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ぼくとわたしの生存戦略プロトタイプ  作者: 迷迷迷迷
土になった初恋を食べる
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思い出話 モネ その2

 幼いカブが階段をかけ降りていた。

 年は、おそらく5歳程度。

 少し重度のものもらいを患い、休日に両親と共に病院へ治療に来ていた。


 疾患の辛さなのか、あるいは医者が怖いのか、それとも病院と言う環境に漂う薬品の匂いが恐ろしいのか。

 理由のところは思い出せないが、とにかくカブは両親と軽く喧嘩をして、泣きたくなるのを堪える衝動そのままに駆け出し、そして階段をかけ降りていた。


 階段が終わる、階がさがる、平坦な床へ怒りのままに足踏みしようとした。


 と、そこへ。


「きゃっ」

 彼女が現れたのだ。


 ぶつかりかけた彼女。

 少女ですらない、まだ幼女でしかない。

 それがモネであった。


 若干の口論のあと、なぜかカブは彼女に。


「お茶でもどう?」

 と言う意味合いの、いわゆるお誘いをしていたのであった。


 と言うわけで病院の正面玄関付近、設置されたベンチの上にモネとカブはならんで座っていた。


 手元には自動販売機で購入した天然水1本。

 モネが持参していたおこづかいで購入したもの。

 二人分を購入できるほどには彼女にも余裕がなかった。


「はあ……」

 ぐびぐびと水を飲んだあと、カブはベンチの上で子供らしからぬ深いため息をついていた。


「ちょっとさ、ぐったりしてて、なんだか頭がカーッとなっちゃったんだ」


 カブは自分なりに、拙くとも真剣に己の怒りについてを考察していた。

 そしてその論述はすでに納得の果てへとたどり着こうとしていた。


「本当は怒りたくなんかなかった。ちゃんと病気なおして、お父ちゃんとお母ちゃんと一緒に、美味しいごはん食べて家に帰りたい」


 でも、その時はどうしてもそれがうまくできなかった。

 ただそれだけのことだった。


「あやまったら? とかは、もう言わへんよ」


 モネもまた、実に幼女らしからぬ大人びた雰囲気で自分なりの答えを探している。


「だってもう、カブ君はあやまろうとしているし、あとはちょっと、勇気を出すだけなんやし」


 西の土地特有の訛りが、カブの耳に知らない土地の不思議な匂いを期待させていた。


「それに、ご両親が元気な内はできるだけがんばって、オヤコウコウ? ってものをするべきなんよ、私ら子供って言うのはさ」

「うわー、親戚のおじさんやおばさんみたいなことを」


 どのシチュエーションで言っていたか。

 考えろ、あるいは思い出せ!

 と、どこかから大人の男の声がカブの頭のなかで鳴り響いた。


 教会の鐘の音、寺の鐘の音のように圧倒的な声色だった。

 声にしたがって記憶が展開される。みんな、黒い服を着ていた。

 みんな、長方形の箱に集まっていた。お坊さんがいた、もしかしたら牧師だったかもしれない。


 ただ共通していること。それらの情報の全てにいずれ骨になる死体の、ひんやりとした皮膚の感触が寄り添っていた。


「えっと」

 答えを見つけた。

 言いよどむ、カブの姿をみたモネが小慣れた様子でふんわりとした笑みを作っている。


 一連の展開がまるでテンプレートのように時間の上を滑る。


 工場のラインの上をただ滑るだけのような感覚が、カブのなかに別の熱をたぎらせていた。


 怒りでも苛立ちでもない、それが憎しみと呼ばれるものに近しいと、知ることができたのは彼がもう少し、あともう少し大人になってからだった。


 だが未来など知るよしもない。

 彼女の瞳のなかに潜む暗い色がカブを惹き付けた、あの瞬間の理由をさらに実感した。


 喜ぶ、あるいは大人っぽく悦んでしまう。

 カブは自身の肉体に潜む、とても抑制しきれそうにないどす黒い欲求にただひたすら怯えるばかりであった。


 身を縮こませるカブに覆いかぶさるように、モネが身の上話をしている。


 もしかすると彼女は不必要に不明瞭な状態に彼が怯えているものだと、そう勘違いしたのかもしれなかった。


 とかく彼らはただ子供で、子供らしく優しく純粋で、そしてまだまだ、どうしようもなく他人に不慣れだったのだ。


 というわけで。


「あいつの父親は先の戦争で死んだこと。お母ちゃんも、その戦争の影響で病気になっちまって、その時点ではまだまだ元気だったんだが」


 元気、健康、まだ大丈夫、可能性はある、諦めるな頑張れ。


 それらの言葉を信じて、日々を過ごしていた。


「今日だって、あいつのお母ちゃんの見舞いに行ったし」

 

 カブの言葉をきっかけに、シズクはモネの母親について憂いを少し抱く。


「最近は、体調も優れていらっしゃったのに、これでは心労をかけてしまいますね」


 シズクはボディーガードとしての失態を恥じている。


 それと同時にプライベートとしての領域に踏み込んだ心配もしていた。


「仕事としても当然ではありますが、しかし、それ以上にぼくはあの母子のことをとても尊敬しています」


 シズクは階段をまっすぐ登る。

 寄り道は当然のこと、下るという思考を今このときだけ完全に棄却してさえいるような、そんな気迫を感じさせる足音だった。


「なのでぼくは、たとえモネお嬢さんがどう思おうが関係なしに、彼女をお母様のもとに帰らせる。それが、ぼくが「魔女さん」から受け継いだ最後のお仕事ですので」


「……」


 モネとシズクの関係性については、カブも大体は知っている。


 その上で、カブは裏家業に身を染める年上の少女を睨むように、挑むように見据えている。


「友達として、寄り添ってやろうとは思わないのかよ?」

 彼自身、予想を超える勢いで言葉が溢れていた。


 言葉を続けている間は、階段を登る足を止め続けられる。

 留まれる、そんな気がしていた。

「一緒に悩んで、それで、悲しいとか苦しいとか、そういうのを一緒にか抱えてやろうとかは、思わないのかよ?」

「思いませんね。ええ、まったく」


 シズクはすぐに答えていた。

 酷く傷ついたように、カブが段差の上で体を震わせている。


 そこにとどめを刺すつもりでシズクは自らが望むところを言語化しようとする。


「友達として寄り添うなんて、ぼくなんかにそのような価値はありませんよ」

 眼鏡の奥、まだ健康さが残っている右目をそっと臥せる。

「母親を殺して、好きな人を見殺しにして、そして、いまも彼女らの大切なお姫様を苦しめている」


 抽象的な意味合いのように聞こえるが、しかしシズクにとっては限りなく事実に近しい事柄であった。


 その辺りの事情について、カブは他でもないモネからそっとデリケートに教えてもらっていた。

 全貌とまでは行かないが。


 シズクは己の罪を喉の奥で転がす。獣の唸りは聞こえず、ただ人間らしい声だけが階段に鳴り響く。


「これ以上、誰かを好きになったら、また深く傷つけてしまうのではないか。大切に思うほどに、壊してしまったときの恐怖が深くなって、どうしようもない」


 シズクはいたずらっぽく、「チェシャ猫」のようにニヤリと歯を見せて笑う。


「こう見えてぼくは独占欲が強いのです。

 友達になんてなったら、いったい何をしでかすか……」


 殺してしまうかもしれない。

 殺したいと思ってしまうかもしれない。


 あるいは、そう思いたくなくても、そう思ってしまう状況に陥るかもしれない。


「考えすぎだよ」


 カブは、幼馴染みの「友人」に向けてため息を吐き出していた。


「あいつがそんなこと、気にするようなタマな訳ないだろうが」


 階段を登ろうとせず、カブはモネについて考える。


「あいつは強い。どんな苦しみだって乗り越えられるくらいには強い」

「ええ、彼女は強い女性です」


 シズクは、笑顔のままでカブに相槌をうっている。

 不必要なごまかしを必要としない陰口のような内緒話。


「あいつは強い。だから、いつも一人でか抱えすぎるから……」

「だから?」

「……だから、もっと友達とか、もちろんオレにだって頼ってほしいのに」


 そうしない、選択肢を選ばなかった彼女の姿をカブはすでに何度も、何度もみていた。


「だから、オレは……?」

「独りよがりなあの人に不快感を抱き始めた?」

「それは……」


 そうかもしれない。

 シズクの予想はある意味では正解だった。


 だが。


「だが、全部の正解とはいえない」


 答えを考えたとき、不意に冷たい風が彼の頬を撫でていた。


 外の風だった。

 気がつくと、階段はすでに終わっていた。


「おやおや?」

 シズクが喉を「んるる」と鳴らしている。

「外の気配です、扉はすでに開かれています」


 冷たい風が吹いていて、シズクの少し眺めの髪の毛をふんわりと逆立てている。


 シズクは軽やかに階段を登る。

 そしてついには登り終えている。


「参りましょう、外は嵐です」


 シズクはそう言っている。

 カブの記憶では、今朝見たニュースの天気予報では、今日は見事なまでの晴天のはずだった。


 しかし、それでもカブはシズクのにうなずく、ただそれだけだった。


「行こう」

 カブは勇気を振り絞って前に進む。

 そうしなければならないと、すでに決意は出来上がっていた。


「早く帰らないと、お母ちゃんが心配する」


 さて。


 外はまさに嵐だった。

 

 アルミ感からドラム缶まで吹き飛ばされそうなほどの強風。

 雨の粒は弾丸のように魔物たちの柔らかな皮膚を、人間らのそれと変わらない皮膚を撃ち続けていた。


「これはひどい」

 予想していた事柄が、予想していた以上に悪化しつつある。

 状況について、シズクが妙にらしく無く怯えのようなものを見せている。


 そのような中で、カブはもはやなりふり構わずモネを探し歩いていた。


「モネー! モネーッ!!」

 カブは名前を呼んで、そして探し求める彼女に話しかけている。


「もういいから! 大丈夫だから!」

 彼女を安心させようとする。

「この迷宮も、わけの分からない階段も、お前が作ったんだろ?!

 お前が……その……」


 言いよどむ、その隙を狙いすましたかのように風がカブの体を巻き上げようとした。


 たまらず吹き上がりかけるカブの小さな体をシズクが強く抱きとめ、地面の上に固定する。


 風は強くなり続ける。


 カブは喉が張り裂ける勢いで叫んだ。


「もう良いから! とにかく! お前のお母ちゃんのもとに帰るぞ!

 心配してんだよ、つーか心配かけんな!

 早く帰らないと!」


 急き立てるような言葉づかいになってしまったのは、カブにとっては無意識でしかなかった。


 悪気も善意も何もない、ただ感情と思考、理性のすべてが行動を肯定するだけだった。


 すでに許している。

 その状況が、ついにモネの限界を後押ししてしまっていた。


「違うよ」

 モネの声、そして声がカブとシズクの鼓膜を震わせた瞬間、嵐は消えていた。


 人の魂が消える瞬間のように静かに、実感もなく質感存在しない消滅であった。


 晴れ渡る空。

 日は傾いて夕方になっていた。

 赤みの少ない空、青とピンク、仄かなオレンジが、白色を忘れつつうある雲の僅かな鈍色に縁取られている。


 日が暮れる。

 明るさを忘れようとする空の中、モネは宙ぶらりんになっていた。


 空に吊り下げられている母親、らしきものに縋り付いて、宙ぶらりんになっていた。


 モネ以外の、この場にいるすべての意識が直感していた。

 すぐに分かっていた、あの空に浮かんでいる存在は異形の存在であるということ。


 「神様」と呼称されている、魔物を襲って食べてしまう害獣のようなもの。


 つまりは、モネは神様の巣である迷宮に誘われ、そして今まさに捕食されようとしていたのだ。


「モネ!!」


 カブは悲鳴のような声で彼女の名前を呼ぶ。

「何してんだ! 早く、帰るぞ!」


 何かもっと言うべきことは、あるにはあるのだろう。

 可能性についてはしっかりと頭の片隅に、それでもカブはただ思うがままのことを叫ぶだけだった。


 カブは知っていた。

 手前が嘘を苦手としていること、嘘をついた時、いつだってモネがすぐに嘘を見破ってきたこと。


 だから、カブは叫ぶだけだった。

 モネが母親の姿に縋り付いていても、叫んでいるだけだった。


 モネがたまらず助けを求めている。


「助けて!」

 一向に助けてくれない友人たちに焦りを放つ。


「ママが、ママが神さんに連れてかれちゃう! 

 た、助けて……手伝って。連れて行かれないよう、助けて……」


 しかしカブは助けなかった。

 

 冷静で、非常事態に慣れているモネはすぐに救助要請をシズクへと切り替えようとする。


 シズクの方もまた優秀なボディーガードとしてすぐさまの行動を起こそうとしていた。


 疲労感でも売ろうとしているモネの意識には、それは春風のような速度に見えたことだろう。


 だが、カブにはとてもそう見えなかった。

 シズクはゆっくり、牛歩戦術さん柄の速度で歩く。ただそれだけだった。


 故に、カブが手を伸ばす、ただそれだけの速度でシズクの動きを簡単に封じられていた。


 母親の姿が段々と風に煽られる。


 今にも飛ばされそうな、紐一本でかろうじて地面に繋ぎ止められている風船のようだった。


 母をつなぎとめる糸の一筋、モネが怒り狂う。

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