短編小説「タンポポ」、ひとり哀れに嘆くよ献花
短編小説。
ある日のこと。
ある場所のこと、魔物と人間との戦争が終わったあと、世界がある程度までだけ壊されたあとの世界。
そんな世界のある場所、比較的安全には暮らせる、少し寒いが雪が降るほどでは無い土地。
一人の魔法使いの女が死んだ、その葬式の帰り道だった。
シキシア・シズクという名前の魔法使い志望の若い女性は車の後部座席に身を落ち着かせている。
なるべく、できるだけ、体をゆらさないように。シズクの右肩にはいま眠ったばかりのモネの柔らかい薄紅のほっぺた、そして彼女が流し尽くした涙の乾いた後がのしかかっている。
「さて、仕事の引き継ぎについてなんだけど」
すやすやと眠るモネ。
起きているシズク、彼女らに提案をしているのは先輩魔法使いであった。
二人はモネのお母さんのお葬式の帰り、先輩の運転する小さな赤い車にて送迎してもらっているのであった。
葬列の帰り道、濡れたアスファルトの上を走る赤い車。
雨に濡れる姿がまるで朝露にみずみずしく煌めくミニトマトの生命力を閉じ込めたようだった。
しかし、現実のモネらを包むのは、愛しい人を失った苦しみと悲しみだけ。
「大泣きだったねえ」
「ええ、そうですね」
タンポポ(偽名)さんはハンドルを握りしめながら、シズクに世間話のような口調で話しかけてきている。
シズクは意思表明の前段階として、先程登場した「魔法使いの仕事」についてを復唱する。
「百年にわたる人間と魔物同士の戦争。男性が著しく欠乏した魔物族のメスの間にて擬似的な婚姻関係を結こともあった」
「そんな大層なものじゃないよ」
シズクがあんまりにも真面目ぶった様子で語るものなので、タンポポは気を取られて危うく赤信号を無視してしまいそうになっていた。
「ただ単に、体と心をもてあました女どもが、身近にいる好ましい相手で色々と寂しさを紛らわそうとしたって訳で」
「しかし」
シズクはなおも生真面目さを継続させる。というより、真面目さにいくらか依存している気配もあった。
「性交渉とまでは発展せずとも、契約を結んだ女性同士には所謂ミンネとナイトの性質が……」
「はいはい、確かに魔物族は感情によってかなり魔力を変容させることが出来る」
タンポポさんは降参したように、シズクの真剣さを受け止めることにしていた。
「そうすれば、守って守られる関係性を結べば、弱っこいメス同士であろうともオスに引けを取らない魔力を構築することが出来る」
理屈では、一応この世界であれば多少の意味はある。
要するにバフのようなもの。
とはいえ。
「戦争が終わってオスが帰ってきて」
「タンポポさん……オスって言い方はないでしょう」
「おっと失敬、可愛い女共を放っておいてクソみたいな戦争に夢中になったクソ野郎共が」
「より悪化してしまった……」
「生きて帰ってきたとなると、もう姫騎士がミンネ、つまり精神的貴婦人を守護する必要性も段々と薄れて言っている」
結局のところ。
「女が頑張って騎士になったって、お姫様の乾きを癒せやしないんだよ。何故なら女の子だから」
2000年代前半の人間世界においてうっすらと流行したジェンダーレス的思考のそれという訳では無い。
人らしい憂いよりももっと下、肉も皮膚も、あるいは内蔵よりも下にある部分についての話をしているようだ。
「哺乳類ヒト科、それらの肉体を素体に魔物が作られた。
……ともすれば、オスメス勘定で物事を判断する傾向だって取り立てて特別なことでも無いと、個人的には思うね」
おしべとめしべの仕組みに文句をつけるくらいキモイ。
そう吐き捨てる、タンポポもまた既にいくらかの答えを導き終えているようである。
愛欲もすべて、寂しさの傷の虚しい虚しい舐め合いでしかない。という極論なのだろう、おそらく。
「それでも」
タンポポの沈黙から浮上するようにシズクは言葉を続ける。
「ぼくはモネさんを守りたい」
「それは」
タンポポさんは少しだけ鼻をすする。
「今しがた見送ったばかりの彼女との約束、とか?」
「それも、ありますね」
シズクはそこで初めてタンポポが涙ぐんでいることに気づいた。
「すみません」
シズクは咄嗟に謝ってしまっている。
「なんで謝るのさ」
ズズっと鼻を鳴らしながらタンポポは苦笑している。
「タンポポさんはその、モネさんのお母様のことが……」
「ああ、そうさ、そうだとも。他ならぬタンポポさんはあの人のことが好きだった」
あの人とは、モネの母親のこと。
「愛していた。愛して、愛して、愛して、めちゃくちゃにしてやりたいくらいに愛していた」
情熱を超えた激情、もはや暴力性にも近しい肉欲。
疼きはもう二度と潤うことは無い、なぜなら彼女は死んでしまったから。
「憎いと思いますか?」
シズクがタンポポに質問をする。
「初恋の女性を奪った、モネさんのお父様のことを憎んでいますか?」
「ああ、そうさ、そうだとも」
タンポポは即答していた。
「今すぐその「泥棒犬」の首をねじりきって、頸動脈を線香代わりにあの人の墓前に備えたいくらいだ」
「まだお墓は出来上がっていませんよ」
お骨は眠るモネがしっかりと抱え込んでしまっている。
今日明日は手放せないに違いないし、シズクもタンポポぽ可能な限りモネの意思を尊重したいと願っていた。
願うことしか出来なかった。
「あなたの気持ちを全てを理解することはできません」
シズクは真剣に悩みに寄り添おうとしている。
「ぼくは、タンポポさんにはなれない」
「そうだね」
タンポポはずっと瞬きを我慢している。
シズクは語り続ける。
「ぼくはあなたにはなれない。
けれど、あなたの気持ちに少しでも寄り添えると思う。
ほんの少しぐらいなら。……なぜなら、ぼくも、愛した人を喪ったから」
「そう」
それこそが、と、タンポポはこの話題の結論を結ぼうとする。
「シズクくん、君の好きだった女と、私の好きだった女は互いに姫騎士仮契約を結んでいた」
タンポポは目を伏せる。
マスカラに縁どられたまつ毛の向こう、雨に濡れる車の窓ガラス。
「休憩しよう、させてくれ」
タンポポは田舎特有のだだっ広いコンビニの駐車場に車を止める。
そして深いため息を吐き出す。
とても苦しそうだ。
「彼女たちは夫を失って、寂しい旅路の果てに出会って、いつか帰ってくるかもしれない彼らを待ち望んで、少しでも生き延びる可能性を作ろうとした」
タンポポはシズクと、そしてモネの方を見ようとしない。
「何より、愛しい家族である君たちを自分の手だけで守るためにね」
シズクもまた自らの剥き出しの細い膝小僧に視線を固定させる。
そうすることで不安定な精神を少しでも現実にとどめようとしていた。
無駄な試みではあるが。
「先生に拾われた、捨て子だったぼくはともかく」
シズクは一層モネの重みを強く意識する。
「モネさんにとっては、この世界でたった一人の、何よりも大切なお母様を喪ってしまった。
その傷を癒す為ならば、ぼくは」
「そうすうことで、片思いの女に少しでも近づけると?」
タンポポは窓の向こうを見たまま、嘲笑のような呼吸をする。
「愚行だね。
そんなことをしたって、彼女たちはもう」
「ええ、帰ってきません」
シズクは既に決意を固めていた。
「喪ったものは帰ってこない。死者は甦らないし、新しい物語を作ることも出来ない。
もう、止まってしまったんですよ。
ねえ、タンポポさん」
ようやくタンポポはバックミラー越しにシズクと、そしてその方によりかかって眠る片思いの忘れ形見を見る。
「ああ」
声が震えている。
「こうしてみると、唇の形は、あの人にそっくりかもしれない」
瞳は涙に濡れている。
とめどなく、もう我慢も出来ない。
赤い車の中、扉は閉じられている。
限定された空間の中。
「お姉ちゃん?」
モネがタンポポの声に反応して、寝言のようにぼんやりと呟き、また疲労感の中に眠る。
「うぅ」モネの姿を見つづて、彼女の腕にすっぽりとおさまる形になってしまった、かつての彼女を見て。
「ううぅぅ」
タンポポはついにこらえきれなくなって。
「うええーん」
めそめそと泣き出し、タイトスカートの上に涙のシミをいくつも刻んでいた。
「ばかやろおぉぉ」
泣きじゃくるタンポポ。
「なんで私みたいないい女をすてて、あんなクソ野郎を選んだんだよぉー」
えーん、えーん、と泣いている。
シズクは彼女の姿をじっと見守る。
出来ることなら寄り添って、頭を撫でてあげたいと思う。
だが、今のシズクにはモネの重みを支えるだけで精一杯だった。
しばらくして。
「さて、帰ろうか」
すんすんと鼻を鳴らしながら、タンポポは再び車のハンドルを握ろうとしている。
「お腹すいたしね」
「大丈夫ですか」
シズクの静かな問いに、タンポポは空元気のような声を発する。
「大丈夫だとも。私は大丈夫だとも、だって、シズク君ともなんとなく仲良くなれたわけだし」
「ぼくはただ、貴女のお話を聞いただけですよ?」
「何を言うかね、このかわい子ちゃんは」
タンポポは運転席から身を乗り出して、シズクの白くて柔らかい膝小僧をかるくつついている。
「女同士の平和ってのはね、たった一つの共感でそれなりに長く保たれるものなのよ」
「そういうものなのでしょうか」
「そうだって、ねえ、お嬢さん」
まだ恋を知らない少女を一人。
眠る彼女に内緒で少女と女性が二人、喪った恋を苦く噛み締めている。
苦くて苦しい、苦しくてたまらないのに、香りだけはどうしようもなく甘くて仕方がなかった。
車が雨の中を進む。
一章につき短編小説を3つほどくっつける予定です。