さようならクドリャフカ 2
火の玉は突風の如き速度で魔物の仲間を焼き殺そうとしていた。
「うわああっ!」
逃げようにも逃げられない。
兵士とはいえ初戦は雑魚魔物、「勇者」レベルに戦闘能力が上昇した個体相手では、それこそ人間と蟻一匹ほどのアウェーがある。
だが、それでも、蟻は決して簡単には滅びない。
なぜなら彼らは人間よりも遥かに強固な群れを形成することができるから。
そして「人間」という存在以上に獣に近しい性質を有している彼ら、魔物たちもまた非常に幸運なことに戦う方法を知っている。
群れとして戦う、生存のための戦略。
そのうちの一つが魔法であること。
魔法の場所に生きる何かの、見にくい人間と戦って生き残るための手段。
生き残るための技術、技法、選択肢を増やし続ける。
それが彼らの、魔物たちの生存戦略である。
「なめんじゃねぇよボケナスがぁ!」
ぎゃあと叫ぶかのように牙を剥いて戦闘態勢に入る。
「このジェラルシ・ジェラルド様の防護魔法を受けてみやがれ!!」
ジェラルドという名前の「エルフの残滓」の物語を受け持つ魔物。
彼の肉体には複雑怪奇な魔術の刻印が刻みつけられているのであった。
取り立てて強い魔力行使ができない、あまり戦闘に向いていない個体であっても戦える。
そのための魔術刻印。
それらを使ってジェラルドは魔力の防壁を作る。
巨大な琥珀でこしらえたかのような壁。
とても頑丈そうである。
だが。
「うわぁ!?」
火の玉は無差別の砲火のごとく容赦なく、次々とジェラルドの盾を攻撃し、ついには盾の持ち主を破壊しようとした。
「うあ……っ!」
焼かれる!
ジェラルドが焼死を覚悟しようとした。
その時、彼の目の前にまた別の魔力反応が爆発的に増幅していた。
夏の草原のような匂い。
燦々と照りつく太陽のような気配が一瞬だけ通り過ぎた。
その後にいくつもの炎の柱がジェラルドとクラサフカの間に立ちふさがる。
クラサフカのそれは青色。
そして。
「御ふざけが過ぎるっての」
目の力だけで魔力を使っている、一人の魔法使い。
ライカ・クドリャフカは夢から覚めたあとのようにおぼつかない意識にて、それでも懸命に頑張って、兄を殺そうとしていた。
「相変わらず相手に有無を言わせない、素晴らしいまでの魔力量だよ」
クドリャフカは相手のことを称賛しようとしている。
心からの称賛だった。
クドリャフカは昔、クラサフカのことをとても尊敬していた。
兄は、「ライカ一族」の個体としてとても優秀だった。
兄と弟が。
長男と、その他数多くいるであろう弟の中の一人の弟、生き残った誰かだけが戦っている。
真っ赤な炎と青い炎の応酬を繰り広げている。
その戦闘、魔力戦争さながらの熱量を眺めている、眺めることしか出来ないでいるジェラルドが息を荒げたままで感嘆の言葉を呟いている。
「さすが、としか言いようがないな。ライカの落し子と言うやつなのか?」
思わず口をついて出てしまう、と言った感じの感動的感想であった。
「ええ」
ジェラルドの疑問にルイが、ライカ一族の子どもたちの代替わりとして受け答えをしている。
「彼らはとある存在を再現するために個人の財産から生産された魔物の群体であります」
「群体って……」
まるで家畜か非人の如きもののいいように、ジェラルドの中身に混ざる人間としての要素が抗いがたい拒絶感を抱いている。
「もうちょっとこう……さ?」
「もっと容赦ない言い方をすべきだと思うが?」
ひゅうう、と風唸りとともにクドリャフカの声が二人のもとに舞い降りてくる。
声のする方に視線を向けようとするより早く、クドリャフカの体が一旦の策として兄だった個体と距離を置こうとしていた。
「ハァ……ハァ」
あえぐように息をつく、クドリャフカは己のうちに苦い、出がらしの冷え切った番茶よりも苦い思いを一滴、胸のうちにじんわりと滲ませている。
「群れだ何だ、そんな大したもんかよ。ただの家畜だろうが」
「クドさん!」
あまりにもな言い様にジェラルドは怒りにも近しい忌避感を彼に対して抱いてしまっていた。
ルイの方は。
「…………」
少しだけ昔を思い出すように、思い出話をするような気軽さ、落ち着き払った雰囲気で情報をさらに詳しく語ろうとする。
「あなたの兄上は、ええ……あえてあなた方をライカシリーズと呼ぶとしても、シリーズの中であなたの兄上、ライカ・クラサフカ氏は飛び抜けて優秀な魔力回路を有した個体でした」
「ああ、そう……そんな感じだった」
クドリャフカは段々と記憶を取り戻しつつある。
「ああそうだった、そうだった。
兄さんは……クラサフカは、一度だって落ちこぼれの俺に優しくなんてしてくれなかった」
それが今更。
「記憶捏造魔術なんか使いやがって……っ!」
先程までの穏やかな兄弟の時間はすべてウソだった。
虚構、魔術刻印の持ち主である個体が描いた虚妄でしかなかった。
「笑えるぜ」
嘘つきの夢に同調でもしようとしているつもりなのだろう。
少なくとも悍ましき存在、「神様」に成り上がった、……成り上がってしまった身内に対する侮蔑は込められてはいないようだ。
ジェラルドも、ルイも、危険物の弟である彼がそのようなタマではないことを知っている。
彼は、クドリャフカは酷く根性無しで、
意気地無しで気弱でのろまでグズで。
そして、どうしようもなく、戦争という愚行には似合わないほどには、優しい心の持ち主なのだと。
「殺そう」
クドリャフカが仕事仲間に提案をしている。
同意を求めるまでもなく、彼らの仕事はそれしかなかった。
人間との戦争。
人間は、この戦争を利用してついに「神様」に成り上がろうとしている。
神は邪悪を許さない。
神は悪列を許さない。
神は劣等を許さない。
そして神は、曖昧な存在、白黒はっきりつかないもの、善悪の間に存在する数々を許さない。
だからこそ、神は曖昧と灰色と混沌から生まれる穢れそのもの、煩悩の塊である魔物を本能的に拒絶する。
これは仕方のないことだった。
神にとって魔物とは自己の存在意義の否定に等しく、存在している事自体が「死ぬこと」と同列になる。
そんな具合の不快感。
故に。
「あ」
魔物にとって聞きたくもない、人間ですら悲鳴を上げたくなるほどの醜い悲鳴。
拒絶と否定の悲鳴。
「うぐぇぇ……」
ジェラルドはエルフの流れをくむ敏感な耳により、神の叫びをもろに受け取ってしまっている。
とりわけ彼はエルフ系統の中でも聴覚が鋭い。
先祖返りとも揶揄される、集団を相手にする戦場ではいささか繊細過ぎる特性。
だが圧倒的な個を相手にする場合、また身内に強力な戦闘要因を有している場合には、かなり有力なセンサー担当となり得る。
「来る!」
神が動き出すよりも遥か早く、ジェラルドは予言の如き速度で神の動作を予報する。
神がかった予知能力と言える、実際のところは過敏なる感覚器によって相手の動作の機微を仔細に感じ取っているだけにすぎない。
しかし情報はより多く、より早く正確に収集するほどに攻撃力を増幅させられる。
味方のジェラルドの声を聞いて、意味を受け取りクドリャフカは行動を起こす。
戦うための行動。
「ルイ」
「了解」
皆まで言うな、辛すぎるから。
暗に主張するかの如き速度にてルイは部隊長の命令を受ける。
身につけている戦闘服から、身につけているがゆえに纏わせやすい魔料の香りから武器を表している。
所謂ディメンション式の鞄のような小さな空間、何かしらの重要な意味を持つ品物をいくつかしまうことができる。
魔法使いの合間にひそひそと流れ継がれるささやかな魔法の一つ。
魔法の鞄の中から取り出すのはひと振りの刀。
刀のような形状をしているが、よく見ると一本の宝石の塊でもあった。
氷のような塊。
もともと大きな何かしらの塊の一部だったものを削り落とし、更にそこから日本刀に限りなく近しい形状になるまで彫刻した。そのような工夫の形と痕跡が見受けられるひと品。
宝石の塊を、見るからに貴重そうで大事そうなそれを、やはりルイは大切なものとして、使っていた。
それはもう全身全霊を持ってして、全力を込めて、ルイは宝石の刀を天高く投げる。
宝石の輝きは陽の光を受けた鏡のように鮮烈だった。
「?!」
太陽のかけらほどに見紛いそうな輝きに、元クラサフカの神は驚いたように目を見開いていた。
しかし現時点では所詮ただの目くらまし程度の意味しか有していない。
クラサフカだったものはすぐに気を取り直すように攻撃を再開しようとした。
イヌ科の動物のような広く鋭く攻撃性に溢れた口を、顎を全力をこめて開けている。
開ききったそこに魔力が集中し、また炎の塊がぐるぐると生成されている。
先程の攻撃よりもさらに強力であると、見た目だけで素人判断できてしまえそうな凶暴性に満ち溢れている。
以下に科学的根拠からはぐれた存在であろうとも、一介の魔物など簡単に焼き殺されてしまうだろう。
そうなるわけにはいかない。
彼らにも一応は、雑魚魔物として虐げられる彼らにも一応は、生きる意味はそれぞれに隠し持っている。
秘密こそ魔法使いの最大の悪徳、あるいは甘美なり。
だからこそ魔法使いは神をも殺せる可能性を有している。
「元気なことで」
今の今までのやり取り、言葉づかいや声の調子からはまるで想像がつかないほどの上品な物言い。
絵画の中の貴婦人がひょいと現実世界に紛れ込んでしまったかのような、そんな声。
「オイタが過ぎますよ」
声はクドリャフカの喉から発せられていた。
喉を通して舌を蠢かせて言葉を、たしかに自分自身のものとする。
決して夢の中に捨て去りはしない。
「悪い子にはおしおきだよ」
そうしてクドリャフカは呪文を歌う。
手の中には鞄から取り出した少し長めの、侍が腰に帯びる短刀よりかは長めのステッキのようなもの。
それはよく見ると、牛飼いや羊飼いが持つ杖のようなものでもあった。
ランタンとしての役割も兼ねているのだろう、飾り玉が暖かい光を放っている。
ほんわりとしたあかりの気配はほんの一瞬の光景、瞬きの間の暗闇ほどに刹那でしか無かった。
杖を燃やし魔導の未知を否定。
残されたのはランタンだけ、明かりは弱いものの道標になる。
ギュウウウン!
チェーンソーのエンジンをかけるような動作、仕組みや駆動によりランタンの火力が急激に増幅する。
満ち溢れる火力は、ランタンのそこに開けられた噴出口から勢い良く、ビームさながらに吐き出される。
打ち出されたビームは光にも見て劣らぬ派手さと素早さにて、神の口の中を狙撃、破壊していた。
「あ」
突如、神にしてみればあまりにも突然な出来事だったのだろう。
口の中を地獄の業火に焼かれている。
青い炎が赤色を凌駕する。
色の否定はとどまらない。
「三等兵!!」
攻撃の手は止まらない。
ジェラルドはクドリャフカの炎の勢いに紛れ込むように、神の頭上に魔法のシールドを貼っていた。
さながら雲の札の如き、神の上を土足で踏み荒らすことを許さないかのような、荘厳な造りの盾をこしらえている。
しかし当然のことのように魔物たちは己を害する存在を不必要に敬ったりなどしない。
ましてや、殺せる可能性があるのならば論外である。
盾の目くらましの上、宝石の刀を伝導としてルイが電気のような速度で瞬間移動。
そしてそのまま刀を握りしめ、振り落とすは刃……ではなく。
「…………ッ!」
見事な見事な、かかと落としであった。
盾まるごと、ルイの天より向かう雷鳴の如き一撃が神の頭蓋骨を破壊した。
大量の血液があふれる。
………。
神は、まだ死んでいなかった。
死ぬ寸前の肉体に向けて、疲れをたっぷり体に滲ませたクドリャフカが、相手に話しかけている。
「いい夢を、ありがとう、クソ兄貴」
そのような不遜な呼び方、家族であったときは恐怖でろくすっぽ出来やしなかった。
他人になって今更、クドリャフカは兄のクラサフカに愛着をいだき始めている。
だからなのだろうか。
死ぬ間際。
「さよなら、クドリャフカ」
一度だって名前で読んではくれなかった、兄が自分のことを読んだような気がするのは。
気の所為だったのだろうか?
確かめるすべもなく、神になってしまった相手は血にまみれながら死んでいくだけだった。
もう二度と、嘘も夢も見ないのだろう。
見ないで済むのだろう。
そう思うと、クドリャフカはますます兄のことを愛したくなっていた。




