴史を、持っていた。
過去形、つまりは彼らは前述のとおり人間が犯した様々な行為によってほとんど淘汰されてしまった。
「チンギスハンの遺伝子伝達行為が近しいでしょうね」
シズクはいつかに読んだ民族を題材にした小説を思い出す。
「かつての科学世界では、約千六百人の彼の直系とされる遺伝子が残されていたそうですから。
人間を種として、エルフも受動的とはいえ多数の遺伝子を残すことに成功したと言えましょう」
ルイは苦いものを噛み潰すようにしている。
「つまりは、節操のない猿畜生の犠牲の果にエルフたちの文化は廃れたと」
シズクは少し微笑んでいる。
「純粋さ、という点においては確実に絶滅したと言えますね。
混血に混血を重ね、また人間たちは血だけでなく彼らの文化も陵辱した」
「陵辱って、あなたそんな言い方」
無駄に言葉遣いが強いだけのシズクをモネがたしなめようとしている。
「生存競争において他の生活を害するのは必須条件やし、過去のこと今からどうのこうの言ったってしょうがなって」
「まさしくそのとおりじゃよ」
まごうこと無きエルフ耳を持つはずのアンジェラが、他の誰よりもこの話題をぞんざいに扱っていた。
「なんにせよ色々あってうちが生まれた!
それで世界はハッピーラッキーなんじゃけぇモーマンタイよ」
「雑に片付けやがった」
目先の欲を優先するアンジェラにクドリャフカが軽く失望をしている。
しかしてさておき、真珠の酒を作ることをジェラルシ・アンジェラは決して他の事柄に譲ろうとはしなかった。
「まずは清潔に洗った真珠をひと粒ずつ、なるだけ傷つかんようにガラス瓶に詰めていく。
この際ガラス瓶は事前にしっかり煮沸殺菌しておくこと」
「承知しております、バーテンダー」
アンジェラとシズクが、やはりくキング番組のようなノリで酒造りを勧めている。
お前らまだ未成年……と思ったところで、そういえば、とクドリャフカはモネに相談しかける。
しかし既のところで言葉をつまらせている。彼女に聞いてどうする、とクドリャフカは内心にて判断を下している。
モネもまた魔法使いで、そしてまだまだ少女なのである。
しかし魔法使いの少女たちは、未成年禁酒法など知ったことかと言わんばかりの勢いでガラス瓶に次々と材料を詰めている。
ガラス瓶は三本ほど。
どれもに真珠は詰まっているが、一本だけ氷砂糖が混入させれている。
アンジェラは甘口も作るつもりだった。
「乳臭いお子様から父を臭いと思う若い小娘まで、甘ったれたすべての存在を許容するスイート・テイスト・ドリンクじゃよ」
「気分はまるでホタルイカの群れ!」
シズクの表現にモネは軽薄なうなずきを返している。
「せやねえ、とりあえず甘いってことで商品醸しやすいところやね」
考えている方向性はまるで異なっているが、しかし指先は確実に真珠の酒の完成へと進もうとしている。
「あとは〜♪」
トドメの一撃、のようにアンジェラはポリタンクに入っている大量の水のようなものを瓶の中に注いでいる。
「あんまようけ入れっと真珠の水分で溢れちゃうで、気持ち少なめ少なめ……」
アンジェラにしては珍しく繊細な手付きを感じさせる。
それこそ神殺しをするときよりもよっぽど神妙な顔つきになっている。
エルフの血統を感じさせる血色の良いなめらかな肌は、今は陶磁器のような緊張感をたたえている。
注ぎ終えた。
緊張感がほぐれたところ、タイミングをぐっと見計らってクドリャフカが瓶の中の液体の方に近づく。
自然と体が忍び寄るような心持ちになってしまう。
なぜだろうか? クドリャフカには答えがまるで予想できなかった。
ただとにかく、水のようにしか見えないそれがとても、抗いがたいほどに魅力的なにおいをもっていた。
そのことだけが確実で、クドリャフカにとっては限りなく真実だった。
ふと、頭の中に女のイメージが浮かぶ。
茶色い髪の毛が豊かになびいている、獣の耳を持っている、胸のお大きいいい女だった。
女の姿をもっと思い出したくて、クドリャフカは鼻をもっとひくひくと液体の方に近寄せる。
そして。
「うあ」
ついうっかり、水が残ってい他ポリタンクを傾けて中身をこぼしてしまった。
タンクの口から水が容赦なくドバドバと溢れ、クドリャフカの体をじっとりと濡らす。
「悪ぃ……!」
何かしら貴重な素材を無駄にしてしまったことについて、クドリャフカは反射的に謝ろうとした。
しかし謝罪の言葉をきちんと用意することができなかった。
声を発することよりも、言葉を考えることを超える勢いで、とてつもない違和感が彼の体を吹き抜けていったのだ。
生暖かい風、いや生ぬるい感触、かすかな凹凸と吸着性。
嗚呼これは、懐かしい感覚。
取り立てて気にする暇もなかったが、しかしてクドリャフカは記憶を失った状態で目覚めたとの自らの性生活を顧みてこなかったことを、今、この瞬間に実感している。
とどのつまり感触は、己の最も敏感なところを、女のかなり敏感な粘膜の壁にこすりつける。
あの感触にとてもよく似ていた。
あるいは達する瞬間の直前。
もっともっと、もっと! 求めたい。あの渇望、他のことなど考えられない時間。
獣よりも獣、自分自身がただの肉の塊に堕ちる。
堕落といえば堕落というのだろう、少なくとも神たる存在は総判断を下すに違いない。
ああ、だが、しかしながら、抗いようもなく気持ちいい。
「クドリャフカ。ライカ・クドリャフカ」
「ぅ……。ぅ、ハッ?!」
久遠の時を過ごしたような感触だったが、しかしそれこそまさにただの違和感であったらしい。
「あ、あれ、ああ、俺……俺?」
「賢者タイムもそこそこに」
ど直球な下ネタ。
しかしあまりにも的確過ぎる状況の表現に、羞恥心以上の嫌悪感が爆発的に増幅して、しかし爆発すること無くただ罪悪感という名のガス臭を静かに振り撒くだけだった。
「おやおや」
シズクが同情するような視線をクドリャフカに向けてる。
そして即座にオフショルな灰色のコートのポケットから清潔なハンカチーフを取り出し、軽やかな手付きでクドリャフカの体を拭き清めている。
普段の素振り。例えばやたらと大言壮語したり、子連れの人妻に邪な感情を抱いたり、あるいはアイオイ・ルイに対して異常な憎しみを隠しきれない時。
その他色々様々エトセトラ……。とにかく碌な素振りを見せないはずの、そんな少女が今はまるで上流階級に仕える高級執事さながらの気高い手付きで獣の体を拭い清めている。
「ど、どうも……」
なんと行っても少女の顔面は見目が良い、とクドリャフカ個人は確実に思っている。
十代中頃のまだ未熟な部分は多けれど、その緑と黄色のヘテロミクアは蠱惑的。
甘さの中に精悍さもある、まあ、要するにイケメンな面なのである。
これがただの男のイケメンであれば、別段薔薇趣味もないクドリャフカもただの他人の顔面として受け流せる。
しかし彼は割合女好きなのであった。
そして少女はあくまでも少女で、彼は記憶を失った少年の心に留まってしまっている。
「貴様」
ルイが、攻撃的意欲に満ち溢れた声をクドリャフカの背後に刺している。
クドリャフカはビクッとする。
どこか、また別の場所にしまいこんでいる記憶の暗黒が、魔王の恐ろしさを全身に忠告していた。
「我が魔法使いを色目で見るとは、いい度胸ですね」
ルイはルイで、普段の軍人気取りの男っぽい口調をだんだんと忘れかけている。
それくらいには、彼も水に当てられているのかもしれなかった。
「汚らわしいです、よくもまあ、あなたのような分際で」
「んなこと言ったって……!」
「はいはいはい、餅ついて!」
しばし沈黙、モネの声が残響となる少しの時間。
そのすぐあとに。
「あ、間違えた……落ち着いて、だね」
モネは血色の良い肌をさらに赤く、りんごのように紅潮させていた。
言い間違いはさておき、水の招待は何であるか、突き止めなければならない。
クドリャフカは意固地にも近い気持ち、勢いでアンジェラに問いただしている。
「なんなんだよこの水、ヤクか?」
「oh! 惜しいの」
可能であれば外れてほしい、であるがゆえに話せた仮の話が、まさか正解に近いところに転がっているとは。
「おいおいおいおいおい」
クドリャフカは、違法行為となれば許すまじとアンジェラに詰め寄る。
「酒タバコセックスくらいならまあ、自己責任ですぐに回復できるが……。
薬物に安易に手を出すもんじゃねえっての」
老婆心というよりは、かなり個人的な怨嗟を帯びた熱をたぎらせている。
瞬間的に煮えたぎる憎悪の念。
重油のようにねっとりとした感触が、美しい青い瞳に渦巻いている。
感情の激しさに、しかしながらアンジェラは取り立てて取り乱すことはしなかった。
もとより、クドリャフカの心配は杞憂に終わることを魔法使いたちはほぼ確信している。
「これは死んでいった「人間」たちのポジティブを練り集めたものなんじゃよ」
「ポジティブを、集める……?」
抽象的な心理誘導の話でも始めたものかと、クドリャフカは敵対心の上にさらに警戒心を更新しかける。
これはいけない、とシズクがハンカチを片手に彼を牽制しようと試みた。
「言うなれば魔力の元、料理における調味料のようなものですよ」
ただ素材だけを使っても豊かな風味にはならない。
味は、適切に重ね合わせることによって複雑かつ豊かな世界観を描き出す。
「とりあえず味に例えてみたのは、これからまさにぼくらが摂取する要素が、ぼくら魔物にとっての貴重な栄養源であることの証なんですよ」
もっと明確な例え話を求め、シズクは眼鏡の奥の瞳をくるりと回転させる。
「砂糖をイメージしてください。
もともとはとうきびなどの一個体の生き物の体液だったものが、人間当該部の存在によって活用され、そして彼らの貴重な栄養源となる」
「言うなれば」
モネがある程度までの要約をする。
「ものすごい魔法の聖水、と同時に体力もみなぎっちゃう。
ラストエリクサー並にすっごいアイテムやと思ってほしいね」
「お、おお……!」
ここまで噛み砕いてもらって、ようやくクドリャフカは冷静さと共に情けなさと羞恥心を獲得できる分の余裕を取り戻している。
「わ、悪い……年甲斐もなく興奮しすぎた」
小娘魔法使い三匹に対して、よもや自分のようなおっさんが……。
「クドリャフカ」
思い悩む彼をルイが、てるてる坊主のようなこぢんまりとした姿で慰めている。
「そう思い悩むことはない。我々は今は、ただの可愛いマスコットキャラクターなのだ」
それ以外の事実は必要ないのだ。
と、暗に脅迫するような低い響きも含まれている。
「ルイ、お前は」
「答えの姿を私の姿から見透かすことだけはやめてもらいたい」
食い気味に否定する。
ルイはただひたすらに無表情だった。
とにかく感情を表すのが苦手なのか、あるいは、己の心そのものを否定するかのような。
そんな強迫観念が転がっている。




