地方都市のお城みたいな建物について考えること 三
血が溢れる。
皮膚というものが意外と伸縮性が高いこと、とりわけ金属製の刃物などには割合相性が悪い可能性があるということ。
そのようなことを神様は「人間」らしい、じつに人間らしい理性で考えていたのかもしれない。
この塩気を帯びた伸縮性のある外皮というものは、存外に頑丈である。
ニワトリの皮を想像してみて、唐揚げなりチキンステーキなりを作る時に皮に触ってときを想定する。ゴムとも違うあの生々しい粘り気と伸縮性の強さ。
しかしながら、いずれにせよ、所詮は人間のそれでしかない。
感触は人間の皮膚で、だからこそ神様の爪の一撃などひとたまりもなかった。
血が溢れる。
「ぅ」
手負いの猫のような声を漏らして、シズクは自らの鮮血が飛び散る様子を眼鏡越しに見る。
血の赤さは人間も魔物も変わらない、酸素を基本としてる限りは、その想像力の領域から外れる必要性も取り立ててないと言える。
必然的な赤色の下、脂肪の黄色い粒は本来の色を発揮することをしない。
後から後から溢れてくる新しい血液に、つぶつぶの黄色は次々と上塗りされて言ってしまう。
「あ」
驚きの声を発しているのは神様であった。
あろう事か対象は後悔の念を抱き始めているようだった。
なぜなら相手は神様だから。
なので、弱々しいとしか思えない魔物を一方的に傷つけてしまったことに罪悪感を少し、覚えていた。
「あ、ぶぅ」
神様は言葉を上手く発せられないで、赤ん坊のそれのような不明瞭な音だけを捕食器官の端からこぼしている。
そしてシズクは頬からどくどくと赤い血を流しながら、そのまま神様の首を、首の肉に埋もれる太い太い血管を切り裂いた。
倒れる神様。
そして崩れ落ちるシズクの体。
「あ」
神様の体はそのまま落ちる。
ここに味方はいない、周りにある人影らしきものの全ては獣、魔物、畜生と変わらぬ存在なのである。
だからなのだろうか? 神は無理やり己を納得させようとする。
だから。
「我が姫よ」
女に向けての、いっそ過剰とも取れるほどの尊重した呼び名。
言葉に違わぬほどの恭しい所作。
宝物、宝石に触れるかのような手つきにて、偉大なる魔王は雑魚魔法使いの介抱をしている。
「魔王」
神様がルイのことを、シズクをそっと抱き抱えている彼のことを見ている。
黒い髪の毛に白い肌の首筋。
秋に熟れる豊かな麦畑のように黄金に輝く瞳。
瞳孔は人外生命体のそれらしく、異常なまでに虹彩の明暗が激しい。
それ即ち、魔王が汝の敵に真剣な敵意を抱いていることの証明でもあたった。
さて。
「がああ、がああああ」
息も絶え絶えになる、神様はまだ死んではいなかった。
「まだ生きてるよ」
神様が戦闘不能になるまで息を潜めていたクドリャフカが、急ぎアンジェラにヒーラーとしての指示を発している。
「アンジェラ、治癒魔法を」
そしてクドリャフカ自身もまた魔道の起動を即座に準備する。
取り出したるはスマートフォンのような形状の科学的媒体。
通話通信インターネット操作SNSもろもろ……。
言わば人間が生息しやすい科学世界における二千年代に広く普及していたスマートフォンにとても良く類似している。
そんなデバイスにてクドリャフカは魔法を、
使わなかった。
使わない、なぜなら彼は魔法使いでは無いからだった。
「魔術を起動」
クドリャフカは魔術を使うために、魔術式を予め組み込んだ媒介に命令を下している。
魔術のそれは魔法とは大きく異なり、予めの準備、あるいは知識の正確性こそが肝となる。
魔術は旧世界の科学技術に魔道の荒唐無稽さを帯びて、人間的にはありえない速度にて傷を治癒している。
しかしながらそれはあくまでも治療行為の域を脱することは出来なかった。
求められるべき方向性が違う、とでも表するべきか。
魔法はカオス、曖昧の世界であり魔術はそこに理論を見出しより明確かつ的確、限りなく正解に近い形状にまで整えてある。
だからこそ、魔物が本来持つ混沌の世界観、魔力の神秘には上手く触れることが出来ない。
「やっぱりどうしても、空気を掴むような気分になるな」
クドリャフカは魔法と魔術の特性について考えながら、とりあえずスマホ型デバイスを手に握りしめたままにしている。
「生前は」
モネがクドリャフカに質問をしている。
狐面とは異なる、犬の頭部を象った謎のお面を被った彼。
いつの間にやら被っていたらしい。
犬面の彼にモネは問いかける。
「まだ生きている魔物だった時は、こうして戦争のための研究をしとったんでしょうかね?」
挑むような気配を不意に感じる。
違和感ではないと、クドリャフカはモネという名前の少女に対して直感していた。
彼女は戦争という事実に何かしら、痛みを伴う感情と記憶、あるいは肉体を伴った経験を経ている。
クドリャフカはモネに対してそう察した。
彼女は戦争を恐れている。
憎むことはしない、なぜなら戦った訳では無いから。
恨むこともしない、恨んだって、腹は膨れないのだと既に悟ってしまっているから。
その事実が、クドリャフカには。
「くだらない!!」
クドリャフカの犬の耳、ゴールデンレトリバーのような神聖さと慈悲深さを帯びた両耳に神様の叫びが入り込んできていた。
「愚かな小娘よ、そヤツのような雑魚い魔物が戦の場で活躍などできるわけがあるまい」
神様にバカにされていた。
バカにされて、怒ったのは、
モネだった。
「ああ?」
見た目の可憐さ。
魔物「銀メダル牛」の物語を受け継ぐ。
以前にクドリャフカに「何その魔物?!」と問われ、モネは快く楽しく誇らしげに「干支の牛のことやで」と教えた。
「銀メダルでも聞き捨てならない」
魔物は己の誇りを傷つけられることを強く恐れる。
この場合における「恐怖」の度合いや種類は、まさに旧世界における人類の性格の数ほどには多いと想定すべきである。
さておき。
モネはキレていた。
猛り、しかして決して狂うことの無い雄牛、ミノタウロスのごとき闘志。
「我々が生存するために払った犠牲を、テメエさんごときのただ強いだけの、俺TUEEEEなだけの! それ以外になんの魅力もないだけの神様が罵倒するとか」
怒りのままにモネは唾を吐き捨てそうになり、敵に不必要な下品さを発揮するまでもないと口の中で怒りを我慢する。
ゴクリと音を奏でて唾が喉を滑り降ちる。
体温、粘膜の柔らかさと熱さから少し離れている。
粘液が混じったそれらが冷たく胃の壁を濡らした。
「バカにすんなや」
武器さえも構えそうな勢いで、モネは神様に食ってかかろうとする。
「生存のために、互いに戦ったはずの自分さえも、否定しないでよ」
牛乳娘の願い事。
頼み事でもあり、あるいは懇願にも等しい思いが見つけやすい方角に見え隠れしている。
「どんなに辛い、汚い臭い、醜くて痛い冷たい世界でも、せめて好きな人だけでも守ろうとしたはずなのに」
迷える子羊の叫び声。
しかし声はあくまでも声でしかなく、人間の耳にはただの言葉や音にしか聞こえないようだった。
「何言ってんの、キモ」
神様は彼女のことをバカにするのを止めなかった。
今度は悲しみが生まれた。
すすり泣くような声が少しだけ盛れる、主にクドリャフカの喉元からだった。
「ああ」
赤ん坊が泣き疲れたかのような、そんな小さな声。
呼吸音に聞き間違えそうな程に些細な声音がクドリャフカの胸の内に抱かれた悲しみの証明に変換されていく。
「戦争のことを知っているんだな」
クドリャフカの確認に神様が答えている。
「ああ、俺はそこでたくさんの味方を誇りを持って守り抜いた!」
次の一拍において、手をひとつ叩くような速度にて神様はクドリャフカが発言させた魔術の武器に刺し貫かれていた。
魔法よりは理論的に相手を苦しめることが出来る。
魔術の槍はスマートフォン型のデバイスから最速成形され放出されたものだった。
実に素早い魔術行為だった。
並大抵の魔術師、例えば町のインフラを守ったりするような善き一般人にはかなり困難であろう手法である。
そもそも魔術というものは魔法とは異なり基本的に鮮度を必要とはしない。
あるのは正確性、あるいは機会を正しく動かすための知識さえあればいい。
であれば、クドリャフカは如何様な異常行動を起こしたのか?
「魔術を一から組み上げた……だと!?」
この場面において限定するならば、神様こそがクドリャフカの魔術の最大の理解者たり得ていた。
「馬鹿な……」
神様は、かつては生存戦争に参加したであろう人間の英雄の魂が組み込まれている
そんな神様は驚いている。
「ありえない……!」
魔術というものは一度確立してしまえば簡単なもの、とされている。
例えばスマートフォンも使用方法自体は単純でユニバーサルに理解することが可能なデザインになっている。
しかしながらその利便性は計算され尽くした、いわば結果でしかない。
結果へ辿り着くための過程は果てしないものである。
であるはず、なのだが。
「速筆魔術でありますね」
ルイがクドリャフカの方に少し近づいて、感心したように瞳を仄かに煌めかせている。
「戦争にさらされた魔道世界の生息物達が極度のストレス状況において昂った魔力を、科学ないし魔術を開発した人間、科学世界側の理論に宛てがい開発した。とされているであります」
「はいはい、」クドリャフカはルイにため息を向ける。
「無駄に詳しい解説ご苦労さん」
さて、と。
と、投擲した槍の方向にクドリャフカは殴り掛かるような速度で手を伸ばし、神様をひっつかむ。
殴りかかろうとして、そしてそれをアンジェラに静止させられた。
「およしなさいよ」
クドリャフカより遥かに強めの腕力。
力の強さ、それはアンジェラの肉体に刻みつけられた魔術の刻印による効能の一部分であった。
生存戦争のために作られた数多くの魔道兵器、そのうちの一つ。
兵器自体は何も珍しくない。
戦争はあまりにも長く、長く続きすぎてしまったのだ。
「ああそうさ、一秒だって許されない高いなんだ」
悲しんでいるのはクドリャフカで、悲哀は既に恐怖に近しい色彩を帯び始めていた。
クドリャフカは脅えている。
「戦争を喜べるだなんて、お前の価値観原始時代か何かなのか?」
「げ、原始……?」
戸惑う神様。
そんな相手にあははと笑うのはモネだった。
「あかんよそないな意地悪言っちゃ」
西のもの特有の嫌味ももちろん含んではいる。
が、それ以上にモネはクドリャフカのことを心配していた。
「相手は神さん、不必要に煽るのは自らの傷を深くするだけなんやって」
「ご心配には及ばねえよ、可愛いお嬢さん」
クドリャフカはあくまでも己の力だけで神様と対峙して、退治しようとしている。
「神様、神様」
祈るように、叫ぶことはしないでクドリャフカは神様に自分たちのことを、手前の都合を話そうとする。
「決して戦争を笑ってはいけないんよ」
それだけの事を話すと、もう限界を迎えていた。
息を切らして、クドリャフカの皮膚から汗が吹き出した。
「最初はみんな笑ってた。
楽しんでいた、戦争を」
神様は答える。
「笑止! 楽しむ戦争などあるものか」
正論なのかもしれない。
間違っているのは彼なのかもしれない。
それでも彼は自らの言葉をあきらめることをしなかった。
「古城、つまりはここは我々の領域、縄張りであると言う認識は御ありか?」
質問ばかりで飽きてきたのか、それとも敵であるはずの相手の魔物がいつまで経っても攻撃してこないことにヤキモキしているのか。
「殺したいのならば、さっさと殺せ!」
「いやだ」
クドリャフカは子供のように理った。
「誰が、誰が、人なんか……」
全てを言い終えることも出来ないでいる、神の前は屈強な男性も子羊になってしまうということなのか。
しかし狂気は収まらなかった。
たとえ母親の海より深い愛情でも、たとえ父親よりも強い古木のような頑強さであったとしても、である。
「ぅ、あ」
狂気が溢れそうになる。
その様子、魔物が変化をしようとしている具合。
それらを見て、神様もようやく思い出しそうになっていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
戸惑う声は神様のもの。
神様の声は、段々とした段階を踏まえて徐々に人間らしいそれに変わっていった。
「まってくれ、もしかして強くなる感じ? バフかかっちゃう感じ?」
まるでネットゲームのそれのような安心感、否、安心の中に枠組みされた世界観だけを正しく楽しもうとしている。
嘘の世界を正しく遊ぶだけ。
ただそれだけで良かったはずなのに、どうしてか、相手は本物を雑に求めてしまった。
テキトーをかましてしまったのだ。
だから、もっと本物に近いものに見つかってしまった。
本当に怖いものに見つかってしまったのだ。




